4.カナウ
現代から、十年くらい前のお話になります。
紀彦は、女の子と暮らしている。女の子といっても、もう、中学3年生、15歳になる。知り合って10年、一緒にくらして五年くらいになる。
名前をカナウといった。
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今から十年ほど前、日本列島を大きく揺るがした、かの有名な大地震が発生した。紀彦は入社3年目だった。その地方に、彼が勤めるよろず商事の親会社、よろず産業の製造工場があった。工場の従業員、家族が被災して、地元の体育館や公民館での避難生活をよぎなくされた。
紀彦は、工場の後片付けと従業員とその家族のケアのため、現地へ派遣された。片付けといっても工場は完全倒壊している。彼の仕事は、がれきの山から重要書類等を掘り出して持ち帰ること、被災した従業員の避難先を回りサポートをすることだった。会社からは、3ヶ月交代での派遣になった。
もちろん、地域全体が大被害を受けているため、従業員やその家族のサポートだけというわけにはいかない。会社として地域の皆様にも大いにお世話になっている。紀彦たちのサポートは、工場のあった地域全体という包括的に行われた。彼は、いくつかの避難所を回り、そこにいる人たちに支援物資をとどけた。
活動は、行政、ボランティア、企業や自衛隊などとタイアップしておこなわれた。その中の、一つの避難所にカナウはいた。彼女はひとりきりだった。よろず産業の工場関係者の家族ではなかった。
すべてが困難のさなかにあった。カナウがどうやって避難所にたどり着いたのか、だれも覚えていなかった。というか、そんなこと誰も気にしていなかった。消防団、警察もしくは自衛隊が組織する災害救助隊が彼女をつれてきたのであろう。彼女は、自分の名前と年齢以外、何も語らなった。
両親、兄弟、親類のことを聞かれても、彼女は口を固く結んで、下を向いたままだった。目に涙をためていた。年端もいかない子供が、相当なショックを受けたのだろうとーみんなが、同情した。なので、彼女に突っ込んで聞き出そうとする者は、だれもいなかった。
カナウが住んでいた地域の行政機関自体が壊滅状態だった。そこに保存されていた記録もサーバーごとツ波にさらわれた。カナウの家族も、その犠牲になったのだと思われた。珍しいことではなかった。避難所には、一人だけ生き残ったという人たちが結構いたのだ。
彼らはカナウ同様、残酷な運命にこれ以上なく打ちひしがれていた。行政は、幼いカナウの顔写真、服装を広く公開して、親類縁者からの連絡を待った。
そんな中、紀彦はカナウと出会った。彼女は、いつもひとりぼっちで、避難所である体育館の昇降口の階段に座っていた。いろんな人たちがカナウに声をかけた。ボランティア、カウンセラー、教育関係者、または同世代の子供たちとその親が、彼女に話しかけていた。
カナウは、あまり反応しなかったようだ。紀彦は、子供の相手が得意というわけではない。できるなら、避難所の子供たちとも、関わりになりたくないと思っていた。
その日も、紀彦は、本社から送られた支援物資を集配所で小型トラックに積み替え、それぞれの避難所に配達していた。一緒に動いている同僚が、引き渡しの手続きを行っている間、彼は、工場関係者の会社に対する避難所での要望を、聞き取っていた。その帰りーだった。
紀彦はカナウを見たのは、初めてではなかった。数日前に物資を運んだ時も、彼女はひとりで体育館の前にいて、学校の運動場からはるか先に見える山々をぼんやりと眺めていた。冷たい風が吹きつけるその顔は、孤独や不安、悲しみでかたまっていた。
紀彦と、カナウの出会いです。




