第62話 同じ名前でも、同じ人ではない
【対象名:ロイド】
【同一人物判定:不能】
【自己識別情報の再利用可能性:高】
一夜は説明書から目を離せなかった。
隣では、リディアが完全に黙っている。
「本人とは限りません」
もう1度言う。
「154年前です。同じ人であるはずは――」
「分かっている」
リディアが答えた。
声は落ち着いている。
だが、右手は強く握られていた。
「ロイドは死んだ」
「はい」
「私が見た」
一夜は何も言わない。
「埋葬もした」
「はい」
「だから、地下にいるはずがない」
「そうです」
リディアは説明書を見る。
「では、なぜ名前が出る」
「そこを調べます」
ローレンがすぐに、154年前の記録を引き寄せた。
「固定された7人の名簿が残っている」
「ロイドは?」
「いる」
指で1行を示す。
「ロイド・フェル」
一夜が顔を上げる。
「家名がありますね」
「ああ」
リディアも紙を見る。
「私の知るロイドとは違う」
「家名が?」
「違う」
それだけでも、少し空気が緩んだ。
同じなのは、名だけ。
「年齢は?」
「19歳」
「職業は?」
「騎士ではない」
ローレンが続ける。
「薬師見習い」
「全然違う」
一夜が息を吐く。
リディアが失ったロイドは、彼女の部下だった。
154年前のロイド・フェルは薬師見習い。
経歴も。
時代も。
家名も違う。
「それでも説明書は、自己識別情報の再利用可能性が高いと言ってる」
レイが言った。
「名前が偶然同じだけなら、こんな表示は出ない?」
「たぶん」
一夜は説明書へ問いかける。
「再利用って、何を再利用しているんですか?」
白紙。
数秒待つ。
文字が浮かぶ。
【自己識別情報】
【名称・役割・関係性・記憶断片・感情反応を含みます】
「名前だけじゃない」
「では」
リディアが低く言う。
「154年前のロイドから何かを残している?」
【推定:はい】
「……そうか」
「でも」
一夜は続けて聞く。
「今のロイド本人を保存しているわけではない?」
【照合情報不足】
「そこは分からないみたいです」
リディアの表情は変わらない。
「地下は、私の記憶を読んだ」
「はい」
「ロイドという名前も知った」
「はい」
「そして、昔のロイドという情報も持っている」
一夜は、少しずつ理解し始める。
「混ぜられる」
レイが言った。
「何を?」
「古い情報と、新しく手に入れた記憶」
レイは自分の頭を指す。
「私もそうだった」
「俺の記憶を使って作られた」
「ああ」
「でも、完全な俺ではなかった」
「地下にあったものへ、あなたの情報を重ねた可能性がある」
一夜の背中が冷たくなる。
「じゃあ」
リディアが言う。
「地下でロイドが現れても」
「本人ではない可能性が非常に高いです」
一夜は即答した。
「顔が同じでも?」
「はい」
「声も?」
「はい」
「私しか知らないことを話しても?」
一夜は、一瞬だけ言葉を止めた。
それこそ。
模倣体が最も得意とするもの。
「それでも」
一夜は答えた。
「本人だとは判断しません」
リディアが一夜を見る。
「なぜ」
「記憶は読まれます」
「分かっている」
「だから、正しい答えを出せることは証明にならない」
前にも同じことを学んだ。
一夜の姿をした模倣体。
親指を立てる癖。
コーヒー。
リディアとの約束。
全部正しく答えた。
それでも本物ではなかった。
「ロイドさんについても同じです」
一夜は言う。
「思い出を知っていることと、本人であることは別です」
リディアの握った拳が、少しだけ緩む。
「なら、どう見分ける」
「見分けようとしません」
「何?」
「本人かどうかを、その場で証明しようとすると」
一夜は説明書を閉じる。
「相手の用意した問題に付き合うことになります」
本人なら答えられる質問。
本人しか知らない記憶。
本人らしい言葉。
全部。
夜が用意できる。
「だから」
一夜は続けた。
「地下でロイドさんが現れても、救助対象か、模倣体か、それだけを確認します」
「本人かもしれなくても?」
「その可能性を理由に近づかない」
「冷たいな」
リディアの声は責めてはいなかった。
「はい」
一夜も認める。
「でも、本人なら」
少し考える。
「たぶん、リディアさんが夜に残ることを望まないと思います」
リディアの目が揺れた。
「勝手に、ロイドの気持ちを決めるな」
「すみません」
「だが」
リディアは目を閉じる。
「私も、そう思う」
短い沈黙。
「だから、本人かどうかではなく」
「今、何を求めているかを見る」
一夜が続ける。
「はい」
「朝へ戻りたいなら、助ける」
「はい」
「私を夜へ残そうとするなら」
「離れます」
「斬る必要は?」
「できれば、なしで」
「そこは相変わらずだな」
「戦えないので」
「それを理由にするな」
「使いやすいんです」
レイが口を挟む。
「私も、同じことをされた」
「何が?」
「泊一夜本人かどうかではなく」
レイは一夜を見る。
「今、何を望んでいるか聞かれた」
一夜は思い出す。
泊一夜になることではなく。
何を望んでいる。
その問いに。
レイは、
地下へ戻りたくない。
休みたい。
と答えた。
「それで私は、レイになった」
「まだ途中ですけどね」
「あなたもだろう」
「そうですね」
リディアが2人を見る。
「では、ロイドの姿をした者にも」
「同じように聞きます」
一夜は答えた。
「何を望んでいるのか」
「私が聞く」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないかもしれない」
一夜は何も言わない。
「だが」
リディアは自分の胸へ手を置く。
「大丈夫ではないから、誰かに決めてもらうのも違う」
「そうですね」
「その時は、隣にいろ」
「地下へは行きませんよ」
リディアの眉が上がる。
「言葉通りに取るな」
「地上からなら」
「それでいい」
一夜は親指を立てる。
リディアも返した。
休憩を挟んだ後、調査は続いた。
154年前の固定対象7人。
1人ずつ記録を確認していく。
ロイド・フェル。
薬師見習い、19歳。
ミリア・ハース。
行商人、34歳。
トーマ・レグ。
荷車職人、41歳。
ほか4人。
「共通点はあります?」
一夜が尋ねる。
ローレンはしばらく資料を見比べる。
「全員、崩落で身近な者を失っている」
「礼拝所へ入る前に?」
「ああ」
「ロイド・フェルは?」
「兄を失った」
「ミリアは?」
「夫」
「トーマは?」
「息子」
リディアが低く言う。
「疲れていただけではない」
「失った直後だった」
一夜も気づく。
朝へ進む意思が弱くなる時。
単なる疲労だけではない。
後悔。
喪失。
罪悪感。
「ノクス・アルクライト自身も」
ローレンが言う。
「部下4人を失っていた」
「つまり」
一夜は記録を見る。
「同じ痛みを持つ人を集めた?」
「あるいは」
レイが答える。
「自分と同じように、朝へ行きたくない者を見つけた」
「守るために?」
「最初は」
レイの言葉が重い。
「そう思っていたのかもしれない」
一夜はノクス・アルクライトの記録を見る。
全員を守りたい。
誰も失いたくない。
だから。
外へ出さない。
朝へ行かせない。
その考えは。
少しだけ間違えれば、リディアにも。
一夜にも。
届いてしまう。
「ノクスになる条件」
一夜がつぶやく。
「自分が朝を諦めるだけじゃ足りないのかもしれない」
「何が必要だ」
ガレスが尋ねる。
「ほかの人も、夜に留めること」
説明書が開いた。
【推定条件を更新します】
【夜側維持役への固定条件】
【自己の朝到達意思:著しく低下】
【他者の朝到達意思:固定行為】
【継続意思:成立】
「やっぱり」
一夜が読み上げる。
「自分が朝を諦めて」
次の行。
「他人まで夜に留めようとすると」
リディアが続ける。
「ノクスになる」
【推定一致率:高】
部屋が静かになる。
「なら」
レイが言った。
「私が危なかったのは、泊一夜になろうとした時だけではない」
「どういうこと?」
「私が」
レイは少し考える。
「地下に戻りたくないから、ほかの者も安全地帯から出さないと言い始めたら」
一夜の表情が変わる。
「ノクス側へ近づく」
「可能性はあります」
「安全地帯も同じだ」
レイが緑色のテントの方向を見る。
「休ませる場所だから」
一夜は、その言葉に引っかかった。
「でも、安全地帯は出られる」
「今は」
「どういう意味?」
「あなたが」
レイが一夜を見る。
「誰も失いたくないから、出ることを禁止したら?」
一夜は答えられなかった。
安全だから。
危険だから。
ここにいれば傷つかないから。
出るな。
そう言い始めたら。
「……似てる」
リディアも気づいた。
「テントと、ノクスの夜は」
「似ています」
一夜は認めた。
どちらも。
休める。
敵から守られる。
何もしなくていい時間がある。
「違いは」
一夜が言う。
「出るかどうかを、自分で決められること」
説明書が光った。
【保護領域基本原則】
【入域:本人意思を優先】
【退域:本人意思を優先】
【設営者による強制滞留:不可】
一夜は思わず息を吐いた。
「よかった」
「何が?」
リディアが尋ねる。
「俺が『出るな』と言っても」
説明書を見せる。
「本人が出たいなら、安全地帯は止めません」
「天幕の方が、あなたより信用できるな」
「ちょっと傷つくんですけど」
「必要な制限だ」
「そうですね」
むしろ。
安心した。
一夜が間違えても。
テントそのものが、誰かを閉じ込める道具にはならない。
「だからこそ」
一夜は言う。
「Lv4以降も、そこは変わってほしくないですね」
「えるぶ?」
リディアが首を傾げる。
「テントの成長段階です」
「次があるのか?」
「あると思います」
一夜は説明書を見る。
【現在:Lv3】
【朝到達記録:80】
まだ変化はない。
「地下水路を解決したら」
一夜は小さく笑う。
「少し広くなってくれるとうれしいですけど」
「今でも狭いからな」
「半径4メートルありますよ」
「騎士が8人入れば狭い」
「確かに」
レイが言う。
「干し肉を食べる場所も狭い」
「それは関係ないでしょう」
「重要だ」
一夜は笑った。
その時。
説明書がもう1度開く。
【地下方向】
【観測反応:上昇】
「来ました」
全員の表情が変わる。
【接触対象を確認】
【自己識別情報:ロイド】
リディアの呼吸が止まる。
中庭の方角から。
3回。
音がした。
こつ。
こつ。
こつ。
そして。
若い男の声。
『副隊長』
リディアの顔から血の気が引いた。
『今度は、ちゃんと休みますから』
一夜は彼女の隣へ立つ。
声は。
きっと。
彼女が忘れたくても忘れられない、ロイドそのものだった。




