第148話:白き乙女の休息と医術の夜明け
勝利の熱気は、まだ街を包んでいた。
瓦礫の撤去が進み、復興屋台からは香ばしい匂いが漂う。 誰もが笑顔で「明日」を語り合っていた。
だが、そんな光の裏側で、悲鳴を上げている場所があった。
「――最後尾はどこだ!?」
「おい、押すな! 俺が先だぞ!」
怒号と懇願が入り混じる混沌。そこは、街の中央にある「公国治療院」の前だった。
建物をぐるりと取り囲むように、何重もの長蛇の列ができている。今回の戦闘での負傷者は、防衛結界のおかげで軽微だったはずだ。
にも関わらず、この異常な混雑はどういうことだ?
「……レン」
視察に訪れた俺の横で、護衛のカイルが顔をしかめる。
「こいつは酷えな。噂を聞きつけた住民たちが押し寄せてるんだ」
「……?」
「帝国の圧政でこれまで医者にかかれなかった連中だ。『エルム公国では、聖女様が魔法でどんな病気も治してくれる』ってな」
聖女様。それは、この治療院を統括するアリシアのことだ。
俺は列をかき分け、院内へと足を踏み入れた。
◇◇◇
院内は、野戦病院のような有様だった。床に敷かれた簡易マットの上で、多くの人々が呻き声を上げている。
その中心で、一人の少女が懸命に光を放っていた。
「【中位治癒】……ッ!」
アリシアだ。髪は汗で頬に張り付き、その顔色は少し白い。魔力欠乏の症状である手の震えを、必死に抑え込んでいるのが見て取れた。
「聖女様、腰が痛くて……」
「俺は古傷が疼いて……」
次々と押し寄せる患者たち。その多くは、命に関わらない慢性疾患や、ただの筋肉痛のような軽症者だ。
だが、アリシアは拒まない。
「はい……今、治しますね……」
ふらつく足取りで、一人一人に手をかざし続けている。限界など、とっくに超えているはずだ。
「……バカ野郎」
俺は小さく呟くと、彼女の元へ大股で歩み寄った。
「つ、次の方……」
アリシアが次の患者に手を伸ばした、その手首を掴む。
「え……?」
虚ろな瞳が俺を見上げ、そして焦点が合うと同時に、驚きに見開かれた。
「れ、レン!? どうしてここに……」
「見に来て正解だったよ。……休憩だ、アリシア」
「で、でも、まだこんなに患者さんが……私がやらなきゃ……」
彼女は抵抗しようとするが、その力は赤子のように弱い。
「これは公王命令だ。……それに、夫としての頼みでもある」
俺は彼女の膝裏に手を回すと、問答無用で横抱き(お姫様抱っこ)にした。
「きゃっ!?」
周囲の視線が集まるが、知ったことではない。俺はカイルに目配せをする。
「カイル、この場を仕切ってくれ。急患以外は待たせておけ」
「おう、任せとけ。……ゆっくりさせてやれよ」
カイルの頼もしい声を背に、俺はアリシアを抱えたまま奥の休憩室へと入った。
◇◇◇
静寂に包まれた休憩室。俺はソファに腰を下ろすと、アリシアを自分の膝の上に横向きに座らせた。いわゆる「膝枕」に近い、甘やかしの体勢だ。
「れ、レン……恥ずかしいよ……」
アリシアが顔を真っ赤にして身じろぎする。
「暴れるな。魔力の無駄遣いだぞ」
「うぅ……」
俺は彼女の背中に手を回し、ゆっくりと撫でた。華奢な肩が、強張っている。
「頑張りすぎだ。……俺がいる間は誰も死なせない。だから今は、何も考えずに休め」
俺は自身の魔力を、ゆっくりと彼女に流し込んでいく【魔力譲渡】。枯渇した彼女の器を、俺の魔力で満たしていく。
温かい光に包まれ、アリシアの身体から力が抜けていく。張り詰めていた糸が、プツリと切れたようだった。
彼女は俺の胸に顔を埋め、震える声で言った。
「……悔しい、です」
「ん?」
「あんなに修行したのに……ポーションの知識も、治癒魔法も覚えたのに……。全員を救うには、私の魔力はあまりに少なすぎます……」
ポロポロと、彼女の瞳から涙が溢れ出した。 俺のシャツが濡れていく。
「助けを求める人が目の前にいるのに、断れなくて……。でも、そうしている間に、本当に危ない人が後回しになってしまって……。私、ダメですね……」
それは、優しすぎる彼女だからこその苦悩だった。全てを救いたいという願いと、個人の限界という現実。
俺は彼女の涙を指で拭い、優しく髪を梳いた。
「アリシア。君は一人で背負いすぎているんだ」
「でも……」
「君の役割は『全員を魔法で治すこと』じゃない。『全員が助かる仕組み』を作ることだ」
彼女が顔を上げる。 涙に濡れた碧眼が、俺を見つめた。
「仕組み……?」
「ああ。『トリアージ』という言葉がある。患者の緊急度を見極め、優先順位をつけることだ」
俺は自分の救急医療の知識を、彼女に伝えた。腰痛や擦り傷に、高度な治癒魔法を使う必要はない。
それは薬師や、下級ポーションで十分だ。
アリシアがすべきなのは、最前線で消耗することではなく、指揮官としてリソースを配分すること。
「君はもう、ただの村娘じゃない。一国の公妃であり、この国の医療のトップだ。……部下を信じて、任せる勇気を持つんだ」
俺の言葉を、彼女は反芻するように噛み締める。やがて、その瞳に光が戻り始めた。
「……私、間違ってた。みんなを救いたいからこそ、私が『仕組み』にならなきゃいけなかったんだね」
彼女は俺の胸から離れ、自分の頬をパンッ! と両手で叩いた。
「レン、もう大丈夫!」
その顔には、もう迷いはなかった。
◇◇◇
休憩室を出たアリシアは、別人のような空気を纏っていた。混乱するロビーの中央に立ち、凛とした声を張り上げる。
「皆さん! 聞いてください!」
透き通るような、しかし芯のある声。騒いでいた人々が、一斉に彼女に注目する。
「これより、治療方針を変更します! 私一人では限界があります。ですが、この国の薬師たちは優秀です!」
彼女はエラーラや、他の薬師たちを手招きした。
「今から、患者さんを症状別に色分けします! 命に関わらない怪我や病気の方は、青色のタグを受け取って、薬師たちのエリアへ行ってください! ポーションと湿布で十分治ります!」
「えぇーっ? 俺は聖女様に治してほしいんだぞ!」
不満の声が上がる。
だが、アリシアは一歩も引かなかった。かつての気弱な少女の姿は、そこにはない。
「我儘を言わないでください! 貴方が駄々をこねている間に、本当に死にそうな人が助からなくなるんです! それでもいいと言うのですか!?」
毅然とした叱責。
その迫力に、男はたじろぎ、黙り込んだ。
「……その代わり、重篤な方、命の危険がある方は、私が全魔力を懸けて治します。……私を、そして私の仲間を信じてください!」
深く頭を下げるアリシア。
その誠実さと覚悟は、人々の心に届いたようだった。
「……わかったよ。薬で治るなら、それでいいさ」
「聖女様を困らせるなよ」
人々が動き出す。アリシアの指示に従い、エラーラたちがテキパキと患者を振り分けていく。
カオスだった待合室に、みるみるうちに秩序が生まれていった。
(……すごいな)
俺は壁際でそれを見守りながら、感嘆していた。
彼女は、優しさを捨てたわけではない。より多くの人を救うための「強さ」を手に入れたのだ。
◇◇◇
夕暮れ時。ようやく治療院に静寂が戻った。
仕事を終えたアリシアが、俺の元へやってくる。その手には、一枚の羊皮紙が握られていた。
「レン。これを見て?」
渡された書類には、『公国医療局 設立計画書』と書かれていた。
「治療魔法に頼りすぎない、予防医療と公衆衛生を中心にした組織を作りたいんです。薬師の育成、下水道の衛生管理、定期検診の義務化……」
彼女は真っ直ぐに俺を見て、言った。
「誰もが病気にならない国を作りたい。……レンさん、私に予算と権限をください」
それは、おねだりではない。
政治家として、公妃としての、正当な要求だった。
俺は思わず笑みが溢れた。 頼もしい。本当に、いい女になった。
「ああ、もちろん承認する。必要なものは全部持って行け」
俺は即座に書類にサインをし、彼女に返した。
「頼んだよ、アリシア医療局長。俺たちの国の命を預ける」
「はいっ! 任せてください!」
花が咲くような笑顔。俺は彼女の腰を引き寄せ、その額にキスをした。そして、耳元で囁く。
「……よく頑張ったな。公務の話はこれで終わりだ」
「え……?」
「顔色がまだ悪いぞ。今夜は眠るといい。……俺がずっと側にいて、悪い夢から守ってやるから」
俺が優しく言うと、アリシアは張り詰めていたものが解けたように、安堵の息を吐いた。 彼女は、俺の胸にそっと額を預ける。
「……うん。レン……ありがとう」
夕日に照らされた治療院。そこには、ただ守られるだけのお姫様ではなく、王と共に歩む一人の「女王」がいた。
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