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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第9話 安全地帯の外では、俺は何もできない

 ハルト村へ向かう前に、2人は大きな問題へ直面した。


「このテントを、どうするかですね」


 一夜は緑色の天幕を見上げた。


「――――?」


 安全地帯の外へ出たリディアが、振り返って首を傾げる。


 言葉が通じていない。


 一夜は手招きし、彼女を保護領域の中へ戻した。


「このテント、置いていけませんよね」


「ああ。宵喰い狼が戻れば、破壊される可能性がある」


「展開中は大丈夫みたいです。でも、ここへ戻れる保証がありません」


「持っていくしかないだろう」


「畳むと結界が消えます」


「つまり、村へ着くまでは守られない」


「そうなります」


 リディアが森へ目を向ける。


 朝日が差し込み、夜の間に集まっていた宵喰い狼の姿は消えている。


 それでも、安全とは限らない。


「私が守る」


 リディアは当然のように言った。


「その傷で?」


「一晩休んだ」


「完全に治ったわけじゃないですよね」


「剣は振れる」


「昨日も同じことを言ってました」


「今日は実際に振れる」


「試さなくていいです」


 一夜は説明書を収納袋へ入れた。


 レベル2になったことで、リディアの軽い傷はかなり塞がっている。


 だが、脇腹の深い爪痕までは治っていない。


 歩くことはできても、長時間の戦闘は避けるべきだった。


「村まで街道を使えば、4時間くらいでしたよね」


「私の足ならな」


「俺がいると?」


「5時間」


「即答ですか」


「昨日の走りを見た」


「森の中を走る練習なんて、普通はしませんから」


「ニホンの人間は走らないのか?」


「遅刻しそうな時には走ります」


「命が懸かっていなくても走るのだな」


「別の意味で懸かってる人もいます」


 リディアは理解できない様子だった。


 一夜はテントの片づけを始める。


 寝袋を収納し、ランタンを外す。


 荷物をバックパックへ詰めていく。


 リディアは、その様子を興味深そうに見ていた。


「小さくなるのだな」


「持ち運べないと困りますから」


「この天幕を作った者は、空間魔法にも精通しているのか」


「普通のテントも畳めますよ」


「普通の天幕は、ここまで小さくならない」


「素材の違いですかね」


 一夜はポールを抜いた。


 緑色のテントが形を失い、地面へ沈む。


 その瞬間、周囲の空気が変わった。


 目には見えない。


 だが、確かに何かが消えた。


 朝の森の冷たい風が、直接肌へ触れる。


「結界が消えた」


 リディアが剣へ手をかけた。


「やっぱり、設営してないと駄目みたいですね」


「――――、――」


「もう言葉も通じてません」


 リディアが何かを尋ねる。


 一夜は耳を指し、首を横へ振った。


 彼女もうなずく。


 村へ着くまで、会話はできない。


「これは想像以上に不便だな」


 一夜の言葉は、リディアには意味のない音として聞こえているはずだった。


 リディアは自分を指さし、次に森の南側を示す。


 それから、ついてこいというように手を動かした。


「あなたが前。俺が後ろですね」


 伝わらないと分かっていても、一夜は口にした。


 リディアが歩き始める。


 一夜は収納袋をバックパックへ固定し、その後を追った。


     ◇


 リディアは、昨日一夜が通った道とは別の方向へ進んだ。


 街道へ出るため、森の南側を迂回するらしい。


 彼女は傷を負っているとは思えない速さで歩いていく。


「ちょっと、速いです」


 当然、言葉は通じない。


 一夜は早足で追いかけた。


 背中の荷物が重い。


 水と食料だけでなく、テント、寝袋、調理器具、救急用品まで入っている。


 初めて店で背負った時には、問題ないと思っていた。


 平らな店内を数分歩くことと、木の根だらけの森を進むことは違う。


「待って……」


 リディアが足を止めた。


 一夜の声を理解したわけではない。


 後ろの気配が離れたことに気づいたのだろう。


 彼女は一夜とバックパックを交互に見た。


「大丈夫です」


 一夜は手を振った。


 大丈夫という言葉は通じない。


 それでも、リディアは一夜の息が整うまで待ってくれた。


「意外と優しいんですね」


 リディアが眉を寄せる。


「悪口じゃないです」


 一夜は笑い、親指を立てた。


 リディアはその指を不思議そうに見つめた後、同じように親指を立てた。


「意味は分かってないですよね」


 少しだけおかしくなる。


 会話ができなくても、まったく伝わらないわけではない。


 再び歩き始める。


 リディアは先ほどよりも速度を落としていた。


     


 1時間ほど進んだ頃、森の景色が変わり始めた。


 巨大な木々の間隔が広くなり、地面の苔も少なくなっている。


 ところどころに、人が通った跡があった。


 切られた枝。


 土に残る車輪の溝。


「街道が近いんですか?」


 一夜が尋ねると、リディアは前方を指した。


 木々の向こうに、細い道が見える。


 舗装はされていない。


 土を踏み固めただけの道だった。


「これが街道……」


 一夜は周囲を見回した。


 現代の道路とは比べものにならない。


 それでも、森の中を歩くよりは足元が安定している。


 リディアは道へ出る前にしゃがみ込み、地面を調べ始めた。


 指で土へ触れ、何かの跡を追っている。


「足跡ですか?」


 一夜も隣へしゃがんだ。


 大きな肉球の跡が、街道を横切っている。


 宵喰い狼のものだろう。


 1つではない。


 何匹もの足跡が、森の東へ続いていた。


 リディアの表情が険しくなる。


 彼女は足跡を指し、両手の指を何度も広げた。


「数が多い?」


 リディアがうなずく。


 次に、東を指す。


「村の方へ向かってる」


 また、うなずいた。


 夜の間、一夜たちを囲んでいた群れとは別の個体がいる。


 すべてを引きつけられたわけではなかった。


「急いだ方がいいですね」


 一夜は立ち上がった。


 リディアも歩き始める。


 今度は、一夜へ合わせる余裕がない。


 傷をかばいながらも、明らかに速度を上げていた。


「分かってます」


 一夜も必死に足を動かした。


 街道なら、森の中よりは歩きやすい。


 だが、背中の荷物は時間とともに重くなる。


 肩が痛い。


 足も上がらなくなってきた。


 それでも、休みたいとは言えなかった。


 ハルト村へ、魔物が向かっている。


 そこには、戦えない人たちがいる。


 昨日までなら、知らない誰かのために自分が無理をする理由などないと思っていた。


 だが、リディアがなぜ傷ついてまで戦ったのか、少しだけ分かった気がした。


「だからって、倒れるまでやるのは違いますけどね」


 前を歩くリディアが振り返る。


「何でもないです」


 通じないのに、一夜は答えた。


     


 街道を進み始めてから、さらに1時間ほど経った。


 リディアが突然、右手を上げた。


 一夜は足を止める。


「どうしました?」


 彼女は口元へ指を当てた。


 静かにしろという意味だ。


 一夜は息を整えながら、周囲へ目を向ける。


 風で枝が揺れている。


 鳥の声は聞こえない。


 先ほどまで、何度も鳴いていたはずなのに。


 リディアが剣を抜いた。


 一夜の背筋が冷たくなる。


 彼女は道の脇へ移動し、地面にしゃがむよう指示した。


 一夜も木の陰へ身を寄せる。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 それでも、リディアは森の奥を見つめている。


「何がいるんですか」


 返事はない。


 次の瞬間。


 背後の茂みが揺れた。


 一夜は振り返る。


 紫色の光が見えた。


「え――」


 宵喰い狼が、すぐ後ろにいた。


 黒い巨体が茂みから飛び出す。


 一夜は反射的に身を引いた。


 足が木の根へ引っかかる。


 背中から地面へ倒れた。


 バックパックが衝撃を受け、息が詰まる。


 宵喰い狼が牙をむいた。


 一夜は腕で顔を覆う。


 安全地帯はない。


 透明な壁もない。


 今の一夜は、ただ地面へ倒れているだけの会社員だった。


「――!」


 リディアの声が響いた。


 銀色の影が、一夜と宵喰い狼の間へ滑り込む。


 牙と剣がぶつかった。


 金属を削るような音が鳴る。


 リディアは魔物の頭を剣で押し返した。


 脇腹の傷が痛むのか、一瞬だけ体勢が崩れる。


 宵喰い狼が前足を振り上げた。


「リディア!」


 一夜の声は届かない。


 だが、彼女は爪をかわし、剣を横へ振り抜いた。


 黒い毛が裂ける。


 紫色の血が飛び散った。


 魔物は後退し、低く身構える。


 リディアは一夜をかばうように立っていた。


 逃げろというように、左手を後ろへ動かす。


「逃げろって言われても……」


 足に力が入らない。


 突然の恐怖で、体が固まっている。


 宵喰い狼が地面を蹴った。


 リディアも踏み込む。


 剣先が魔物の肩へ突き刺さった。


 しかし、勢いを止めきれない。


 黒い巨体がリディアへ衝突する。


 彼女の体が地面へ投げ出された。


「リディア!」


 一夜は這うように近づいた。


 宵喰い狼が起き上がる。


 肩に剣が刺さったまま、一夜たちへ向き直った。


 リディアも立とうとするが、すぐには動けない。


 一夜は周囲を見回した。


 武器はない。


 戦う技術もない。


 バックパックの中には、ライト、食料、救急用品。


 それから、森川に勧められた警告音つきの懐中電灯。


 一夜はバックパックの横へ手を伸ばした。


 懐中電灯を引き抜く。


 宵喰い狼が近づく。


 一夜は先端を魔物へ向け、最も明るい光をつけた。


 白い光が、宵喰い狼の顔を照らす。


 魔物が目を細めた。


「これだけじゃ、駄目か」


 一夜は後ろのボタンを長押しした。


 森の中へ、耳を突き刺すような警告音が響き渡る。


 宵喰い狼が驚き、身を引いた。


「効いた!」


 リディアが一夜を見る。


 一夜は光を魔物の目へ当て続けた。


「今です!」


 言葉の意味は通じない。


 だが、何を求めているかは伝わった。


 リディアが地面を蹴る。


 肩へ刺さった剣の柄を握り、さらに深く押し込んだ。


 宵喰い狼が大きくのけぞる。


 彼女は剣を引き抜き、そのまま首元へ振り下ろした。


 紫色の光が消える。


 黒い巨体が地面へ崩れ落ちた。


 警告音だけが、静かになった森へ鳴り続けている。


 一夜は震える指でボタンを押した。


 音が止まる。


 急に訪れた静寂の中で、2人の荒い呼吸だけが聞こえた。


「大丈夫ですか?」


 リディアには通じない。


 それでも、一夜は駆け寄った。


 リディアは脇腹を押さえている。


 包帯に、再び血がにじんでいた。


「やっぱり傷が開いてる……」


 一夜が手を伸ばすと、リディアは首を横へ振った。


 それから、一夜の腕や足を確認する。


「俺は大丈夫です」


 転んだ時に背中を打っただけだ。


 魔物の牙も爪も届いていない。


 リディアはそれを確かめると、安堵したように息を吐いた。


 次の瞬間、一夜の額を指で強く押した。


「痛っ」


 彼女は険しい顔で何かを言う。


「――――、――! ――――!」


「たぶん、怒ってますよね」


 リディアは懐中電灯を指し、それから一夜を指す。


 次に、宵喰い狼を示した。


「最初から使えって?」


 彼女が何度もうなずく。


「俺も、こんな使い方ができるとは思わなかったんですよ」


 言葉は通じない。


 一夜は頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 リディアは一夜の言葉を理解できない。


 それでも、頭を下げる意味は伝わったらしい。


 彼女は少しだけ表情を和らげた。


 そして、一夜の胸元を軽く拳でたたく。


 今度は、自分の胸元へ拳を当てた。


「あなたが俺を守る?」


 リディアはうなずく。


 続けて懐中電灯を指し、外へ向ける動きをする。


「俺は、これで援護する」


 もう1度、うなずいた。


 安全地帯の中では、一夜がリディアを休ませた。


 安全地帯の外では、リディアが一夜を守る。


 だが、一夜も完全に何もできないわけではなかった。


 魔物を倒す力はない。


 それでも、現代から持ち込んだ道具で、ほんの一瞬だけ隙を作ることはできる。


「役割分担ですね」


 リディアは意味が分からないまま、親指を立てた。


 一夜も同じように返す。


 今度は、その意味が少しだけ通じている気がした。


 リディアは剣を拭い、再び街道の東へ目を向ける。


 立ち止まっている時間はない。


 一夜は懐中電灯を、すぐ取り出せるよう腰へ固定した。


「次は、転ばないようにします」


 リディアが歩き始める。


 その速度は、先ほどより少し遅かった。


 一夜がついてこられる速さだった。


 2人は互いの言葉を理解できないまま、ハルト村へ向かって歩き出した。

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