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第四部:6

 結局、俺は五コマまでの時間を莉菜の監視に費やした。

 彼女は今日、二コマから五コマまで授業だったようで俺はそれが行われる四つの教室近くで張っていたことになる。廊下を掃除する用務員のおじさんと無駄に仲良くなったのが今のところ目に見える収穫だ。

(授業はすべて終了した……どこに行く気だ……)

 やっと男に会いに行くのか。彼女は西の方へと向かっている。ツイッターで知った彼女がよく行くスーパーと薬局から考えて住んでいるアパートはこっちの方角にない。だから、帰るわけではないだろう。

(莉菜……莉菜……どこに行くんだ……)

 ちなみに現在、彼女は一人。辺りはもう暗いというのに危ない。変質者に襲われたらどうすると言うのだ。いや、逆に好都合かもしれない。莉菜がピンチのときに俺が颯爽と銀河美少年のごとく登場して助ける。そうすることで彼女は俺に惚れてしまうに違いない。

 そんな風に彼女を尾行していると――。

(ここは……部室棟……?)

 西体育館の裏手にひっそりとそびえる古びた三階建ての建物。その前に辿り着いた。彼女は招かれるように自動ドアから中に入っていった。

(練習がない平日でも部室に行くとは知っていたが……)

 ときにはくつろぐため。ときには仲間と遊ぶため。ときには今後のサークルの方針を話し合うため。もしや「のぞむ」という男は演劇サークルの男なのか。でも、なぜ昨日、わざわざ会うような物言いだったのか。

(これは考えても分からないよな……)

 たとえ彼女のツイート群をどれだけ舐めるように見たとしても。莉菜はツイッターでは彼のことを意図的に隠している。それはそうだろう。莉菜のように恥じらいを持つ女子なら誰もが見ることのできるツイッターでのろけ話なんてするわけない。それでも夜空に浮かぶ星のように零れてしまったツイートが理想の男がいつか自分の目の前に現れる――戻ってくるのを心待ちにするものだったのだ。

(どうすればいいんだ……)

 さすがに部室に侵入することはできない。窓から覗こうにも演劇サークルの部室は三階にあり、しかもカーテンが閉められている。二コマから五コマまでの授業のときと同じように彼女が出てくるのを待つのが関の山だろうが、それでは、駄目だ。部室は教室とは違って閉鎖的。もし莉菜とのぞむしか室内にいなければ事に及んでしまう可能性がある。部活に励む者が行き交う廊下で物音を探るために壁に耳をつける不審者スタイルを貫くわけにもいかないので打つ手なしだった。

(屋根裏の散歩者のごとく覗くことができれば……いや、待てよ)

 そのとき、俺が閃いたものは気休めみたいなものだった。ごまかし、はったり、外連味だ。

(うん、晴れた日で良かった)

 演劇サークルの部室があるのは三階。そのすぐ上の屋上に寝転べば多少なりとも物音を探ることができるのではないかという安直な発想。まあ、何にしたって寒空の下での天体観測なんて青春している。今夜は別段に空気が澄んでいるので綺麗な星空を拝ませてくれるに違いない。

 不届き者のように自動ドアから部室棟に足を踏み入れる俺。すぐ目につくのは二階、三階、屋上へと続いていく階段だ。トントントンとリズムを刻むようにして俺はそれを上っていく。そして、二階と三階の間にある踊り場に到着したとき、ふとあることに気づいた。

(あれ? 屋上に続く扉って普通、鍵が開いてるものなのか?)

 ラノベや漫画では開放的になっているが現実ではどうなんだ? もしや入ることすらできないのではないか?

 しかし、それは杞憂であった。屋上へと続く扉に鍵はかかっておらず、それどころか扉自体が開いていた。冷たい風が屋内に吹きつけている。

(ん? 誰か二人いる……? 男女……?)

 鉄柵に腕を載せる二人の男女は月明かりに照らされている。分かっている。そのうちの一人が俺の愛する彼女だということは――。

(莉菜……)

 男と逢引きすることは分かっていた。でも、なぜこんな場所で……。

 俺は扉側に背を向けている二人に気づかれないようにそろりと屋上へと足を踏み出す。そして、給水タンクの影に身を潜めた。莉菜と一緒にいる男の顔はここからではよく見えない。ただ背丈は俺より少し高いように感じた。

(一体、何をしようとしてるんだ……)

 こんな寒い中、外でする特別なことがあるのか。星なら窓からでも見えるじゃないか。俺のそんな疑問に答えるように莉菜は芝居めかしながらも本気を窺わせる澄んだ声を発した。

「ああ、ロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの。あなたがモンタギュー家のロミオでなければ私たちの愛を邪魔するものは何もないというのに。薔薇という花にどんな名前をつけようとも香りに違いはないはずよ。それはロミオだって同じこと。そのロミオという名の代わりに私のすべてを受け取ってください」

 力強い意志に裏打ちされた響き。それに真紅のオーラが纏うのを幻視する。続けて男も倣ったセリフを吐く。

「頂戴しましょう。その代わり私を恋人と呼んでください。そうすれば私はロミオではなくなります。愛しのジュリエット」

 彼の凛とした声に纏うのは深緑。光の三原色。真紅と深緑の二つのオーラは混ざり合い、タンポポのような鮮やかな黄色になったのだ。

「ええ。私も愛していますわ……ロミオ」

 ああ、これは妹のタンポポを毟り取ってしまった憐れな兄への報復なのか。雑草のようにそこにいて当たり前だった花。多少、酷いことをしても勝手に生えると思っていたそれを目にすることはもう叶わない。

 なぜなら、俺の足は地面に縫いつけられてしまったからだ。引っ張り上げようと力を入れてもうんともすんともしない。と言うよりも足首から下に血が通ってない気がした。生命を感じられない。

(二年前と同じ現象……)

 四日前の一月四日。俺は名和に対して昔話をした。それは二年前のクリスマスイブに体験した失恋話。好きな子には好きな男がいてそれが自分でないと知っていく過程を経て終わった儚い恋についてだ。その結果はうんざりするほどありふれたもの。けれども、過程には違和感があった――すなわち、気持ち悪かったのである。俺は当時、好きだった子が彼氏と思わしき男とデートしているのを執拗につけまわしたのだから。

 あのときショックで地面に縫いつけられて棒立ちになってしまった俺を励ましてくれた――救ってくれたのは妹の五花であった。しかし、今はその五花はいない。それを見計らっての報復だと言うのか。

(あそこにいる莉菜たちに助けを乞うか……?)

 いや、無駄だ。あそこで何やらぽつりぽつりと話している彼らが病異の対処法を知っているわけがない。とりあえず、一一九番をするだけで精一杯だろう。そんなの俺でもできる。まだ上半身は稼働するし、発声も可能なはずだ。何よりも……。

(あいつらに看取られたくない)

 俺が無様に死んで朽ちていくのを目の当たりにしても一緒に幸せになっていく彼らの存在が許せない。呪い殺してしまいたくなる。自分を看取る者くらい自分で選びたい。そして、それに応えるかのように彼らは静かに屋上を後にした。ガチャとしっかり施錠して。まあ、いい。これで心置きなく喋ることができるのだから。

(でも、一一九よりも五花に……)

 もう俺の膝から下は動かない。どうせ救急車が来る頃にはすでに樹に成り変わっている俺。それならば、大好きだった妹と最後の会話をしたい。常世に向かう最期を電波を介してでも看取ってほしかった。

 俺は何とかまだ血の通っている手をコートのポケットに入れてスマホを取り出す。それから、アドレス帳を開いて彼女を呼び出した。

(頼む……出てくれ……)

 軽蔑でも侮辱でも悪態でも何でもいい。とにかく、慣れ親しんだ妹の声が聴きたかった。しかし、スマホは無慈悲にも無機質な電子音を躊躇なく俺に提供してくれた。

『この電話番号からの電話はお受けできません』

 着信拒否。その際に流れる自動音声が耳を貫く。まさか彼女がここまでするとは思わなかった。メールも受信拒否リストに俺のアドレスを入れているに違いない。なんで……俺はお前にそこまでのことをしてしまったというのか……それが分からないからこんな事態になっているというのか……死にゆく俺に手向けの花をくれてもいいではないか。 

(いや、まだ望みはある……御来屋といれば……)

 彼氏である御来屋なら五花と一緒にいる可能性は非常に高い。それに彼は着信拒否なんてしない。昨日だって普通に通話をした。俺は次にアドレス帳から御来屋蔵之助を呼び出した。

「おい! 今、どこで何をしてるんだ! 五花はいるか!」

 そして、開口一番にそう切り出す。頼む、いてくれ。俺の声が聴きたくないなら御来屋づてでもいいから。意思疎通を図りたい。

『先輩、どうしたんですか? そんなに慌てて。いっちゃんならここにはいませんよ』

 しかし、開口二番もまた無慈悲なものだった。五花は火曜日は五コマまで授業が入っている。五コマ――それは、ほんのついさっき終わったばかりのものだ。片道五十分かかる実家にいるわけがないので両親にも頼ることができない。いや、たとえ彼女が実家にいる望みがあったとしても俺は両親に電話することはなかったはずだ。自分が生まれてからここまで育ててくれた人に死に際の声なんて聴かせたくない。だって、普通ならこっちが彼らを看取る側なのに……親不孝甚だしすぎる。

『あっ、ちなみに僕は今度の「レキシング」の大会に向けて自室でデッキを組んでいる最中です』

「そうか……お前はいつも通りなんだな。安心するよ」

 もちろん虚勢であることは分かっている。またいつの日か俺と五花を含めた三人で楽しく騒ぐという願いに支えられたそれは彼をどれほど苦しめているだろうか。残念ながら俺はここでリタイヤする。せめて二人だけでも幸せになってくれたら……。

「ミラクルくん。急な話だけどちょっといいか?」

『僕は御来屋です、先輩。決して奇跡ではありません』

「ああ、悪い悪い」

 そうだな。奇跡なんてない。この世にあるのは絶望だけだ。それでも奇跡や希望があると言い張る者は麻痺をしている。

『で、何ですか? その急な話というのは?』

 御来屋の口調は若干軽くなっている。俺が新年で初めて名前を間違えて安堵しているのかもしれない。最期だからこそ通常通り行こうという俺の思惑には気づいていない。

「俺、しばらくどこかに行こうと思うんだ。何ていうかあれだ。自分探しの旅ってやつ。実は後期の授業の出席回数を調べたらもう単位が取れないことが確定しててな。なら、いっそのこと来年度の四月まで遊んでしまえと思ったわけ。で、その間、お前に俺の部屋に住んでほしいんだ。ほら、五花だって喜んでアパートに戻ってくるだろうし。頼めるか?」

 最期……そんなわけない。奇跡は必ずある。そう言い張ってもいいではないか。なぜなら、麻痺している者だけが幸せな人生を享受できるのだから。俺は死なない。決定的な失恋をしても樹にならない。きっと天から降ってくる不思議パワーとかが助けてくれるはずだ。絶対そうに違いない。なので、戻ってくる場所――毎晩、妹の隣りで寝ていたあの部屋が必要だった。

『うーん、さすがにそれは少し厳しいですねえ。お母さんを説得して何とかなるかならないかくらいです。彼女の隣りの部屋に引っ越したいなんて言ったら面倒なことになりますし。だから、そうですね。先輩が僕の出すクイズに正解したら死ぬ気でお母さんを説得しましょうか』

「『クイズ』……?」

 こんなときに何を言ってるんだ、こいつは。まあ、俺が現在、瀕している状況を察しろというのも無理な話ではあるが……。

『はい。去年の末頃、五問クイズを出すと言っておきながら結局、四問しか出していませんでした。その続きです』

 確かに途中で五花のパンツを返しにいく話に戻って五問目はなかった。けれども、それを掘り返す必要はあるのか……?

「いいだろう……ただし、手短なやつを頼む。こっちからかけといて悪いが急いでるんだ」

 あと一人、五花以外に話したい人物がいる。

 すでにあれはへその辺りまで浸食してきており、上半身を捻じることすら不可能であった。だから、早めに。お前にも一時の別れの文句くらいは言いたい。

『いえいえ、非常に手短で簡単なやつですよ。いっちゃんなら脊髄反射で答えられるでしょう』

 それから、彼は一呼吸、二呼吸と間を作って、三呼吸をした直後にとっておきの問題を吐き出した。

『五問目。僕の名前は何でしょう? フルネームで答えてください』

 前置き通りに手短で簡単な問題。それは俺が今まで口にするのを憚ってきたものだ。当然、俺が返す答えは決まっている。

「御来屋蔵之助……妹のことをよろしく頼む」

『はい。任せてください。お義兄さん』

 と、彼が言い切ったと同時に通話は切られた。俺が気恥ずかしさから通話を終了させようと画面をタッチしたのより僅かに早かった気がする。もしや彼も俺と同様の理由を持っていたのかもしれない。

(早くあの男にかけなければ……)

 あの男とは一人しかいない。俺が現在進行形で侵されている病異の研究家――名和聖だ。彼にどうしても尋ねたいことがあるのだ。

 俺は〇九〇から始める十一桁の番号を急いでプッシュする。彼の携帯番号はアドレス帳には登録されていない。暗記しておいて良かった。番号が書かれたレシートは財布の中で、もう手の届かないリュックサックにあるのだから。

「あーもしもし。名和だ」

 コール音、たった一・五回で繋がる。基本的に暇だからいつでも出ることができると言った彼の言葉は本当だった。

「名和さん……淀江です……分かりますか……?」

『ん? ああ、淀江くんか。元気そうにして……はいないようだね。まあ、しょうがない。今日が命日になるはずなんだからね。どうだい? 調子は?』

 いつもの人を小馬鹿にしたような口調は電話越しでもイラッとする。なんでこんなにも呑気なんだ。もう俺には興味ないと言うのか。

「いいわけないじゃないですか……だってもう俺の足先から胸までは幹のように固くなって動けないんですから……」

 だから、質問をする立場なのに責めるような物言いになったのはいたしかたない。けれども、彼はそれに腹を立てたりはせず、代わりに失望した口ぶりで捲し立てた。

『ふむ、君ならもっと濃い葉を見せてくれると思ったんだけどねえ。やはり、駄目だったか。ああ、言っておくけど僕は君を助けることはできないよ。それが目的で電話してきたなら、すぐに切って妹ちゃんにでもかけた方が無難だよ。幾分か後悔しなくて済むだろうね』

 名和が俺を助けることができないのは分かっている。だからこそ、彼は同病異治で異病同治の驚異を同病同治の脅威にするために研究しているのだ。俺はその礎――研究サンプルに過ぎない。

「それに関してはもう諦めています……ただ一つだけ訊きたいことがあるんです……いいですか……?」

 今のこの状態で発声できているのが不思議だった。おそらくあと十秒もしないうちに腕が固まりスマホを下に落とすだろう。

『何だい? 言ってごらん。まあ、分かりきったことには答えないけどね、僕は。いや、君は何も分かりきっていないんだったかな?』

 彼との付き合いは一時間にも満たない。しかし、それが質問に答える気のある意思表示であることは分かった。俺は最期の最後の力を振り絞って喉を蝉のように震わせた。

「俺の部屋に毎朝、落ちていた葉……あれは彼女だったんですよね?」

 それは質問でありながら彼を激しく糾弾する意味合いも兼ねていた。

『なんだ……ちゃんと分かりきっているじゃないか』

 俺にそれをする権利は微塵もないはずなのに。

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