第6話 取材(2)
朱音の事件から間も無く、テレビ局の朝のニュース番組を独占し、世間の好奇心を大いに盛り上げたのは、『溝口家の一家心中』を扱う凄惨な報道だった。
シェアハウスの面々が「集団感染の風邪」と偽って学校を休んだ、まさにその翌日。
溝口の父親が経営する『溝口設備』の本社、母親が副市長を務める市役所、そして溝口自身が通う我らが高校の校門前には、早朝からハイエナのような報道陣が溢れ返っていた。いつの間にかネットの海に出回った『溝口の凶悪な犯罪動画』についての真偽と、関係者たちの「今のお気持ち」を貪り食わんと、街全体が酷い有様になっていた。
幸いにも、瑞樹が拡散した動画では被害者である朱音の顔や素性が一切わからないよう巧妙に細工が施されており、また朱音自身も自らが被害者だと名乗り出なかったおかげで、このシェアハウスが好奇の対象となることは完全になかった。
あんな決定的な動画が出回ってしまっては、反論も弁明もする余地はない。
母親は副市長を即日辞任。父親の会社はすべての取引先から一斉に関係を断たれ、多額の違約金と共に廃業待ったなしの状況に追い込まれた。
幸福と栄華の真っ只中にあった天下の溝口家は、一人息子の抑えきれなかった愚行により、たった一晩でその名誉も、地位も、財産も、すべてを失ったのだ。
頭が良く、プライドが高かった溝口の両親は、頭が良かったからこそ、この絶望的な状況はもう二度と打破できるものではないと即座に判断したのだろう。彼らは、底辺に這いつくばって生き恥を晒すことよりも、この世界からの完全な決別という道を選んだとか。
両親が諸悪の根源である息子を殺害し、そのまま二人は首を括ったらしい。
どこまでが本当で、どこまでが無責任な憶測なのかもわからないそんな血生臭いニュースがテレビで流れる中。
シェアハウスの幼馴染たちは、突然の休校になったことを無邪気に喜びながら、穏やかな朝の食卓を囲んでいた。
「ねぇ一花、せっかく学校休みになったし、あたしたち買い物でも行こうか?」
「わあ、朱音ちゃんとのデートかぁ! いいねー! 服見に行きたい!」
テレビから流れる凄惨なニュースの音を聞かないフリをしているのか。聞こえていてあえて触れないようにしているのか。はたまた、全く何も、これっぽっちも気にしていないのか。
朱音と一花は、トーストをかじりながらキャッキャと楽しそうにお出掛けの予定を立てている。
そんな異様な光景を横目で見ていた遊が、不意に椅子から身を乗り出し、正面に座る瑞樹の耳元へと顔を近づけた。
「なぁ、古河。あのニュースの溝口って……城ヶ崎の元彼、だよね?」
「……そんな名前だったか?」
瑞樹がコーヒーカップを傾けながらとぼけると、遊は女性陣に聞こえないように、声のトーンをさらに低く落とした。
「古河が……なんかしたのか?」
「いやいや、まさか」
遊は、まるで『殺してくれればよかったのに』とでも言わんばかりに、残念そうに眉を下げた。
「復讐はしない。遊にもそう言ったろ? 殺してやりたいほど憎いけど、それを直接実行したら、俺たちも奴と同じ犯罪者になっちまう」
瑞樹はカップを置き、口元に完璧で穏やかな笑みを浮かべて言い切った。
「社会から抹殺されて、勝手に死んだんだから。……いいじゃんか、それで」
「そ、そうだね……」
瑞樹のあまりにも冷酷で合理的なロジックに、遊は引き攣ったような苦笑いを返すことしかできなかった。
「なになに、秘密の話ー?」
不意に、朱音がぐいっと身を乗り出して、瑞樹と遊の間に割って入ってきた。その顔には未だに引いていない腫れと痣があるものの、一点の曇りもない花のような笑顔が咲いている。
「なんでもないよ、朱音。それより買い物に出掛けるなら、気を付けろよ? 今は街中、報道陣がいっぱいだからな」
「ふーん?」
瑞樹の忠告に、朱音は不思議そうに小首を傾げて考え――やがて、ニコニコと空っぽな笑顔のまま答えた。
「なんでだろうね?」
自分を穢した男の死にすら何の感情も抱かない。その徹底した無関心と異常性に、瑞樹は背筋が凍るような達成感を覚えていた。
***
朱音と一花を笑顔で送り出した後。遊は自室で勉強することになり、特にすることのなかった瑞樹も自分の部屋へと移動した。
ベッドに腰を下ろした直後、スマホが短く震えて着信を知らせた。
画面に表示された名前は『本田』。
結衣をビッチ呼ばわりし、あの中古ショップの前で瑞樹が半殺しの脅しをかけた、体格の良いあの不良男だ。溝口の件で奴から情報を引き出した時、念のため連絡先を交換しておいたのだ。
「なんだ? お前から連絡はするなと言ったはずだが?」
瑞樹は冷ややかな声で電話に出た。完全に手駒として利用するためだけに連絡先を交換したのだ。彼と馴れ合うつもりなど毛頭ない。
『お、おい……溝口のアレ……お前か?』
スピーカー越しに聞こえる本田の声は、若干上擦っていた。疑念と、圧倒的な恐怖が混じったような声色。
おそらく今朝のニュースを見たか、ニュースを見た不良仲間から教えられて、パニックになりながらこうして瑞樹に連絡を寄越したのだろう。
本田からしてみれば、瑞樹は溝口の素行を探っていた唯一の人間であり、その直後に溝口の一家心中という異常事態が起きたのだ。
「あいつが殺した」と結びつけるのは早計ではあるが、恐怖に駆られた頭脳なら順当な思考回路だった。
「だったら、どうする。警察にでも突き出すか? 別にいいぞ? 話の流れであの裏サイトのことは確実に警察の耳に入るし、そしたらお前自身の余罪も全部明るみに出るが」
『っ……お前、マジでこえーわ。……お前が殺したいって言ってたのは、溝口ってことか。これで目的達成か?』
「いいや? 俺が殺したい相手は別にいるし、そもそも俺は溝口を殺してはいないよ」
瑞樹は以前、ほんの少しだけ本田に情報を開示していた。
「俺には目的があり、その最終目的はある人物を殺すことだ」という、狂気に満ちた一端だけを。
すべてを秘密や謎で包み隠したまま相手を支配するのは、よほどの崇拝でもされていない限り難しい。だからこそ、多少なりとも自分の意思や思惑を仄めかすことで、『お前が俺の邪魔をしない限り、俺はお前の敵ではない』という表明をしてしまった方が、手っ取り早く恐怖で支配し、利用することができる。
もっとも、その前提が成り立つだけの「圧倒的な暴力と狂気」、そして「逆らえない弱み」を握っているからこそ成立する盤面だが。
『じゃあ、本当に……なんなんだよ、お前……』
戸惑いと焦りが混じった本田の声に、瑞樹は冷酷に告げる。
「だから言ったろ。俺は目的のためなら、手段は選ばないって。……ところで、お前に一つ仕事を頼む」
『……は? またなんか用かよ?』
「文句を言える立場か? お前は結衣を侮辱し、冒涜したんだ。それだって一生許す気はない。……だが、お前の働き次第では、許すかどうか考えるくらいはしてやる」
『っ……なんだよ?』
本田は完全に抗うことを諦めたように、素直に瑞樹の話に耳を傾けた。
数分間、瑞樹からの『指示』を一通り聞いた本田は、その真意が全く掴めないまま、戸惑ったように電話口で聞き返した。
『……話はわかった。やってやるよ。で、その「天音遊」ってのは、一体誰なんだ?』
瑞樹は、誰もいない自室で、昏く歪んだ笑みを浮かべた。
「俺の、大切な幼馴染だよ」




