第51話 帰る場所を、街へ移す
「右足を出してください」
西宿場から来た治療師が、一夜の前へしゃがんだ。
「歩けます」
「歩けるかどうかは聞いていません」
「最近、同じやり取りばかりだな……」
一夜は諦めて、片方だけ靴のない右足を差し出した。
足首には、夜の中でつかまれた青黒い痕が残っている。
治療師が指先で周囲を押した。
「痛みますか?」
「少し」
「ここは?」
「少し強く」
「こちらは?」
「痛いです」
「骨には異常がなさそうです。ただし、今日はなるべく歩かないでください」
「アルノへ戻るだけです」
「馬車で戻ってください」
「騎士団本部までなら――」
「馬車で」
治療師の声が強くなる。
一夜は隣にいるリディアを見る。
「何か言ってください」
「馬車で戻れ」
「味方がいない」
「あなたの足の味方をしている」
治療師は傷を洗い、薬を塗った布を足首へ巻いた。
「靴は?」
「夜に置いてきました」
「どうして靴だけを?」
「俺の代わりにつかまってもらいました」
治療師の手が止まる。
「説明しにくい状況だったんですね」
「理解が早くて助かります」
「代わりになる履物を用意します。それまでは立たないでください」
「テントを畳まないと」
「騎士たちに指示すればいい」
ダリウス団長が、安全地帯へ入ってきた。
「設営者以外でも畳めるのか?」
「普通のテントとしてなら」
「では、手順を説明しろ」
「言葉が通じるのは、畳むまでです」
「先に説明すればいい」
「そうですね」
一夜はガレスとテオを呼んだ。
ポールの外し方。
ロープの緩め方。
ペグを抜く順番。
布を折る方向。
「最後のペグを抜くと、会話が通じなくなります」
「収納が終わる前では困るな」
ガレスが言う。
「最後の1本だけ残して、先に荷物をまとめてください」
「なるほど」
「布を無理に引っ張らないでください。破れたら終わります」
「見えない城壁を作る天幕にしては、弱いな」
「本体は通販のテントなので」
「ツウハンは、頑丈な物を作らないのか?」
「いろいろあります」
「次は、もっと丈夫な物へ替えられないのか」
一夜は説明書を見る。
「安全地帯が別のテントでも使えるか分からないんですよね」
【設営対象の変更:現在利用できません】
「やっぱり駄目みたいです」
「この天幕を守る必要もあるのか」
ダリウスが緑色の布を見る。
「はい」
「設営者と天幕。その両方が帰還の要だな」
「壊されたら、かなり困ります」
「今後は専用の護衛を考える」
「俺に?」
「天幕にだ」
「俺より優先ですか」
「天幕は戦えない」
「俺も戦えませんよ」
「あなたは走れる」
「片方の靴がありませんけどね」
テントを畳む前に、一夜は説明書をダリウスへ見せた。
もちろん、文字が読めるのは一夜だけだ。
「夜印片から分かったのは、ここです」
一夜は白紙へ浮かんだ図を指でなぞる。
「アルノ旧地下水路。そこから、まだ応答があります」
「地下水路は広い」
「場所までは出ていませんか?」
【送信先:アルノ旧地下水路】
【詳細位置:未確定】
【応答強度:微弱】
【状態:待機】
「待機、と出ています」
「動いてはいない?」
「今すぐ夜を広げようとしている感じではありません」
「感じでは困る」
「説明書が、それ以上教えてくれないので」
ダリウスは少し考えた。
「地下水路への入口を封鎖する」
「中へ人は?」
「入れない」
「調査しなくていいんですか?」
「準備なしで、夜門と同じ場所へ騎士を送る気はない」
一夜は団長を見る。
「慎重なんですね」
「先ほど13人を失いかけたばかりだ」
「そうでした」
「今日は地図と記録を集める。入口を見張り、出てくるものがないか確認する」
「俺たちは?」
「休む」
リディアが口を開いた。
「団長。私は地図の確認へ参加できます」
「治療師の確認を受けてからだ」
「傷は閉じています」
「夜門の中で剣を振った」
「必要な範囲です」
「一夜殿」
ダリウスが一夜を見る。
「副隊長の肩は?」
「あとで包帯を外して確認します」
「一夜!」
「治療報告です」
「決まりだな」
ダリウスはうなずいた。
「副隊長は、一夜殿と一緒に治療を受けろ」
「私は彼の監視役ではありません」
「相棒なのだろう」
「そうですが」
「ならば、互いに監視しろ」
一夜は親指を立てた。
「了解です」
「勝手に引き受けるな」
テントが畳まれると、言葉は通じなくなった。
一夜は治療師が用意した革製の簡易履きを右足へつけられた。
靴底は厚い。
だが、左足のアウトドアシューズとは高さが合わない。
歩くたび、体が左右へ揺れる。
「これは、余計に歩きにくいな」
リディアが一夜の腕を取り、馬車を指した。
「分かってます。馬車ですね」
親指を立てる。
リディアも返す。
その隣で、ガレスとテオが畳んだテントを慎重に運んでいた。
武器より丁寧に扱っている。
「本当に、専用護衛がつきそうだな」
アルノへ戻った頃には、日が傾き始めていた。
西門では一夜の一時通行証が確認された。
片方だけ違う履物。
額の保護テープ。
泥だらけの服。
騎士団に囲まれて戻ってきた姿を、門番たちが不思議そうに見ている。
一夜は日本語で説明した。
「怪しい者ではありません」
当然、通じない。
門番の警戒が強まった。
リディアが慌てて何かを説明する。
門番たちは一夜と彼女を見比べた後、道を開けた。
「余計なことを言わない方がよかったな」
馬車は街の中央を通り、辺境騎士団の本部へ入った。
高い石壁に囲まれた敷地。
兵舎。
訓練場。
厩舎。
奥には3階建ての本部棟がある。
ダリウスが中庭の一角を指した。
土の地面。
周囲に建物はあるが、通行の邪魔にはならない場所だった。
「ここへ張れということですね」
一夜は馬車を降りようとした。
リディアが肩を押さえる。
「自分で歩けます」
言葉は通じない。
彼女は首を横へ振り、ガレスたちを呼んだ。
騎士3人が、テントを中庭へ運ぶ。
一夜は馬車へ座ったまま、身振りで手順を指示した。
「俺が1番楽をしてるな」
ポールを組み。
布を広げ。
4本のペグを打つ。
最後のロープが張られた。
半径4メートルの安全地帯が展開される。
「聞こえますか?」
「聞こえる」
リディアが答えた。
「設営も、私たちだけでできたな」
ガレスが満足そうにテントを見る。
「細かい部分は、あとで確認します」
「問題があるのか?」
「入口が少し斜めです」
「保護領域は出ている」
「見た目も大切です」
「戦場で?」
「今は騎士団本部でしょう」
一夜は馬車から降りようとした。
リディアが、また手を伸ばす。
「だから歩けますって」
「医師は、なるべく歩くなと言った」
「治療師です」
「同じだ」
「距離は5メートルくらいです」
リディアは一夜の右腕を自分の肩へ回した。
「ちょっと待ってください。肩は大丈夫なんですか?」
「右側なら問題ない」
「その言い方は禁止です」
「状態を確認した上で言っている」
「便利に使い始めたな」
2人で中庭を進む。
安全地帯へ入ると、一夜は椅子へ座らされた。
リディアも隣へ座る。
「あなたもですか?」
「監視役だからな」
「団長命令を都合よく解釈してません?」
しばらくして、騎士団の記録官が地図を抱えてやってきた。
痩せた中年の男性。
茶色い髪。
指先は、長年インクを扱ってきたためか黒く染まっている。
「ローレン・ハイル。騎士団の記録を管理している」
「泊一夜です」
「話は聞いた」
「どの呼び方で?」
「戦えない天幕の男」
一夜はリディアを見る。
「騎士団全体に広がってません?」
「覚えやすいのだろう」
「特異野営具管理者は?」
「長い」
ローレンが地図を広げる。
「旧地下水路について知りたいそうだな」
「はい」
「現在使われている水路とは別だ。27年前に閉鎖されている」
「どうしてです?」
「公式記録では、地盤沈下と水質悪化」
「公式では?」
ローレンは、さらに古い紙を取り出した。
「作業員9人が、地下で声を聞いた」
安全地帯の空気が変わる。
「誰の声です?」
「亡くなった家族。遠くにいる子供。自分自身」
「自分の声?」
「ああ」
ローレンは記録を指でなぞる。
「戻ってきた作業員は、こう証言している」
「何と?」
「暗闇の先から、自分の声で呼ばれた」
一夜は説明書を見る。
【アルノ旧地下水路】
【応答強度:微弱】
【状態:待機】
「27年前にも、ノクスが?」
「その名は記録にない」
ローレンは別の紙を広げた。
「ただし、地下水路を封鎖した責任者が、私的な覚え書きを残している」
古びた紙。
端が破れ、文字も薄い。
「何と書いてあるんです?」
ローレンが読み上げる。
「地下で名を呼ばれても、答えるな」
リナたちを救う時、一夜たちは本人の名前を呼んだ。
自分の名前を取り戻すことが、朝へ帰る条件だった。
だが、地下では逆。
名前を呼ばれても答えてはいけない。
「名前を奪う方法が、違うのかもしれません」
一夜が言う。
「夜門では役割だけを残した」
リディアが地図を見る。
「地下では、名そのものを使う?」
「まだ分かりません」
ローレンが地図の中央を指した。
「応答があったとされる場所は、この辺りだろう」
「騎士団本部の近くですね」
「近くではない」
ローレンの指が、現在地を示す印へ移る。
「真下だ」
一夜は地面を見る。
今、テントを設営している中庭。
その真下を、閉鎖された地下水路が通っている。
「ここに張って大丈夫なんですか?」
「先ほどまで、応答地点が分からなかった」
ダリウスが地図をのぞき込む。
「天幕を移すか?」
一夜は説明書を確認する。
【周辺認識干渉:未検出】
【保護領域:正常】
【地下方向より微弱な接続反応あり】
「今すぐ危険という表示はありません」
「ならば残す」
「いいんですか?」
「地上に安全地帯がある方がいい」
ダリウスは地面を見下ろした。
「何か出てきた時、迎える場所になる」
「出てこない方がいいんですけど」
「同感だ」
地図と記録の確認が終わる頃、空は赤くなっていた。
一夜は説明書の往還項目を開く。
【現在の異世界側接続地点】
【ハルト村中央広場】
【設営中の地点へ接続先を更新できます】
【更新地点:アルノ辺境騎士団本部中庭】
一夜の指が止まる。
「次に来る場所を、ここへ変えられます」
「ハルト村ではなくなるのか」
リディアが尋ねる。
「はい」
「問題がある?」
「少しだけ」
ハルト村。
最初に朝を渡した場所。
ニナ。
エドガー。
マルタ。
緑色のテントが村の中央へ現れることを、待っている人もいる。
「もう帰れないわけではありません」
一夜は説明書をめくる。
【帰還標識登録地点】
【ハルト村中央広場】
【西宿場北西・旧石橋高台】
「方向は残っています。歩けば戻れます」
「ならば、今はアルノにしろ」
リディアが言った。
「即答ですね」
「次に必要なのは、地下水路の調査だ」
「ニナに怒られそうだな」
「落ち着いたら、会いに行けばいい」
「一緒に?」
「ああ」
リディアは親指を立てる。
「約束する」
一夜も親指を返した。
「では、更新します」
【異世界側接続地点を更新しますか】
「はい」
【更新しました】
【異世界側接続地点:アルノ辺境騎士団本部中庭】
【旧接続地点:帰還標識として保持】
帰る場所が消えたわけではない。
今、戻る必要がある場所を変えただけだ。
「今夜ここで眠れば、俺は現代へ戻ります」
「次はいつ来る」
「地下水路へ入る準備が整ってからです」
「具体的には?」
一夜はスマートフォンの予定を確認する。
「6日後」
「また6日か」
「仕事がありますから」
「地下は待っている」
「待機状態なので、待ってもらいます」
「相手へ伝わるのか?」
「伝わらないでしょうね」
その時。
テントの床下から、小さな音がした。
こつ。
一夜とリディアが、同時に地面を見る。
こつ。
もう1度。
最後に、3回目。
こつ。
ロープで外と連絡を取る時に使った、3回の合図。
「下に誰かいる」
リディアが立ち上がる。
一夜は説明書を開いた。
【地下方向からの接触を確認】
【接触対象:設営者】
【音声情報を受信します】
地面の下から、かすかな声が聞こえた。
『泊一夜』
一夜の名前。
自分とまったく同じ声だった。
『6日後では、遅い』




