26.ラブドール(人形)ミドリ
紀彦とカナウが、『もの吹き爺』に出会う約1週間前の出来事
1週間ほど前の出来事―
午後8時まえ……、約束の時間よりも少し早かった。
建物の上部が、夜の闇に溶け込んでいる。街灯などほとんどない、表通りの喧騒も届かない、暗い裏通りにそのマンションはあった。
宮村は、そのマンションの一室をセカンドハウスとして使っている。
彼は何か不都合があるとすぐ、そこへ部下の紀彦を呼びつけた。
紀彦は、重いエントランスドアを押してホールに入ると、操作盤の前に立った。
宮村の部屋番号を押し、インターホンで名前をつげる。すぐにドアロックが解除されて、ガラス扉が開いた。紀彦はアプローチをすすんで、エレベーターにのり、⑥のボタンを押した。
エレベーターが低い機械音をたてて、上昇をはじめた。
紀彦は目を閉じて、足元からくる微かな振動に身をゆだねた。
すでにー、宮村は着替えをすまし、リビングのソファでくつろいで、テレビを見ていた。紀彦は、挨拶をして宮村の向かい側に腰を下ろした。
(ここはー、やるべきことは、やらないとな…)
それを機に宮村はテレビを消して、紀彦に向き直る。彼はいつもの癖で、前かがみになり膝の上で手を組んだ。紀彦もそれに合わせて身を乗り出す。
「津田君。実は、君に預かってもらいたいものがあるんだ」
宮村はいつものようにいきなり要件を切り出した。このパターンに慣れている。
「預かる……、なにをでしょうか? ー部長」
こ、これはやっかいなものだなと直感したが、紀彦はおくびにも出さない。、
宮村、顔を歪めて、笑い顔をつくった。
「そうだなー、現物を見てもらった方がはやいなあ…。これ、なんだよ」
宮村は、さっと立ちあがると、隣接した和室のふすま戸を開いた。
「えっ!」
と、短く叫んで、紀彦はソファから腰を浮かせた。そこにはー
紺の制服を着たの長い髪の少女が、こちらを向いて横すわりしていた。
美しさが尋常でない。座っているので、よくわからないが―、身長165センチ以上はありそうだ。表情は、わずかに微笑んでいるように思えた。
首筋から胸元にかけて、青い血管が、白い肌に透き通るように見える。
少女は、紀彦の視線に、瞬きもしない。
「ぶ、部長、こ、これは人形ですか?」
紀彦は、食い入るように、少女を凝視した。
―いや、まさか、この少女をあずかれというのか
「いいや、生きている……人間だよ。津田君ー」
紀彦は、そのまま固まった。確かに、人形にしてはなまめかしすぎる。
「い、生きているんですか?」
その言葉が聞こえているはずなのに、少女は何の反応も示さない。
宮村は少女に近づくと、腰を少しかがめて、彼女の肩に軽く手を置いた。
「おい、ミドリ。津田君に、挨拶をしてー」
どうやら、人形は「ミドリ」という名らしい。
「ミドリ」が、首を少し動かしたように思えた。
―ほ、ほんとうに生きているのか……
紀彦は、固唾をのんで「ミドリ」の口元を見守った。
だが、「ミドリ」は沈黙したままだった。
紀彦は耐え切れずに、宮村の顔に視線を移した。
その表情を見た途端、宮村の顔が大きく崩れ、大声で笑いだした。
「じょおだん、冗談だよ、津田君。これは、人形だ、正真正銘、人形だよ……」
(ラ・ブ・ドォール)その部分だけ忍び声で言って、宮村はにんまりとした。
紀彦は口をポカンと開けて、喘いだ。
「に、人形ですか。びっくりさせないでくださいよ、部長」
「ごめん、ごめん。驚かせて申し訳ない」
宮村は、よいしょと、等身大のラブドールをだきあげると、ソファにすわらせた。
「どうだい。よくできているだろう、津田君」
宮村は、「ミドリ」の横に腰を下ろし、彼女の横顔をながめて目を細めた。
「いや、本当に生きているのかとおもいました」
紀彦は、追従でなく本心から、そういった。―今にも、動き出しそうだ
宮村は、そうだろうとうなずき
「ちょっと前に、東南アジアのとある地下市場で手に入れたんだよ」
と、いった。そして、
宮村は、人形がここへ来るまでのいきさつを説明した。紀彦は、丁寧に拝聴した。
ーが、(部長、こんな嗜好があったんだ)と、内心おぞましく思っている。
彼は、なるべく正面にすわっている人形を見ないようにした。
宮村は、紀彦の機嫌を取るように
「どうやら、ミドリは君が気に入ったようだよ」
と、猫なで声でいった。
―気味が悪いこと言わないでほしいと、思ったが、紀彦は
「そ、そうですか。うれしいです」
と、愛想笑いした。
宮村は、紀彦の演技を見て満足そうにうなずくと、真顔になって
「実は、今週末、家内がこの部屋の様子をみにくるんだよ」
と、いった。紀彦は、なるほどそういうことかと、合点した。
「少しの間でいいんだ、ミドリを預かってほしいんだー」
宮村は、紀彦に向かって手を合わせた。
紀彦としては、「わかりました」と、いうしかない。
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