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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第8話 このテントは、朝を数えている

 「泊一夜」


 低い声が、すぐ横から聞こえた。


 一夜は森へ向けていた顔を、ゆっくりと戻した。


 寝袋の上で、リディアが目を開けている。


「おはようございます」


「今は朝ではない」


「そうですね」


「私は何分眠っていた」


 一夜はスマートフォンの画面を確認した。


「1時間と42分くらいです」


「30分と言ったはずだ」


「言ってましたね」


「なぜ起こさなかった」


「よく眠っていたので」


「それは理由にならない」


 リディアは勢いよく体を起こした。


 すぐに顔をしかめ、脇腹へ手を当てる。


「ゆっくり起きてください」


「誰のせいだと思っている」


「眠らせたのは俺ですけど、傷を負わせたのは宵喰い狼です」


「言葉の問題ではない」


「怒る元気は戻ったみたいですね」


 リディアの青い瞳が、一夜を鋭く射抜く。


 一夜は少しだけ体を引いた。


「すみませんでした」


「謝れば済むと思うな」


「でも、起こしていたら出ていったでしょう」


「当然だ」


「だから起こしませんでした」


「反省していないな」


「してます。でも、同じ状況なら、たぶん同じことをします」


「あなたは――」


 リディアは言葉を続けようとして、動きを止めた。


 自分の左腕を見ている。


 指を握り、開く。


 もう1度、脇腹へ触れた。


「どうしました?」


「痛みが減っている」


「スープの効果が続いてるんですかね」


「それだけではない」


 リディアは包帯を確認した。


 広がりかけていた血の染みが止まっている。


「出血も収まっている」


「本当ですか?」


「傷が塞がったわけではない。だが、悪化していない」


 一夜は説明書を開いた。


【負傷悪化抑制効果を継続中】


 表示は変わっていない。


「テントの効果みたいですね」


「眠っているだけで傷の悪化を止める結界など、聞いたことがない」


「俺も先週まで知りませんでした」


「その言い方では、先週から知っていたように聞こえる」


「先週、初めて魔物に襲われたので」


「なぜ、その後も戻ってきた」


「確認するためです」


「何を」


「本当に異世界だったのか。もう1度来られるのか。このテントが何なのか」


「命を懸けて確認することか?」


「来る前は、ここまで危険だと思ってなかったんですよ」


 黒い狼に襲われた経験はある。


 だが、安全地帯から出なければいいと考えていた。


 実際は、人の声を聞いただけで森へ入ってしまった。


「あなたは考えが浅い」


「否定できません」


「戦う力もない」


「それも否定できません」


「危機への対応も遅い」


「そこまで言います?」


「事実だ」


「助けた相手に、ずいぶんな評価ですね」


「助けられたことには感謝している」


「全然、そう聞こえませんけど」


「感謝と評価は別だ」


「仕事ができる上司みたいなことを言うな……」


「上司?」


「気にしないでください」


 リディアは立ち上がろうとした。


 今度は膝が崩れなかった。


「待ってください」


「すでに2時間近く失った」


「失ってません」


「何?」


「休んで、動けるようになったんでしょう」


「その間にも、群れは移動している」


「それなんですけど」


 一夜は森の東側を指した。


「さっきから、鳴き声が近くなっています」


 リディアの表情が変わる。


「どんな鳴き方だった」


「低い声が続いた後、高い声が2回。少ししてから、長い声が1回」


「ほかには」


「枝が折れる音が何度か。東へ離れたと思ったんですけど、30分くらい前から戻ってきました」


 リディアは目を閉じ、森の音へ集中した。


 少し離れた場所で、低いうなり声が響く。


 別の方向からも返事があった。


「群れが集まっている」


「村へ行くんじゃなかったんですか?」


「私の血の匂いを追って戻ったのだろう」


 リディアは包帯へ触れた。


「それに、倒された仲間の匂いもある。宵喰い狼は執念深い」


「じゃあ、ここにいる限り、村へは行かない?」


「すべてではない。だが、群れの大半がここへ集まっている可能性は高い」


 一夜は安全地帯の周囲を見回した。


 木々の隙間に、紫色の光が浮かんでいる。


 1つ。


 2つ。


 少なくとも6つ。


「増えてますね」


「今、外へ出れば囲まれる」


「さっきまで出ようとしてませんでした?」


「状況が変わった」


「騎士でも、状況が変われば予定を変えるんですね」


「当然だ」


「休む時も、そのくらい柔軟ならいいのに」


「何か言ったか?」


「何も」


 リディアは剣を抜き、周囲を確認した。


「この結界は、夜になっても維持されるのか?」


「前回来た時は、朝まで大丈夫でした」


「あなたは、1人で夜を越えたのか」


「はい」


「よく生きていたな」


「安全地帯から出なかったので」


「その判断だけは正しい」


「ほかは全部駄目ですか」


「改善の余地がある」


「言い方が優しくなっただけだな」


 宵喰い狼が1匹、木々の間から姿を現した。


 黒い毛の間を、紫色の光が走っている。


 続いて、左右から2匹。


 さらに奥にも影が動く。


「村へ向かうより、俺たちを狙う方を選んだんですね」


「正確には、私だ」


「自信満々に言うことではないですよ」


「傷ついた獲物を優先するのは、魔物として当然だ」


「獲物扱いされてるのに冷静ですね」


 先頭の宵喰い狼が飛びかかる。


 ごんっ、と重い音が響いた。


 見えない壁が波紋のように揺れる。


 リディアは剣を構えたまま、その光景を見つめていた。


「何度見ても異常だな」


「俺は少し慣れました」


「この結界があれば、城塞すら必要なくなる」


「半径1メートルしかありませんけど」


「それでも、敵の攻撃を完全に防ぐ」


「内側からも攻撃できません」


「何?」


「たぶんですけど、この壁は敵意のある攻撃を通さないみたいです。中から外へ攻撃しても、止められると思います」


「試したのか?」


「試してません」


「では、なぜ分かる」


「無敵の砦にできるなら、説明書がもっと自慢してくる気がするので」


「根拠が弱い」


「この説明書、必要なことを後から書くので」


「信用しているのか、していないのか分からないな」


「俺にも分かりません」


 宵喰い狼たちは、次々と安全地帯へ体当たりした。


 だが、透明な壁は壊れない。


 牙も、爪も、一夜たちへ届かなかった。


「ここにいれば、群れを村から引き離せる」


 リディアが言った。


「日が昇れば、宵喰い狼の動きは鈍る。その時に街道へ抜ける」


「つまり、朝まで待つ?」


「ああ」


 一夜は少しだけ笑った。


「休むことになりましたね」


「休息ではない。囮だ」


「寝袋を使う囮ですか?」


「寝るとは言っていない」


「その体で、一晩中起きてるつもりです?」


「見張りが必要だ」


「俺がやります」


「あなたは戦えない」


「安全地帯の中で見張るだけなら、戦えなくてもできます」


「眠気で判断を誤ればどうする」


「コーヒーがあります」


「先ほど飲んでいた黒い液体か」


「眠りにくくなります」


「そのような薬を常用しているのか?」


「ニホンでは、かなり多くの人が飲んでます」


「豊かな国ではなかったのか?」


「そこは何とも言えませんね」


 リディアは納得していない顔をしている。


 一夜はバーナーとやかんを取り出した。


「水も食料もあります。あなたは少しでも寝てください」


「先ほど眠った」


「1時間42分です」


「十分だ」


「全然、十分じゃありません」


「あなたの基準を押しつけるな」


「倒れた人の基準に合わせると危険なので」


「また、その話か」


「何度でもします」


 一夜は湯を沸かし始めた。


「夜は長いです。今のうちに食べて、交代で休みましょう」


「あなたが眠れば、この場所はどうなる」


 一夜の手が止まる。


「……あ」


「考えていなかったのか?」


「俺がこの世界で眠ると、元の世界へ戻る可能性があります」


「可能性?」


「前回は戻りました」


「では、眠るな」


「簡単に言いますね」


「あなたが消えれば、天幕はどうなる」


「分かりません」


「結界が消える可能性もあるのか」


「ありますね」


「絶対に眠るな」


「急に命令が強くなったな」


「私たちの命が懸かっている」


「分かりました。見張ります」


 一夜はコーヒーの袋を取り出した。


「でも、あなたは寝てください」


「断る」


「俺が眠れない分まで、寝てください」


「意味が分からない」


「俺が2人分起きるのは無理なので」


「もっと意味が分からない」


 一夜は自分のマグカップへコーヒーを作った。


 リディアには、残っていたスープを用意する。


 温かい湯気が、2人の間へ立ち上る。


 外では魔物が牙を鳴らしている。


 それでも、テントの周囲だけは静かな食卓になっていた。


     ◇


 日が沈むと、宵喰い狼の動きは明らかに変わった。


 昼間より速い。


 紫色の光も強くなり、黒い体が闇の中に浮かび上がって見える。


 数も増えていた。


「9匹」


 一夜が数える。


「奥に、あと2匹いる」


「11匹ですか」


「少なくともな」


「絶対に外へ出られませんね」


「今さら怖くなったのか?」


「最初から怖いですよ」


「そうは見えない」


「怖がりながらコーヒーを飲むことには慣れました」


 宵喰い狼が壁へ激突する。


 一夜は反射的に肩を揺らした。


「やっぱり慣れてないかもしれません」


 リディアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「笑いました?」


「笑っていない」


「今、絶対に笑いましたよね」


「気のせいだ」


「騎士もごまかすんだな」


「敵の動きを見ろ」


「はいはい」


「返事は1回だ」


「厳しいな」


 そんなやり取りを続けながら、時間が過ぎた。


 夜が深くなるにつれ、リディアのまぶたが重くなっていく。


 剣を抱えたまま座っているが、何度も頭が下がっていた。


「寝てください」


「起きている」


「今、寝てましたよ」


「目を閉じていただけだ」


「前にも聞きましたね、それ」


「見張りを交代する」


「俺は眠れません」


「ならば、2人で起きている」


「意味がないでしょう」


「あなた1人に任せられない」


「俺が何か見落としたら、起こします」


「見落としたことに気づけるのか?」


「嫌なところを突きますね」


 一夜は考え、懐中電灯をリディアへ渡した。


「異変があれば、これを鳴らします」


「光を出す道具ではないのか」


「後ろのボタンを長押しすると、音が鳴ります」


 一夜が操作すると、大きな警告音が響いた。


 外の宵喰い狼が一斉に身を引く。


 リディアも剣へ手を伸ばした。


「先に言え!」


「すみません。思ったより大きかったです」


「敵を刺激するな」


「でも、起きますよね?」


「眠らない」


「分かりました。眠らなくていいので、横になってください」


「言葉を変えただけだ」


「ばれましたか」


 リディアはしばらく一夜をにらんでいた。


 しかし、疲労には勝てなかったのだろう。


 やがて、寝袋の上へ横になった。


「異変があれば、すぐに起こせ」


「はい」


「必ずだ」


「はい」


「前のように、勝手に延長するな」


「朝まで起こさなくていい状況なら?」


「起こせ」


「でも――」


「起こせ」


「分かりました」


 リディアは剣を抱えたまま目を閉じた。


 数分後には、呼吸が深くなっていた。


 一夜は小さくため息をつく。


「起こしたら、また起き続けるだろうな」


 約束を守るべきか。


 休ませるべきか。


 答えを出す前に、リディアは完全に眠っていた。


 一夜はマグカップを持ち、森へ向き直る。


 夜は長かった。


     


 何度目かのコーヒーを飲み終えた頃、東の空がわずかに白み始めた。


 一夜は時刻を見る。


 午前5時31分。


 ほとんど眠っていない。


 目は重く、頭もぼんやりしている。


 それでも、朝が来た。


 木々の隙間から、細い光が差し込む。


 宵喰い狼たちが落ち着きを失った。


 紫色の光が弱まり、低いうなり声を上げながら後退していく。


「本当に朝が苦手なんだな」


 1匹。


 また1匹。


 群れは森の奥へ姿を消した。


 最後の1匹が去るまで、一夜は動かなかった。


 完全に気配が消えた後、ようやく息を吐く。


「朝になりましたよ」


 一夜は眠っているリディアの肩へ手を伸ばした。


 触れる前に、彼女が目を開ける。


「敵は」


「森へ戻りました」


 リディアはすぐに体を起こした。


「何時だ」


「朝です」


「私は、どれくらい眠った」


「5時間くらいです」


「起こせと言ったはずだ!」


「異変がなかったので」


「約束を――」


 リディアは立ち上がり、そのまま動きを止めた。


 脇腹へ手を当てる。


 左腕を上げる。


「痛みは?」


 一夜が尋ねる。


「……かなり減っている」


「傷を見せてください」


 リディアは迷った後、鎧の留め具を外した。


 一夜が包帯をほどく。


 深い爪痕は残っている。


 だが、傷口は閉じ始め、出血は完全に止まっていた。


「昨日より、明らかに良くなってます」


「一晩で、ここまで……」


 リディアも信じられない様子で傷を見ている。


「軽い傷なら、もっと治るのかもしれませんね」


「これは治癒術ではない」


「違うんですか?」


「治癒術を受けた時の魔力の流れがない。眠っている間、体そのものが回復していた」


「安全に眠れたから?」


「それだけで説明できる傷ではない」


 紙の擦れる音がした。


 一夜とリディアが、同時にテントを見る。


 説明書がひとりでに開いていた。


「またか」


 一夜は説明書を手に取る。


 白紙だったページに、次々と文字が浮かんでいく。


【朝到達判定――完了】


【朝到達記録:1】


【本来、朝へ到達できなかった可能性が高い宿泊者の生存を確認しました】


 一夜の指が止まる。


「何と書かれている?」


「あなたが、朝まで生きたことを記録したみたいです」


「私が?」


「本来なら、朝を迎えられなかった可能性が高いって」


 リディアは何も言わなかった。


 昨日の状態で外へ出ていれば、どうなっていたか。


 本人にも分かっているのだろう。


 さらに、新しい文字が現れる。


【規定条件を満たしました】


【テントレベルが上昇します】


【テントレベル:2】


【保護領域を半径2メートルへ拡張】


【追加機能:軽傷回復】


【追加機能:初級調理補助】


【推奨宿泊人数:3人】


 説明書を読み終えた瞬間、空気が揺れた。


 透明な波紋がテントを中心に広がっていく。


 半径1メートルだった安全地帯が、さらに外側へ押し広げられた。


 リディアが剣へ手を伸ばす。


「結界が広がった」


「2メートルになったみたいです」


「なぜだ」


 一夜は説明書を見つめた。


「誰かが朝を迎えたから」


「それだけで?」


「このテントにとっては、それが大事みたいです」


 魔物を倒した数ではない。


 戦った強さでもない。


 傷ついた誰かを安全な場所へ入れ、温かい物を食べさせ、眠らせる。


 そして、朝まで生きてもらう。


 それを、このテントは数えている。


「変なテントだな」


 一夜がつぶやく。


「あなたが言うのか」


「俺が買っただけなので」


「つうはんで、世界を渡る天幕を買ったのだろう」


「だから、普通は売ってないんですよ」


 リディアは広がった安全地帯を見回した。


 それから、一夜へ向き直る。


「泊一夜」


「はい」


「約束を破ったことは許していない」


「ですよね」


「だが」


 リディアは一度、言葉を止めた。


「朝まで守ってくれたことには、礼を言う」


 一夜は少し驚いた。


 彼女が、素直に礼を言うとは思わなかった。


「どういたしまして」


「ただし、次は必ず起こせ」


「状況によります」


「あなたは本当に――」


 リディアが眉を寄せる。


 一夜は笑いながら、説明書を閉じた。


「村へ行きましょう」


 夜は越えた。


 リディアは立てる。


 宵喰い狼の群れも、朝の森へ退いた。


 自分たちが無事だったからといって、村まで安全だとは限らない。


 一夜はバックパックを背負う。


「今度は、俺が道を教えてもらう番です」


「私から離れるな」


「はい」


「危険を感じたら、すぐに伏せろ」


「逃げるじゃなくて?」


「あなたが走れば、私が守りにくい」


「そこまで運動が苦手に見えます?」


「昨日、見た」


「事実だから言い返せないな……」


 リディアはわずかに口元を緩め、森の東を見た。


「行くぞ。ハルト村へ」


 安全地帯の外で、2人の言葉はまだ通じない。


 それでも一夜は、昨日より少しだけ、その背中を信じられる気がしていた。

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