第二部:4
午後六時二十分帰宅。
何件か古本屋を巡って湖山さんが特に絶賛していた『イニシエーション・ラブ』『十角館の殺人』『殺戮にいたる病』の文庫版を三冊とも百五円で手に入れることに成功した。ライトノベル以外の本を買うのは久しぶり。もしかしたら初めてかもしれない。そもそもライトノベルと一般小説の定義というのも曖昧な気がするので何とも言えない。
電源を点けたこたつの上にそれらの本が入った黒いビニール袋と夕飯として買ったコンビニ弁当を置く。唐揚げ、白米、漬け物だけが詰められて三百九十八円也。スーパーでならこの値段でもう少しいいものが買えるだろうが、あそこの値引き惣菜を狙って目を光らせる主婦の混み具合は好きではない。レジも混むし何よりさもしい人間は見てて美しくない。……まあ、古本を頑張って百五円で購入した俺が言うのもあれなんだけど。ネットさえあれば様々な情報を安易に得ることのできる現代社会を生きているとそれにいちいち金を払うのが馬鹿馬鹿しくなってくるのだと一応、言い訳をしておく。あっ、もちろん違法ダウンロードとかは駄目だ。あくまで合法の上でネットは利用しなければならない。
(さて、湖山さんのツイッターをチェックするか)
なので、これも合法行為。
誰にでも見れるよう公開されているものだ。何も問題ない。もし何か問題があるならフォロワーにだけツイートを公開する非公開機能を使っているはずである。
コートをハンガーにかけ、こたつで寝転びながらスマホを見る。
『バイト終了なう。これからかえるー』
ああ、可愛い。これが四十九分前に呟かれた最新ツイートである。
それに対して『おつかれー』と反応をしているアカウントがあるので調べてみると女子の友達だと察することができた。
アイコンにはカフェで頼んだようなモンブランとミルクティーを撮った写真が使用されており、顔文字を用いたツイートも多く見られた。こういうのは帰納的に女子。演繹的には女子だから可愛らしいものを好むのだ。
この仮初めの理論武装をして湖山さんの五十一人のフォロワーを順に検証していく。結果、女子とコンピュータによる自動発言システムbotだけでほぼ構成されていることが分かった。「ほぼ」というのは二、三人ほど断定しにくいものがあったからだ。男性アイドルグループのファンとプロフィールに書いておきながらも妙に鉄道に詳しい者、高等専門学校に通いながらもチアダンスが好きな者などは判別しにくい。要するに偏見が邪魔しているのである。それに最近はネットでだけ一人称として「俺」や「僕」を用いる女子が多いとも聞くし。
(まあ、そこまで頻繁にやり取りしてるわけじゃないし放っておくか)
月に一回、意思疎通が図られればいい方。俺の恋路にさほど影響はない。他の男を蹴落とすことだけに勢を出すのは愚行。そんなことをするくらいなら湖山さんに気に入られるよう自分を高めていくべきである。
いかにも大学生らしい夕食を済ませ、俺は今日購入した三冊の中で一番取っつき易そうなタイトル『イニシエーション・ラブ』の最初のページをめくった。
湖山さんが称するにこれは「恋愛小説に見せかけたミステリー」らしい。なるほど。表紙と冒頭文はいかにも恋愛小説っぽいが裏表紙に書かれたあらすじもとい紹介文は何かトリックが仕掛けられていることを匂わせているものである。面白い。この俺が受けて立とう。
それから幾ばくかの時――具体的には二時間半ほどの時間が過ぎ……。
(やられた!)
最後の二行を読んだ途端、小説世界がガラリと変わる。巻末に添えられた解説も「あれはこういう伏線だったのか」と驚きを肉付けしていった。所謂、これは叙述トリックである。文章上の仕掛けによって読者にミスリードを誘う手法。しかし、騙されても不思議と悔しさはなくむしろ爽快感すらあった。
(こんな面白いものがこの世にあるとは……)
しばし、余韻に浸る俺。
けれども、こういうときに限りあいつは邪魔してくるのだ。
「お兄ちゃん! 洗い物チェックしに来たよ!」
ドンドンと外からけたたましくドアを叩きながら五花は声を上げる。インターホンという文明の利器の存在を忘れてしまったのか。
「はいはい。今、出るよ」
こたつから這い出た俺は咄嗟に今日買った本をベッドの下へ押し隠す。なんか白い布のようなものも一緒に奥に追いやってしまった気がするが気にしない。ラノベ以外の本を読んでいることを妹に知られるのが気恥ずかしいのである。「妹」をタイトルに冠したラノベはカバー無しで見せつけながら読むことができるのに。
「早くして!」
居室からキッチンに出ると断続的に揺れるドアが目につく。せっかちなやつだ。そんな急ぐことでもあるまいに。俺はぶつくさと外と内を隔てる境界へと向かった。
「どうしたんだ。そんな急い……で?」
そうぼやきながらドアを右に押し開けた直後、俺の脇をシュンと黒い影が通り抜けていった。少年アメフト漫画の主人公のような身のこなし。目で追えねえ。それでも振り向くと影というか五花が何の迷いもなくキッチンから居室へ飛びこむところだった。その際、ドアノブに触れる必要はないはず。さっきキッチンへ出るときに俺が開けたままにしておいたからである。しかし、彼女は触れていた。なんとご丁寧に閉めたのだ。
「ってお前! 何してんだよ!」
だからと言って鍵がかけられたわけではない。立てつけの悪いそのドアを無理矢理にも開けた俺は声を荒立てながら居室へと足を踏み入れる。
すると、そこにはしゃがみながらキョロキョロと四方八方を検分している妹の姿があった。何とも不自然極まりない。居室で異質だ。
「はっ、言っとくが洗い物はちゃんとしてるぜ? それも昼のうちにな。もう乾いて水滴すらついてねえはずだ」
俺は挑戦的な口調で言ってのける。どうせ俺の不始末を許すのと引き換えに何かを要求するつもりだったに違いない。だが、残念だったな。今回は出かける前にしっかり頑張ったのである。ざまあみろ。
「あっ、そう。すごいね」
「ありゃ?」
なのに、五花の返答は素っ気なく拍子抜けなものだった。俺の溢れる後光にひれ伏してしまうことも想定していたというのにだ。
それからしばらくして――。
「お、お兄ちゃん!」
そう切り出した五花は何かを決意したように唇を噛みしめ、
「あ、あの……ここに一枚だけあれが落ちてなかった……?」
と、口ごもらせながらも言葉を発した。胸の前で両手の指を絡ませてもじもじしながら。しかも、赤面状態でである。よく分からないが可愛いなこいつ。キスしよっかな。
「ん? 『あれ』って何だ?」
まあ、もちろん冗談。ファーストキスは湖山さんに残しておきたいし、こいつだって俺とキスするのは嫌に決まっている。なので、疑問として生じた指示代名詞が何を指すのかを問うだけに留めた。
「まったくもう……分かんないかなあ……」
自分の向ける好意を相手が察しないのにじれったい思いを抱く乙女のような言い方をされても困る。はて、『あれ』とは本当に何だろうか? ちょっと考えよう。
「うーん……ああ……あれね。あのペラペラしたの」
そして、思い当たった。そうか、昼前に見つけたあの葉は五花のものだったのか。学部の専門科目の授業レポートが大変だと一週間前に愚痴っていた覚えもある。あれはその際に使うサンプルだったのだ。
「うんそれ! べ、別に勘違いしないでよねっ! ちょっと昨日の作業で濡れちゃっただけなんだから! 水とか使うでしょ! でも、処理の最中に蔵之助くんが来ちゃったから隠したの!」
「はあ……」
よく分からないが葉面からの吸水量でも調べていたのだろうか? そもそも、なぜ俺の部屋で? 御来屋は関係あるのか?
「で、それ、今はどこにあるの?」
「ああ、ベランダに放り捨てといた」
「ぞんざいすぎる!?」
「もしかしたら風で飛んでしまったかもしれないな。だったら、すまん」
そこら辺に茂っている葉ならまだしもなかなか手に入りにくいものなら悪いことをしてしまった。反省だ。後悔もしてやる。
「ちょっとどうしてくれるの! 色とか柄を人に知られたら恥ずかしいじゃない!」
「別にそれは恥ずかしがる必要ないだろ。普通は緑色なんだから。酸素を放出するために」
「何その超機能!?」
「スーハ―スーハ―したくなるよな」
「したら変態だよ!」
「ありゃ? 『変態』は昆虫類や甲殻類みたいな節足動物に対してのものじゃなかったっけ? 植物じゃなくてさあ。お前らしくない。生物は得意分野だろ?」
「そっちの『変態』じゃないよ! このド変態! 性犯罪者!」
さっきから会話が上手いこと噛み合っていないのは気のせいだろうか? あとなぜか罵倒された。理不尽すぎる……。
「もういい! 湖山さんにお兄ちゃんは私を性欲の捌け口にする変態シスコン野郎だって伝えておくから!」
「それだけはやめてくれ!」
すぐさまスライディング土下座をかます俺。こいつまだ昨日のパイタッチ騒動を根に持ってるのか。今、必死に湖山さんへの第一印象を良くするためにステルスマーケティングをしているところなのにそれをされたらおしまいである。元も子もない。
「じゃあ、早くあれを返してよ。ベランダにあるんでしょ? 見せてもらってなかったらこれだから」
ビュンと右手で空を切ってみせる五花。またビンタか。天丼ネタは三回までにしておいた方がいいと思うのだが。
「ああ、どうぞどうぞ」
でもまあ、弁償とか山に採取しに行ってこいと命令されるよりはマシというもの。女子の平手打ちくらい甘んじて受け入れてこそ男である。
俺たちは結露した窓をすーうと横にスライドさせベランダへと足を踏み入れた。
「あれは……ないな」
正確に言えば何もない。奥から見ていってホコリ一つもである。五花が部屋と合わせて掃除したのもあるだろうが、それにしても不気味なくらいにそこは綺麗だった。
バチン!
左側からダメージを喰らい視界が揺れる。マンションの間から覗く瞬く星の光が線状となって網膜へと焼きつけられたのはその直前である。
(そういえば今年はホワイトクリスマスじゃなかったなあ)
そう思いながら俺の意識はゆっくり暗転へと落ちていった――。




