第151話:とある少女と温かな湯気
エルム公国に来て暮らし始めているロッテは、ふかふかのベッドの中で目を覚ました。
窓から差し込む朝日が、金色の粒子となって部屋を舞っている。 頬を撫でる空気は、春の朝らしく爽やかで、ほんのりと温かい。
(……あ、そっか)
一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。
ロッテの記憶にある「朝」は、もっと残酷なものだったからだ。
北の大地、旧ドラグニア王国領の寒村。そこで過ごした日々は、いつも灰色だった。
隙間風で凍える体。空腹で鳴るお腹。そして、いつ帝国の徴税官が来て、なけなしの麦を奪っていくか分からない恐怖。
特に冬は地獄だった。
朝一番の仕事は、村外れの川へ行くこと。凍りついた水面を石で割り、冷たい水を桶に汲む。
片道30分の道のりで、ロッテの小さな手はいつも赤くひび割れ、血が滲んでいた。
それが、ロッテにとっての「当たり前の世界」だった。
でも、今は違う。
「……夢じゃ、ないよね」
ロッテはベッドから抜け出し、部屋の隅にある「洗い場」へ向かった。そこには、銀色の蛇口がついた不思議な箱がある。
ロッテがおっかなびっくり、取っ手を捻ると――。
ジャーッ!
勢いよく、透き通った水が溢れ出した。しかも、ただの水ではない。微かに湯気が立つ、適温のお湯だ。
「……あったかい」
ロッテは両手で水を掬い、顔を洗った。ひび割れが治りかけた手に、お湯の温もりが優しく染み渡る。
魔法のポンプ。この「エルム公国」では、どこの宿舎にも当たり前のように備え付けられているという。
ロッテは鏡の中の自分に向かって、にっこりと笑った。
「よし。……お仕事、いかなきゃ」
ロッテは顔を拭き、新しい服(これも配給されたものだ!)に袖を通すと、元気よく部屋を飛び出した。
◇◇◇
ロッテの仕事は、街の北区画にある「公営温室」での収穫作業だ。
朝の空気はまだ少しひんやりとしているが、ガラスの扉を一歩くぐれば、そこは常春の楽園だった。
「わぁ……」
何度見ても、感嘆の声が漏れる。
広大な室内には、青々とした葉が茂り、その間から真っ赤なトマトや、艶やかなナスが鈴なりになっている。足元には『微温魔石ヒートプレート』が埋め込まれており、地面からポカポカとした熱が伝わってくる。
「おっ、ロッテちゃん! おはよう!」
「おはようございます!」
管理人のエルフのお兄さんが、大きな籠を渡してくれた。
「今日はトマトの収穫だ。赤くて大きいのを選んでくれよ」
「はい!」
ロッテは大人たちに混じって、畑の中へと分け入った。
以前の村では、農業は苦役でしかなかった。痩せた土地で、泥だらけになって育てても、その大半は帝国に「税」として持っていかれる。
自分たちが食べられるのは、虫食いの野菜と、薄い麦粥だけ。
けれど、ここは違う。
プチン、プチン。
枝から外したトマトは、ずっしりと重く、宝石のように輝いている。籠がいっぱいになるたびに、エルフのお兄さんが「いい仕事だね!」と褒めてくれる。
(私がとったお野菜が、誰かを笑顔にする)
籠の重みは、苦しみではなく、誇らしさだった。働くことが、こんなに楽しいなんて知らなかった。
◇◇◇
正午の鐘が鳴り、昼休憩の時間になった。
ロッテたち作業員は、中央広場のベンチで昼食をとる。今日の配給は、焼きたてのパンと、最近街で話題の「あの料理」だ。
「いただきまーす!」
ロッテは、黄金色に揚げられた肉にかぶりついた。コカトリスの唐揚げ。
カリッ! ジュワァ……。
「んん~っ! おいしい!」
香ばしい衣と、溢れ出す肉汁。醤油という調味料の風味が、鼻腔をくすぐる。お肉なんて、前の村ではお祭りの日にしか食べられなかったご馳走だ。
夢中で頬張っていると、広場がにわかにざわめき始めた。
「あ、公王様だ!」
「レン様ーっ!」
人混みが割れ、数人の男女が歩いてくる。
先頭を歩くのは、黒髪の青年――この国の王様である、レン様。その隣には3人の美しい女性、アリシア様、ティアーナ様、オリヴィア様、。そして、金色の髪をした可愛い女の子、フィーナ様だ。
(ほ、本物の公王様……!)
ロッテは緊張で体が強張り、食べかけの唐揚げを持ったまま直立不動になった。
レンたちは、作業員たちに気さくに声をかけながら歩いてくる。そして、ロッテの近くを通りかかった時。
「あ!」
フィーナ様が足を止め、トテトテとこちらへ駆け寄ってきた。ロッテの足元にある、収穫したばかりのトマトの籠を覗き込む。
「これ、おいしそうなの!」
その瞳に見つめられ、ロッテは心臓が飛び出しそうになった。
「あ、あの、は、はい! 今朝、とれたてです!」
「あなたがとったの?」
「は、はい!」
裏返った声で答えると、フィーナ様は花が咲くような笑顔を見せた。
「すごいね! えらいね!」
そして、自分のポケットをごそごそと探り、何かを取り出した。
「これ、あげる!」
小さな手に乗せられたのは、不格好だが愛らしい、木彫りの動物の人形だった。
「えっ、そ、そんな、いただけません!」
「いいの。おしごとしてるから!」
フィーナ様は無理やりロッテの手に人形を握らせると、レン様の方へ戻っていった。レン様がこちらを見て、優しく微笑む。
「ありがとう。君のような働き者がいてくれて、この国も助かるよ」
それだけ言って、彼らは去っていった。
ロッテは呆然と、手の中の人形を見つめた。じわりと、胸の奥が熱くなる。
帝国の兵士は、いつも私たちをゴミを見るような目で見ていた。でも、この国の王様は、私のような子供にも「ありがとう」と言ってくれた。
そのことが、何よりの勲章だった。
◇◇◇
夕方。
仕事を終えたロッテは、母親と一緒に大衆浴場『エルムの湯』に来ていた。
広い湯船には、並々と綺麗なお湯が満たされている。天井が高く、壁には……始原の森の風景画が描かれている。
「はぁ……極楽だねぇ」
お母さんが、気持ちよさそうに目を細める。その背中は、以前よりも少しふっくらとして、艶が出てきた気がする。
ロッテは手ぬぐいで母の背中を流しながら、ずっと考えていたことを口にした。
「……お母さん」
「ん? なあに?」
「私、前の村には帰りたくない」
お母さんの動きが止まる。ロッテは、勇気を出して続けた。
「ここがいい。仕事もあって、ご飯がおいしくて、お水もあったかくて……」
ポケットの中にある、木彫りの人形を思い出す。
「レン様たちがいる、この街がいい。……もっと働いて、ずっとここで暮らしたい」
それは、子供のわがままではない。一人の人間としての、生きる場所の選択だった。
お母さんはゆっくりと振り返り、涙ぐんだ目でロッテを抱きしめた。
「……そうね。お母さんも、同じ気持ちよ」
お湯の温かさと、母の温もりが重なる。
「ここが、私たちの新しい故郷よ」
白い湯気の中で、母娘は固く誓い合った。もう、怯えて暮らす灰色の毎日は終わりだ。
金色の朝と、温かな夜があるこの国で、生きていくのだと。
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