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第三部:3

「そこの君たち、もし良かったらタバコを僕に買ってきてくれないかな? さっき切らしちゃって」

 これから歳で衰退へと向かう男性特有のしわがれた声。それが書店から出てきた俺たち兄妹に突如かけられた。

「名和さん……」

 書店入口前に佇むのは浅黒い肌の上に無精髭を生やす壮年の男――名和聖であった。そこまで親しくない者と話すときの常套手段のようにタバコを乞う男に会うのは去年のクリスマスイブ以来で二回目。彼はあのときと同じように茶色いシワだらけのソフトスーツに身を包んでいる。

「何だい? 淀江くん? 僕をジロジロなんか見て。君だってあのときと同じように黄色いシャツを着て紺色の短パンを穿いてるじゃないか」

「ビジュアル化されてないからって人の外見を好き勝手にいじらないでくださいよ!」

 こんな真冬に短パンなんて穿いていない。外から目に見えるのは黒で統一されたコートとジーンズだけだ。五花はダサいと言うが、少なくとも季節感の合っていないのび太くんファッションよりは断然マシだ。

「『ビジュアル化』? 何の話だい? 僕は軽い冗談のつもりで言ったんだけど。若者の言葉は難しいねえ」

 しかし、どうやら名和は真面目に冗談を言っていたようだった。

「お兄ちゃん。この人は誰なの? 知り合いなら、紹介してよ」

 自分が蚊帳の外になっている感が気に喰わないのか五花は俺のコートの袖を引っ張って、壮年の男の紹介を求める。どうしたものかなあ。正直、全国の妹持ち(マイホ)兄貴(ルダー)に妹に紹介したくない男を投票してもらえば確実に上位にランクインするようなやつ。ずうずうしく一回り、下手したら二回り年下の若者にタバコを買いに行かせようとする時点で怪しい。

「誰ってそうだなあ……ええと、上手く例えるなら昔、助けた亀みたいなものですかね? 名和さん?」

 昔と言っても二週間経ってないけど。俺と名和の関係性は希薄で即興で表すなら失礼なものとなる。

「ふむ、そうだね。しかし、君が浦島太郎というのはいただけないなあ。どちらかと言えば桃太郎じゃないか。樹になるといった点でね」

「えっ!? 気になるって何!? もしかしてお兄ちゃんはこの名和さんとそういう関係だったりするの!?」

「なわけあるか!」

「いたっ!」

 鼻息を荒くする妹の頭をパンとはたいてやる。俺はノンケだ。さらに言えば異性は湖山さんしか興味ない。

 でも、なんで名和は俺を桃太郎と称したのだろうか? いじめから助けられた亀よりきびだんごをもらった犬、猿、雉の方が例えとして正確だと言いたいのか? どちらにせよ、こいつは恩返ししそうにない。

「仲が良い兄妹で微笑ましいねえ。そんな君たちを裂くようで悪いが、どちらかに……いや、妹ちゃんにタバコを買ってきてほしい。淀江くんとは積もる話もあるしね。種類は吸えれば何でもいい。お釣りは妹ちゃんにくれてやろう」

 そう低く見定めていた瞬間、彼は「誤解するな」と言うようにブランドものの長財布から一万円札を一枚取り出した。マジか。

「えっえっ!? そんな悪いですよ!? こんな大きなお金!?」

 狼狽しながらもしっかり受け取っているのが五花らしい。本当に現金な女子。お袋から毎月何円もらって俺を起こしにきてるのだろうか?

「いいさいいさ。僕は万札しか持ち歩かない主義でね。細かいものは邪魔なんだ」

 一方、名和は器が大きいのか小さいのか判断しかねる口ぶりをする。タバコを一箱買うだけなのに報酬がでかすぎるだろ。ローリスクハイリターン。でも、五花にとっては少し違うかもしれない。

「あっ、でも、お前はまだ二十歳じゃないだろ? 年齢確認証の提示を求められたら買えない」

「うーん、そういえばそうだったね。失念してたよ。じゃあ、お兄ちゃん、保険証を貸して。お兄ちゃんの名前女子みたいだから、性別のところを指で隠して提示すればいけるでしょ?」

 うわっ!? この妹、平気な顔で身分詐称するつもりだ!?

「まあ、いいけどよお……」

 その犯罪に加担する俺も俺である。仕方なく俺が買いに行くことになれば、名和と五花を二人きりにすることになる。

「すまないね、君たち。確かここから一番近いコンビニは歩いて十分はかかったか。妹ちゃんにはご足労かけるし、淀江くんには僕の話を聞いてもらうことになるだろう。よろしく頼むよ」

 たいして悪びれる様子のない名和。てか、五花。「自分でコンビニに買いに行けばいいじゃないですか」とツッコまないのな。金の力とはすごい。

「分かりました。でしたら、二十分ほどで戻ってきます。その間、お兄ちゃんを好きにして構いませんからね」

 そうして、五花はお見合いの席で「後は若い二人に任せて」と言う世話焼きおばさんのような感じでその場を去った。残されるのは大して若くない名和聖と俺だけ。

 ワンテンポの沈黙。それを飄々とした感じで破ったのは彼だった。

「さて、ようやく二人きりになれたね。いやいや、別に君の処女や童貞を奪うつもりはない。安心していいよ」

「そういうサブカル方面に結構明るいんですね。意外です」

 普通なら男の処女を奪うなんて表現は使わない。発想すらしない。

「君の妹ちゃんに合わせてみただけさ。それにBLはもうメインカルチャーだと僕は思うねえ。そこの書店にも専用コーナーがあるくらいだ」

 いや……あれは一種の隔離だと思うのだが……。

「そもそも君には異性の意中の相手がいるんじゃないのかい? 僕は初めて君に会ったとき、誰かに恋したばかりだろうと思ったよ」

 それも狂おしいほどにね――と添えて彼は言った。

「はあ……どうしてそんなことが分かったのか聞いても多分、答えてくれないんでしょうね……」

 如何せん反応に困ることを言われたので、とりあえず俺は疑問を投げかけて会話を繋ぐことにした。

「ああ。よく分かっているじゃないか。どうにも分かりきったことに答えるのは無駄と考えてしまう性質のようでね」

 分かっていたが、分かりきっていたが相変わらずムカつく。まあ、あのとき俺は今にもスキップしそうになるほどルンルン気分だったのだから察することもできたのだろう。そうに違いない。

「で、俺に何の話があるんですか?」

 さすがにこれくらいは答えてもらわなければ。もし答えないならコミュニケーション不全でしかない。社会不適合者だ。

「去年、君と出会った町――唐王市の路地裏に生えた落葉樹のことはもちろん知っているね? 当然だ。新聞や週刊誌、ニュースで騒がれているのだから。もっとも今日からは行方不明事件の方がうるさくなりそうだけどね。こっちもすでに知っているかな?」

「ええまあ、知ってますが……今朝のニュースで見ました」

 名和の示す行方不明事件は本日、県警による公開捜査が開始された女子専門学生のものに他ならない。それとあの不可解な樹。なぜこの二つを俺が知っているか否かを気になっているのだろうか?

「では、次の質問。君はこの二つが実は関連したものであることに気づいているかな?」

「えっ……?」

 いきなり突拍子もないことを聞かされ戸惑う俺。路地裏に突然生えた樹と行方不明事件が関連している? そんな馬鹿な。

「いやいや、そこまで驚くことかい? 全ての事象が作用し合ってこの世は形作られていると言っても過言ではないじゃないか。ブラジルにおける蝶の羽ばたきが日本で台風を起こすようにね」

 それはただの机上の空論だ。俺は頷くことはできない。猿がいくらタイプしたところでシェイクスピアの作品は完成しないし、テセウスの船はもはや別の船なのである。蝶の羽ばたき一つで気候が変わるわけない。

「しかしまあ、そんな大きな括りで関連してない。もっと小さな唐王市内だけで起こった話だ。どうだろう? 少し考えてみてごらん?」

 名和は俺に思考を促す。仕方ない。不本意だが考えてやろう。彼の鼻にかけるような口ぶりも気に入らないところだ。

「ふむ……」

 路地裏に生えた樹が発見されたのは十二月二十五日の午前七時十五分頃。行方不明になっている専門学生、末恒美咲さんが最後に確認されたのは十二月二十四日の午後八時二十四分のこと。その差は半日もない。

「……じゃあ、あくまで例えばの話ですよ。行方不明になっている専門学生、末恒美咲さんが謎の非営利環境保護団体「ツリーシェパード」の暗躍活動である植樹を目撃してしまい、口封じのために消されたとかはどうですか?」

 自然環境のためなら手段を選ばないエコテロリストの仕業という考え。ちなみに「ツリーシェパード」という名前は俺が適当に決めたもの。全世界ありとあらゆるところに植樹するのを目的とするはた迷惑な自称環境保護団体だ。

「君は面白い解釈をするねえ。僕が書く小説で使いたいくらいだよ」

「ええと、なんで犯行方法を暴かれた犯人が小説家だったみたいな感じになってるんですか……?」

 ベタすぎるし、あんたが犯人なわけじゃないだろ。それに、おそらく小説家でもないはずだ。

「そういう第三者の介入を考慮に入れる必要はない。一人の女子が消えて一本の樹が生えた。結論は一つしかないと思うけどねえ」

 俺が考えても結論に至らなかったことにほんの僅かな憤りを見せる名和。

 いや、その物言いだと都市伝説、街談巷説、道聴塗説を認めてしまうことになるじゃないか。それは自己または世界を変えることと同意だ。

「淀江くん。本当は薄々、気づいているんじゃないのかい? たとえ自覚がなくともだ」

 糾弾のような追及をされる。そんなはずはない。確かに今朝、行方不明のニュースを見たとき、俺はあの不可解な樹を頭に浮かべた。しかし、それは『事件』という単語から連想されたものであり、決して『現象』としては見ていなかった。

「はっきり言おう。行方不明になっている専門学生、末恒美咲さんは樹に成り変わってしまった。気になり変わってしまった。僕たちが言うところの病異に侵されてしまってね」

「『びょうい』……? 何ですか、それは?」

 聞き慣れない言葉が耳を貫く。一体どういう漢字を当てるのだろうか。

「病異とは『異なる病』と書く。同病異治で胃病同治の驚異。通常、人にはかからない病が異形となって現れてしまう異常のことだよ」

「はあ……」

 名和の捲し立てるものの半分すら俺は理解できない。名和の説明能力が低いのか。俺の読解力が低いのか。

「僕はね、初めてこの現象に遭遇したとき、とても人を磔にするのに適した樹だと思ったんだよ。淀江くんは実際にあの樹を見たかい? ニュースとかそういうのじゃなくて」

 さらに名和は続けていく。独壇場と言ってもいいほどに。

「いえ、見てませんね……野次馬みたいで嫌じゃないですか」

 多少なりとも興味があったように聞こえるかもしれないが、ニュアンスは少し違う。俺は不気味なあれに近づきたくなかったのだ。

「一度くらい見ておけば良かったとも思うんですけど……いや、こんな不思議な機会って滅多にないですしね……」

 けれども、今となっては真逆の好感のような感情が芽生えている。これが今朝、ニュースを見た後に引っかかっていたことである。

「そうかい。まあ、残念ながらあの樹は今日の午後、切り落とされるらしいけどね」

「えっ……そうなんですか……? 一月上旬とは聞いてましたが……」

 なぜだろう? まるで肉親を看取りに行くよう背中を押された気分になってしまう。でも、今は五花とデート中。「樹の最期を見るために唐王に行きたい」なんて口にすれば精神病院に連行されるだけだ。樹は病院で死ぬのではない。

「じゃあ、仮にですよ……あの樹が末恒美咲さんそのものだとして、切断されたらどうなるんですか……?」

 自然と俺の口は開閉する。イブのときのように副流煙を気にする必要はない。ああ、自分は馬鹿なのか。答えは一つに決まっている。この男にだけは分かりきったことを聞いてはいけないのに。

「そりゃあ、死ぬさ。いや、正確にはもう人として死んでいる。樹に成り変わってしまった時点で人ではなくなるのだからね。それがこの病異ヒト黒星病の特徴とも言える」

 しかし、名和はいつもの主義を主張しない。分かりきったことにあえて答えることで強調しているようでもあった。

「『ヒト黒星病』……」

 彼は通常、人にはかからない病が異形となって現れてしまう異常を病異と称した。黒星病は果実や葉に黒い斑点が生じる植物の病害だ。それに人である末恒美咲さんはかかってしまった。ここまで話をされれば名和が伝えたいこと――自分の身に何が降りかかっているかも分かる。

「さて、淀江くん。一番重要な質問をしよう。今現在、君の周りで不可思議な現象が起こっていないかい? 例えば起床したときに葉が一枚落ちているとかね」

「っ!?」

 なぜ……なぜこの男はそこまで知っているんだ……!?

「図星かい?」

 名和は嘲うようにニヤニヤしながら俺を見据えている。

「それもヒト黒星病の特徴だ。葉が常磐色だと初期症状。葉が漆黒だと末期症状になる。さらにこの葉には興味深い点がある。そうだな、すまないが、あそこの影ができている場所に移動してくれるかい?」

 彼は書店北側の人気がない駐車場を指す。人差し指の爪は深爪で実にこいつらしくないと思った。

「えっ……まあ、いいですけど……」

 葉の興味深い点を挙げるのに、なぜ影の下へ移動しなければならないのか分からなかったが何か意図があるに違いない。俺たちはゆっくりとそこへ向かった。

「これを見てほしい」

 名和はいつの間にか出していた黒いビニール袋に右手を突っ込みガサゴソとしだした。そして、掴み取られたのは一枚の常磐色の葉だった。

「ん……俺が毎朝見る葉と同じもののようですが……少し手に取ってみてもいいですか?」

「ああ。もちろん」

 そのために持ってきたんだからね――と名和は思わせぶりな言葉を吐く。それを怪訝に思いながら俺はレジュメを渡されるようにして葉を手中に収めた。そして、表と裏をそれぞれ凝視した。まあ、葉のどちらが表で裏かなんて明確に区別つかないんだけど。五花ならスパッと教えてくれるんだろうなあ。

「黒点は表に一つだけか……」

 一つ――すなわち、去年の十二月二十五日に捨てた葉についていたと思われる数である。

「多分、聞いても教えてくれないでしょうけど、なんであなたがこれを持っているんですか?」

 もし今、手にしている葉が捨てたものと同じ個体だとしたらこの男は俺の部屋のベランダから風で飛んだそれを回収したことになる。ん? いや、待てよ。あるいは別の個体だとしたら……。

「いいや、答えてあげよう。何たって事態が事態だからね。今日の僕はサービス精神旺盛だ。その葉はね、亡くなった末恒美咲のものなんだよ。もしくは彼女自身と言ってもいいかもしれない」

 やはり、そうか。同個体ではなく別個体。行方不明ではなく亡くなった末恒美咲さんのもの。俺は病異なんて突拍子もない概念を認めたわけではない。けれども、末恒美咲さんが亡くなったとすぐに断定してしまうことに不思議と違和感はなかった。失踪した者を法律上で殺すだけでも七年はかかるというのに。

「ってことは、あなたは不法侵入をしたってことですよね?」

 可愛らしい女子専門学生の部屋を無断で家宅捜索。彼がどういう立場の人間かは知らないが検察官や警察官でもない気がする。

「『不法侵入』? いやいや、聞き捨てならないなあ。僕はたまたま落ちていた葉を拾っただけに過ぎないよ。実った果実に所有権を求める者はいても葉ごときにはいないと思うけどねえ」

 下手な具合にはぐらかされてしまう。まあ、いい。怪しいことに変わりはないのだから。

「さて、十分に観察できたかい? じゃあ、その葉を僕の元に返してもらおうか。末恒美咲さんのものであって君のものではないはずだろ?」

「そうですね……分かりました」

 お前のものでもないだろ。そう揚げ足を取りたかったが面倒なので了承する。泥棒から物品を奪う者は義賊でも泥棒。法の下に平等である。

 俺は再度、名和と葉の受け渡しをする。ポツンと片側だけについた黒点は日本人女性の黒曜石のような瞳を彷彿とさせた。

「ふむ、確かに。では、淀江くん。今度はあそこの光と影の境界線付近に行くからついてきてくれるかい?」

 そして、名和は書店の影になっていない日が照っている場所を示した。

「『光と影の境界線』って……」

 何というかライトノベルのタイトルっぽい。

「『光と影のコントラスト』と言った方がいいかい?」

「いや、脈絡に合った表現じゃないですよ……」

 コントラスト――明暗比。それは芸術家っぽいが、この男は芸術家でもないはずだ。

「とにかく、ついてきてくれ。あの妹ちゃんが戻ってくる前にね」

 五花が戻ってきたら都合が悪いことでもあるのだろうか? 若干、警戒してしまう。別に人通りの少ない路地裏につれて行かれるわけではないので何もないだろうが。やはり、何か意図があるに違いない。

 俺たちはまたゆっくりと向かった。

「さっき君が入念に観察したこの葉。これを太陽の光にかざすとこうなる」

 それから、常磐色の葉は光と影の境界線をまたいだ。

「なっ……!?」

 霧散。

 霧のようにあとかたもなく散っていく。それがなんと名和の掴んでいる葉に起こったのだ。

「これがこの葉の興味深い点一つ目だ。太陽の光に当たると霧散して消えてしまうという」

 言った直後。彼は葉を影の下へ引っこめた。半分ほど欠けたそれはなぜだか背徳的だった。

「二つ目。君ならもう気づいているだろうけど、毎朝見つける葉の黒点の数。それは幾何級数的に増えていっている。多分、今日は一〇二四個だったんじゃないのかい?」

 彼は目を見開いたままの俺を見透かしたような目で問う。乾燥した冬。しかし、ドライアイを気にする余裕なんて自分にはなかった。

「これも図星かい? まあ、表に五一二個。裏に五一二個もほくろのような点がついていたら、とても数えることはできないだろうけどね。黒く黒く重なって互いを塗り潰している」

「じゃあ、明日は二〇四八個ですね……その次の日は四〇九六個……次の次の日は八一九二個……で、最終的にはどうなるんですか……?」

 最終的には――俺がどの段階で樹に成り変わってしまうと言うのか。そういった意図を酌んだ聞かざるを得ない質問。でも、彼に答えてほしくなかった。残酷な虚実のような真実に耳を傾けたくなかった。

「それは三つ目の興味深い点に関わってくる。僕の手にないのが口惜しいのだけれど、一六三八四個――つまり、君が四日後の一月八日に手に入れるだろう漆黒の葉は太陽の光に当たっても霧散しないらしい。そして、それよりも濃い葉は今のところ確認されていない。ここまで言えばどういうことか分かるね? 僕は分かりきったことには答えないよ」

 名和のそのスタンスは相手に自ら納得させるためのものかもしれない。ある種の交渉術。九割を説明してあとの一割は相手に考えさせる。そう仕向けられることで出た答えに相手は共感を得てしまうのだ。

「それは……今からどうにかならないんですか……? 薬でも手術でも病異を治す方法は見つかってないんですか……?」

 震え声で男に尋ねる。おそらく命日になるだろう一月八日。それまでに何か打つ手はないのか。俺はまだ何も成し遂げていない。湖山さんと海に行っていない。湖山さんとデートしていない。湖山さんと手を繋いでいない。湖山さんと付き合うことはおろか話したことすらない。ここで死んでたまるものか。

「治る可能性はある。でも、期待しない方がいい。病異は同病異治で異病同治の驚異。治る方法は確立されていないんだ。治るときも自然治癒にしか見えないしねえ……」

 名和は俺にぬか喜びさせないよう補足して言うが、治る見込みがゼロでないのなら光明だ。

「ええと、その『どうびょういち』『いびょうどうち』ってどういう意味なんですか?」

 一般常識の言葉ではないはず。別に自分が常識ある人間であると過信しているわけではないが、これに関して言えばそんな気がする。

「元は漢方治療の特徴を示すときの表現だね。同じ診断名の病気でも人によって違う薬が処方されること、異なった診断名に対して同じ薬が処方されることをそれぞれ言うものだよ」

 ん? どこかで聞き覚えがある。確か御来屋が去年の末頃に出してきたクイズだったか。その第四問目だ。

「そうですか……じゃあ、この病異にかかってしまう原因は何なんですか? 日頃の不摂生、遺伝、感染とか色々あるでしょう?」

 次に俺はこの病異――ヒト黒星病に侵される原因について尋ねた。

 日頃の不摂生は頷ける。五花がいなければ好きなときに寝て好きなときに起きる俺。食事もコンビニや学食のカロリーが高いもので済ますことが多い。遺伝は頷けない。なぜなら両親はともに健在だし隔世遺伝にしたって、うちの家系で不自然な行方不明になった者など聞いたことがないからだ。感染は頷ける。その病異にかかった者の側に行くだけでいい。もしかしたら俺は行方不明になった末恒美咲さんと街ですれ違ったことくらいあるのかもしれない。

「さあねえ。それは僕には分からない。分かりきっていない。ただ分かっているのは、独りよがりな恋愛感情がヒト黒星病を進行させるということだ。まあ、原因というよりは過程だね。結果は君が察している通りだとして」

「『独りよがりな恋愛感情』……どういうことですか? 俺には関係ないじゃないですか?」

 俺は湖山さんに恋をしている。でも、それは独りよがりでは決してない。だって、俺は湖山さんが気に入る男になるよう努力をしているじゃないか。今度、床屋に行くつもりだし、初対面でも会話が弾むようミステリーを読み始めた。そして、彼女のツイートを毎日、見ることで彼女を理解している。

「ふむ、君も彼女と同じことを言うんだねえ……分かった分かった。君に関しては独りよがりじゃないよ。例外は得てして多いものだからね」

 彼は何やら言葉を濁して言う。彼女とは末恒美咲さんのことだろうか? 生前の女子専門学生と面識があるというのか、この男は。

「けれども、恋愛感情がヒト黒星病の進行に関与しているのは間違いない。そして、おそらく原因もそこから見出せるはずだ。だから、淀江くん。本当に何でもいい。恋愛や樹に関する君のエピソードを僕に教えてくれるかい? 好きな子に力自慢をするために樹を切り倒したとかそういう些細なレベルでいいから」

「それは些か些細じゃないですよ……」

 そんなアクティブな青春を俺は送っていない。それに俺が恋をしたのは湖山さんを含めて二人だけ……だ?

「あっ……」

 そうして、俺はあることに思い当たった。だが、それはこんな怪しい男に安々と開示できるものでない。自分の異常な欠陥を剥き出しに晒すものだからだ。

「ん? 何か思い出したかい? だったら、僕に教えてくれ。大丈夫。君がどんな的外れなことを言っても僕は失笑しないから。安心して安々といこうじゃないか。それが治す方法を見つけるきっかけになるかもしれない」

 でも、俺はこのヒト黒星病をどうにかしたい。名和は恋愛感情がヒト黒星病を進行させると言った。つまり、治すことはできなくても進行を遅らせることはできるのではないだろうか。もちろん、湖山さんへの恋心を捨てる以外で。もし湖山さんと幸せになる道を諦めれば樹にならずに済むと言われても俺はやめない。いや、元より恋はやめようと思ってやめることができるものでない。俺の恋は外連味ではないのだ。

「……いいですよ。でも、一つ交換条件があります」

 だから、せもてもの意趣返しのつもりでそう口にした。

「『交換条件』? 何だい、それは? 聞くだけ聞いてあげよう」

 対して名和は軽薄な表情をしながら返す。俺はそれを忌まわしく思いながら焦点となる条件を提示する。

「名和さん。あなたは何者なんですか? なんで病異について嗅ぎ回っているんですか? それを正直に答えてください。言っておきますが俺は何も分かりきっていないですよ」

 いつもの主義を表す口癖で逃げられないよう釘を刺す。機先を制す。今まで疑問にしていたこと。それを明らかにしておきたかった。

「ほう……」

 そして、名和は表情を軽薄から感心へと変貌させた。それから彼の口はおもむろに開閉運動を始めた。

「いいだろう。答えよう。僕はね、同病異治で異病同治の驚異である病異を同病同治の脅威にするために研究する者なんだよ」

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