第63話 守るために、閉じ込めない
『副隊長』
中庭の地面から、もう1度声が聞こえた。
『今度は、ちゃんと休みますから』
リディアは動かなかった。
一夜は隣に立ったまま、説明書を開く。
【地下接触を確認】
【使用自己識別情報:ロイド】
【情報構成】
【現行記憶断片】
【過去固定対象情報】
【関係性情報】
「やっぱり、混ぜてます」
リディアが一夜を見る。
「何を」
「リディアさんが知っているロイドさんの記憶と、154年前のロイド・フェルの情報です」
「本人ではない?」
【本人同一性:確認不能】
【独立した自己識別:未成立】
「少なくとも、自分自身として成立している存在ではないみたいです」
『副隊長』
声が続く。
『返事くらい、してくださいよ』
リディアの唇が動きかける。
一夜が小さく首を横へ振った。
「名前を呼ばれてはいません」
ガレスが言う。
「返事をしても問題ないのでは?」
「分かりません」
一夜は説明書を見る。
文字が増えた。
【警告】
【接触対象は関係性情報の確定を試みています】
【第三者が対象を「本人」と認定した場合、自己識別情報が強化されます】
「駄目です」
「何が?」
「話すこと自体より」
一夜はリディアを見る。
「『お前はロイドだ』と認めるのが危ない」
リディアは地面へ視線を戻した。
「なら、本人ではないものとして話す」
「できます?」
「やる」
一夜は止めなかった。
本人が決める。
それも、ここまで一緒に学んできたことだった。
リディアが安全地帯の境界まで進む。
ただし外へは出ない。
「地下にいる者」
『……副隊長?』
「私は、お前をロイドだとは認めない」
地面の下が静かになった。
『ひどいですね』
「そうかもしれない」
『俺の声を忘れたんですか』
「忘れていない」
『顔だって覚えているでしょう』
「覚えている」
『なら、俺です』
「違う」
リディアは即座に答えた。
『どうして』
「声を知っているから本人になるわけではない」
『副隊長にしか分からないことも知っています』
「それも証明にならない」
『次の野営地まで行けば休めるって』
リディアの指が震えた。
『そう言いましたよね』
一夜は何も言わなかった。
『俺は、大丈夫ですって答えた』
リディアの呼吸が浅くなる。
『だから進んだ』
地面の黒い染みが、少し広がる。
『副隊長だけが悪かったわけじゃない』
一夜の説明書が光った。
【関係性反応:上昇】
「リディアさん」
「分かっている」
声は震えている。
それでも彼女は後ろへ下がらなかった。
『俺が大丈夫だと言ったんです』
「そうだ」
『だから、もう自分を責めなくていい』
リディアの目が揺れる。
その言葉は。
ずっと聞きたかったものなのかもしれない。
『ここへ来てください』
一夜の背中に冷たいものが走った。
『今度は、ちゃんと休みます』
「何のために」
リディアが尋ねた。
『え?』
「休んだ後、何をする」
『また、一緒に行きましょう』
「どこへ」
『任務へ』
「その後は?」
『副隊長と一緒に』
「私がいなければ?」
返事が止まった。
リディアは地面を見る。
「私がいない朝に、お前は何をしたい」
『……』
「食べたいものは」
『副隊長と同じものでいいです』
「行きたい場所は」
『副隊長が行くところへ』
「休みの日は」
『次の任務に備えます』
一夜は説明書を確認する。
【独立自己識別:未形成】
【関係性役割への依存:高】
リディアの表情が変わった。
悲しそうだった。
「違う」
『何がです』
「あいつは」
リディアが、初めて本物のロイドについて話すように言った。
「私の部下である前に、1人の人間だった」
『俺はあなたの部下です』
「それだけではない」
『それで十分です』
「十分ではなかった」
リディアは自分の胸を押さえる。
「私は、知らなかった」
一夜が彼女を見る。
「好きな食べ物も」
リディアの声が小さくなる。
「休みの日に何をしていたかも」
『必要ありません』
「必要だった」
『任務には関係ない』
「だから、私は間違えた」
一夜の胸が締めつけられる。
部下として見ていた。
騎士として。
戦力として。
守る対象として。
でも。
その人自身を、どこまで知っていたのか。
「だから今度は」
リディアが続ける。
「役割だけで人を見ない」
地下の声が変わる。
『では、今度こそ守ってください』
優しかった声が、少し低くなる。
『地下へ来ればいい』
「行かない」
『なぜ』
「お前が誰なのか分からないからだ」
『見捨てるんですか』
「救助を求めるなら、方法を考える」
『なら来てください』
「それとこれは別だ」
『怖いんですね』
「怖い」
リディアは認めた。
一夜が少し驚く。
『また部下を失うのが』
「ああ」
『だったら』
地面の黒い染みが広がる。
『もう誰も外へ出さなければいい』
一夜の説明書に、赤い文字が浮かんだ。
【警告】
【役割誘導を検出】
【対象候補:リディア・アルクライト】
「リディアさん!」
彼女も一夜の声で察した。
『安全な場所へ全員を置けばいい』
声が複数に重なり始める。
『戦わせない』
『進ませない』
『朝へ行かせない』
『そうすれば』
最後だけ。
ロイドの声へ戻った。
『誰も死にません』
リディアの顔が強張る。
154年前。
レオン・アルクライトも。
きっと。
同じことを考えた。
「説明書に出ています」
一夜が言う。
「リディアさんが、役割の候補になってる」
「何の」
一夜は答えた。
「ノクスです」
ガレスたちが一斉にリディアを見る。
だがリディア本人は、驚かなかった。
「そうか」
「落ち着いてる場合ですか」
「話を聞いて分かった」
リディアは地下へ向かって言う。
「お前が欲しいのは、私だ」
『あなたなら守れる』
「守りたい」
『なら、こちらへ』
「行かない」
『なぜ』
リディアが一夜を見る。
それから。
安全地帯の中にいる騎士たちを見る。
「守るために」
ゆっくり。
「閉じ込めたくない」
地下の声が止まった。
「休ませる」
『同じです』
「違う」
『何が』
「休んだ後は」
リディアは境界の外を指した。
「自分で出られる」
一夜は、思わず笑いそうになった。
少し前に。
同じことを考えていた。
『外へ出れば、死ぬかもしれない』
「ああ」
『また失うかもしれない』
「ああ」
『それでも出すのか』
「私が決めることではない」
リディアは答えた。
「止めることはある」
一夜が彼女を見る。
「危険だと言う」
「はい」
「休めとも言う」
「はい」
「行くなと頼むこともある」
「それもいいと思います」
「だが」
リディアは地下を見据える。
「最後に選ぶのは、その人だ」
黒い染みが波打つ。
『また死なせます』
「かもしれない」
一夜は息をのむ。
リディアは逃げなかった。
「私が間違えることもある」
『だったら』
「だから、1人で決めない」
ガレスを見る。
テオを見る。
ダリウスを見る。
最後に。
一夜を見る。
「相談する」
『弱くなった』
「そうだな」
リディアは小さく笑った。
「昔より、弱くなった」
一夜が口を挟む。
「それ、いい意味ですよね?」
「今は黙っていろ」
「はい」
『副隊長』
ロイドの声が震える。
『俺を置いていくんですか』
リディアの目が閉じる。
長い沈黙。
そして。
「本当に助けを求めているなら」
目を開く。
「朝へ戻った後、何をしたい」
『あなたと――』
「私ではない」
声が止まる。
「お前自身は、何をしたい」
『……』
黒い染みが激しく揺れた。
『私は』
声が乱れる。
ロイド。
知らない男。
女。
老人。
子供。
いくつもの声が重なる。
『私たちは』
一夜の説明書が光る。
【自己識別情報の不整合を確認】
【関係性固定:失敗】
【役割誘導:低下】
「効いてます」
『私はロイドだ』
地面の声が叫ぶ。
「違う」
リディアが答える。
『ロイドだ!』
「私にそう認めさせなくても」
リディアは静かだった。
「お前が自分でそう思えるなら、私の言葉はいらないはずだ」
一夜は目を見開く。
レイも同じだった。
自分は泊一夜だと認めさせようとした。
誰かの承認が必要だった。
なぜなら。
自分自身として成立していなかったから。
【関係性固定:解除】
黒い染みが縮み始める。
『副隊長』
最後に。
本当にロイドとしか思えない声が聞こえた。
『ごめんなさい』
リディアの目に涙が浮かぶ。
それでも。
返事はしなかった。
黒い染みが消える。
【地下接触:終了】
【役割誘導対象】
【リディア・アルクライト】
【固定失敗】
【自己識別情報「ロイド」:再利用継続】
「消えてはいない」
一夜が言った。
「また、使ってくる可能性があります」
「ああ」
リディアは目元を拭った。
「次も来る」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではない」
以前なら。
きっと。
大丈夫だと言っていた。
一夜は少し笑う。
「それなら」
「何だ」
「少し休みましょう」
リディアも、わずかに笑った。
「ああ」
「コーヒー淹れます?」
「濃いのを」
「今日はいいですよ」
「珍しいな」
「今日は、そうしたいので」
「なら頼む」
レイが横から言う。
「私はいらない」
「分かってます」
「干し肉は」
「あります」
「なら休む」
ガレスが呆れた顔をする。
「お前たちは、さっきまで次のノクスを作られかけていたとは思えんな」
一夜はテントへ向かう。
「だから休むんですよ」
その途中。
説明書に、新しい表示が浮かんだ。
【地下側役割誘導記録を解析】
【ノクス候補選定条件を一部確認】
【条件】
【強い保護意思】
【喪失経験】
【自己犠牲傾向】
【他者の選択を代行しようとする傾向】
一夜の足が止まる。
「……これ」
リディアが振り返る。
「何だ」
一夜は最後の項目を見る。
【現在、条件一致率が最も高い対象】
嫌な予感がした。
【泊一夜】
「俺?」
今度は。
地下ではなく。
説明書そのものが。
一夜を次の候補だと示していた。




