第三部:5
というわけでマクドナルドなう。
三が日が終わり、たいていの飲食店は開店しだしたものの、やはり二十四時間年中無休の店舗はありがたい。常に迎えてくれるという安心感が好きなのだ。飲食店ではないコンビニもその例に漏れない。
「でさあ、蔵之助くんなんて言ったと思う? 『僕のパンツは僕のパンツ彼女のパンツは僕のパンツ』だって。あまりにも馬鹿馬鹿しいからビンタの次に彼女のパンチをあげといたよ……って、お兄ちゃん私の話、ちゃんと聞いてる?」
二階の南端にあるボックス席。そこに俺たち二人は対角線上になるよう座っていた。お互いに正面から顔を合わせないことで周りにカップルでないことを如実に示す形である。
「ん……ああ、聞いてる聞いてる……」
そのテーブルの上にはビッグマック、BLTバーガー、シェアポテト、チキンマックナゲット十五ピース入り、コカコーラMサイズ、ストロベリーシェイクMサイズが一つずつ並んでいた。五花曰く「思わぬ収入が入ったからリッチにいこう」とのことらしい。いや、俺は入ってないんだけどな。手に入ったのはむさい男の携帯番号だけだ。
「その生返事は絶対に聞いてないよ! もうスマホで何見てるの!」
「あっ!」
俺がジーと眺めていたスマホが五花にサッとかすめ取られた。
「うわあ……湖山さんのツイッターじゃん……キモっ……」
湖山さんのツイートが並ぶ画面を見た五花はそう吐き捨てる。「気持ち悪い」を言外にしないのは狭量な者の悪い癖だ。
「ちょっ! 返せよ! だいたい、お前が教えてくれたものだろ!」
「そうだけど、フォローもせずに覗き見るような真似をしろとは私、一言も言ってないよ。第一、人と食事してるときにスマホを眺めるなんてマナーがなってないし」
「くっ……」
前者の反論には納得できない。好きな子のツイッターアカウントを第三者に教えてもらって覗く以外に何があると言うんだ。いきなり同じ大学に通う見知らぬ男にフォローされれば湖山さんは恐怖しか感じないはず。俺はそこら辺の女子の機微くらい分かっているつもりである。なのに、女子である五花が分からないのは皆が皆、自分と同じように開けっ広げな性格をしていると思いこんでいるからだ。とんでもない。たいていの女子は異性に対して自分をベールで覆い隠すきらいがある。保身や打算などそれぞれの理由を持っているとしてもだ。少なくとも彼氏がいることを父親や兄に躊躇なく報告はしないだろう。
「まあ……確かに二人で食事してるときにずっとスマホを眺めてるのは良くないよな……大学に入って一人飯に慣れたから忘れてたよ……」
しかし、後者には納得せざるを得ない。どんな家庭で躾けられたんだと周りから思われてしまう。身内の妹が過敏に注意するのも無理ない。
「だから、十分置きのチェックに留める。頼むから、返してくれ」
ここまで俺が湖山さんのツイッターを見るのにこだわるわけ。それは彼女が朝八時に『おはよう』とツイートして以降、一回も呟いていないからだ。一日アベレージ三十回は呟く彼女。五時間も音沙汰なしというのは異常。二度寝をするようなだらしない子でもない。地元で何をしてるのだろう。やはり男と遊んでいるのか。俺はそれを心配してフリック操作を繰り返していたのだ。
「もう……」
神妙な声での熱意がようやく伝わったのか五花は人のスマホをすーうとテーブルの上に滑らせる。それをエアホッケーの円盤を止めるようにして受け取った俺は一先ず、横の席に置いてあるコートのポケットに仕舞うことにした。さすがにここですぐさまスマホを見るなんて愚行はしない。妹に真っ二つに折られるリスクをはらむ。
「はあ……お兄ちゃんさあ……そこまで湖山さんのツイッターを見ててなんでまだ執着できるの?」
ポテトLサイズ二つ分の量があるシェアポテトから細長い一本を引き抜きながら五花は溜息交じりに言う。
「『執着』って……聞こえが悪いなあ」
「じゃあ、就活できるの?」
「いや、できるわ!」
卒業すら危ぶまれてるけど。そもそも生きているかどうかも謎だ。
先ほど名和に伝えた些細な昔話。それはヒト黒星病の考察を深めるに足るものだった。人が樹に成り変わってしまうトリガーは決定的な失恋であった。思い出してほしい。人通りの少ない路地裏に生えた一本の樹のことを。あの路地裏を最後に通ったと証言した者は一体誰だったのか。いや、一体ではなく二体の男女。そして、俺たちのような兄妹でもなかったと思われる。もちろん姉弟でも。ここまで説明すれば俺が何を言いたいかも分かるだろう。というより、これは言わぬが花だ。あの樹には葉すらついていないのだから、せめてもの手向けの花となる。まあ、彼女が本当に欲しかったのはブーケなのだろうが。
「うーん、正直に告白するけど、私は早めに諦めさせるために湖山さんのアカウントを教えてあげたんだよ。お兄ちゃん、馬鹿だけど推察力はあるから気づくと思ったんだけどなあ。心苦しく思った私が馬鹿みたいじゃん」
ナゲット一つを浸しているバーベキューソースのように頬を赤らめながら文句を言う五花。気づく? 何をだ?
「はあ……やっぱり、お兄ちゃんの方が馬鹿だね……愚直の極みと言ってもいい。湖山さんに好きな男がいることは明白でしょ?」
俺が無意識のうちに目を逸らしていたこと。考えたくなかったこと。それを五花はサラッと言ってのける。彼女がストローで飲むストロベリーシェイクは対照的にドロドロしているというのに。
「いや……気づいていなかったわけじゃないよ。理想の男がいつか自分の目の前に現れる――戻ってくるのを心待ちにしているような内容の呟きも散見してたしな……」
そして、その理想は些か具体的だ。まるで実在のモデルが存在するかのような書きぶり。話題の共通点がなくても会話が弾む、苦しいことでも頑張ることができる者。それが彼女の言う理想であった。
「最初は芸能人や小説のキャラなんだろうと自分に言い聞かせたけど、呟きを追うたびにその考えはなくなっていったんだ……」
だから、彼女が男と一緒かもしれないと思ったら憤慨し嫉妬した。誰も首を縦に振る醜い感情。しかし、それだけなら有り触れた普通のものだ。俺が異常なのはこれから先である。
「なあ、五花。失恋って何なんだろうな? さっき名和とも同じ話をしたんだけど」
「いや、男同士でそんな湿っぽい話をしてないでよ……」
五花はBLTバーガーのトマトを除けながら呆れる。あれ? こいつ、トマト嫌いだったっけ? 嫌いなら初めから注文しないはずなのだが。
「そういえば『湿っぽい話』で思い出したんだけど蔵之助くん、たまに『ウィットに富んだ』を『ウェットに富んだ』と言うんだよねえ。あれって、教えてあげた方がいいのかなあ?」
「ほう、奇遇だな。俺も似たようなことをあいつに思ったことがある」
聡明そうな顔をしてても英語だけは苦手らしい御来屋。カードゲームで全国大会編が終わっても世界大会編で苦労するに違いない。漫画の世界ならなぜか言語の壁がないからいいんだろうけど、ここは現実だ。
「で、失恋ねえ。私は好きな人と一緒に幸せになる道が閉ざされることだと思うけど。告白してフラれたり死別とか。あとは自分は相手に相応しくない、相手には他にいい人がいると思って身を引くときとかね」
ひょいっと除けたトマトを口に放りながら彼氏持ちの妹は自分の考えを示す。どうやらトマト単体で食べたかった様子。変わったやつだ。
「ああ、俺もそう思っていた。好きな子に告白してフラれたり、好きな子が死んだり、好きな子に他に好きな男ができたら諦めないといけないんだって。知っての通り、俺は二年前のイブに失恋してるしな」
あのとき、すでに俺は病異に見定められ見出され認められてしまったのだろう。長い潜伏期間。その発症を抑えたのは妹の存在であった。
「うん、棒立ちになってるお兄ちゃんの背中を私が蹴ったんだよね」
そうやって五花は妹でありながら姉のように俺を励ましてくれた。ああ、断言してやるよ。俺はとてつもないシスコンだ。大好きな妹がいるから他の女子を好きにならず、停滞を繰り返していた情けない兄である。
「なのに、やっとまた好きな人ができたと思ったら、望みがない子なんだもん。もう呆れちゃったよ。ねえ、聞きたいんだけど、湖山さんのどこを好きになったの? 確かに可愛い子だけどルックス以外にも何かあるでしょ?」
でも、現に毒のような呪いは俺を恋に落としてくれた。なぜ今まで他の女子を好きにならなかった俺が湖山さんにだけ恋をしてしまったのか。妹に依存することで失恋の前提となる恋から逃げてたはずなのに。答えは至って明瞭。それはもう妹に依存できないと思ってしまったからだ。いや、やめよう。この物言いだと病異に侵された責任を他の者に転嫁してしまうことになる。
「いや、ルックス以外に何もないよ。可愛いから好きになった。それだけ。男なんてだいたいそんなもんさ」
そう、別に可愛ければ湖山さんじゃなくても良かった。彼を認めて以降、最初に現れた好みの容姿を持った女子――それが湖山さんであっただけに過ぎない。
「まあ、演劇会場で居眠りしたときに見た夢のせいでもあるかもしれないけど」
「『夢』? それはどんなの?」
今度はポテトを五本ほど頬張りながら五花は尋ねる。さりげなく三角食べしてるのがすごいよな。
「お前、『パン屋再襲撃』って小説を読んだことあるか?」
「ええと、有名な作家さんの結構初期の作品だっけ? うん、読んだことあるよ。でも、それが夢とどう関係あるって言うの?」
当たり前のように既読だと告げる五花。おそらく自発的に読んだのだろう。俺みたいに読書感想文のためだけでなく。
「じゃあ、話は早いな。俺は居眠りしたときにそのストーリーに即した夢を見たんだ。いやまあ、襲撃するのはマックでなくミスドだったんだけどな」
演劇会場でカレーパンをもらってしまったのがその起因だろう。
「へえ、そうなんだ。ところで、お兄ちゃん。関東にはマクドナルドをマックと略さない人を見下す風潮があるらしいけど、なんでその人たちはミスタードーナツをミッスと略さないのかな?」
「いや、知らねえよ。過ちっぽいからじゃねえか?」
テキトーに流そうとする。今は最高潮に重要な場面なのだ。ウィットに富んだ話はいいだろ。流してウェットにしてやりたい。
「でもまあ、『ミッス!』と言われると挨拶されてる気分になるよな」
しかし、ネタを蔑ろにできないのが俺の悲しい性であった。
「いいね。『ミッス! オラ、悟空!』って感じで」
「いや、待て。『マック! オラ、悟空!』にすると途端に情報化社会の人っぽくなるぞ。絶対に農作業とか修行はしない。動画しか観てない」
シリアスそっちのけで馬鹿馬鹿しい会話が繰り広げる俺たち。妹への依存をやめて譲り渡しても、たまに漫才の相方として借りるくらいはいいじゃないか。
「よし、話を戻すけど『パン屋再襲撃』の主人公が昔、パン屋の主人にワグナーの序曲を聴かされたというのは覚えているか?」
「もちろん。主人公はワグナーを聴くだけでパンをもらったことを呪いと称したんだよね」
こういうところでは記憶力を発揮する妹である。
「俺はあのイブの夜、腹が減っていたという理由で菓子パンとジュースがもらえる演劇をまんまと観に行ったんだ。そして、居眠りをしてあの夢を見た。だから、俺にとってのワグナーは演劇であると解釈したんだが、ここまでで何かおかしい点はあるか?」
理路整然としない夢を絡めた話なので一旦整理するために質問タイムを挟むことにした。
「うーん、お兄ちゃんが見た夢に難癖つけたいわけじゃないけど、その演劇は『ハムレット』だったんだよね? まだ『ロミオとジュリエット』なら辻褄が合って良かったのに」
「ん? どういうことだ?」
なんで『ハムレット』が駄目で『ロミオとジュリエット』ならOKなんだ? 辻褄が合う?
「と言っても、私の記憶違いの可能性があるから、ちょっと待ってて。スマホで調べるから。お兄ちゃんも今ならスマホを見ていいよ」
「はあ……」
よく分からないが許可が下りた。まだ十分経っていないのに。
というわけで、お言葉に甘えて湖山さんのツイッターアカウントにアクセスする。しかし、彼女は何も呟いていなかった。本当にどこで何をしているのだろうか。思えばあの演劇以来、彼女の姿を見ていない。まだとてもじゃないが初対面で話せる自信のない俺。けれども、遠目で姿くらいは見たかった。
「あった。やっぱり、そうそう。ワグナーさんは管弦楽曲でロミジュリを作ってるよ。草稿のみなんだけどね」
俺がそう湖山さんのことを思ってると五花はすっきりしたかのように捲し立てた。求めていた情報はウィキペディアに記されていたらしい。
「つまり、お前は『ハムレット』じゃなく『ロミオとジュリエット』のときにワグナーの夢を見れば関連性があってある種の神秘的だったとでも言いたいのか?」
「うん、まあ、そういうことかな」
だが、『ロミオとジュリエット』は二、三か月前の学園祭で発表されたものだ。もう観ることは叶わないだろう。そして、夢のワグナーも同じ。
「でも、さっきも言ったように夢に難癖をつけたいわけじゃないから気にしないで。ただの意味のない戯言。で、お兄ちゃんはそのワグナーである演劇を観に行くことで呪いをかけられたはずなんだけど、それは何になると解釈したの?」
「だから、それが湖山さんへの恋になるわけだ。ルックス以外で彼女を好きになった理由は夢という神秘性を内包しているのかもしれない」
そして、その呪いである恋は病異をも進行させる。呪いは呪われ俺を蝕んでいく。しかし、病異には延命治療が有効であることが分かった。病異と上手い具合に付き合って生きていくことは可能。すなわち、前述したように決定的な失恋さえしなければ樹にならなくて済むのだ。
「じゃあ、お兄ちゃんのその呪いはどうやったら解けるの? お兄ちゃんはどうやったら失恋するの?」
ナゲットに辛いマスタードソースをつけながら五花は疑問を投げかける。失恋はマスタードソースの比じゃないほど辛いはずだ。
「さあな、それは分からない。だって、俺はたとえ彼女に告白してフラれても、彼女が死んでも、彼女に他に好きな男がいたとしても恋心をなくすことはないんだからな」
これが俺の異常。失恋するタイミングが分からない。不明瞭。決定的でない。だから、俺が樹に成り変わってしまうことはありえないのだ。彼女を好きになり変わってしまうことはあったとしても――。
「いや、それは違うよ」
けれども、五花はストロベリーシェイクをストローで一気に音を立てながら飲み干した後、居住まいを正して否定した。
「なぜなら、襲撃したパン屋で聴かされたワグナーがお兄ちゃんにとっての演劇なら、きっと呪いを解くマクドナルドもあるはずなんだから」




