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019 魔術書

「まあ、そんなことがあったのですね」


木漏れ日の差す庭園、シュガハート子爵の庭先でシルベルトの許嫁であるアイリは自分のメイドと談笑していた。


白くて小さなテーブルには紅茶とチーズケーキが、アイリと猫耳のメイドが仲良く向かい合っている。


「それでシルベルト様はギルドの方に平手打ちをもらってしまったのです、クスクス」


「はぁ、私もその場に立ち会いたかったです。あ、口に食べかすがついてますよカノン」


「うにゃあ、ありがと、うございまふ」


食べながら先の伯爵家での出来事を楽しそうに話すのはシルベルトの専属メイドとなったカノン。白いハンカチで優しく口元を拭うとアイリはケーキを頬張るカノンを愛おし気に見つめた。


「ふふふ、私は今が一番幸せだわ。こうやってカノンと同じ時間を過ごせるのが一番の幸せ」


「私もです、アイリ様」


「ごめんなさいねカノン。私が伯爵夫人になるためとはいえ、あの気持ちの悪い豚のところへ行かせなければならないなんて…」


「もう、アイリ様はすぐそれですね。私はアイリ様だけをお慕いしていますから。アイリ様のためになるなら何だって耐えられます」


どちらかとなく指を絡ませ合う二人。どうやらこの二人には主従以上の何かがあるようだ。


「本当に許せないわ、私のカノンを独占するなんて。伯爵夫人の座を手に入れたら真っ先に不慮の事故に見せかけて、あの臭くて気持ち悪い汚物を亡き者にしてみせるから」


「はい、期待してます。それまで私はアレを管理して従順な傀儡になるように調教しますね」


「ありがとう。許嫁を選べないのが本当心苦しいわ」


貴族であるアイリには伴侶を選ぶ自由はない。それは親が決めることで、女性という事で政略結婚させられるのが貴族社会では常だ。子爵家が伯爵家に嫁ぐなんて政略結婚としては成功だが、相手が悪かった。


シルベルト・フォン・アグニノス。彼が冒険者などと下らないものにうつつを抜かしている間は健気で従順で気立ての良い理想の許嫁を演じなくてよかった。外の世界で揉まれれば少しはあのだらしない体も引き締まるかと思ったが、戻ってきたシルベルトは驚くほどに依然と変わらない醜さだった。


いっそ冒険者をやっているうちに死んでくれないかと願ってもみたが、神様は聞き届けてはくれなかったようだ。いや、神様なんていないのかもしれない。


「そうだ。カノン、今日はコレを持って行ってくれるかしら」


「またシルベルト様への贈り物ですか。アイリ様の努力には頭が下がります。これは本ですね、少しカビ臭いようですが」


ついに露骨な嫌がらせを始めました?人間より嗅覚の鋭い獣人であるカノンはそんなことを思ったが真の主人であるアイリはそんな人ではないことをカノン自身がよく分かっている。


「ウチの書庫を整理していた時に出てきた『魔術書』です。ほら、あの豚の仲間で、古代魔法の研究をしているって人がいたでしょう?ウチの司書が言うには古代語で書いてあって読めないけど、魔力を帯びているから魔術書で間違いないと言うの。何かしらの手助けになるんじゃないかと思ってね」


「いいのですか?歴史的に貴重なものじゃないのですか?」


「ここに置いておくよりは有効な使い方だわ。いつも違う贈り物をしないといけないからバリエーションには困らされてしまうもの」


失われた古代魔法。今の文明よりも魔法が発達していたといわれている時代。神代とも呼ばれる時代の魔法は便利で今の魔法より強いものだといわれている。


魔法使いたちにとって古代魔法を復活させるのが一つの悲願とされている。天才と謳われる黎明の誓いのアティは古代魔法の研究をしていた。それに役立てばシュガハート家としても名誉なことであるし、シルベルトの手から渡れば、良い許嫁としてもポイントが高い。


アイリはカノンから事細かにシルベルトの事を聞いているから追放されたことも把握していたが、シルベルトからはちょっとした長期休暇であると聞いている。良い許嫁としては彼の顔を立てるしかなかった。


「分かりました。では名残惜しいですが、行ってきます」


「ええ、お願いするわ。カノンも頑張ってね」


二人は別れを惜しむようにしばらくの間、抱き合っていた。

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