21.もの吹き爺と娘
「ここは、いったいどこですか。あ、あなたは、何者なんですか」
紀彦は声を荒げて、老人に詰め寄った。
助けてくれるのならー、早く帰らせてほしい。
紀彦は、矢継ぎ早に、老人に訴えた。
彼は、老人につかみかかろうとするのを、懸命にこらえた。
老人は、そんな紀彦を、まあまあーと、宥めて、
「お前さん、『もの吹き爺』を知っとるか?」
と、訊ねた。紀彦は、眉をよせて首を左右に振る。
「いいえ。しりませんー」
そんなのきいたことがない。
それよりー、出口はどこだ? 紀彦は、部屋全体を見回した。
「そうか、まあいい。わしが、その『もの吹き爺』さんだ。覚えておいてくれ」
「はあ、『もの吹き爺』……さん? ですか」
―へ、へん、変なものがあらわれた。紀彦は、すまし顔の老人を注視した。
―公園や駅の裏でよく見かける、ホームレスのお爺さんじゃあないか
老人は、そんな紀彦を見て、邪気の無い顔で笑った。どうやら、相手に害意は、なさそうである。紀彦は、立ち上がって、逃げ出そうとした。
ーが、腰がしびれて動けない。
老人はのんびりした口調で、まあ、待てーと、紀彦を押しとどめて
「お前さん、しばらくワシの酒の相手をしてくれるか」
と、いった。紀彦は、面食らった。
―えっ、どういう展開?
老人は、また胸を大きく膨らまして、息を吐きだした。すると、老人が吐く息と一緒にー。お酒の瓶と、盃やペットボトル、いくつかの小皿がのったテーブルが、紀彦の目の前に吹き出された。
紀彦は、なるほど、これで『もの吹き爺』かと、納得した。
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―さて、と
老人は、テーブルをはさんで、紀彦の向かい側に座ると、盃に酒を注いだ。まず、自分で一気にあおって、さっと水けをきるとー、空の盃をずんと、紀彦に差し出した。
「客人、一杯いこうか」
紀彦は、『お前さん』から、『客人』に昇格した。
「いやあ、オレは、酒は全くだめでー。勘弁してください」
彼は、丁寧に辞退した。
(この酒には、何が入っているかわからない)、ここは飲まないに限る。
「まあ、そういわず、ちょっとだけでもー、どうかな」
老人は、身を乗り出して、再度すすめてきた。
(飲んじゃ、ダメー!)
…紀彦の耳の後ろで、ききなれた声がした。
「いやあ、ほんとにダメなんですよ、体質的にうけつけないんです」
―少し飲んだだけで、気分がわるくなって、直ぐ吐いちゃうんですよ……
紀彦は、懸命に言い訳をした。老人は、さめた表情でしばらく彼を見ていたが
「そうか、それはざんねんだなー」
と、いって、自分で盃に酒を注いで飲み始めた。
―もう少し、粘られると思ったがー
紀彦は意外な気がした。だが、安心できない。この老人も、酔いがまわってくると、アルハラへ豹変するかもしれない。彼は、ここが潮時だと思い、立ち上がろうとした。
―が、腰はしびれたままだった。
紀彦は、腰を軽くもんでみた。感覚はあるようだ。
スマホも、確認したが、画面の表示は<通信不能>のままだった。
老人は、そんな紀彦のことをじっと見ていたが、盃をおくとー
「そうか、酒がだめなら…、女の子かな……」
と、にやりと笑った。彼は、また胸を大きく膨らませて、息をはいた。
風が紀彦の顔にかかって、彼は思わず目を閉じた。紀彦のまぶたの裏で、稲妻が走った。彼は、目を開いてみてたまげた。彼の隣に、中学生ぐらいの少女が、ちょこんと座っていた。
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少女は、紀彦がいることにおどろいたようだった。
「だ、だれ……」
と、視線を老人に投げかけた。
老人はそれにうなずくと
「ああー、ほら、例のお人じゃ」
と、いった。少女は、上目遣いに紀彦を見て、頬をほんのりと染めた。
紀彦は、少女の可憐さに圧倒された。
老人は紀彦と、少女を交互に見て
「客人…。これは…、わしの…、『もの吹き爺』の娘で、カナウという、よろしくな」
「…カナウ、このお人はわしの客人じゃ」
と、取ってつけたような紹介をした。
カナウは、紀彦に向き直ると、深々と頭を下げた。
「こんにちは…。お客人」
「こ、こんにちは。オレは、津田と……」
紀彦は、少女に挨拶を返して、日常的な既視感にとらわれた。
―む、むすめだと。この少女が、この老人のむすめ?
―でも、この子、オレが、よくしっている……
老人は、紀彦の反応など気にも留めずに
「客人、―どうじゃ、美人じゃろ」
と、いった。カナウは、「もう」といって、すねたような眼を老人にむけた。
紀彦は、そのしぐさも、見たことがある……ような気がした。紀彦は少女に、
―あのう、どこかであったことはありませんか
と、正直にたずねてみた。カナウは、うつむいたまま、顔が上げられなくなった。
老人は、その様子を見てー、細い目をさらに細めた。
「どうじゃ、客人。カナウを気に入ったかな。どうやら、カナウはお前さんを気に入ったようだ」
はっ、はっ、はあー 老人は、大口を開けて笑った。
ーが、紀彦は、少女が気にかかる。
―どうにも、わからない……
彼は、首をかしげながら、目の前のペットボトルの水を一気に喉に流し込んだ。
ー流し込んで、紀彦は目を白黒した。
直ぐに、口の中に残っている分を、ぶーっつと、吹き出した。
―こ、これは、酒だ。し、しまったー。か、かなり飲んでのんでしまった
「おお、言い忘れたが、そのペットボトルの中身も酒だぞ。
ーなかなかの飲みっぷりだったぞ」
老人は満足そうにうなずくと、手に持った盃を紀彦に向けて掲げた。
(紀彦、吐き出してー)。また、耳の後ろで声がした。
「あっ、たいへんだー」
カナウが、布巾をとって、彼の胸やひざを優しく拭いてくれた。
「カナウ、客人の話し相手になってくれ。客人は、酒が苦手だそうだ」
老人は、カナウの背中に声をかけた。
彼女は、拭いている姿勢のまま、うなずいた。
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ほどなくして―
紀彦は、本格的に酔っ払ってしまった。たった一杯だったのに、ほろ酔い気分をすっ飛ばして、一気に酩酊状態の一歩手前までいってしまった。
―強い酒らしい
お客人、大丈夫と、カナウがしきりに気遣ってくれた。最初は、カナウの既視感覚に気おされて、委縮していた紀彦だがー、酔いのせいもあってか、だんだんと好い気分になってきた。
老人は、酒がなくなると、自分で吹き出しては、ちびちびと飲んでいた。
一方、紀彦は、ここから逃げ出すどころではない。ーかろうじて意識はたもっているものの、目つきはトロンとして上体はふらふらー。
隣でカナウがささえていないと、畳に上にひっくり返りそうだった。彼女は、紀彦の背に手をあてて、体をピタリと寄せていた。そして、時折、紀彦を見ては思いつめたような表情をした。
老人は、そんな二人の様子を肴にして、手酌で飲んでいた。
が、とうとう紀彦の首がガクンと垂れるとー。
老人は、酔眼を鋭く娘にむけて、声を出さずに
―どうだ
と、カナウに訊ねた。
カナウは、老人の目を見て、にっこりすると
―だいじょうぶだよ
と、口だけ動かして答えた。
(よし!)
老人は、それを見て、唇を結んで大きく頷いた。
―では、いくかな……
お付き合いいただきありがとうございます。




