第60話 名前を継ぐ者
翌朝。
一夜が騎士団本部の記録室へ入ると、机が完全に紙で埋まっていた。
「……昨日より増えてません?」
「増やした」
ローレンが、紙束の向こうから顔だけを出す。
「補助を3人つけてもらったからな」
左右では、若い記録官たちが古い帳簿をめくっている。
「ちゃんと3人なんですね」
「団長が最初は5人と言った」
「やっぱり」
「止めた」
「正解だと思います」
一夜は空いている椅子を探す。
なかった。
「座れ」
後ろからリディアが椅子を1脚運んできた。
「どこから持ってきたんです?」
「隣の部屋」
「勝手に?」
「借りた」
「許可は?」
「今から取る」
「順番が逆ですよ」
リディアは気にせず、一夜を座らせた。
「足は」
「痛くないです」
「なら座って調べろ」
「痛くなくても座るんですね」
「治ったから歩き回っていい、とは言われていない」
「もう普通に歩いてますよ」
「だから止めている」
一夜は反論を諦めた。
机の端には、すでにコーヒーが置かれている。
「これ、リディアさんのです?」
「あなたの分もある」
「先に淹れたんですか?」
「教わった」
一夜が恐る恐る飲む。
「……薄い」
「飲めるだろう」
「飲めますけど」
「なら成功だ」
隣でレイが干し肉を食べている。
「私は、それよりいい」
「朝から干し肉だけですか」
「パンも食べた」
「ちゃんと食事してる」
「3日で学んだ」
レイは紙束を見る。
「それより、見つかった」
「何が?」
ローレンが1枚の古い帳簿を差し出した。
「27年前より前のノクスだ」
一夜の手が止まる。
「何年前です?」
「86年前」
「かなり前ですね」
「名前は」
ローレンが記録を指でなぞる。
「ノクス・ヴァルン」
一夜は説明書を開いた。
【既知名称との照合】
【役割識別子:ノクス】
【一致】
「やっぱり」
リディアが帳簿をのぞき込む。
「何をしていた者だ」
「アルノ南部の共同墓地の管理人」
「地下水路とは関係ない?」
「表向きはな」
「表向き?」
「墓地の地下に、古い避難壕があった」
一夜が顔を上げる。
「そこでも夜の異常が?」
「記録には『夜が明けない日』とある」
「いつ?」
「86年前の冬」
ローレンは別の紙を置いた。
「3日間、墓地周辺だけ日の出が確認されなかった」
「3日も?」
「ああ」
「その時の管理人が、ノクス・ヴァルン」
「違う」
若い記録官の1人が声を上げた。
「先生、これを」
ローレンが紙を受け取る。
読み始めた途端、表情が変わった。
「何です?」
「墓地の管理人になる前の名簿だ」
「ノクスじゃない?」
「違う」
ローレンが読み上げる。
「エド・ヴァルン」
一夜が帳簿を見る。
「名字は同じ」
「ああ」
「ノクスになって、名前だけ変わった?」
「そう見える」
リディアが尋ねる。
「いつ変わった」
記録官が別の帳簿を開いた。
「夜が明けなくなった事件の前までは、エド・ヴァルンです」
「後は?」
「ノクス・ヴァルン」
「本人が改名した記録は?」
「ありません」
「誰が最初にノクスと書いた?」
「墓地の臨時報告書です」
一夜が身を乗り出す。
「誰が書いたんです?」
「本人」
部屋が静かになった。
「自分で?」
「署名がある」
古い紙の最後。
そこには確かに、
ノクス・ヴァルン。
と記されている。
「エドという名前を捨てた」
レイが低く言う。
「地下に入った後か?」
ローレンが記録を追う。
「避難壕へ入った翌日からだ」
「また同じだ」
一夜がつぶやく。
27年前のノクス・レイン。
地下へ1人で入った後、行動が反転した。
86年前のエド・ヴァルン。
夜が明けなくなった区域の地下へ入り、その後ノクスを名乗り始めた。
「この人も、最初からノクスじゃなかった」
「ああ」
ローレンがうなずく。
「少なくとも記録上は」
「ノクスになった後は何を?」
「墓地の封鎖を解除している」
「やっぱり」
「さらに、避難壕を『夜泊まり所』として開放した」
一夜の眉が動く。
「泊まり所?」
「疲れた者は、夜が明けるまでここで休める、と記録されている」
「それだけなら、悪く聞こえない」
リディアが言った。
「問題は続きだ」
ローレンが次を読む。
「入った者の一部が、翌朝になっても出てこなかった」
「死んだ?」
「違う」
「では?」
「本人たちが、出る必要はないと答えた」
一夜は説明書を見た。
西宿場と同じ。
帰る必要がない。
朝へ行く必要がない。
「何人です?」
「最初は4人」
「その後は?」
「記録が増えている」
5人。
9人。
13人。
最終的には。
「31人」
「多い……」
「家族が迎えに行っても、出てこなかったらしい」
「ノクスが止めた?」
「記録上は、止めていない」
「え?」
ローレンが報告書を読む。
「『扉は開いている。出たい者は出ればよい』」
一夜の表情が変わる。
「出口はあった?」
「そう書かれている」
「でも出なかった」
「ああ」
レイが口を開く。
「それが、夜側へ固定するということか」
「閉じ込めるんじゃない」
一夜はゆっくり言う。
「出ようと思わなくさせる」
説明書が開いた。
【推定精度更新】
【ノクス】
【夜側維持役】
【主要機能:朝到達意思の低下】
【主要機能:夜側滞留意思の固定】
【補助機能:役割・記憶情報の再利用】
「確定に近づいてます」
「敵意で捕らえるのではないのか」
ガレスが腕を組む。
「むしろ逆かもしれません」
一夜は答えた。
「安全だから、残りたくなる」
「安全?」
「何も求められない。働かなくていい。失敗しない。怒られない」
西宿場でカイルが言っていた。
夜は、何も聞かなかった。
どこから来た。
どこへ行く。
何者だ。
何も答えなくてよかった。
「一夜」
リディアが呼ぶ。
「はい」
「顔が悪い」
「少し考えてました」
「何を」
「俺も」
一夜はコーヒーを見る。
「最初の頃なら、似たような場所に入りたかったかもしれないな、と」
誰からも連絡が来ない。
仕事もない。
朝も来ない。
ずっと眠っていていい。
「でも」
リディアが言う。
「今は違う」
「はい」
一夜はうなずく。
「休んだ後に、出たいです」
それが違いだった。
休むことが悪いわけではない。
夜も必要。
でも。
出たいと思う気持ちまで消されるのは違う。
「エド・ヴァルンは、どうなったんです?」
一夜が尋ねる。
「そこが妙だ」
ローレンが最後の紙を見る。
「事件から11か月後」
「はい」
「突然、ノクス・ヴァルンの記録が途絶える」
「死んだ?」
「死亡記録はない」
「失踪?」
「その翌月」
ローレンが別の帳簿を出す。
「別の町で、エド・ヴァルンという名前の男が確認されている」
一夜は目を見開く。
「戻った?」
「可能性はある」
「本人が?」
「そこまでは分からない」
レイが紙へ近づく。
「何をしていた」
「小さな宿で働いていた」
「ノクスではなく?」
「エドとして」
「夜の事件は?」
「その後、その地域では起きていない」
一夜は考える。
「ノクスをやめられた?」
説明書には反応がない。
「役割なら」
リディアが言う。
「なることができるなら、外れることもできるかもしれない」
「そうだとしたら」
一夜は少し希望を感じた。
ノクスを倒す必要がない。
ノクスという役割から戻せるなら。
「でも、どうやって?」
「それを調べる」
ローレンは新しい紙束を引き寄せる。
「エド・ヴァルンが消えた11か月の間に何があったか」
「休憩してからですよ」
「まだ始めたばかりだ」
「何時間?」
若い記録官が答える。
「4時間です」
「休憩してください」
「あなたが言うのか」
ローレンが呆れた顔をする。
「言います」
「昨日まで地下へ行きたがっていた男が」
「学んでる途中なので」
リディアが満足そうにうなずく。
「正しい」
「あなたも休憩してくださいね」
「私は今来た」
「コーヒー淹れてたでしょう」
「それは休憩だ」
「なるほど」
レイが干し肉の袋を閉じる。
「私は休んでいる」
「ずっと食べてるだけでは?」
「選んで休んでいる」
「強くなったな、その言い方」
部屋の空気が、少しだけ軽くなった。
一夜は説明書を閉じようとする。
その時。
新しい文字が浮かんだ。
【追加照合を確認】
【過去記録:ノクス・ヴァルン】
【役割離脱の可能性:あり】
【推定離脱条件】
一夜の手が止まる。
「何か出た」
全員が説明書を見る。
もちろん、文字を読めるのは一夜だけ。
【夜側維持役が、自らの朝到達意思を再取得した場合】
【役割固定が解除される可能性があります】
一夜はゆっくり読み上げた。
「自分の朝を、もう1度欲しいと思えば」
レイが続ける。
「ノクスをやめられる?」
「可能性はあります」
つまり。
ノクスすら。
最初から倒すだけの敵ではない。
夜に残ることを選んだ者へ。
もう1度。
朝を選び直す時間を渡せるかもしれない。
その時。
ローレンの補助をしていた記録官が、奥の棚から声を上げた。
「先生!」
「今度は何だ」
「もっと古い記録です」
「何年前だ」
「154年前」
全員の視線が集まる。
記録官の顔が青ざめていた。
「ここにも、ノクスがいます」
「名前は?」
「ノクス・アルクライト」
リディアの表情が止まった。
一夜も、彼女を見る。
「アルクライト……?」
リディアと同じ姓だった。




