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第四部:5

 正門前での二時間弱にもおよぶ無言挨拶運動の結果は芳しくなく莉菜がそこを通ることはなかった。しかしまあ、途中で学科のやつ何人かに絡まれたのが妙に嬉しかったので、よしとしよう。

 というわけで本命。二コマ終了時刻である正午ジャスト。莉菜が受けていると思われる西洋演劇史入門は文学部棟二階の東端にある小さな教室で行われている。文学部棟に一階と二階を繋ぐ階段は二つある。東階段と西階段。当然のように東階段を見張る必要がある。そこが見える位置に誂えるかのように置かれた二階休憩スペースのソファ。俺はスッと腰を下ろし、瞬きすらろくにせず目を乾かせていた。

(莉菜……来ないな……)

 俺の読みが外れてしまったのだろうか。一応、ツイッターをチェックしてみよう。彼女は授業中に呟くほど不真面目な学生ではないが、授業中以外なら別である。学内の無線LANで通信できるのはありがたい。

(何もツイートされてない……)

 もしや俺の読みは完全に外れていて昼間から男と会っているのではないだろうか。だとしたら、俺は憐れな道化だ。

(おっと……スマホを見てる間に来たか……)

 ツイッターから探るのを諦めて顔を上げると莉菜と彼女から「瑠香ちゃん」と呼ばれていた友達とともに階段を下りようとしていた。どうやら俺の読みは当たっていたらしい。

 さて、この後の行動は決めていなかったわけだが――。

(まあ、つけるしかないよな)

 おそらく昼飯のために学食か生協ショップに行くに違いない。昼なら第二食堂も開いているので、主な選択肢は三つとなる。大学というのは授業間の休憩時間だけ人が大量発生する不思議な場所。さすがにコミケほどとはいかないが、俺が尾行しててもバレない程度の人数は歩いてくれている。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中と言うが、これで目立たなければ、まだ俺が人の範疇に収まっている証だろう。

 悠然と彼女ら二人を追いながらメインストリートを歩く俺。両脇に等間隔に連なる桜の木は風で枝を揺らし、どこか嘲っている気がした。

 そうして、昨日の朝も行った第一食堂へと導かれた。昨日とは格段に違って食堂内は人の波でごった返している。それでも運良く彼女らは向かい合わせで座ることのできる席を見つけたらしく、瑠香ちゃんはすぐさま荷物を置いて確保するのを目的に小走りでそこに向かった。彼女でなく友達になら欲しいくらい活発な子だ。

(でまあ、俺が座るところがないわけだが……)

 別に構わない。入口近くに立ってさえいれば彼女の動向は把握できるのだから。今日は食べ物を胃に入れる気分でないし、混んでいる中で席に座ればいざというときに悪いフットワークが足を引っ張ることになる。出入りが激しい入口。一人くらいずっと突っ立ってたって注目はされないだろう。誰かと待ち合わせしていると思われるくらいだ。

 およそ十分。彼女たちの楽しげな食事風景を眺めていると――。

「お兄ちゃん……さっきからそこで何をやってるの……」

 突如、真横から静かに責めるような声がかけられた。

「五花……」

 四日ぶりに会う妹。彼女の目元を微かに赤く腫れ上がっていた。あの川原で荷物持ちをする約束を反故してしまった情景が頭を過ぎる。彼女はあれから毎日、泣いているのだろうか。どうして……俺はそこまでのことをしたと言うのか。

「別になんだっていいだろ……お前には関係ない」

 けれども、もう謝る気はなかった。なぜなら、俺は莉菜を選んだのだ。それにお前には御来屋という最高の彼氏がいるではないか。

「ふーん、じゃあ、当ててあげよっか。あそこに座っている湖山さんが目的でしょ?」

 五花はらしくなく静かなまま莉菜たちの方を人差し指で指して言う。

「あっ! 馬鹿っ!」

 俺は咄嗟に彼女の腕を下ろしにかかった。そんなことをすれば彼女たちに見つかってしまう。俺はもう面識があるのだ。

「馬鹿はお兄ちゃんの方だよ。こんなのストーカー以外の何物でもないじゃん……気持ち悪い」

 彼女特有の凍てつく冷たい視線。それが俺に向けられる。身体を切られるくらいの痛みを感じた。

「どうしてアパートに戻らず実家から通うなんて真似をしてるんだ」

 自分で言えたことではないが彼氏をこき使ったりなんかして。

「お前は何がしたいんだ。何が望みなんだ」

 切実に教えてほしい。だって、俺はお前より莉菜を選んだが、真に叶えたい願いは俺と莉菜・お前と御来屋の四人で楽しく笑い合うことでしかないのに。

「だから、言ってるでしょ。お兄ちゃんが気持ち悪いからだよ。まったく望みのない恋にうつつを抜かして堕落していく姿がね」

 嘘だ。お前は莉菜との馴れ初め話に耳を傾けてくれたではないか。正直、こいつは俺が失恋するのは割とどうでもいいはずだ。本当は俺がデートをバックれて自分を蔑ろにしたことに腹を立てているのだ。

「その『気持ち悪い』っていうのは一種の違和感――違いから生じるものだろ。一体何が悪いって言うんだ。環境の変化に適応していくには違う個体同士が交じり合って種を残さないといけない。全員が同じ個体だったらそれこそ気持ち悪い。生物が得意なお前ならこれくらい分かっているはずだ」

 けれども、それを口にするのは「お前、俺のこと好きなんだろ」と言うのと同義だ。もし彼女が認めてしまえば俺たち兄妹は元の関係に一生戻れなくなる。可逆が不可逆になってしまう。なので、俺はある意味で観念的な理屈を振りかざした。

「そんなことは今はどうだっていいの。問題はお兄ちゃんがただ気持ち悪いってことだけなんだから」

 要領を得ないやつだ。要するに俺の今している彼女を求める行為は間違っていると言いたいのだろう。ただしそれは過程的にだけ。つまり、結果的に正しいと認めさせれば彼女は俺を糾弾できなくなる。

「じゃあ、約束しろ。俺がもし彼女と付き合うことができたらアパートに戻ってくると」

「は? 何それ? そんなの無理に……」

「いいから約束しろ!」

 俺は声を荒げる。すぐに「しまった」と思ったが、幸い莉菜の耳に届くほどの大きさではなかったようだ。

「分かった……約束するよ。どうせ無理だろうと思うけどね」

「ああ、それでいい」

 それから、彼女は心なしかいつもより小さく感じる背を向けて立ち去った。俺は今すぐにでも彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。

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