第115話:夕凪の誓い、白き花のように
夕暮れ時の公王執務棟、屋上テラス。
肌を撫でる風が、少し冷たくなってきた。
俺は一人、木製の手すりに肘をつき、沈みゆく夕日が街を茜色に染め上げるのを眺めていた。
(……はぁ)
無意識に、重い溜息が漏れる。
手には、オリヴィアとの婚姻に関する書類が握られている。
頭では分かっている。
対帝国の同盟を盤石にするため、オリヴィアとの婚姻は不可避だ。
アリシアもティアーナも、笑顔で背中を押してくれた。
「私たちは家族になるんだよ」と。
(だが……)
心が軋む。
俺は、彼女たちの優しさに甘えているだけではないか?
「国のため」という大義名分を盾に、一人の女性の人生を縛り付け、妻たちへの誠実さを捨てようとしているのではないか。
政略結婚。この世界では珍しくないことらしい。だが、俺の中にある倫理観が、どうしてもブレーキをかける。
(俺は、自分が思うほど立派な人間じゃない……)
ふと気配を感じて振り返ると、そこにはいつもの軍服ではなく、簡素な生成りの白いワンピース姿のオリヴィアが立っていた。
風に揺れる銀髪と、華奢な身体。
その姿は、俺が知る「気丈な亡国の王女」ではなく、ただの「不安げな一人の少女」に見えた。
夕日に透けるその姿に、俺は不覚にも息を呑んだ。
「……レン」
「オリヴィア……」
ぎこちない挨拶。
彼女は、俺が一人で悩んでいることを察し、何も言わずに隣に並んだ。
風が、彼女の甘い香りを運んでくる。
「……迷っていらっしゃいますね」
静かな声だった。
俺は苦笑し、素直に心情を吐露する。
彼女の前で強がっても、意味がない気がした。
「……俺は卑怯だ。君の立場を利用して、同盟を正当化しようとしている。アリシアやティアーナがいるのに、君まで……。君を一人の女性として幸せにできる自信が、俺にはまだ……」
言葉に詰まる。
なんて情けない男だ。
だが、オリヴィアは首を振り、俺の言葉を遮った。
彼女は一歩踏み出し、俺の手を両手で包み込む。
その手は、小さく震えていた。
「完璧な公王陛下など求めていません。……わたくしが欲しいのは、今、目の前で悩み、傷ついている『貴方』なのです」
彼女の熱い視線が、俺を射抜く。
そこには、王女としての計算も、同盟者としての打算もない。
ただ一人の女性としての、純粋な想いだけがあった。
「同盟者としてではなく、オリヴィアという一人の女として、貴方をお慕いしております。……どうか、わたくしを貴方の痛みを分かち合う場所に置いてください」
その健気な姿を見た瞬間、俺の中の迷いが消えた。
彼女もまた、友への罪悪感に震えながら、それでも勇気を振り絞ってここに立っているのだ。
そんな彼女を、俺が受け止めなくてどうする。
「幸せにできるか」ではない。「幸せにする」のだと、覚悟を決める以外にない。
俺は迷いを捨て、強く彼女の手を握り返した。
そして、彼女をゆっくりと引き寄せる。
「……君のその想いに、俺の全てで応えたい。……オリヴィア。俺と結婚してくれ。君を、愛し、守り抜くと誓う」
俺は彼女を抱きしめ、口づけを落とした。
それは、政治的な契約ではなく、魂の契約。
腕の中の体温を感じながら、俺の中で「義務」が「愛」へと完全に昇華されていくのを感じた。
守るべきものがまた一つ増えた重み。
だが、それは心地よい重みだった。
星が輝きだす空の下、二人は寄り添う。
その静寂を破るように、階下から慌ただしい足音が近づいてくる。
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