第139話:観測される影、暗躍する影
(シエナ視点)
夜空を焦がす紅蓮の炎。
絶対零度の蒼き氷。
そして、空間そのものを切り裂く漆黒の雷。
三つの強大な力がエルムヘイムの上空で激突し、その衝撃波だけで大気が悲鳴を上げている。
公王宮を見下ろす尖塔――首都で最も高い鐘楼の頂。
冷たい夜風が吹き荒れるその場所で、わたし、シエナは眼下の光景を凝視していた。
視界いっぱいに広がるのは、神話の再現とも呼べる激戦の舞台。
主君であるレン陛下が、あの恐るべき魔人ゼノンと死闘を繰り広げている。
「……ッ!」
喉の奥から、悲鳴にも似た嗚咽が漏れそうになるのを、必死で噛み殺す。
手にした長い杖状の魔導具――ティアーナ様が開発された試作兵装【遠隔術式発射筒】を構える手が、微かに震えていた。
これは、魔力を弾丸のように圧縮し、遥か彼方の標的を撃ち抜くための特殊な杖だ。
スコープ代わりの魔石越しに見る陛下の姿は、あまりにも小さく、そしてあまりにも勇敢だった。
黒雷の嵐が、陛下を飲み込もうとしている。
「陛下が……! 今すぐ援護を……!」
引き金代わりの魔力回路に指をかける。
わたしの腕前ならば、この距離でもゼノンの眉間を撃ち抜くことは不可能ではない。
たとえあの防御障壁を貫けなくとも、一瞬の隙を作ることはできるはずだ。
その一瞬が、陛下の勝機になるかもしれない。
そう思った、その時だった。
ガツン。
硬質な衝撃が、わたしの筒身を横から叩いた。
「……!」
驚いて横を見る。
そこには、夜闇よりも深い黒衣を纏った老魔術師――ジュリアス様が立っていた。
彼は手にした杖で、わたしの射撃を静かに、しかし断固として制止していた。
「待て、シエナ。お前の獲物はそいつではない」
「師匠……! ですが、陛下が!」
「落ち着け。あの方は、あの程度で後れを取るような御方ではない」
ジュリアス様の声は、氷のように冷徹で、山のように重かった。
「それに、お前のその『半端な』攻撃など、あの怪物には蚊ほどにも感じられんぞ。……自分の役割を見誤るな」
その言葉は辛辣だったが、真実だった。
わたしは唇を噛み締め、発射筒を下ろした。
ジュリアス様は、杖の石突きで、足元の首都を指し示した。
「見ろ。結界の出力を」
言われて、わたしは自身の『魔眼』を、眼下の都市全体へと広げる。
エルムヘイムを守護する、五芒星を描く巨大な防衛結界。
その輝きが、普段とは違う、極端に歪な形を描いているのが見えた。
「……結界の魔力が、上空に偏りすぎています」
「そうだ。ゼノンの猛攻を防ぐため、公王陛下とティアーナ嬢は、結界の出力を対空・対魔法防御に全振りしている。それは正しい判断だ」
ジュリアス様が、目を細める。
その瞳は、上空の光ではなく、都市の足元に広がる深い闇を見据えていた。
「だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。……今の首都は、足元が留守だ」
「足元……?」
「地下のマナ流を見ろ。ゼノンへの攻撃に結界のリソースが割かれたことで、地下水路の監視網に一瞬の『綻び』が生じている」
ジュリアス様の指摘に、わたしはハッとして感覚を研ぎ澄ませる。
上空の爆発音。
吹き荒れる暴風。
それらのノイズを遮断し、意識を深く、暗い地下へと沈めていく。
(……見えます)
煌びやかな都市の地下深くに張り巡らされた、複雑な地下水路。
その一角。
本来あるはずのない、異質な魔力の淀みが蠢いていた。
それは、結界の監視網が薄くなったタイミングを見計らい、物理的な「穴」――都市の外れにある排水口から侵入した、何者かの気配。
「……敵、ですか」
「おそらくは、カジミール卿の手の者だろう。陽動に乗じて都市の中枢を叩く気だ」
ジュリアス様は静かに、しかし冷然と告げた。
「狙いは、地下深くに設置された『転移門ハブ』の動力炉。あそこをやられれば、我々は各都市への足を失い、孤立無援となる」
わたしの背筋に、冷たいものが走った。
「公王陛下の『光』を脅かす、足元の『穢れ』を排除せよ。……私情で目を曇らせるな」
その言葉は、師としての厳しさと、これからを託す信頼に満ちていた。
わたしは、自分の未熟さを恥じた。
陛下を助けたいという焦りで、自分の本来の役割を見失いかけていたのだ。
自分は「影」。
光ある場所には立たない。
けれど、光が届かない場所で、誰よりも速く、誰よりも確実に敵を討つことこそが、自分に与えられた使命であり、誇りのはずだ。
(……はい)
わたしは、深く一礼した。
「わたしは『影』。陛下が前を見て戦えるよう、その足元を守るのが務め」
「うむ。行け」
「御意!」
わたしは鐘楼の縁を蹴り、夜の闇へと身を躍らせた。
◇◇◇
首都エルムヘイムの地下。
かつてレン陛下が整備された上下水道は、この都市の衛生と繁栄を支える動脈だ。
だが今は、冷たく湿った空気が漂う、暗黒の迷宮と化していた。
チャプ、チャプ……。
汚水に足を浸しながら進む、数人の黒装束たち。
彼らは帝国製の特殊な魔道具――『隠蔽のマント』を纏い、魔力反応を極限まで消していた。
「……地上は派手にやってるな」
先頭を行く男が、天井の遥か上で響く爆発音を聞いて、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「ああ。おかげで結界の監視はザルだ。まさか、排出口から侵入されるとは夢にも思うまい」
「へっ、綺麗な都だか何だか知らねえが、クソの通り道までは気が回らなかったようだな」
男たちは忍び笑いを漏らす。
彼らはカジミールが手配した、裏工作のスペシャリストたちだ。
正規の兵士ではない。
金で動き、汚れ仕事を請け負う傭兵崩れや暗殺者。
だが、その実力は確かで、手慣れている。
彼らの懐には、高純度の爆裂魔石が抱えられていた。
狙うは、この通路の先にある「転移門ハブ」の動力パイプ。
ここを破壊すれば、都市機能は麻痺し、前線への補給も、民の避難も不可能になる。
「ここだ。この壁の向こうが動力区画だ」
地図を確認し、リーダー格の男が足を止める。
湿った壁を指差し、部下たちに指示を出す。
「手はず通り、三箇所に仕掛けるぞ。派手な花火を上げて、あの若造公王を絶望させてやれ」
「了解」
部下の一人が、懐から禍々しい光を放つ魔石を取り出し、壁に取り付けようと手を伸ばす。
その時だった。
カツン。
硬質な靴音が、暗闇に響いた。
「……あ?」
男たちが一斉に振り返る。
そこには誰もいない。
ただ、下水の臭いが漂う、暗い通路が続いているだけだ。
「なんだ、ネズミか?」
「……いや」
リーダーの男が眉をひそめる。
背筋を這い上がるような、冷たい悪寒。
数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の勘が、警鐘を鳴らしている。
「おい、急げ。……なにかヤバい」
「へいへい、ビビりすぎっすよ――」
部下が軽口を叩きながら、再び壁に向き直ろうとした瞬間。
ドンッ!
鈍い衝撃音と共に、部下の体が紙屑のように吹き飛んだ。
「ぐあっ!?」
「なっ!?」
汚水の中に叩きつけられる部下。
その肩口には、いつの間にか黒い「穴」が空いていた。
「敵襲ッ!!」
リーダーが叫ぶと同時に、男たちは即座に武器を構え、背中合わせに円陣を組む。
洗練された動きだ。伊達に裏社会を生きていない。
だが、敵の姿はない。
「どこだ!? どこから撃った!?」
「魔力反応なし! くそっ、こっちより高性能な隠蔽を使ってやがるのか!?」
焦燥と恐怖が、男たちの間に広がる。
「貴方たちと同じですよ」
鈴を転がすような、しかし氷のように冷たい少女の声。
それは、どこからともなく響いてきた。
反響して、方向が掴めない。
「魔力反応は消しました。足音も、気配も」
「姿を見せろッ! 卑怯者め!」
男の一人が、恐怖に耐えかねて、声のした方へ向けて炎魔法を闇雲に放つ。
ボウッ!
通路が一瞬だけ明るく照らし出される。
だが、そこには虚空があるだけだった。
「……貴方たちの殺意までは消せていません」
「ひっ……!」
背後だ。
いつの間に回り込んだのか。
最後尾にいた男が振り返るよりも速く。
闇の中から伸びた細い腕が、男の喉元に冷たい筒口を突きつけていた。
「なっ、何だお前は!?」
至近距離で見るその姿。
黒い軍服に身を包んだ、まだあどけなさの残る少女。
だが、その黒曜石のような瞳には、感情の色が一切なかった。
ただ、害虫を駆除するかのような、冷徹な殺意だけが宿っている。
「……陛下の庭を汚す『穢れ』は、わたしが排除します」
ズドンッ!
消音魔法が施された発射音は、ただの空気の破裂音のように短く。
男は悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
「野郎ッ! ガキが舐めるなッ!」
残った男たちが、怒号と共に一斉に殺到する。
短剣、魔法、毒針。
あらゆる攻撃が少女――シエナへと放たれる。
だが。
(遅い)
シエナの思考は、冷徹なまでに澄み渡っていた。
イリスから叩き込まれた、近接戦闘の体術。
ジュリアスから学んだ、魔術師としての戦術眼。
そして、彼女自身の天性の「目」。
それらが融合し、彼女を無敵の処刑人へと変えていた。
フッ、と影が揺らぐ。
シエナは最小限の動きで剣撃を紙一重で躱し、すれ違いざまに発射筒の台尻で敵の顎を砕く。
「がっ……!」
間髪入れず、次の敵の足元へ闇属性の魔法陣を展開。
【影縛】
「うわっ、足が……!?」
影から伸びた無数の黒い鎖が、男たちの足首を掴み、自由を奪う。
動きの止まった標的など、彼女にとっては止まった案山子と同じだ。
シエナは踊るように魔導具を操る。
狙うのは急所ではない。
彼らが持っている武器。
そして、起爆装置を持つ手。
パスン、パスン、パスンッ!
正確無比な三連射。
「ぎゃああああッ!?」
「腕がッ! 俺の腕がぁッ!」
起爆装置ごと手首を撃ち抜かれた男たちが、汚水の中でのたうち回る。
わずか数十秒。
制圧は一瞬で終わった。
立っているのは、シエナただ一人。
ジュリアスがあらかじめ展開していた『消音結界』のおかげで、この戦闘の音は地上には一切漏れていない。
「……終わりです」
シエナは冷ややかに告げると、ただ一人、腰を抜かして震えているリーダー格の男を見下ろした。
男は恐怖に顔を歪め、後ずさりする。
「ば、化け物……!」
「いいえ。わたしは、ただの『影』です」
シエナは懐から取り出した拘束用の魔道具で、男たちを素早く、しかし確実に縛り上げる。
転移門ハブの安全は確保された。
彼女は魔導具を背負い直すと、地上へと続く点検用の梯子を見上げた。
その隙間から、わずかに夜空が見える。
黒雷と炎が交錯する、激戦の空が。
(陛下……)
シエナは胸の前で手を組む。
そこにあるのは、主君への絶対的な忠誠と、淡い恋心にも似た祈り。
(背後の憂いは断ちました。どうか、思う存分、勝利を)
彼女は再び闇に溶け込むように、その場を後にした。
首都の生命線は、誰にも知られることなく、人知れず守り抜かれたのだ。
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