第142話:戦場の誓い
カジミールが消滅した場所には、焦げ付いた土の匂いだけが残っていた。
断罪の雷光が焼き付けた残像が、まだ網膜の裏でチカチカと明滅している。
俺は、剣を鞘に納めた。
カチャリ、という硬質な音が、張り詰めていた空気を解く合図となった。
「……終わった、のか」
誰かが呟いた。
東の空が白み始め、夜の帳がゆっくりと上がり始めていく。
それと共に、王城の方から、そして街の方から、堰を切ったような歓声が湧き上がり始めた。
「帝国軍が退くぞぉぉぉッ!!」
「俺たちの勝ちだ! 公国の勝利だ!!」
兵士たちが武器を掲げ、互いに抱き合い、涙を流して生還を喜んでいる。
だが、俺の心臓はまだ早鐘を打っていた。
処刑の重み。
友を裏切った者を裁いた、オリヴィアの震える背中。
それらを飲み込み、俺は公王として、民の前で気丈に振る舞わなければならない。
ふと、足元で何かが動いた。
「……んぅ……レン……」
フィーナだ。
限界まで力を貸してくれた彼女は、俺の脚にしがみついたまま、緊張の糸が切れたように船を漕いでいた。
俺は小さく息を吐き出し、彼女の頭をそっと撫でた。
「よく頑張ったな。……少し、眠るといい」
俺はフィーナを背負い直し、喧騒から少し離れた広場の端へと足を向けた。
オリヴィアは、アリシアとティアーナに支えられている。
今の彼女には、友人たちとの時間が必要だろう。
俺は一人、夜明けの風に当たりながら、思考を整理しようとした。
その時だ。
崩れた城壁の陰。
朝焼けが差し込み始めた瓦礫の山の前に、二つの影があるのに気づいた。
カイルと、イリスだ。
「……あいつら」
俺は足を止めた。
いつもなら軽口を叩き合う二人だが、今の空気は明らかに違っていた。
カイルは、いつになく真剣な、いや、悲壮なほどの決意を秘めた顔で、イリスを見つめている。
そしてイリスもまた、直立不動のまま、どこか強張った様子で彼を見つめ返していた。
(……そういえば)
俺は思い出した。
決戦の最中、リゼットがニヤニヤしながら言っていた言葉を。
『あの不器用な二人も、そろそろ決着つけないとねぇ』
俺は気配を殺し、物陰からそっと見守ることにした。
これは、俺が踏み込むべき領域ではない。
◇◇◇
(イリス視点)
「……戦争、終わったな」
カイル殿の声が、朝焼けの空気に溶ける。
その声は、戦闘中の荒々しいものではなく、どこか低く、そして微かに震えているように聞こえた。
わたくしの目の前に立つ、剣士。
ボロボロの鎧。
体中に刻まれた無数の傷跡。
その全てが、彼がわたくしを守り抜いてくれた証だった。
「……はい。 終わりました」
震える声で答えるのが精一杯だった。
心臓が、痛いほど強く脈打っている。
カイル殿が一歩、わたくしに近づく。
その瞳から、逃げることができない。
「……で、約束通り、答えを聞かせてもらおうか」
その言葉に、わたくしの記憶が鮮烈に蘇る。
『約束』。
それは、アイギス・フォートでの激戦。
瓦礫の中で、夕日を背に彼が叫んだ言葉。
『俺は……お前がいないとダメなんだ。 これからの人生も、ずっと隣で、お前を守らせてくれねえか?』
『この戦争が終わったら、ちゃんと答え聞かせろよ! 待ってるからな!』
あれは、ただの愛の告白ではなかった。
共に生き、共に歩むという、生涯の誓い(プロポーズ)。
(……わたくしのような者が)
迷いが、胸をよぎる。
わたくしは騎士。
剣に生き、主君に忠誠を誓った身。
彼のような、太陽みたいに眩しい人の隣で、「守られる」だけの存在になっていいのだろうか。
「……カイル殿。 わたくしは、不器用で……愛想もなくて……ただ剣を振ることしか能のない女です」
わたくしは、俯いて言葉を紡いだ。
「貴方が望むような、可愛らしい『守られるだけの女』には……きっとなれません」
「はっ、知ってるよそんなこと」
カイル殿が、短く笑った。
顔を上げると、彼は困ったように、でも優しく眉を下げていた。
「俺が惚れたのは、か弱くて守ってやらなきゃいけない女じゃねえ。 ……誰よりも強くて、気高くて、でも本当は不器用で危なっかしい……『イリス』、お前だ」
「……っ!」
「俺は、お前の剣になりたいわけじゃねえ。 ……お前が安心して背中を預けられる『盾』になりてえんだよ」
彼の言葉が、わたくしの心の鎧を、一枚ずつ剥がしていく。
もう、誤魔化せない。
自分の気持ちに、嘘はつけない。
彼を失うかもしれない恐怖を、戦場で嫌というほど味わった。
彼がいない未来なんて、もう考えられないのだ。
わたくしは、ゆっくりと手を上げた。
血と泥で汚れた小手。
その手で、頭を守っていた兜の留め具を外す。
カチャリ。
金属音が鳴り、重い兜が外れた。
パラリと、束ねていた銀色の髪が解け、朝風になびく。
視界が広がる。
朝日の眩しさと、彼の存在が、鮮明に目に飛び込んできた。
わたくしは、兜を地面に置いた。
それは、一人の女性として彼に向き合う覚悟。
「……カイル殿」
わたくしは、精一杯の勇気を振り絞り、彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
頬が熱い。
涙が溢れそうだ。
でも、伝えなければならない。
「……謹んで、お受けいたします」
わたくしは一歩、彼に近づいた。
「わたくしも……貴方がいなくては、ダメになってしまいそうです」
言葉にすると、堰を切ったように想いが溢れ出した。
「貴方の背中を守る時、わたくしは誰よりも強くなれました。 貴方の盾があるから、わたくしは前を向いて戦えました」
わたくしは、胸に手を当て、騎士としての、いいえ、イリスとしての最上級の誓いを紡ぐ。
「これからの人生……わたくしの剣は、貴方と共にあります」
「……イリス」
「貴方という盾がある限り、わたくしは折れません。 ……ですから、どうか」
わたくしは、潤んだ瞳で彼を見上げ、微笑んだ。
「……わたくしを、カイル殿の『パートナー』として……お側においてください」
言い終えた瞬間。
「……っ、ああ!!」
カイル殿の顔が、くしゃっと歪んだ。
それは、泣き出しそうな、でも最高に嬉しそうな、子供のような笑顔。
次の瞬間。
強い力で、体が引き寄せられた。
「あ……っ!?」
カイル殿の太い腕が、わたくしを包み込む。
汗と、鉄と、そして彼自身の温かい匂い。
「二度と離さねえからな! ……絶対に、幸せにする! 俺の一生をかけて!」
耳元で叫ばれた言葉に、わたくしの涙腺は決壊した。
「……はい……はいっ……!」
不器用で、力任せな抱擁。
でも、そこには何よりも確かな愛があった。
わたくしは彼の背中に腕を回し、その温もりに顔を埋めた。
◇◇◇
(レン視点)
「ヒューヒュー! やるぅ!」
「隊長! おめでとうございまーす!!」
「ついにやったか、あの朴念仁!」
静寂は、一瞬で破られた。
どこからともなく現れたリゼットが、瓦礫の上から指笛を鳴らして囃し立てる。
それに呼応するように、物陰に隠れていた兵士たちからも、口笛と万雷の拍手が巻き起こった。
「うわっ!? お、お前ら!? いつの間に!?」
カイルが真っ赤になって叫ぶが、腕はしっかりとイリスを抱き寄せたままだ。
イリスに至っては、カイルの胸に顔を埋めたまま、耳まで真っ赤にして微動だにしない。
湯気が出そうなほど恥ずかしがっているのが、ここからでも分かる。
「……ふっ」
俺も思わず笑みがこぼれた。
張り詰めていた空気が、一気に温かいものへと変わっていく。
これが、俺たちが守りたかった日常だ。
「おめでとう、カイル。 イリス」
俺が声をかけると、カイルがバツの悪そうな、でも最高に幸せそうな顔でニカっと笑った。
「おう! ……悪いなレン、一番乗りしちまったわ」
「ああ、お幸せにな」
公国最強の前衛コンビが、戦場の瓦礫の上で、生涯の伴侶として結ばれた瞬間だった。
朝日は完全に昇り、二人を祝福するように黄金の光で包み込んでいた。
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