第4話 離合(3)
「俺の……大好きな、友達だ!」
「おいこら、やめろ」
「オレノダイスキナ! トモダチダ!」
「なんでカタコト!? 大根化が進んでるぞ!」
初めてリアルで顔を合わせた日に立ち寄った、駅前のカフェ。
あの日とは違い、今日の結衣は瑞樹の隣ではなく、テーブルを挟んだ正面の席に座っていた。
彼女はストローを咥えながらニコニコと笑い、一ヶ月という重苦しいブランクなど微塵も感じさせないほど流暢に、先ほどの瑞樹の熱いセリフをイジり倒してくる。
瑞樹も、つい先ほどまで狂気に沈んでいた自分など嘘のように、自然と、戸惑いもなくそのふざけた空気に乗ることができた。
「ほんとにラブコメ主人公じゃん、瑞樹くん。これはしばらく再現ネタで遊べそうだねぇ」
「俺の黒歴史で遊ぶんじゃない!」
「ねえねえ、あの時どんな目つきだったの? やっぱキリッと? それともヒロインのために涙目?」
「まったく……お前ってやつは……」
瑞樹は呆れながらも、周囲に目を配って誰も自分たちを見ていないことを確認してから、ビシッと真っ直ぐな指を結衣に向けた。
「俺の、大好きな、友達だ!」
「おおー!」
結衣はパチパチと手を叩く。
「真剣系だ! かっくいー!」とキャッキャと喜ぶ彼女の姿は、本当にただの無邪気なオタクの女の子だ。
全くなんなんだ、こいつは。
あんな悪意に晒されて、さらに自分から一ヶ月も音信不通になっていたのに、何事もなかったかのように太陽みたいな笑顔で接してきて。
でも、だからこそ、言わなければいけない。
誤魔化したままではいけないのだ。だって、自分はこの一ヶ月間、ずっと後悔していたのだから。
「あのさ、結衣?」
瑞樹が一段トーンを落として声をかけると、結衣もそれが真面目な話だと察したようで、スッと表情からふざけた色を消し、真剣な顔つきで瑞樹に向き直った。
「……ごめん」
瑞樹は、テーブルに両手をついて深く頭を下げた。
「あの時、俺は酷いことを言った。結衣を傷つけるような言葉を無神経に投げつけた。さっき俺が反吐が出るほど嫌悪したあの男と、結果的に同じようなことをしてしまったんだ。……本当に、ごめん」
「……顔上げて、瑞樹くん」
促されて顔を上げると、結衣は優しく、それでいて少しだけ困ったように眉を下げて微笑んでいた。
「そこに触れるかなー、どうかなー。もしかしたらこのまま、なかったことにして笑い合えるかなー。……なんて、都合のいいこと思ってたけど。そうだね。私たち、『友達』……だもんね」
結衣は何かを決意したように、グラスから手を離し、姿勢を正して瑞樹の目を真っ直ぐに見つめた。
「あのさ、さっきの人が言ってたこと……少し、本当なんだ」
「えっ?」
それから結衣は、自身の内側にある脆い部分を開示するように、ぽつり、ぽつりと絞り出すように話し始めた。
「私ね、昔からすっごい男の子に告白されるの」
「え、いきなりのモテ自慢!?」
「ちっ、ちがくて!」
慌てて手を振って否定し、結衣はコホンと小さな咳払いをした。
「自分では本当に無自覚で、全然わからないんだけど……この間、瑞樹くんに言われて、また気付かされたんだ」
「パーソナルスペース……か」
「あ、うん……。なんか私、人と話す時、その人に無意識にすっごい近づいちゃうみたいでさ。その相手が男の子だと、『あ、自分に好意があるんだな』って思われて、告白されちゃうの」
自分では全くそんなつもりがないのに、物理的な身体の距離が近すぎるせいで、好きなのではないかと相手を勘違いさせてしまう。
その気持ちは、瑞樹にも痛いほどよくわかった。だからその勘違いした男子たちを悪く言うのは少し酷だろう。結衣みたいに可愛い女の子に、あんなゼロ距離でくっつかれ、上目遣いで話しかけられたら、勘違いの一つや二つしてしまうのが健全な男子という生き物だろう。
でも、何より酷で残酷なのは、自分が知らないうちに相手に恋愛感情を抱かせてしまい、告白され、そしてその度に「そんなつもりじゃなかった」と断らなければいけない状況に置かれ続ける結衣自身だ。
「でね、男子に思わせぶりな態度をとって振るもんだから……中学の頃にはビッチ。高校に入ってからはヤリマン」
それが、私につけられたラベルなの。と、結衣は自嘲気味に、力なく笑った。
「いやー、まー、そうだよねー。周りの女子から見たら、私は特定の彼氏もいないのに、いろんな男子に距離感バグってイチャイチャくっつく厄介な奴だからさ。そりゃそうも言われるよね。……でも、どうしようもないんだなー、これが。かなり心の準備をして、常に気を張ってないと、意識的に距離って取れないの」
結衣はちらりと自分の手元に視線を落とした。
今こうして、瑞樹の隣ではなくテーブルを挟んで正面に座ったのも、腰掛けるその瞬間まで「離れて座る」ということに強烈な意識を向けることで、ようやく可能になるレベルだったらしい。
息をするように自然と他者にくっついてしまう彼女にとって、それがどれだけ大変で難しく、エネルギーを使うことなのか。真に理解して寄り添える人は、同じような歪みを持つ境遇の人だけだろう。
「私のこれって、かなり人生のデバフじゃん? だからあの日、瑞樹くんに芯食ったこと言われて……自分のことが嫌になっちゃって……ううん。違う」
結衣は首を横に振り、自身の弱さを認めるようにギュッと唇を噛んだ。
「本当は、図星突かれて……怖かったの」
「怖い……?」
結衣の大きな瞳が、不安げに揺れた。
「瑞樹くんに、私の『変なところ』がバレちゃった。気持ち悪いって、嫌われたかも。そう思ったら……怖くて、逃げ出しちゃったの」
結衣は、自分が何故人との距離が近くなってしまうのか、その根本的な理由はわからない。
でも、そんな自分が周りの人間からどう見られるのかは、屈辱的な代名詞を付けられるほどに、これまでの人生で痛いほど分からされてきたのだ。
大好きなオタク友達である瑞樹にまで、そんな汚いレッテルで見られるのが、彼女はどうしようもなく恐ろしかった。
その痛切な本音を聞いて、瑞樹はふっと柔らかく笑うと、得意げに人差し指を立ててみせた。
「結衣は、傲慢だなぁ?」
「えっ?」
「言わないと伝わらないよ? 『言わなくても察して』なんてご都合主義、傲慢だよ」
「あ……」
それは、結衣が瑞樹に言った言葉の、完璧なブーメランだった。
当然だろ? と、瑞樹は笑いながら更に続けた。
「不安に思ったなら、不安と言おう。聞きたいことがあるなら、素直に聞こう。思ったことは、ちゃんと相手に伝えよう。……俺たちはきっと、そうやって不器用に擦り合わせの作業を行っても、関係が変わって壊れてしまうような、ヤワな仲じゃないと思うんだ」
思ったことを思ったままに伝えたり、聞かない方が良いことをあえて聞いてしまったり。それは人間関係において、中々に難しかったりする。
何故なら、それをストレートにしてしまうと、往々にして『勝手に察する感情』が入り込み、事実が捻じ曲がって伝わってしまうことがあるからだ。
「あんなことを言うなんて、私のことが嫌いだからに違いない」「なんでそんなこと聞くんだろう? 馬鹿にしてるのかな」と。
だから多くの人は、他者との付き合いにおいて心の奥底に本心を隠し、当たり障りのないように上手にやりくりして生きていくのだ。
だが、瑞樹と結衣には、その仮面はいらない気がした。
「……わかった。ありがと、瑞樹くん」
「うん。俺は結衣を嫌いになんてならないし、距離感がバグってようが軽蔑なんて絶対にしない」
「そっか。良かった……!」
結衣は、心底安心したように、憑き物が落ちたような満面の笑みを浮かべた。
「でも、結衣。やっぱり俺が不用意な言葉で傷つけたことには変わりないから、それは謝らせてくれ。本当に、ごめん」
瑞樹は再度、深く頭を下げる。
「許す! 私も、いきなり帰れなんて言ってごめんね」
「許す!」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。一ヶ月分のわだかまりが、春の雪解けのように綺麗に消え去っていく。
結衣はグラスに残っていた水をゴクッと飲み干すと、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて席を立ち、トコトコと移動してきて、瑞樹のすぐ隣の席にどさっと腰掛けた。
「えへへ。私はやっぱり、こっちのが落ち着く。いい?」
ぴたりと、肩と肩、腕と腕が触れ合うゼロ距離。
さっきまであんなにシリアスな話をしていたのに、結局これだ。
「……ムラつくからやめろ」
瑞樹は照れ隠しに、ふいっと顔を反対側へ逸らした。
しかし結衣は嬉しそうにニコニコしながら、「やめないけどねー」とさらに瑞樹の腕に自身の腕を絡め、わざと密着して距離を詰めてくる。フローラルな甘い香りが、容赦なく瑞樹の理性を揺さぶる。
これ以上抵抗しても無駄だと悟り、瑞樹は小さくため息をついて観念した。
「……いいぞ。もっとやれ」
「あはは! 瑞樹くん、素直でよろしい!」
二人きりのカフェのボックス席に、底抜けに明るい笑い声が響く。
少しだけ歪で、けれど誰よりも心地のいい二人の関係性が、再び力強く動き出した瞬間だった。




