第65話 最初のノクス
翌朝。
一夜が騎士団本部の中庭へ出ると、まだ日の光は低かった。
緑色のテント。
補強されたロープ。
地下へ続く点検口。
すべて、昨日のまま。
ただ1つ違うのは。
「一夜!」
記録室の窓から、ローレンが顔を出している。
「来てくれ!」
「朝から元気ですね」
「見つかった!」
「何が?」
「ノクスだ!」
一夜の眠気が一気に消えた。
「それは元気になるな……」
リディアも本部棟から出てくる。
「何があった」
「最古の記録が見つかったそうです」
「地下へ入る前に確認する」
「はい」
一夜は歩き出し。
すぐにリディアから右足を見られた。
「痛みは」
「ありません」
「本当に?」
「普通に歩けます」
「ならいい」
「確認が早くなりましたね」
「毎回聞くからな」
「俺も答えるのに慣れてきました」
後ろからレイがついてくる。
手には朝食代わりのパン。
「干し肉じゃない」
一夜が言う。
「朝はパンも食べる」
「食生活が広がってる」
「干し肉も食べた」
「安心しました」
「何にだ」
3人で記録室へ入る。
ローレンの机には、昨日まで見なかった大きな革張りの帳簿が置かれていた。
紙ではない。
薄い木板へ文字を刻み、その上から油を塗った古い記録。
「どこにあったんです?」
「騎士団の資料庫ではない」
「では?」
「アルノ旧礼拝堂の保管庫」
「どうしてそんなところに」
「地下水路が作られる前の記録だからだ」
一夜は椅子へ座る。
「何年前?」
「241年前」
「かなり古い」
「ああ」
ローレンが木板を開く。
「そして、これが今確認できる中では最古の『ノクス』だ」
一夜は身を乗り出した。
「名前は?」
「ない」
「ない?」
「正確には」
ローレンが文字を指でなぞる。
「ノクスが人名として書かれていない」
リディアが隣からのぞき込む。
「どう書かれている」
「夜間避難所管理役」
ローレンはゆっくり読み上げる。
「旧語で――ノクス」
一夜の表情が変わった。
「元々、本当に役職だった?」
「ああ」
説明書が勝手に開いた。
【既知名称照合】
【ノクス】
【旧用途情報を取得】
【原義推定】
【夜を預かる者】
「夜を預かる者」
レイが繰り返す。
「夜を維持する者、ではない」
「違いますね」
一夜は表示を見る。
「最初から今の意味ではなかった」
ローレンが次の木板を開いた。
「当時のアルノには、城壁がまだなかった」
「危険だった?」
「宵喰い狼の群れが、冬になると街道近くまで来ていたらしい」
「それで避難所?」
「ああ。夜間だけ住民を地下へ避難させていた」
「その管理をする人がノクス」
「そうだ」
リディアが尋ねる。
「役目は?」
「避難者の人数確認。食料と灯火の管理。負傷者の確認。入口の監視」
一夜は聞きながら、少しずつ眉を寄せる。
「……俺と似てません?」
「かなり」
ガレスの声が入口からした。
いつの間にか来ていた。
「食事を用意し、負傷者を休ませ、朝まで守る」
「そこまで似なくてもいいのに」
「だから適合率が高いのだろう」
リディアが言う。
一夜は説明書を見る。
【設営者役割固定危険度】
【現在:中】
「朝から見せないでほしいな」
「見ておけ」
「はい」
ローレンは記録をさらに読み進める。
「ただし、昔のノクスには明確な規則があった」
「規則?」
「7つ残っている」
一夜が聞く。
「全部重要ですか?」
「おそらく」
「ではお願いします」
ローレンが読む。
「避難者の意思なく入所させてはならない」
一夜の目が動く。
「本人意思」
「次」
「夜明け後、退所を希望する者を引き留めてはならない」
「これも安全地帯と同じ」
「次」
「休息を命じることはできる。ただし、朝以降の行動を命じてはならない」
リディアが小さく息を吐く。
「かなり徹底している」
「次」
「ノクスは避難者の代わりに未来を決めてはならない」
一夜の指が止まった。
説明書に出ていた。
他者の意思決定を代行しない。
「同じですね」
「ああ」
「続けるぞ」
「お願いします」
「避難者全員の退所を確認するまで、ノクスは最後に残る」
「最後に残る」
レイの顔が少し硬くなる。
「今のノクスと似ている」
「次が重要だ」
ローレンが声を低くした。
「ノクスは、最後に残る者であって」
指が文字を追う。
「最後まで残る者ではない」
誰も話さなかった。
一夜は、その文章を頭の中で繰り返す。
最後に残る。
でも。
最後まで残ってはいけない。
「つまり」
一夜が言う。
「全員を朝へ送り出した後」
「ノクス自身も出る」
リディアが続けた。
「それが元の役割だった」
「はい」
ローレンが最後の規則を読む。
「ノクス自身が朝へ出ることを拒んだ場合」
少し間が空く。
「その夜の管理役を解任する」
「解任できた?」
「当時は、な」
「どうやって?」
「記録には、避難所の鍵を返させる、とある」
一夜は説明書を見る。
「鍵」
出発地点側経路鍵。
帰還地点。
テント。
何度も。
この物語では「鍵」が出てきている。
「昔のノクスにも、何か権限を預けていたのかもしれません」
【推定一致】
【旧ノクス役は一時的権限保持者であった可能性が高い】
「やっぱり」
レイが尋ねる。
「いつ変わった」
「そこなんです」
一夜もローレンを見る。
「最初は、ちゃんとした避難所管理人だった」
「だが今は、人を夜へ固定する」
「どこで逆転した?」
ローレンは別の木板を出した。
「最古の異常記録は、223年前」
「18年後」
「ああ」
「何があったんです?」
「避難所を管理していたノクスが」
ローレンは1度言葉を止めた。
「朝になっても、鍵を返さなかった」
「理由は?」
「その前夜に、自分の娘を失っている」
一夜の表情から、力が抜けた。
「また喪失」
「娘は避難所へたどり着けなかったらしい」
「それで」
「翌朝」
ローレンが古い記録を読む。
「ノクスは、こう主張した」
リディアが小さく息を吸う。
「もう誰も外へ出さなければ」
一夜には。
続きが分かった。
「次は誰も失わない」
ローレンがうなずいた。
「その通り書かれている」
部屋が静かになる。
223年前。
誰かを守るために。
最初のノクスは、朝を閉じた。
「その人の名前は?」
一夜が尋ねた。
「記録にある」
ローレンが指を置く。
「ミレア・サーン」
女性だった。
「ミレアは、それまで何年ノクスを?」
「6年」
「普通に仕事をしていた?」
「ああ」
「毎朝、ちゃんと人を出していた?」
「記録上は」
一夜は目を閉じた。
最初から怪物ではない。
6年間。
夜を預かり。
人を休ませ。
朝に送り出していた。
ある日。
自分の大切な人を失った。
そして。
もう誰も外へ出さなければいい。
そう思った。
「その日から」
ローレンが言う。
「記録の表記が変わる」
「どう?」
「役職としての『ノクス』ではなく」
古い木板へ刻まれた名前。
「ノクス・サーン」
一夜は息を吐いた。
「役職が、名前になった」
「そう見える」
説明書へ文字が浮かぶ。
【推定起点情報を更新】
【旧ノクス役】
【目的:夜間保護】
【終了条件:全避難者の退所、および管理役本人の退所】
【異常固定起点】
【終了条件の拒否】
「終わる条件を拒んだ」
一夜が読み上げる。
「朝になっても、自分が出なかった」
レイが言う。
「だから役割が終わらなかった」
「そして」
リディアが続ける。
「人を出すこともやめた」
一夜は説明書を見る。
さらに。
【現在確認される「ノクス」は】
【本来終了すべき夜間保護役が継続固定された状態である可能性があります】
「……壊れた役割」
一夜がつぶやいた。
ノクスという悪。
そう思っていた。
でも元々は。
誰かが朝まで生き延びるために必要だった。
「なら」
一夜が言う。
「ノクスを消すことが正解とは限らない」
「何をする?」
ガレスが聞く。
「終わらせる」
一夜は答えた。
「その人の夜を」
リディアが一夜を見る。
「朝へ出す?」
「できるなら」
「現在のノクスが誰なのかも分からない」
「はい」
「何代も引き継がれている」
「はい」
「簡単ではない」
「分かってます」
一夜は少し笑った。
「だから、今すぐ俺1人で何とかしません」
リディアも少し笑った。
「よし」
「確認されるんですね」
「必要だ」
レイは古い木板を見ていた。
「私も」
「何です?」
「夜から作られた」
「はい」
「なら」
レイは一夜を見る。
「元々のノクスに近い?」
一夜は少し考えた。
「どうでしょう」
「地下へ戻れば、分かるかもしれない」
「行きたいですか?」
レイは黙る。
すぐには答えない。
一夜も待った。
「怖い」
やがてレイが言った。
「はい」
「戻れば、また誰かになろうとするかもしれない」
「はい」
「ノクスになれと言われるかもしれない」
「可能性はあります」
「それでも」
レイは胸へ手を置く。
「知りたい」
「何を?」
「なぜ私が作られたのか」
一夜はレイを見る。
「地下が作ったから戻るんですか?」
「違う」
レイは首を横へ振る。
「私が知りたいから戻る」
一夜は静かにうなずいた。
「分かりました」
リディアが尋ねる。
「止めないのか」
「止めたいですよ」
「なら」
「でも」
一夜はレイを見る。
「本人が選びました」
レイが少しだけ笑う。
「設営者らしくない」
「最近、練習してますから」
「ただし」
一夜は続けた。
「条件があります」
「何だ」
「帰還ロープから絶対に外れない」
「ああ」
「地下で一夜の姿が出てもついていかない」
「ああ」
「ノクスに誘われても、その場で答えない」
「なぜ」
「持ち帰ってから考える」
レイが少し驚く。
「その場で決めなくていい?」
「いいです」
「重要なことでも?」
「重要だからです」
レイは数秒考えて。
「分かった」
リディアも言う。
「私にも同じ条件を適用しろ」
「ロイドさんが出ても?」
「ああ」
「その場で答えない?」
「救助が必要なら別だ」
「そこは確認しましょう」
「分かった」
ガレスがため息をつく。
「また規則が増えたな」
「増えて困ります?」
「いや」
ガレスは剣の柄へ手を置く。
「生きて帰れるなら、何個でも覚える」
一夜は笑った。
「それでお願いします」
その時。
中庭から鐘が鳴った。
1回。
2回。
短く3回。
地下接触を示す合図。
一夜たちは一斉に記録室を出た。
中庭。
テントの安全地帯。
その外縁。
地面に黒い線が走っている。
説明書が開いた。
【地下接続形成開始】
【第0貯水槽】
【接続安定まで:12分】
続いて。
【役割継承要求を検出】
一夜の顔が強張る。
【現在の要求対象】
【泊一夜】
「また俺です」
リディアが一夜の前へ立つ。
「地上にいろ」
「その予定です」
【継承要求内容を解析】
新しい文字。
【夜側維持役】
【交代要求】
一夜は、その文字を見つめた。
223年前。
鍵を返さなかったノクス。
終わるはずだった夜。
そして今。
地下は一夜へ。
その続きを引き継げと言っている。
一夜は説明書を閉じた。
「断ります」
地下へ向かってではない。
自分自身へ確認するように言った。
「俺が作りたいのは」
緑色のテントへ手を置く。
「朝まで休める場所です」
休んだ後。
出ていける場所。
「ずっと朝が来ない場所じゃない」
地下の黒い線が、大きく脈打った。
明朝の予定だった本格調査は。
向こうから。
予定より早く始まろうとしていた。




