第144話:金色の夜明けと王の決意
頬を撫でる風が、心地よかった。
空が白み始め、夜の帳がゆっくりと引き剥がされていく。 昇る朝日が、エルムヘイムの街並みを黄金色に染め上げていた。
俺は王宮のバルコニーに立ち、その輝きに目を細める。
「……いい朝だ」
昨夜までの、あの耳をつんざくような爆音と悲鳴が嘘のようだ。
眼下の街からは、早朝だというのに活気に満ちた声が聞こえてくる。
「公王陛下万歳ーッ!!」
「俺たちが勝ったんだ!」
「今日は朝まで祝い酒だぞー!」
勝利の美酒に酔いしれる者、無事を祝って抱き合う者。防衛結界のおかげで、街の被害は城壁の一部と窓ガラス程度で済んだ。誰一人として欠けることなく、この朝を迎えられた。
その事実が、何よりも嬉しかった。
俺もまた、手すりに寄りかかり、その熱気を全身で感じる。守り抜いたんだ、という実感が胸の奥から湧き上がってくる。
だが。
その穏やかな光景を見つめているうちに、ふと、背筋に冷たいものが走った。
(……静かすぎる)
街の喧騒ではない。
その向こう側――北の空にあるはずの脅威についてだ。
俺たちは昨日、帝国の“三将軍”を退け、カジミールという裏切り者を処断した。紛れもない大勝利だ。
しかし、帝国の本丸――皇帝ヴァレリアスと、あの不気味な魔術師ゼノンからの報復が、一切ない。 彼らはただ不気味に「沈黙」している。
まるで、嵐の前の静けさのように。
(守るだけじゃ、終わらないか)
俺の本能が告げている。次は、向こうから来るのを待っていては手遅れになるかもしれない。
ならば、あらゆる可能性を想定しなければならない。相手の出方を待つだけでなく、こちらから動くべき時が来るかもしれないのだと。
「レン?」
不意に、背後から鈴を転がしたような声がかかった。振り返ると、眠い目をこすりながら、フィーナが立っている。
その小さな手には、俺の上着が握られていた。
「どうした、フィーナ。まだ寝てていいんだぞ」
「ううん。レンがいないから、目が覚めちゃった」
フィーナはトテトテと歩み寄ると、俺の腰にぎゅっと抱きついてきた。温かい。この体温を守れたことが、何よりも誇らしかった。
「……レン、難しい顔してる」
「そうか? 勝ったあとの顔に見えないかな」
「ううん。……『まだこれから』って顔」
さすがは、フィーナだ。ごまかしがきかない。俺は苦笑して、彼女の髪を優しく撫でた。
「ああ。……でも、今は少しだけ、この景色を楽しもうか」
「うん!」
俺たちは並んで、朝日を浴びる街を見下ろした。金色の光が、俺たちを優しく包み込んでいく。
それは、新しい時代の夜明けのようだった。
◇◇◇
日が昇りきった頃、俺は視察のために街を見て回ることにした。
カイルたちは戦後の街の復興対応のため別で活動しており、お供はフィーナだけだ。
中央広場には、簡易テントが設営され、リゼットや防衛隊の面々が炊き出しを行っていた。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
リゼットが、大鍋からスープをよそい、子供たちに配っている。 湯気の向こうには、焼きたてのパンの香り。
「あ、公王様だ!」
「レン様が来てくださったぞ!」
俺の姿を見つけた市民たちが、一斉に振り返る。
その表情に、怯えや悲壮感はない。 あるのは、心からの安堵と、信頼の色だった。
「みんな、怪我はないか?」
「へっちゃらですぜ! 公王様の結界のおかげで、家も無事でした!」
「うちの畑も、瓦礫が少し落ちただけで済みました!」
口々に報告してくれる彼らの笑顔。 俺も自然と口元が緩む。
「公王様、スープどうぞ!」
列に並んでいた小さな女の子が、自分の分を俺に差し出してきた。その手は、泥だらけだが、温かい。
「ありがとう。……うん、美味いな」
一口飲むと、野菜の甘みが体に染み渡った。なんの変哲もない、ただのスープ。けれど、これこそが俺の守りたかったものだ。
領土でも、国威でもない。この「当たり前の朝」を、明日も明後日も続けること。
(……ああ、そうか)
俺の中で、迷いが完全に消えた。この日常を二度と脅かさせない。そのために皇帝を倒す必要が本当にあるのなら、俺は喜んでその役割を担おう。
その時だった。
「大変だ! 大水路の方で水漏れが!」
広場の端から、血相を変えた男が走ってきた。
「どうした?」
「こ、公王陛下! いえ、昨夜の衝撃で、第三区画の水路に亀裂が入ったみたいで……このままだと、下町への送水が止まってしまいます!」
大水路。
それは以前、俺たちが最初に整備した街の生命線だ。飲み水はもちろん、生活用水、農業用水、全ての基盤になっている。
「水が止まったら、風呂にも入れないな」
俺はスープの器をリゼットに預け、立ち上がった。
「案内してくれ。……フィーナ、手伝ってくれるか?」
「もちろん!」
俺たちは現場へと急行した。
◇◇◇
現場は、悲惨な状況だった。石造りの水路の側面が大きくひび割れ、そこから水が噴き出している。 作業員たちが土嚢を積んで止めようとしているが、水圧に押し負けていた。
「くそっ、止まらねぇ!」
「このままじゃ土台が崩れるぞ!」
俺は群衆をかき分けて前に出る。
「全員、下がってくれ!」
「公王陛下!? し、しかし、これだけの亀裂は、一度水を止めて工事をしないと……」
「いや、止める必要はない。……見ていてくれ」
俺は水路の縁に立ち、両手をかざした。イメージするのは、単なる「修復」ではない。 より強く、より清らかに。
「フィーナ、魔力を貸してくれ」
「うん! 【調律】!」
フィーナの純粋な魔力が、俺の中に流れ込んでくる。俺はその膨大なエネルギーを、【土魔法】と【錬金術】の複合術式へと変換する。
(素材の密度を圧縮。構造を分子レベルで再結合。……さらに、【浄化】の術式を付与!)
「――【再構築】ッ!」
カッ! と眩い光が水路を包み込んだ。
噴き出していた水が、見えない力に押し戻される。 ひび割れた石材が光の粒子となって融合し、滑らかな一枚の岩盤へと生まれ変わっていく。
それだけではない。再構築された水路は、白磁のように美しく輝き、流れる水そのものに微弱な魔力を帯びさせていた。
「……できた」
光が収まると、そこには新品同様――いや、以前よりも遥かに堅牢で美しい水路が完成していた。 水漏れは完全に止まり、透き通った水が力強く流れている。
「す、すげぇ……」
「一瞬で直っちまった……」
作業員たちが、あんぐりと口を開けている。誰かが、震える声で言った。
「水が……光ってるぞ!?」
「ああ。ついでに水路の内側に【浄化】の魔方陣を刻んでおいた。ここを通るだけで、水が濾過されて綺麗になるはずだ」
俺が何でもないことのように言うと、一拍置いて、爆発的な歓声が上がった。
「やっぱり公王様は魔法の神様だ!」
「この人がいる限り、エルム公国は不滅だぞ!」
拍手喝采。
子供たちが目を輝かせて駆け寄ってくる。
その光景を見て、俺は確信した。魔法は、敵を倒すためだけにあるんじゃない。こうして誰かの生活を支え、笑顔を作るためにこそあるんだと。
「……さあ、行こうか、フィーナ」
「うん! レン、かっこよかったよ!」
俺はフィーナの手を引き、喧騒を後にした。その背中は、昨日までよりも少しだけ、大きく頼もしいものになっていた気がした。
◇◇◇
戻った俺は、息つく暇もなく執務室に籠もっていた。宰相のアルバート卿や文官たちと、復興計画の会議だ。
「……陛下。城壁の修復予算ですが、従来の石材を使うとこれだけの費用が……」
「石材にこだわる必要はない。俺が【魔力レンガ】の改良版の術式を提供する」
俺は提示された資料に、ペンで次々と修正を加えていく。
「術式自体は簡略化してある。魔導部隊と職人ギルドに製造ラインを組ませろ。マニュアルはこれだ。材料は現地の土でいい」
「なっ……! 土をこれほどの強度に? これなら製造工程は半分程度に……!」
文官が目を見開く。俺一人で作れば一瞬だが、それでは国として脆弱だ。技術を伝え、民の手で再建させてこそ、本当の強さになる。
「この区画は更地にして、集合住宅を作ろう。これから避難民も増える。人口増加に対応できる都市計画が必要だ」
「し、しかし陛下、それでは工期が……」
「それも、魔導具による自動化を導入する。ティアーナとゴードンには話を通してあるから、彼らの指示に従ってくれ」
俺のペンが走る。頭の中に、新しいエルムヘイムの青写真が広がっていく。上下水道の完備、魔導エレベーターの実装、自動防衛システムの構築。
元に戻すんじゃない。あらゆる脅威に備え、世界一の『未来都市』へ作り変えるんだ。
「それに……」
俺はふと、帝国の空がある方角を見据えた。
「向こうが動かない以上、万が一の場合は、こちらから動く可能性もゼロじゃない。その時、この街が単独で持ちこたえられる『要塞機能』も必須だ」
「は、はい! 直ちに手配いたします!」
文官たちが慌ただしくも、希望に満ちた表情で動き出す。
「……ふふっ」
あまりの忙しさに、逆に笑いが込み上げてくる。やるべきことは山積みだが、視界はクリアだった。
そんな俺の姿を、部屋の隅でフィーナがじっと見つめていた。本を読むふりをして、その金色の瞳は真剣そのものだ。
(レン、すごい。……でも、たいへんそう)
彼女の小さな胸の中に、ある思いが芽生えていた。私も、レンの役に立ちたい。ただ守られるだけじゃなくて、レンの力になりたい、と。
(フィーナも、なにかできないかな……?)
その純粋な思いつきが、次なる騒動――いや、可愛らしい「お手伝い大作戦」の幕開けとなることを、俺はまだ知る由もなかった。
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