第5話 復讐(6)
溝口という人間に決定的な落ち度があったとするなら。
それは、立派なログハウスという外観に似合わない、セキュリティ皆無の門扉のないオープン外構であったこと。道路から玄関まで一切の障害物なく一直線で向かうことができるその設計であるとともに――こうして今、得体の知れないバケモノを、不用意に家の中へと上げてしまったことだろう。
溝口。下の名前はもう忘れた。覚える価値もない。
彼は高校入学の時から城ヶ崎朱音に目をつけ、何度目かの告白で瑞樹たち幼馴染の後押しもあって朱音と付き合うことに成功した。
チャラい見た目とは反して誠実で真面目で優しい性格を演じ、トラウマを抱えている朱音とも上手く付き合っていた。
……つい先日までは。
「お邪魔するよ、溝口くん」
光を完全に失い、黒い泥濘のように濁った瞳をした瑞樹が、溝口の家に入る。
外観のオシャレさとは相反して、家の中は割と一般的な作りとなっていた。無駄に高級な壺や絵画などもなく、家具や電化製品もごくごく一般的なもの。この様子から察するに、溝口の両親は現実的で堅実的で、俗に言う倹約家なのだろう。どれだけ稼いでも庶民感覚は失わないように、クリーンなイメージを保つ努力をしているように思えた。
「お、お前……朱音の幼馴染、だよな。なんっ何の用だよ?」
溝口は脂汗を額に滲ませ、引き攣った顔で瑞樹を睨みつけた。威勢を張っているが、その声の端々は微かに震えている。瑞樹から放たれる異様な空気に、本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「え? 言わないとわかんない? いや、いいんだよ」
瑞樹は口の端だけを不自然に吊り上げ、最高に不気味で気持ちの悪い笑みを浮かべながら、溝口の全身をねっとりと舐めまわすように見つめた。
「俺はね、君がよくやってくれたって、心から感謝してるんだから」
「……は? よくやった……?」
「朱音の体はどうだった? 適度に引き締まってるけど柔らかくて、無理やり押さえつけられて泣き叫んでる声も、最高に可愛かっただろ?」
その言葉に、溝口の顔からスッと緊張の汗が引き、何かを自分勝手に理解したように歪んだ笑みを溢した。
「ははっ……な、なんだ。そ、そうか、お前も『ユーザー』か。あぁ、良かったよ。最初こそちょっと罪悪感あったけど、泣き叫ぶの見てたら逆に興奮してきちゃってさ。ヤっちまえばもうそんなの吹っ飛んだし」
「お前も悪いよなぁ? あんなことするためだけに、時間かけて『優しい優しい溝口くん』を演じて朱音に近付いたんだろう? 朱音のガードは、相当固かっただろ」
瑞樹が同意するように相槌を打つと、溝口は完全に安心したように、リビングのソファにドカッと腰を下ろした。
「だ、だな。家に誘っても全然来なくてよ、マジで時間無駄にしたわ。でもかなり可愛いし、処女みたいだし、どうしても俺が犯してやりてーって思って、かなり我慢して機嫌取ってやったんだよ」
「すげークズ。一カ月も一緒にいて、少しの情も湧かなかったのか?」
「皆無だな。俺のこと頑張って好きになるとかほざいてたけど、あいつ馬鹿だしすぐヒスるし、ヤリてーって感情以外湧かなかったな」
「それで、犯したんだ? 無理矢理」
「マジヤバかったよ。暴れてたのが、どんどん抵抗しなくなって絶望した顔になっていくのとか、超興奮したしなぁ! あー、俺今こいつの人生ぶっ壊しながら犯してる! って!」
溝口は思い出し笑いをしながら、下劣に顔を歪めた。
「……マジ、やばーい」
瑞樹は漆黒に染まった瞳のまま溝口に音もなく近寄り、立ったまま腰を九十度に曲げて、ソファに座る溝口の顔を至近距離から覗き込んだ。
その、生気の一切ない爬虫類のような瞳と目が合った瞬間。
現実に戻されたように、溝口の全身を猛烈な悪寒が通り過ぎた。
「ひっ……! いやうっ、ウソだぞ?」
ニタニタと気味悪い笑顔を顔面に張り付けたまま、瑞樹は溝口の耳元で、甘く、冷たく囁いた。
「でもお前、顔を殴ったらダメだろ」
「はっ……へっ?」
溝口の理解が追いつかなかった。
瑞樹はトンっ、と溝口の肩を軽く押し、ソファの背もたれに倒れ込ませた。呆気に取られる彼を、その光を吸い込むような黒い瞳で見下ろす。
「騙すのも、裏切るのも結構。あの危うい朱音の精神を完膚なきまでに粉々に砕いてくれて、俺は嬉しいよ」
「お、お前、何を……」
「ぐちゃぐちゃになった分少しずつ丁寧に俺が慰めて治してやったらその反動で朱音は更に俺に依存してくれたからねぇだからその点はお前に感謝してるよくやってくれたありがとう」
「は、はぁ!? 意味がわかんねぇ……!」
ドンっ!!
瑞樹が、革靴でソファの脚を力任せに蹴り飛ばした。凄まじい衝撃音に、溝口がソファの上でビクッと情けなく体を震わせる。
「でもよぉ……顔を殴っちゃだめだろぅよぉ。せっかくの可愛い肌が、赤黒く腫れて酷いことになっちまってるんだよぉ」
本能で、こいつは本物のバケモノだと、溝口の体がガタガタと震え出す。
責め立てる部分が、明らかにおかしい。レイプしたこと自体ではなく、顔を殴ったこと、肌に傷をつけたことに異常な執着を見せている。
何も理解できない狂気の論理が、溝口を更に恐怖のどん底へと突き落とした。溝口にはもう言葉が出てこなかった。喉の奥がキュッと締まり、呼吸すら上手くできない。
「あのさぁ……あの綺麗な白い肌を傷つけて、汚すのはさぁ……」
溝口の唇が渇き、ひゅー、ひゅーと短い呼吸が漏れる。
感情が完全に死滅した深い暗黒の瞳を持つ瑞樹が、溝口の顔面スレスレまで一気に顔を寄せ、獣が喉の奥で唸るような、地獄の底から響く声色で放った。
「――俺の役目ナンダケド」
「ヒ、ヒイぃぃいっ!!」
恐怖のあまり失禁しかけた溝口がソファから無様に転がり落ち、腰が抜けて立てないのか、床を這いつくばりながら玄関の方へと逃げようとする。
瑞樹は口角を吊り上げて笑いながら、ゆっくりとその背中を追いかけ、ドンっ! と床を這う溝口の背中に容赦なく馬乗りになった。
「ごふっ……!」
ぐっと肺から空気が漏れる溝口。
「や、やめろ! 助けてっ、殺されるっ!」
「無理。俺はもう、お前を許すことは出来ない。俺の箱庭を荒らした罪は重い。悪いけど、落ちるとこまで落ちてもらうよ」
「な、なんでもする! 金ならある! いくらでも払うからっ!」
「金があるのはお前の親だろうが」
バタバタと手足をばたつかせて暴れる溝口だが、瑞樹の鬼のような握力で首根っこを押さえ込まれ、微塵も逃げることが出来ない。
「お前は、一番やっちゃいけないことをしたんだ」
「そ、それが……顔を殴ったことだとでも言うのか!?」
「そうだ」
「くっ、狂ってる……お前、頭おかしいぞ!」
「レイプ犯が何を言ってんだ。お前の方がよっぽど倫理観バグってるだろ」
「犯したことを良しとして、殴ったことを咎める!? 意味がわかんねぇよ! いい加減降りろ、離せぇっ!」
「お前みたいな低能と、議論するつもりはない」
瑞樹は片手で溝口を押さえつけたまんま、ポケットから自分のスマホを取り出すと、保存してあった『ある動画』を再生し、床で伏す溝口の目の前に突きつけた。
その動画を見た瞬間、溝口の動きが完全に停止し、愕然と目を見開いた。
「な……なんだよ、これ……」
その動画とは、隠しカメラの映像だった。
溝口の部屋の天井付近の通気口から、ベッドを的確に狙った画角。そしてそこには、泣き叫び必死に抵抗する朱音の顔を溝口が容赦なく殴りつけて制圧し、服を引き破り、無理矢理に犯そうとする一部始終が、音声付きで鮮明に映し出されていた。
「な、なんで……お前が、俺の部屋の映像を……!」
「ああ、これ? 昨日お邪魔して仕掛けておいたんだよ。大切な幼馴染が、初めて男の家に行くって言うからさぁ? 保護者として、見守ってやらないとだろ?」
「イカれてる……お前、マジで悪魔かよ……!」
溝口は絶望に顔を歪め、ガチガチと歯を鳴らした。
「さっき、この動画をお前の父親の会社のお問い合わせフォームと、主要な取引先すべてのメールアドレス。それから、母親が偉そうにふんぞり返ってる市役所の代表アドレスに、ご丁寧に状況説明のテキスト付きで送信しておいた」
「……は?」
「溝口家はこれで終わりだな。お前のたった一つの性欲と暴力のミスで。親が築き上げた富裕層の地位も、名声も、何もかも。……ああ、残念だったな」
「…………ぁ」
溝口の顔から、すべての血の気が引いた。
もはや抵抗する力すら失われ、床に頬を押し付けたまま、壊れたおもちゃのように口をパクパクとさせている。
「そのうちこの動画はSNSの裏垢で拡散され、デジタルタトゥーとして一生残り続ける。お前も親も、特定班にすべてを暴かれ、一生『強姦魔』という犯罪者のレッテルを貼られて、世間の冷たい目を気にしながら這いつくばって生きていくことになる。……でもまぁ、安心しろ。朱音が被害届を出すことは、俺がさせないから。警察に捕まることだけはないよ」
瑞樹は溝口の耳元に唇を寄せ、死神のようにニヤリと笑った。
「シンダホウガ、マシカモナ?」




