15.わな
……あのいまわしい出来事があった。
(紀彦の回想のつづきです)
それは、カナウがいる施設でおこった……
カナウが10歳のとき、紀彦は彼女とけんかをした。
原因は、本当にたわいもないことだった。
カナウたち児童が、美加先生とちょっとした言い争いをした。
理由なんかわすれてしまうほど、くだらないことだったと思う。
カナウは意地になって、美加先生に反抗した。
たまたま、そこにいた、紀彦は美加先生の味方をした。
この場合、状況的にも理屈的にも大人である、美加先生に正当性があった。
もちろん、紀彦は、心情的にも美加の擁護をした。
―カナウちゃん、先生の言うとおりだよ
と、やさしくいった。
いつもなら、素直に紀彦の言うことを聞く、カナウが、人が変わったように怒り出した。紀彦は、こんなカナウを見たことがなかった。カナウは、恋する女の子の一途さでー。紀彦の態度から、彼が美加先生に好意を寄せているのを知っていたのだろう。
カナウは、大声で紀彦をののしると、さいごに
「わたしなんか、いない方がいいんでしょ」
と、叫んで、走って自室へもどった。
それでも、カナウの怒りは収まらなく、自分の机から原稿用紙を出してびりびり破いた。それは、彼女が美加先生のことを作文にかいて、小学校でほめられた作品だった。泣き喚きながら、原稿用紙を破り捨てるカナウを見てー、
紀彦は、彼女の狂気を感じた。手のつけようがなかった。それで、
「あとは、私が、なんとかなだめときますからー」
と、美加が言ってくれたのを幸いにーその日は、黙って帰った。後味が悪かった。
x x x x
次の日、日曜日だったので、紀彦はカナウの様子を見に施設へ行った。なんとなく放っておけなかったのだ。カナウは、過去、あんなに激しい怒りを見せたことがなかった。美加は、その日は非番だった。
カナウは体調を崩して、保健室で寝ている、ということだった。
そのことで、紀彦の胸が痛んだ。
彼は、保健室にカナウをたずねた。
カナウは、真っ白い部屋で、白い寝具、白いカーテンにかこまれて、ひとりで眠っていた。かけ布団から出たカナウの長い髪、顔と肩だけが色づいていた。養護の先生はいなかった。紀彦は、静かにベッドに近づいて行った。
彼がカーテンから顔をのぞかせると、カナウは薄く目を開けて
「何しに来たの」
と、そっけなく言った。彼女は、顔が赤く、発熱しているようだった。
「カナウちゃんが、心配だったからー」
紀彦は、彼女の赤い顔をのぞき込みながらいった。
「昨日は、ごめんね」
と、付け加えた。
それについて、カナウは何も言わなかった。ただ、あのねー、わたし
「むねが、いたいの」
と、いった。
そして、白いかけ布団の中で手を動かして、自分の胸のあたりをしきりに触った。
紀彦は、先生を呼んでこようかと、いったがー。
カナウは、ううんといって、それよりー
「むねをさすってほしいの」
と、すがるような目を紀彦に向けてきた。紀彦はパイプ椅子にすわり、かけ布団の上から、カナウの胸のあたりをゆっくりとさすってやった。
わずかだが、柔らかいふくらみがあった。
カナウは、しばらく目を閉じていたがー。
不意に、かけ布団から手を出して紀彦の手を握った。
「布団の上からでなく、ちょくせつ、さすってー」
彼女はそういって、紀彦の手をひっぱって、かけ布団の中へと潜り込ませた。
紀彦はあわてて、手を引っ込めた。さすがに、これはまずい。
彼は、この場を離れようとたちあがったが、カナウは手を離さなかった。
―つださんー、
「おねがい、さすって、むねがいたい」
カナウの目は、熱くうるんでいた。昨日の狂気じみたカナウの姿が、紀彦をがんじがらめに縛っていた。彼は、不意に、自分がもう逃げられないのを悟った。
紀彦はもう一度、ベッド横のパイプ椅子にすわると、自分から、かけ布団の中に手を滑らせた。カナウは、それを感じて、目を閉じた。
そして、真っ赤な唇を少し開いた。
それから、後のことは忘れられないが、思い出したくない。
まるで、魔女に魅入られたようだった。
オレは、おわった と、思った。カナウが一言でもこの出来事を話せば、彼は社会的に抹殺される。完全に、〇犯罪者だった。
だが、カナウは、何も言わなかった。
それどころか、紀彦に対してでさえ、なにもなかったかのようにふるまった。
それが、紀彦にはよけい耐えられなかった。
せめて、自分に対してだけでも、あのことをほのめかしてくれたなら、少しでも責めてくれたならー。自分よがりの下手な言い訳を、彼女にすることができたのにー。自己満足のための、許しを請うことができのにー。
それすらも、カナウは許さなかった。
彼は、自分が詰んだことを自覚した。
「オレは、もうこの子から逃げられない」
x x x x
翌週―紀彦は、カナウに請われるままに 同じあやまちを繰り返した。
ただその時、彼にもそうしたいという明確な意思があった。好奇心に、欲望に、快楽に負けたのだ。カナウから逃げられなくしたのは、紀彦自身だった。
行為のあと、カナウは、
「つださんのお家で、いっしょにすみたい」
と、ねだった。
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