第66話 急かされても、手順は変えない
【地下接続形成開始】
【第0貯水槽】
【接続安定まで:11分38秒】
【役割継承要求】
【対象:泊一夜】
一夜は説明書を閉じなかった。
黒い文字を、もう1度確認する。
「断るだけでは、止まらないんですか?」
【継承要求は拒否可能です】
「拒否します」
【拒否を確認】
一瞬。
中庭を走っていた黒い線が止まった。
だが。
【地下接続形成:継続】
「継承は断れた」
リディアが言う。
「でも、扉は開く?」
「はい」
一夜は次の表示を見る。
【役割継承要求:拒否済み】
【接続目的:変更】
「変更?」
ダリウスが近づく。
「何に変わった」
文字が浮かぶ。
【接続目的】
【現行夜側維持役からの接触】
一夜の背筋が冷える。
「現行のノクスが」
全員が黙る。
「向こうから話をしたがってるみたいです」
「罠だな」
ガレスが即答した。
「可能性は高いです」
「なら閉じろ」
「できるか?」
ダリウスが尋ねる。
一夜は説明書へ聞く。
「今、接続を止められますか?」
【地上側からの強制閉鎖:不可】
【形成完了前の接続位置変更:非推奨】
【設営解除による接続固定解除:可能】
リディアが緑色のテントを見る。
「畳めば止まる?」
「たぶん、ここへの固定は外れます」
「なら」
「でも」
一夜は続く表示を読む。
【接続固定解除後、地下側は別の地上接続地点を探索する可能性があります】
「逃がすことになるかもしれません」
ダリウスの表情が険しくなる。
「ここで受ける方がましか」
「安全地帯があります」
「騎士団本部でもある」
ガレスが言う。
「その両方がある場所へ出てくるなら、監視はできる」
一夜は黒い線を見る。
「俺も、ここで受けた方がいいと思います」
「理由は?」
リディアが聞く。
「相手が急いでるからです」
「それは危険な理由だ」
「はい」
一夜はうなずく。
「だからこそ、向こうの都合で別の場所を選ばせたくない」
急かされる。
時間がない。
今すぐ決めろ。
そういう状況ほど。
以前の一夜は、全部自分で抱えた。
「ここなら」
一夜はテントへ触れる。
「俺たちの準備があります」
帰還ロープ。
補助ロープ。
境界。
騎士団。
そして。
決めてきた手順。
「予定より早くても」
一夜は全員を見る。
「やることは変えません」
リディアがうなずいた。
「同感だ」
ダリウスが即座に指示を出す。
「地下班、準備!」
騎士たちが一斉に動く。
「地上班は中庭封鎖!」
「了解!」
「記録官へ連絡! 現行資料を安全地帯へ!」
「はい!」
誰も黒い線へ飛びつかない。
誰も。
「今すぐ入らなければ」と走らない。
一夜は、それを見て少しだけ安心した。
【接続安定まで:9分51秒】
「食べられます?」
一夜が尋ねる。
リディアが振り返る。
「今から?」
「9分あります」
「作れるのか」
「簡単な物なら」
一夜はバックパックから鍋を取り出した。
「設営者」
ガレスが呆れた顔をする。
「今から料理か」
「地下へ入る前でしょう」
「そうだが」
「食べられる時に食べる」
リディアが言った。
「最近の騎士団でも決めた」
「そうでした」
一夜は乾燥スープを鍋へ入れる。
水。
少量の干し肉。
火をつける。
「レイ」
「何だ」
「食べられます?」
「食べる」
「地下へ行く前でも?」
「腹が減っている」
「なら大丈夫ですね」
「干し肉は」
「今は追加なしです」
「なぜ」
「全員同じ時間で食べるので」
レイは不満そうだったが、反論しなかった。
湯気が上がる。
【地下探索前の集団調理を確認】
【疲労回復・弱】
【恐怖緩和・中】
【自己認識安定・中】
【呼名干渉耐性・弱】
【役割固定耐性・弱】
一夜の手が止まる。
「新しいのが出ました」
「何が」
リディアが器を受け取る。
「役割固定への耐性」
「ノクス対策か」
「たぶん」
「食べる」
「熱いですよ」
リディアは少し冷ましてから口へ運んだ。
「学びましたね」
「毎回舌を焼くほど愚かではない」
テオが横から小さく笑った。
「前は焼いたんですか?」
「テオ」
「すみません」
一夜はレイにも器を渡す。
「どうぞ」
レイがひと口。
「干し肉が少ない」
「今それを言います?」
「感想を聞いていない?」
「聞いてません」
「でも少ない」
「帰ってきたら増やします」
レイの手が止まった。
「帰ってきたら」
「はい」
「約束?」
一夜は少し考える。
「無事に戻ってきたら、追加します」
「では戻る」
「干し肉のために?」
「それだけではない」
「よかった」
レイはもう1口食べる。
「でも、干し肉も理由の1つ」
「それでいいと思います」
救助以外の理由。
役割以外の理由。
帰ってきた後にしたいこと。
小さくても。
ある方がいい。
【接続安定まで:6分12秒】
地下班が中庭へ集まった。
リディア。
ガレス。
テオ。
騎士4人。
そしてレイ。
合計8人。
「記録官は?」
一夜が尋ねる。
ダリウスが答える。
「今回は同行させない」
「昨日は別の記録官を入れる予定では?」
「接続が予定より早い。古い文字の確認が必要になれば、写しを地上へ送る」
「無理に人数を増やさない?」
「ああ」
「いいと思います」
一夜は帰還ロープを確認する。
主ロープ1本。
全員へ短い接続ロープ。
順番。
地上から見て。
1番、ガレス。
2番、騎士。
3番、テオ。
4番、騎士。
5番、レイ。
6番、騎士。
7番、騎士。
8番、リディア。
「副隊長が最後なんですね」
「最後尾を見る」
「無理に残らないでください」
「分かっている」
「撤退合図は?」
「連続牽引」
「ガレスさんから撤退提案が出た場合は?」
「1度止まり、理由を聞く」
「ほかの人からでも?」
「同じだ」
「レイ」
「何だ」
「地下で俺が出ても?」
「ついていかない」
「ノクスに何か言われても?」
「その場では決めない」
「帰ってから?」
「考える」
「よし」
レイが眉を寄せる。
「子供扱いされている気がする」
「全員同じ確認してます」
「ならいい」
一夜は最後にリディアを見る。
「ロイドさんが出ても」
「本人だと決めつけない」
「話したくなったら?」
「話す」
「無理に黙る必要はないです」
「ああ」
「ただし」
「その場で夜に残るとは決めない」
「はい」
リディアが親指を立てる。
一夜も返した。
【接続安定まで:3分04秒】
黒い線が、中庭の土を縦へ裂き始める。
以前の黒い鏡とは違う。
今回は。
石造りの扉の形になっていく。
古い。
ひどく古い扉。
表面には、削れかけた文字。
ローレンが境界の中から読み上げる。
「夜間避難所」
一夜の胸がざわつく。
「昔の?」
「文字の形式は200年以上前だ」
扉の中央。
鍵穴がある。
「鍵」
レイがつぶやく。
説明書が反応する。
【旧夜間避難所接続構造を確認】
【管理権限残滓:検出】
【現在の夜側維持役が保持しています】
一夜が読み上げる。
「現行ノクスが、昔の管理権限を持ってる」
「なら」
リディアが扉を見る。
「元の鍵を返させれば、終わる?」
「可能性はあります」
【推定:高】
「目的ができたな」
ガレスが言う。
一夜は首を横へ振る。
「目的は2つです」
「何だ」
「鍵を確認すること」
そして。
「今のノクス本人が、朝へ戻る意思を持てるか確認すること」
「救うのか」
「できるなら」
ガレスは少し考えた。
「敵であっても?」
「ノクスをやめられるなら」
一夜は答えた。
「その方が、この役割は終わるかもしれません」
「無理なら?」
リディアが聞く。
「全員で戻ります」
「倒さない?」
「必要なら騎士団に任せます」
「自分では戦えないから?」
「それもあります」
一夜は笑う。
「でも、俺の役割は帰る場所を守ることなので」
説明書が光った。
【接続安定まで:30秒】
扉の隙間から、冷たい空気が漏れる。
地下の湿った匂い。
古い石。
水。
そして。
どこか甘い香り。
「何の匂いだ」
テオが言う。
レイの顔が強張る。
「知っている」
「何?」
「地下で」
レイが胸を押さえる。
「模倣体が作られる前に、いつもしていた」
一夜が説明書を見る。
【未知物質反応】
【吸入非推奨】
「全員、口元を覆って!」
騎士たちが布を巻く。
「毒?」
「分かりません」
【接続安定】
石の扉が。
ゆっくり。
内側へ開いた。
暗い階段。
その先に。
淡い青白い明かりが見える。
『ようこそ』
声がした。
一夜の声ではない。
リディアでも。
ロイドでもない。
疲れた女性の声。
『待っていました』
一夜の説明書に文字が浮かぶ。
【現行夜側維持役を確認】
【自己名:未確認】
【役割名:ノクス】
【役割継続期間】
【223年】
「223年……?」
一夜が息をのむ。
リディアが振り返る。
「どうした」
「今のノクス」
一夜は開いた扉を見る。
「223年前から、ずっと同じ役割を続けてる」
中から。
女性の声がもう1度聞こえた。
『早く来てください』
『もう』
『疲れました』
誰も動かなかった。
急かされても。
手順は変えない。
ガレスが帰還ロープを握る。
「行くぞ」
1番。
境界を出る。
続いて騎士。
テオ。
レイ。
順番通り。
1人ずつ。
最後にリディアが扉の前で振り返る。
一夜を見る。
「帰る」
「はい」
「全員で」
「待ってます」
リディアは親指を立てた。
一夜も返す。
そして。
8人は。
223年間、終わらなかった夜へ足を踏み入れた。




