第140話:狂気の方程式と捨てられた駒
爆風が吹き荒れ、焦げた臭いが鼻をつく。
エルムヘイムの正門前、防壁の外に広がる平原は、かつての美しい緑の面影もなく、無残にひび割れ、えぐり取られていた。
土煙の向こう。
そこに、二つの人影があった。
一人は、焼け焦げたローブを纏い、異形の義手から紫煙を上げている狂気の魔術師、ゼノン。
彼は先ほどのレンの一撃――【龍牙・双極】の直撃を受け、半身を焦がしながらも、痛みを感じていないかのようにゆらりと立ち上がった。
そして、その傍らには。
優雅な、しかしどこか歪んだ笑みを浮かべた男が立っていた。
「……カジミール」
俺は、喉の奥から絞り出すように、その名を呼んだ。
公国の文官として、オリヴィアを支え、俺たちに笑顔を向けていた男。
だが今、彼が向けているのは、獲物を追い詰めた狩人のような、冷酷で勝ち誇った視線だった。
「おやめなさい、レン公王」
カジミールは、扇子をパチリと閉じて、諭すように言った。
「無駄な足掻きです。私の計算では、あなたの勝率は万に一つもありませんよ」
その言葉に、俺の横に立つフィーナが、怒気を孕んで唸る。
俺もまた、拳を握りしめた。
「カジミール……! 貴様、よくも皆を! 信じていたオリヴィアや、民たちを!」
「信頼? ええ、利用させていただきましたとも。おかげで、素晴らしい『お土産』を持ち帰ることができました」
カジミールは懐から一冊の分厚い手帳――見覚えのある革表紙の束によく似た、真新しい複写本を取り出し、パラパラとめくって見せた。
それを見た瞬間、俺は息を呑んだ。
「それは……ティアーナの研究レポートの写しか!?」
「ご明察。ティアーナ殿は実に優秀だ。貴方の魔法の術式構成、マナの波長、アレンジの癖……全てが論理的に解析され、記録されていた」
カジミールは悪びれる様子もなく、ゼノンへと視線を流した。
「原本を持ち出せば騒ぎになりますからね。夜な夜な書き写させていただきましたよ。……ゼノン殿。約束通り、彼の魔法の『設計図』は全てここに」
「ああ、実に有意義な資料だったよ」
ゼノンは、カジミールが差し出した手帳を受け取りもせず、自身の頭を指差して薄ら笑いを浮かべた。
「既に全て頭に入っている。……ここ数ヶ月、カジミール卿から送られてくる断片的なデータを元に、君の術式を解読する作業は、最高に退屈で……最高に有意義な暇つぶしだった」
ゼノンが、血走った目で俺を見据える。
その異形の義手が、ギチギチと音を立てて変形し、不気味な赤黒い光を放ち始めた。
「先ほどの攻撃……【龍牙・双極】と言ったか。あれは見事だった。私の知らない『未知の出力』だ。このレポートには載っていない」
ゼノンは焦げた自身の肩を叩き、狂気じみた笑みを深める。
「だが、裏を返せば……『それ以外』は全て解析済みということだ!」
「……舐めるな!」
俺は即座に魔法陣を展開する。
こちらの情報が漏れているなら、それを上回る速度で押し切るまでだ。
まずは牽制。風の刃を複数生成し、死角からゼノンを狙う。
「【風牙】!」
不可視の刃が、音速を超えてゼノンへと殺到する。
だが。
ゼノンは避ける素振りすら見せず、義手の指先を指揮者のように軽く振った。
「位相、確認。……反転」
キィィィン……!
不快な高周波音と共に、俺の放った風の刃が空中で静止した。
そして、次の瞬間。
ガラスが割れるような音を立てて、魔法そのものが霧散し、消滅してしまった。
「なっ……!?」
「驚くには値しない。君の魔法の『周波数』に合わせて、逆位相の魔力をぶつけただけだ」
ゼノンが嘲笑う。
魔法を力で防いだのではない。
魔法を構成する数式そのものを、逆方向から計算して「ゼロ」に戻されたのだ。
設計図を知られているからこそできる、完璧なアンチ・スペル。
「くそっ、ならこれはどうだ!」
俺は属性を変える。
炎、氷、雷。次々と魔法を放つが、その全てが発動した瞬間に「無効化」され、火の粉一つ残らず消されていく。
「無駄ですよ、陛下」
カジミールが、安全圏から高らかに告げる。
「ティアーナ殿のレポートは完璧でした。貴方の手札は、全て我々の手のひらの上にある」
(……まずい)
冷や汗が背中を伝う。
攻撃が通じないだけじゃない。こちらの魔力が一方的に消耗していく。
「なら……さっきと同じだ! 力押しでいくぞ! フィーナ!」
「うん!」
小細工が通じないなら、先ほどゼノンを吹き飛ばした『調律』による最大出力でねじ伏せるしかない。
俺はフィーナの手を握り、再び魔力を同調させようとした。
龍と人の融合。
この未知の力なら、ティアーナのデータにも載っていないはずだ。
「――それも、予測済みだ。二度は食らわんよ」
ゼノンが、懐からどす黒く濁った水晶を取り出した。
それを見た瞬間、フィーナが「ひっ」と悲鳴を上げて身を震わせた。
「カジミール卿からの報告で、半信半疑だったが……先ほどの一撃で確信した。君のその規格外の出力の源は、その娘……『龍』とのリンクにあるとな」
カジミールの声と共に、ゼノンが水晶に魔力を流し込む。
「ならば、その『絆』を断ち切れば、君はただの凡庸な魔術師に過ぎない!」
ブオォォォォォン……ッ!!!
水晶から、耳障りな不協和音が放たれた。
それは音ではない。
龍の魔力波長を乱すためだけに調整された、呪いのジャミングウェーブ。
「がぁっ……!?」
「きゃあぁぁっ!!」
俺とフィーナの繋いだ手から、バチバチと激しいスパークが弾けた。
いつもの温かい魔力の流入ではない。
泥のような、針のような、不快なノイズが逆流してくる。
「ぐ、うぅぅ……ッ!?」
激痛が全身を走る。
魔力回路が焼き切れそうなほどの熱。
俺たちは堪らず、弾かれたように手を離した。
「はぁ、はぁ……ッ!」
「レン……痛い、よぉ……」
フィーナが涙目でうずくまる。
最大の武器であり、要である『調律』が、封じられた。
「ククク……無様だねぇ、龍覚者!」
ゼノンが義手を掲げる。
周囲のマナが悲鳴を上げ、黒い雷へと変換されていく。
「通常魔法はデータで無効化し、切り札の龍魔法はジャミングで封じた。……これで君は、手足をもがれたも同然だ!」
「【深淵の黒雷】!」
放たれたのは、回避不能の漆黒の雷撃。
防御魔法を展開しようとするが、ジャミングの影響で魔力がうまく練れない。
障壁が、薄い。
「しまっ――」
バリバリバリバリッ!!
「ぐあぁぁぁぁぁっ!!」
衝撃が身体を貫く。
視界が白く飛び、俺は地面へと叩きつけられた。
「レン!!」
俺は膝をつき、激しく咳き込んだ。
指先が痺れ、視界が霞む。
「チェックメイトですな」
カジミールの冷ややかな声が、頭上から降ってくる。
「さあ、ゼノン殿。トドメを。陛下はもう動きません」
「ああ、頂くとしよう。その尊いサンプルを!」
ゼノンが、再び黒雷を構える。
今度は防げない。
フィーナだけでも逃がさなければ。
俺が這いつくばりながら顔を上げようとした、その時だった。
ドゴォォォォォンッ!!
横合いから飛来した何かが、ゼノンと俺の間の地面を爆砕した。
舞い上がる土煙。
「なっ!?」
カジミールが狼狽する。
煙を切り裂いて現れたのは、巨大な盾を構えた緑の疾風だった。
「レンに……指一本触れさせるかよォッ!!」
「カイル!?」
カイルだけではない。
その背後から、白銀の剣閃が走る。
「陛下! お怪我は!?」
イリスだ。
さらに、上空から光の矢が降り注ぎ、ゼノンの追撃を牽制する。
「レンさん、遅くなりました!」
「お待たせしましたわ!」
アリシア、ティアーナ。
そして、雷光を纏ったオリヴィアと、氷の剣を構えたセレスティーナも駆けつける。
「ば、馬鹿な……!」
カジミールが目を見開いて後ずさる。
「三将軍の部隊はどうした!? お前たちがここに来られるはずがない! 計算では、各都市で釘付けになっているはずだ!」
「あら、残念ねカジミール卿」
ティアーナが、眼鏡を光らせて不敵に笑う。
その手には、怪しく輝く魔導具が握られている。
「研究データを盗み出したこと……褒めて差し上げますわ。でも、詰めが甘くてよ」
ティアーナが魔導具を起動する。
キィィィィィン……!
清冽な高周波音が響き、ゼノンの水晶から放たれていた不快なノイズが、瞬時に相殺された。
「なっ……ジャミングが消えた!?」
ゼノンが驚愕する。
「あなたが持ち出したのは『基礎理論』のレポート。……最新の研究データは、私の頭の中にしかありませんわ!」
ティアーナが叫ぶ。
「私の技術を悪用してレンさんを傷つけたこと……後悔させてあげます!」
「今だよ、みんな!」
アリシアが杖を掲げる。
「【セイクリッド・サンクチュアリ】!」
柔らかな光が広場を満たし、俺の体に残っていた黒雷の痺れと、魔力回路の不調を浄化していく。
カイルとイリスが、左右からゼノンに肉薄する。
「おらぁぁぁっ!」
「はぁっ!」
二人の連携攻撃に、ゼノンは防戦一方となる。
「くっ、おのれぇ……!」
カジミールの顔が、焦りで歪む。
「なぜだ!? なぜ計算が狂う!? 私のデータは完璧だったはずだ!」
「データ? そんなもの、過去の遺物だ」
俺は、震える足に力を込め、立ち上がった。
フィーナが、俺の手をぎゅっと握りしめてくれる。
不快なノイズはもうない。
あるのは、信頼と絆の温かい魔力だけ。
「見せてやるよ、カジミール。お前の知らない……俺たちの『今』を!」
俺はフィーナと視線を交わす。
言葉はいらない。
心臓の鼓動が重なる。
「フィーナ、『調律』だ。……最大出力で!」
「うん!」
二人の体が、黄金と蒼の光に包まれる。
(そうだ……。俺たちの力は、固定されたデータなんかじゃない!)
俺の中で、七色の魔力が荒れ狂い、そして美しく調和していく。
過去の自分ではない。
仲間と共に戦い、傷つき、乗り越えてきた「今」だからこそ出せる、進化し続ける絆の力。
「ゼノン! これが俺たちの答えだ!」
俺は、束ねた魔力の奔流を、両手の中に圧縮する。
それは、夜明けの空のように、あらゆる色が混じり合った極光。
「【龍律・万象の極光】!!」
ズゴオオオオオオオオオオオオッ!!!
放たれたのは、光の濁流だった。
七色の極光が螺旋を描き、空間そのものを震わせながらゼノンへと突き進む。
「な……!?」
ゼノンが防御障壁を展開する。
逆位相の魔力をぶつけようとするが、あまりの出力と複雑さに、計算が追いつかない。
「なんだ、このデタラメな出力は!?」
ゼノンの叫び声が、光の中に消える。
「私の理論を超えている……!? 解析不能! 制御不能! ……素晴らしい、素晴らしいぞぉぉぉッ!!」
断末魔ではない。
それは、未知の現象を目の当たりにした研究者の、狂喜の絶叫だった。
光が弾け、平原を昼間のように照らし出す。
やがて、光が収まると。
そこには、半身を焼かれ、義手を粉砕されたゼノンが立っていた。
ボロボロの姿。
だが、その顔には苦痛ではなく、恍惚とした笑みが張り付いていた。
「ククク……ハハハハッ!」
ゼノンは、黒焦げになった自分の体を愛おしそうに撫でた。
「取れた……取れたぞ! 究極のデータが! 龍の力と、人の心の融合……これこそが、欠けていた最後のピース!」
彼は、懐から禍々しい輝きを放つ結晶――「転移水晶」を取り出した。
「逃がすか!」
カイルが飛び出そうとするが、ゼノンが放った衝撃波に阻まれる。
「この龍の力があれば、皇帝陛下の『呪い』は『祝福』へと昇華される!」
ゼノンの目が、狂気でギラギラと輝く。
「データは揃った……! これで『アーク・セレネ』は蘇る! 皇帝陛下の手によって、世界が終わるその時が来たのだ!」
「アーク・セレネ……だと?」
その不吉な響きに、俺は背筋が凍るのを感じた。
奴の真の目的は、その名の示す「何か」の復活だったのか。
水晶が輝き始め、空間が歪む。
その時。
「ゼ、ゼノン殿!?」
瓦礫の陰で震えていたカジミールが、慌てて飛び出した。
「ま、待ってください! 私もご一緒に……! 私は帝国の功臣となるはずでは……!」
彼は、すがりつくようにゼノンへと駆け寄る。
裏切り者の末路。
公国に居場所をなくした彼にとって、帝国だけが唯一の逃げ場だったのだ。
だが。
「……邪魔だ」
ゼノンは、冷酷な瞳でカジミールを見下ろした。
ドガッ!!
「ぐべっ!?」
ゼノンの足が、カジミールの腹部を蹴り抜いた。
カジミールはボールのように吹き飛び、俺たちの目の前に転がった。
「不要だ。これ以上『ノイズ』はいらない」
「そ、そんな……」
カジミールが、信じられないものを見る目でゼノンを見上げる。
「私は……私は……」
「さらばだ、龍覚者! 次に会う時は、君が『アーク・セレネ』の贄となる時だ!」
高笑いと共に、ゼノンの姿が光の中に消えた。
後に残されたのは、静寂。
そして。
俺たちの足元で、泥にまみれて呆然としている、一人の男だけだった。
「……あ……あぁ……」
カジミールは、虚空に手を伸ばしたまま、震えていた。
帝国に忠誠を誓い、国を売り、仲間を裏切った。
その結果が、これだ。
使い捨ての駒として、無慈悲に捨てられた。
俺は、剣を下ろし、ゆっくりとカジミールへと歩み寄った。
「……終わりだ、カジミール」
「ひっ……!」
彼が顔を上げ、俺を見る。
その顔は、恐怖と絶望で醜く歪んでいた。
かつての知的な面影は、もうどこにもなかった。
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