第136話:背中越しの体温
獣王グラッフの巨体が、地響きと共に崩れ落ちた。
巻き上がった土煙が晴れていく中で、赤黒い魔力のオーラが霧散し、戦場に静寂が戻ってくる。
「……はぁ……はぁ……」
カイルは、瓦礫の山に背中を預けるようにして、力なく座り込んだ。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。 肺が焼けるように熱い。 握りしめていた愛用の盾は、中央がひしゃげ、無数の亀裂が走っている。
限界だった。 あと一撃、グラッフの攻撃を受けていれば、間違いなく盾ごと粉砕されていただろう。
「……カイル、殿……」
背中合わせに、どさりと誰かが座り込む感触があった。 イリスだ。 彼女もまた、カイルの背中に体重を預け、荒い息をついている。
背中越しに伝わってくる熱。 鎧の硬い感触と、その奥にある確かな体温。 鼓動が、背中を叩くように速い。
生きている。 俺たちは、生き残ったんだ。
「……ああ。……終わり、だな」
カイルが掠れた声で呟くと、背中のイリスが小さく頷く気配がした。
遠くの方で、勝鬨が上がり始めているのが聞こえる。 帝国軍の撤退を確認した味方の兵士たちが、歓喜の声を上げているのだ。 だが、二人がいるこの瓦礫の陰だけは、まるで世界から切り離されたかのように、耳鳴りがするほどの静寂に包まれていた。
視界の端に、リゼットの姿が見えた。 彼女は大斧を肩に担ぎ、こちらを一瞥した。 そして、二人の様子を見て取ると、ニヤリと悪戯っぽく笑い、あえて声をかけずに遠くの負傷兵の救護へと向かっていった。
(……ちっ、気を利かせたつもりかよ)
カイルは苦笑しようとして、頬が引きつるのを感じた。 リゼットの背中を見送りながら、意識は再び、背中の温もりに集中していく。
ドクン、ドクン、と心臓がうるさい。 これは死闘直後の興奮のせいなのか。 それとも、背中を預けているこの女の体温を感じているせいなのか。
もし、イリスがいなければ。 彼女がその神速の剣技で隙を作ってくれなければ、カイルの盾は砕かれ、命は尽きていただろう。 逆に、カイルがいなければ、イリスの華奢な体はグラッフの剛腕に押し潰されていたはずだ。
互いが互いを必要とし、互いが互いを守り抜いた。 その事実が、カイルの胸を熱くさせる。
「……」
沈黙が続く。 だが、それは決して不快なものではなかった。 むしろ、言葉などいらないほどの信頼が、二人の間に流れていた。
その時。 イリスの手が、背後へ回され、カイルの腕にそっと触れた。 泥と血にまみれた、震える指先。 生存を確かめるような、頼りなげで、愛おしい接触。
「……生きて、いますね。カイル殿」
消え入りそうな、でも確かな安堵を含んだ声が、鼓膜を震わせる。 カイルは、自分の腕に置かれた彼女の手に、そっと自分の手を重ねた。 ゴツゴツとした男の手と、剣ダコはあるが白く細い女の手。
「ああ。……お前が背中を守ってくれたおかげだ」
カイルは、素直な感謝を口にした。 飾らない、本心からの言葉だった。
「……リゼットさんも、無事でよかった」
「ええ……本当に」
短い言葉のやり取り。 だが、その隙間に、今の戦闘の記憶が鮮烈に蘇る。 カイルが受け止め、イリスが斬る。 イリスが躱し、カイルが突く。 思考するよりも速く、互いの意志が通じ合っていたあの瞬間。
『双牙・旋風』。 ジュリアスとの訓練で編み出した連携奥義。 だが、実戦でのそれは、訓練とは比較にならないほどの精度と、魂の共鳴を見せた。
(……俺たちは、二人で一つだった)
そう思った瞬間、カイルの心臓がドクンと大きく跳ねた。 ふと、以前の記憶がフラッシュバックする。 エルムヘイムでの、セレスティーナ総長の無表情な提言。
『公式なパートナーシップを推奨します』
そして、訓練場でのリゼットの冷やかし。
『あんたたち、お似合いだよ』
意識した途端、背中の温もりが急激に熱を帯びていくような錯覚に陥る。 汗の匂いも、血の匂いも、今は気にならない。 ただ、彼女の存在だけが、強烈に意識される。
気まずい。 でも、離れたくない。 このまま、ずっとこうしていたい。 そんな矛盾した感情が、カイルの中で渦を巻く。
夕日が、瓦礫の山を赤く染め始めていた。 その赤色が、カイルの顔にも伝染していく。
(……言わなきゃ、な)
カイルは、意を決した。 いつまでも、この曖昧な関係でいるわけにはいかない。 死線を潜り抜けた今だからこそ、はっきりと分かったことがある。
俺は、彼女を守りたい。 ただの戦友としてではなく。 もっと、特別な存在として。 隣に立つ男として。
カイルは、乾いた唇を舐め、口を開いた。 視線は、あえて目の前の瓦礫の山に向けたままだ。 彼女の方を向く勇気は、まだない。
「……なあ」
「……はい」
イリスの声も、どこか緊張しているように聞こえた。
「さっきの戦い……悪くなかっただろ」
我ながら、なんて不器用な切り出し方だ。 心の中で悪態をつく。 だが、イリスは静かに待ってくれている。
「セレスティーナ総長の言う通り……俺たち、案外いいコンビ……なんじゃねえか?」
心臓がうるさい。 全身の血液が沸騰しそうだ。 グラッフと戦った時よりも、よっぽど緊張している。 手汗が滲む。 だが、もう止まらない。
「……これからも、お前の背中は俺が守る」
カイルは、言葉を紡ぐ。 飾らない、彼なりの誓いを。
「……だから、その……」
言葉が喉で詰まる。 でも、言わなければ。 カイルは拳を握りしめ、一気に吐き出した。
「俺は……お前がいないとダメなんだ。戦場だけじゃねえ。……これからの人生も、ずっと隣で、お前を守らせてくれねえか?」
言い切った。 顔から火が出そうだ。 背後で、イリスが息を呑む気配がした。
(……言っちまった……)
彼女は今、どんな顔をしているだろうか。 驚いているか。 それとも、困惑しているか。
視点が、イリスへと移る。
◇◇◇
(イリス視点)
カイル殿の言葉に、イリスの心臓は破裂しそうだった。 目を見開き、背中から伝わる彼の激しい鼓動を感じる。 それは、私の鼓動と同じリズムを刻んでいた。
『お前がいないとダメなんだ』
『これからの人生も、ずっと隣で』
不器用で、ぶっきらぼうな言葉。 でも、その奥にある真摯な響きが、イリスの胸を貫いた。 それは、遠回しでも何でもない。 真正面からの、力強いプロポーズだった。
。
(……嬉しい)
涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。
私は騎士。 主君であるオリヴィア様をお守りし、国のために剣を振るう身。 そんな私が、個人の幸せを求めていいのだろうか。 色恋にうつつを抜かして、剣が鈍ることはないだろうか。
でも。 この人の隣にいたい。 この人の盾となり、この人のために剣を振るいたい。 その想いは、もう抑えきれないほどに膨れ上がっていた。
「カイル殿、私は……」
震える声で、答えようとした。 その時。
ガタッ!
カイル殿が、突然立ち上がった。 背中の温もりが急に消え、冷たい風が吹き抜ける。 イリスは驚いて彼を見上げた。
彼は、まるで私の答えを聞くのが怖いかのように、顔を背けていた。 乱暴に頭をガシガシとかきむしっている。 夕日に照らされたその耳は、熟したトマトのように真っ赤に染まっていた。
「今すぐ答えろとは言わねえ..」
彼の大きな声が、静寂を破る。 照れ隠しの怒鳴り声。 いかにも彼らしい、不器用な逃げ口上。 でも、その不器用さが、たまらなく愛おしい。
カイル殿は、背を向けたまま、拳を強く握りしめて叫んだ。
「……この戦争が終わったら、ちゃんと答え聞かせろよ! 待ってるからな!」
そう言い捨てると、カイル殿は逃げるように、しかし力強い足取りでその場を立ち去っていった。 砂煙を上げて去っていくその背中を、イリスは呆然と見送った。 あとに残されたのは、冷めやらぬ熱気と、胸の高鳴りだけ。
イリスは、熱くなった顔を両手で覆い、その場にうずくまった。 指の隙間から、夕日の赤が滲んで見える。 心臓が、まだ痛いくらいに脈打っている。
(……卑怯です、カイル殿)
あんな風に言われては。 あんなに真っ直ぐな、頼もしい背中を見せられては。
(……もう、『お断り』などできないではありませんか)
胸の奥で、温かい決意が固まっていく。 戦争が終わったら。 必ず、伝えよう。
(……私も、あなたと共にありたいと)
「御意に……」
誰もいない瓦礫の陰で、イリスは小さく呟いた。 その声は、夕風に乗って空へと溶けていく。 二つの想いが、静かに、しかし確かに結ばれた瞬間だった。
戦場には、夜の帳が下りようとしていた。 だが、二人の未来を照らす光は、今、灯されたばかりだった。
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