第5話 復讐(4)
平日の午後ということもあり、駅前のいつものカフェは、主婦たちの恰好の集まりの場となっていた。
やれ旦那が家事を全くしないだの、やれお隣さんの奥さんがどうやら不倫してるらしいだの、生々しい不満や噂話でどの席も賑わっていた。
そんな喧騒の中、瑞樹は窓際のボックス席に座り、ただ一人で入り口を見つめていた。
瑞樹が注文したアイスコーヒーのグラスが少し汗を掻いて、テーブルに水滴の輪を作り始めた頃。
カラン、と入り口のベルが鳴り、制服姿の結衣が息を切らしながら店内に駆け込んできた。彼女は瑞樹の姿を素早く見つけると、一直線に近づき、対面の席ではなく、ためらうことなく瑞樹のすぐ隣へと滑り込んできた。
「瑞樹くんっ、元気!? 大丈夫!?」
ハァハァと胸を激しく上下させながら、結衣が瑞樹の顔を下から至近距離で覗き込んでくる。
荒い呼吸。額に滲む汗。紅潮した頬。そして、風で少し乱れたショートカットの髪。
そのすべての要素が、彼女が『一切の迷いなく、全速力で走って来てくれた』ことを雄弁に物語っていて、瑞樹は胸の奥がギュッと締め付けられるような愛おしさを感じた。
結衣の両手が、自然な動作で瑞樹の左手をギュッと強く握りしめている。
「結衣……学校は……?」
「早退してきた」
「なっ……」
「なんでって……あんな切羽詰まった『救難信号』拾ったら、放っとけるわけないじゃん!」
救難信号。言い得て妙だ。
『会いたい』という、一見すればただの甘いラブコールのような四文字。だが結衣は、瑞樹が普段そんな言葉を簡単に口にする性格ではないとわかっているからこそ、その裏にある瑞樹の疲労やSOSの感情を、誰よりも正しく受信してくれていたのだ。
だが、しかし。
「……なんか、温度感が違う気がする!」
「ええっ!?」
瑞樹が思わずツッコミを入れると、結衣は一瞬ビックリして目を丸くし、それから数秒ほど瑞樹の顔をじっと観察して――やがて、心底安心したように「はあぁ」と大きく、長いため息を漏らした。
「……瑞樹くん、前科一犯だね」
驚かせないでよもー、と恨めしそうにこぼした結衣は、通りかかったカフェの店員を呼び止め、期間限定のいちごのスムージーを注文した。
「このスムージーは保釈金ね」
ジト目で瑞樹を見つめる結衣。その視線に、瑞樹は苦笑しながら頭を下げた。
「心配させたならごめん。別に、俺の身にヤバイフラグが立ってるわけじゃないんだ」
「どうやら、そのようだね瑞樹くん。……『会いたい』なんて突然送ってくるから、家族のこととかなんか辛いことでもあって、限界になっちゃったのかと思ったよ。私をここまで全力で走らせた罪は重いよー?」
相変わらずピッタリと瑞樹の腕に自身の身体を密着させて、結衣はテーブルに両肘をつきながら、また小さくため息をついた。
「まあ、なんでもないなら良かったよ」
「ごめん。……でも、会いたいってのは嘘じゃないんだ。なんて言うか、言葉のまま、ただ会いたかった」
「ふ、ふーん?」
結衣はドスっと背もたれに体を預けると、至近距離から瑞樹の顔を上目遣いで見上げた。心なしか、彼女の頬が先ほどとは違う理由で赤く染まっているように見える。
「じゃあ、まぁ……走って来た甲斐はあった、か」
「お待たせしましたー」
良い雰囲気になりかけたところで、店員が結衣の注文したいちごスムージーを運んできた。
結衣はぶんぶんと顔を横に振って照れを誤魔化すと、すぐに目の前のスムージーに瞳をキラキラとさせる。
「この前来た時に『近日発売』の広告あって、私ずっと飲みたかったんだよねー!」
ピンク色のスムージーが背の高いグラスにたっぷりと注がれていて、さらにその上には、真っ赤ないちごのホイップクリームと大粒の生いちごが、これでもかとばかりに添えられている。まるで真紅のドレスのような、甘く華やかな見た目だ。
「で、瑞樹くん。私に会いたかったって、どゆこと? ただお話したかっただけ?」
パクパクと生いちごを口に運びながら、結衣は小首を傾げて問う。
「ちょっとリアルでいろいろあって、精神的に疲れちゃってさ……。結衣に会って、何の意味もない話をして、癒されたかったんだ」
「なるほどねー。リアルっていろいろあるからねー。……いちご、食べる?」
「食べる」
結衣が生いちごとホイップをたっぷり掬ったスプーンを、あーんと瑞樹の口元へ運ぶ。瑞樹はもう照れたりためらったりすることもなく、自然にそれを受け入れて食べた。
「うまー。あまー」
「疲れてる時は糖分補給だよ、少年。……汁の方もいっちゃうかい?」
「もらうよオッチャン!」
瑞樹は差し出されたグラスに刺さったストローにそのまま口をつけ、ズズっとスムージーを一口吸い込む。
「酸っぱ! うまー! 後からあまー!」
「あはは! 語彙力どうしたし!」
「おしゃれに遠回しに食レポするより、よっぽど直感的に伝わりやすくない?」
「それはある。でも、圧倒的に面白みはない」
「辛辣ー!」
すぅーっと。
瑞樹の中の、擦り切れて空っぽになっていた器に、温かくて甘い何かが満たされていくような感覚を覚える。
ニコニコと笑う結衣の隣で、肩を並べてくだらない話をする。
ただそれだけで、瑞樹はこれ以上ないほどに満たされ、幸せだった。シェアハウスでの異常な出来事なんて、すべて忘れられるほどに。
「ねえねえ、瑞樹くん。『死家』、見た?」
結衣がホイップクリームとスムージーをグラスの中でぐるぐるとストローで混ぜながら、不意にそう聞いてきた。
『死家』。それは結衣が「絶対に瑞樹くんの好みだ」と思って勧めてくれた今期のアニメ、『あいシてるHOUSE』のことだ。
結衣と連絡を取らなかったこの一カ月の間に放送が開始し、現在すでに四話まで放送されている話題作である。
「もちろん。ヤバイよアレ。俺のヤンデレ好きの好みにどストレート過ぎて、もうすでに俺の中では神アニメ認定してる」
「マジかー。……私、観れるかな?」
「んー……」
結衣は基本的に、甘酸っぱいラブコメや青春ものを好んで観るタイプだ。逆にホラーやスプラッター要素のあるものは、観れないこともないがあまり得意ではない。
そして『死家』は、完全に後者の要素が強いサスペンス作品だ。
「なるほど、理解した。瑞樹くんが迷うってことは、グロいか怖いってことね。んー、どうしよー。勧めたのは私だし、瑞樹くんの熱い語り相手になりたいんだけど……そうだ! プレゼンして、プレゼン!」
プレゼン。これはこの名の通り、プレゼンテーションのこと。自分が好きなアニメの魅力や見どころを、ネタバレしすぎない範囲で相手にアピールする作業だ。
瑞樹と結衣の間ではもう何度も行われている恒例行事であり、二人の中のルールとして「核心に触れないネタバレであれば、面白さを伝えるために多少は有りにする」というものがあった。
「いーだろう。コホン」
瑞樹はわざとらしく咳払いをして、プレゼンを始めた。
「まず、ジャンルとしては『現代ファンタジー・ホラーラブコメ』。冴えない主人公と、個性の強いヤンデレヒロインたちが、森の奥深くにある屋敷で甘ーい夏休みを過ごす物語だ」
「うんうん。そこまでの触れ込みは、私も公式サイトで知ってる」
「でも、この主人公……夏休みの最後の日に『死にます』」
「えっ!? いきなり重大なネタバレ……!?」
「と思うじゃん? このアニメ、開始一秒でいきなり主人公の死体の姿を映して、『これは僕が死ぬまでの、三十日間の記録である』ってナレーションから始まるんだよ」
「ほお!」
それでそれで? と結衣のテンションが上がり始める。
「夏休みに、主人公の男の子とヒロインとなる女の子四人が、全く知らない森の屋敷で三十日間過ごすことになるんだけど。そもそもみんな、初対面なの。どうしてここにいるのか、何故この四人が集められたのか、誰も何もわからない状態からスタートするんだ」
「ほお……」
「で、屋敷での共同生活が始まると、毎日のようにピンチや試練が降ってくるんだけど、それを冴えないはずの主人公が身を挺してカッコよく解決していくんだよ。それで、日に日にヒロインたちが主人公に惚れていく。印象的だったのは、姿の見えない『六人目の住人』がいるんじゃないかっていうホラーテイストのシーン。怯えるヒロインたちが『誰が主人公と一緒の部屋で寝るか』で争ってた時は、ドキドキとニヤニヤが止まらなかったよ」
「えー! なにそれ、めっちゃいいじゃん!」
「そうやって何日も生活を共にして、ヒロインたちは主人公に好きになってもらおうと必死にアピールを頑張る。そして最終的に、一人のヒロインが選ばれるんだ」
「つらー! 負けヒロインが出る泣くやつじゃん!」
「そして、主人公が死ぬ」
「……あっ」
結衣の動きがピタリと止まる。
「そう。あまりにも完璧なラブコメをしてて途中で忘れそうになるんだけど、主人公は三十日後に確実に死ぬんだよ。自殺なのか? それともヒロインの誰かに殺されるのか? なんもわからない。ただただニヤニヤして観てたと思ったら、突然崖から突き落とされるような絶望感を味わうんだ」
「うへぇ……」
「ちなみに、純度100%のラブコメ回は第一話のみ。しかも、初回一時間スペシャルとかじゃなくて、第一話で『三時間』あるんだよ!」
「ええ!? 一話で三時間!?」
「そう。俺も初見はびっくりした。いつになっても終わらないんだもの! 夜中に観始めたら、気付いたら外が明るくなってたからね!」
「そりゃビビるよ……放送枠のテロじゃん」
「で、問題は第二話から。第一話で三時間かけて、ドキドキニヤニヤの最高に甘いラブコメを三十日間分見せられるんだけど。第二話からは、『一話のあのシーンの裏ではこんなことがありました』とか、『ヒロインたちが心の中で思ってた本心はこうでした』とか……日に日にヒロインたちの病み具合と狂気が増していく様が、答え合わせみたいに語られるんだよ。俺たち視聴者は、主人公が何故死ぬのかを考察しながら、ヒロインたちのヤンデレっぷりに興奮するという、感情をぐちゃぐちゃにしてくる作品。それが『死家』!」
結衣は頭を抱えながら、「ぐわぁー……」と唸り声を上げて悶える。
「観たいー……! 絶対面白いやつじゃん! けど、怖そー……一人じゃ無理かも……」
「そうなんだよねぇ。ラブコメ回は結衣のストライクだろうし、ヤンデレも悪くはないと思うけど、根本的にホラーサスペンスだから重い話なんだよねぇ」
結衣はテーブルに頭を打ちつけるような勢いでブンブンと振り、やがて何かを閃いたように、意を決した瞳で瑞樹を見つめた。
「……一緒に観て」
「え?」
「私の家で、一緒に観よう! 瑞樹くんが隣にいてくれるなら、怖くても観れる!」
「い、いいけど」
一話だけで三時間。四話まで放送されてるから、CMを飛ばしても全部観るなら四時間は掛かる計算になる。
四時間も、またあの密室で、彼女と一緒にいられる。
瑞樹の脳は自然と、そう甘い方向へと変換してしまった。
「あ! もっと良いこと思いついた!」
結衣は無邪気な笑顔を浮かべ、ズズっとさらに身体をくっつけてくる。
「最新の第五話、土曜日に放送じゃん? だから、土曜日にうちに来て四話まで一気に観て、そのまま一緒に最新話をリアタイしよ? どう? 名案じゃない!?」
それは、果たして名案なのだろうか。
「土曜日の夜から深夜にかけて、一人暮らしの女の子の部屋に一緒にいる」という、彼女が一つ致命的に見落としている『意味』に、結衣本人は全く気付いていない様子だった。
瑞樹は、自身の胸の奥で暴れ出した良心と下心を強引に押さえ込み、それに気付かないふりをしたまま、完璧な笑顔で頷いた。
「賛成!」




