22.袋孤児(ふくろこじ)
(よし)老人は、それを見て、唇を結んで大きく頷いた。
―では、いくかな……
すっかり、日は暮れてしまった。
真っ暗な夜空に星がちらほら見える。
狭い路地の袋小路、向こうの曲がり角に街灯のともしが火一つー。
ぼんやりと、その周りだけを照らしている。
ここが、都市の中心部にあたるとは思えないほど、音がしない。
街灯から数十メートルはなれたー袋小路の暗闇に、紀彦、カナウと老人が立っていた。紀彦は、頭をだらしなく垂らしている。
カナウは、紀彦のわきに手をまわして、彼の身体を支えていた。
やがて、紀彦は、夜気に面をさられて、ハッと首をもたげた。
彼は、首をふらふらさせて、あたりを見回した。
「ここは、ろこれすかー」
「ここは、先ほどの袋小路ー」
老人『もの吹き爺』が、紀彦の問いかけにこたえた。
―袋小路…
紀彦は、老人の言葉をくりかえしたが、酔っているので、頭が働かない。
「客人。お前さん、あそこにおる若造が見えるか?」
今度は、老人が訊ねてきた。
老人が手を指す先―街灯の下。少年が立って、こちらを眺めている。
カナウが、紀彦のわきを軽く押した。紀彦は、酔っただらしない顔をあげてー。老人がさした先ー街灯の下を、トロンとした目を凝らして見た。確かにー、
薄明りの下、少年がひとり佇んでいる。
「はあ、ぼんやりと、見えます」
―しっかりと、あいつを見てくれ。老人は、念を押した。
紀彦は、カナウに寄り掛かったまま、顔を前へつきだして、少年をじっと見つめた。
「あいつが、客人を迷わした張本人『袋孤児』だ。
なかなかの悪童よ」
老人はにくにくしげにいうと、かたわらのカナウに目配せをした。
カナウはうなづくと、紀彦を塀に凭れさせた。それからー、
彼女は、ゆっくりと少年に近づいていった。
紀彦は、まばたきもせず、少しむくんだ眼でその様子を見守った。
カナウは、少年の十数メートル手前まで来ると、急に踊りだした。
彼女は、リズミカルに全身を躍動させて、徐々に少年に接近した。
突然、少年が両腕を真上に突き上げた。すると、
少年の姿が「竹ぼうき」になった。
竹ぼうきは、穂の部分を上に、柄を軸にして、くるくると回りだした。
カナウは、ジャズダンサーのように踊りながら、竹ぼうきに近づいていくー
竹ぼうき(袋孤児)は、回りながら、カナウに近づいていく。
街灯の薄明かりに照らし出されー、
舞踏するカナウと、回転する竹ぼうきは、不気味だった。
紀彦は、ぶるっと、身震いをした。
カナウと竹ぼうきは、そのままー、お互いの距離を縮めていった。
竹ぼうきの穂(小枝)の部分がカナウの伸ばした手に、触れようとしたときー
「がぶっ」
カナウが大口を開けて、竹ぼうきをのみこんだ。
紀彦には、竹ぼうきのが穂の部分から、カナウの大口に吸いこまれた…ように見えた。紀彦は、呼吸を忘れた。
―これと同じような場面、見たことがある
紀彦は、目を皿のようにして、前方ー街灯の下を見直した。
カナウだけしかいない。竹ぼうきは、消えていた。
―やっぱり、この子はオレがよく知っている……カ…
カナウが踊りをやめて、何事もなかったかのように、二人の方へ戻ってきた。
「これで、お前さんはだいじょうぶだ。
ひとりだったら、とても逃げられなかったぞ」
老人が、さとすようにいった。どこか、恩着せがましい言い方だった。
―えっ? どういうことでれすか
紀彦は、思わず老人に聞き返した。
x x x x
「危ないところだった。わしらがいなければー、
お客人、お前さんは、あのような有様になっておったぞ」
と、いいながら、老人は、街灯とは逆ー、袋小路―隅のゴミだまりを振り返った。
紀彦も、彼につられて首を回した。暗がりの中、それはごみの塊ではなくー。動物の死骸や骨らしきものが、積み上げられていた。猛烈な腐敗臭が、突然、紀彦の鼻腔に広がった。
「すべて、袋孤児の仕業ー。あやつは、人間や動物を袋小路にさそいこんで、それらが生来持っている『生気・精気エナジー』を奪うのじゃ。奪われた者たちは、やがて枯れてああなる」
紀彦は耐え切れず、前のめりになり、嘔吐した。
カナウが駆け寄り、彼の背中をゆっくりとさすった。彼女は老人を見上げ
「お客人、だいぶひどいねー。私が、送っていくよ」
と、もうし出た。老人は、当然であると、うなずき
「おお、そうだな。また、『たまとり』に襲われても困るし。客人を、家まで送っていってくれるか」
と、頼んだ。カナウは笑顔で応じた。
「うん、わかったー。りょかーい」
「ついでにー、しばらく、客人を監視しておいてくれないか。例の筋から、噂がひろがっているようだしー。すぐに『土そば』のやつを交代におくるからー、それまで……」
「オッケー、いいよ」
―わるいなと、老人は、片手でカナウを拝んで、ウィンクした。
カナウは紀彦に肩を貸して、よいしょと、彼を立ち上がらせた。
「お客人、私は平気なので、私に体重を預けて寄っ掛かかってね」
「す、すびばせん。酔っ払ったうえに、はいちゃってー」
紀彦は、カナウに全身でもたれかかった。
彼女のいい香りが、彼の鼻孔をくすぐった。
おやっーと、紀彦は、カナウの横顔をまじまじと見た。
―やっぱり、この香り、いつも……
(まだ、ダメー)
紀彦の頭の中で、聞き覚えのある声がした。
老人が手を打って、カナウに
「どうだ。この客人、わしらのために役に立つぞ。お前も見たなー」
と、興奮した口調でいった。カナウは、紀彦を抱えたままうなづく。
「うん。お客人が、袋孤児の隠形をあばいたね」
老人は、満足げにうなずき
「この客人。いつでも、つれだせるように、住まいまでの『通い道』を作っておいてくれ」
と、カナウに指示した。
「うん。今日、必ず『通い道』をつけておくね」
カナウはコクっとすると、紀彦の肩を担いで歩き出した。
老人は、その場で二人を見送った。カナウは、路地の曲がり角ー、街灯の下まで来ると、ちらっと老人を振り返った。
そして、角を曲がった。
x x x x
ふたりの姿が、角に消えるとー、老人は おやっと、思った。
「はて、わしに娘はおらんぞ……。わしは何をしていたんだ」
―訳が、分からない……
娘と思しき少女と話していたような記憶が、わずかに残っている。
でも、それは自分の娘ではない。彼に仲間はいるが、家族はいないのだ。
覚えているのはー、
風水師からの情報で、あの男ー津田紀彦の存在を知った。
彼を仲間に取り込こむべく…今日一日、後を付けてすきを窺っていた。
袋孤児が、あの男を路地に誘い込んだのを見て、男を助けて恩を売ってやろうと姿をあらわした。
袋小路で、男を動揺させて、自分の空間に連れ込んだ。酒を飲ませて、彼の隠された力を覚醒させたのち、自在に操ろうと考えていたのだ。
男は、従順そうに見えた。
これなら、うまくいくとー、あらかじめ男のために用意したペットボトル入りの酒を、吹きだした……。ところ、までだった。その後は、まるで記憶に靄がかかったように、あやふやだった。
まさか、意識をコントロールされていた……とは思いたくなかった。
(い、いかん)老人はものすごいスピードで駆け出した。彼は、角を曲がって呆然とした。そこには、両側のビルに区切られた、細長い路地があった。
正面にはー、ビルとビルの間から、表通りがのぞけた。
街の明かりに照らし出されて、車や歩行者が行き交う姿が、垣間見える。
ふいに、彼の耳に、周囲の騒がしい音がもどってきた。
信じがたいことが、聴覚をうばわれていた。
「や、やられたな。……だが、あの男、必ず手に入れてみせる」
老人は、そうつぶやくと、路地の奥へと消えていった。
お付き合いいただきありがとうございます。




