第46話 朝を持ち帰る者は、1人じゃない
「残りの4人について、知っていることを全部教えてください」
一夜の言葉に、ユアンとエマが4枚の扉を見た。
泣き声が聞こえる扉。
怒鳴り声。
不自然な笑い声。
そして、何の音も聞こえない扉。
「笑っているのは、ドランだと思う」
ユアンが答えた。
「なぜ分かるんです?」
「あいつは、苦しい時ほど笑う」
宿場で荷運びをしている大柄な男。
重い荷物を運び、誰かに頼まれれば断らない。
「腕を痛めていても、笑って大丈夫だと言っていた」
「その言い方は禁止ですね」
「何の話だ?」
「こちらの話です」
エマが怒鳴り声の扉を指す。
「あれはベルクだろうね」
「行商人の夫?」
「ああ。声が大きい。怒っているように聞こえるが、いつも何かを怖がっている」
「何を?」
「品物を失うこと。客を失うこと。ソフィに見捨てられること」
「妻に?」
「夫婦で商売を始めたが、最近はうまくいっていなかった」
泣き声の扉。
「では、こちらがソフィさん?」
「たぶんね」
エマが答える。
「本人は、もう旅をやめたがっていた」
「ベルクさんには?」
「言えていなかった」
「最後の扉は、カイルさんですね」
音のない扉。
杖を持った老人。
「旅人と言っていましたけど、どんな人です?」
ユアンとエマが顔を見合わせた。
「分からない」
「宿へ来て、3日ほど泊まっていただけだ」
「家族や出身地は?」
「話さなかった」
「好きな物は?」
「酒は飲んでいた」
「ほかには?」
誰も答えられない。
名前は分かる。
だが、それ以外の本人を知る者がいない。
説明書の数字が減っていく。
【領域閉鎖まで:45分】
4枚の扉。
残り4人。
1人ずつ救助すれば、間に合わない可能性がある。
『さあ』
黒い霧から声が響いた。
『誰から選びますか』
一夜は答えず、説明書を確認した。
【救助条件】
【対象本人による自己名の確認】
【対象本人による帰還意思の確認】
【設営者本人の立ち会い:不要】
一夜の目が止まった。
「俺が、全部の扉へ入る必要はない」
「何?」
リディアが説明書をのぞき込む。
「本人が名前と帰還意思を確認できれば、救助できます」
「あなたがいなくても?」
「はい」
夜の声が、低く笑った。
『朝を持ち帰る者が、他人へ役割を押しつけるのですか』
「押しつけません」
一夜は周囲を見た。
「頼みます」
リディア。
ガレス。
テオ。
騎士たち。
ユアン。
エマ。
リナ。
「全員で助けます」
『あなたの役割でしょう』
「俺の役割だけではありません」
一夜は、最後の1本となった帰還ロープを握る。
「俺は帰る場所を守ります」
リディアが一夜を見る。
「扉へ入らないのか?」
「全員が中へ入ったら、ロープを守る人がいません」
「夜は、あなたを狙っている」
「だから、俺がここへ残ります」
「1人で?」
「1人ではありません」
一夜は救助されたエマとリナを見る。
「戻ってきた人たちにも、手伝ってもらいます」
エマが立ち上がった。
「私にもできることがあるのかい」
「ドランさんのことを知っていますよね?」
「ああ」
「名前を呼んでください。荷運び以外の本人を思い出させてください」
「そんなもの、あるのかね」
ユアンが答えた。
「木を削っていた」
「木?」
「小さな鳥だ。宿に泊まった子供へ渡していた」
エマが目を見開く。
「そういえば、厨房の裏に木くずが落ちていた」
「本人には聞いたことがなかったんですか?」
「荷運びのドランが作っているとは思わなかった」
一夜は笑い声の扉を指した。
「そこから始めましょう」
一夜は残ったロープを、道の中央にある石柱へ巻きつけた。
外のテント。
夜門。
石柱。
3か所で支える。
さらに予備の短いロープを取り出し、救助隊へ配った。
「長い物ではありません」
「扉の中で互いを見失わないためだな」
ガレスが腰へ結ぶ。
「はい」
「班を分ける」
ガレスはすぐに判断した。
「副隊長、ユアン、エマはドランの扉へ」
「分かった」
「私とテオ、リナはソフィの扉へ行く」
「騎士2人は?」
「1人ずつ護衛へ入れる。残りの1人は、一夜殿と帰還ロープを守れ」
「承知しました」
一夜はガレスを見る。
「ベルクさんとカイルさんは?」
「最初の2人を救助してからだ」
「時間は」
「だから分かれる」
正しい。
焦って4枚すべてを開くのではなく、確実に2人ずつ。
「一時帰還標識は共有されています」
一夜は全員へ確認する。
「テントの方向は?」
それぞれが、同じ方向を指した。
「扉の中でも見失わないでください」
「あなたもだ」
リディアが答える。
「夜の声を聞いて、外へ出るな」
「分かってます」
「本当に?」
「リディアさんが戻るまで、ここにいます」
「約束か」
一夜は親指を立てた。
「約束です」
リディアも親指を返す。
2つの班が、それぞれ扉の前へ立った。
ガレスが一夜を見る。
「同時に開ける」
「はい」
「何か異常があれば?」
「扉を閉じて戻ってください」
「対象を残してでも?」
一夜は言葉を詰まらせる。
監視塔へ入る前にも、同じことを聞かれた。
「戻れないと判断したら」
一夜は答えた。
「全員で戻ってください」
「了解した」
リディアも、一夜の返事を聞いていた。
何も言わず、うなずく。
「開けます!」
2枚の扉へ、同時に手がかけられた。
笑い声の扉の向こうには、巨大な倉庫があった。
天井へ届くほど積まれた木箱。
袋。
樽。
そのすべてを、ドランが1人で背負っている。
「はは……」
膝が震えている。
腕も腫れている。
それでも、男は笑っていた。
「まだ持てる」
倉庫の奥から声が飛ぶ。
「ドラン! これも頼む!」
「強い男だろう!」
「お前なら大丈夫だ!」
新しい荷物が、次々と背中へ積まれる。
「ドラン!」
ユアンが叫ぶ。
男は顔だけを向けた。
「ユアンか。悪いな、今は手が離せない」
「全部下ろせ!」
「無理だ」
「なぜ!」
「俺が持たないと、誰かが困る」
リディアが積まれた荷物へ剣を振る。
箱を支えていた黒い縄が切れた。
だが、荷物は落ちない。
空中へ浮かび、すぐにドランの背中へ戻っていく。
「本人が手放さなければ、消えないのか」
「ドラン!」
エマが男の前へ回った。
「鳥を作っていただろ!」
ドランの笑顔が止まる。
「何の話だ」
「木を削って、小さな鳥を作っていた」
「荷運びに、そんな時間はない」
「厨房の裏の木くずは、あんただろう!」
「違う」
「ユアンが見ていた!」
ユアンが胸元から、小さな木片を取り出した。
宿場から逃げる時、偶然ポケットへ入っていた物。
翼の途中まで削られた、小さな鳥だった。
「これを完成させるんだろ?」
ドランの目が、木片へ向く。
「……まだ、翼がない」
「なら、荷物を下ろせ」
「下ろしたら、弱いと思われる」
リディアが男を見上げる。
「弱くて何が悪い」
ドランが驚いた顔をする。
「騎士が言うのか」
「私は傷を隠して剣を振り、治療師に腕を固定された」
「何を話している」
「強いふりを続けた結果だ」
リディアは左肩を指す。
「痛い時に痛いと言わなければ、周りはさらに荷物を乗せる」
「でも、誰が運ぶ」
「ここに4人いる」
リディアが最も大きな箱へ手をかける。
ユアンと騎士も支える。
エマは小さな袋を持ち上げた。
「分ければいい」
ドランの背中から、荷物が1つ離れた。
「俺が持たなくても?」
「全部はな」
リディアが答える。
「お前にしか持てない物だけ持てばいい」
ユアンが木の鳥を差し出す。
「これは、ドランにしか作れない」
男の目から、笑いが消えた。
「俺は……」
膝をつく。
「荷運びのドランではない」
背中の箱が崩れ始める。
「名前は?」
エマが尋ねた。
「ドラン・メイズ」
「朝へ戻ったら、何をしたい」
ドランは木片を受け取った。
「翼を作る」
足元へ、淡い緑色の印が浮かぶ。
【救助対象:3人】
【残存対象:3人】
巨大な倉庫が、光のない破片となって崩れた。
泣き声の扉の向こうには、長い街道が続いていた。
右にも。
左にも。
終わりが見えない。
道の中央で、ソフィが荷車を引いている。
荷車の上には大量の商品。
その一番上に、夫のベルクが座っていた。
だが、顔は黒い影に覆われている。
「止まるな!」
影のベルクが叫ぶ。
「次の町へ行くぞ!」
「もう歩けない」
「商人の妻だろう!」
「私は……妻」
「俺を支えるのが役目だ!」
ソフィは泣きながら荷車を引き続ける。
「ソフィ!」
リナが呼ぶ。
女性は振り返らない。
「ソフィ・アレン!」
「私はベルクの妻」
「名前を呼んでいる!」
ガレスが荷車の前へ立つ。
ソフィは止まれない。
そのままガレスへ向かってくる。
「団長補佐!」
テオが横から車輪を押さえる。
騎士も加わる。
3人がかりで、ようやく荷車が止まった。
影のベルクが怒鳴る。
「離せ! 商売が遅れる!」
「あなたはベルクさんではない」
リナが言った。
「ソフィさんの夫は、そんな顔ではない」
「夫は、ずっと怒っている」
ソフィは荷車の棒を離さない。
「失敗するたび、私のせいだと言う」
「それでも、一緒に行かなければならないのですか?」
ガレスが尋ねる。
「妻だから」
「妻である前の、あなたは?」
「そんなものはない」
リナがソフィの手へ触れた。
「アルノへ店を出したいと言っていた」
ソフィの涙が止まる。
「どうして知ってるの」
「帳場の紙に、店の絵を描いていた」
「見たの?」
「私も文字を見ていたから」
リナは少し恥ずかしそうに答える。
「パンと干し果物を並べた店」
「旅をやめる気か!」
影のベルクが叫ぶ。
「俺を捨てるのか!」
ソフィの手が再び荷車を握る。
「捨てられない」
「なぜです?」
ガレスが聞く。
「夫だから」
「夫なら、あなたを引きずっていいのですか」
「ベルクも怖いの」
「何を?」
「商売をやめたら、何者でもなくなることを」
ソフィは影の夫を見上げる。
「だから、止まれない」
「では、一緒に止まればいい」
リナが言った。
「ベルクさんのところへも、私たちが行く」
「夫を連れてきてくれる?」
「自分で戻ると決めれば」
「私だけ先に休んでも?」
ガレスが答えた。
「今は、あなたの救助をしている」
「妻なのに?」
「ソフィ・アレンを助けている」
女性の指が、荷車から1本ずつ離れていく。
「私は……ソフィ」
影のベルクが、黒い腕を伸ばした。
「行くな!」
テオが剣で腕を払う。
「本人へ触れるな!」
「ソフィ・アレン」
女性が荷車を離した。
足元に緑色の印が浮かぶ。
「朝へ戻ったら、何をしたい!」
ガレスが尋ねる。
「止まりたい」
「どこで」
「アルノで、小さな店を探す」
「ベルクさんは?」
ソフィは泣きながら、影の夫を見る。
「一緒に止まるか、別の道へ行くか。話したい」
荷車の車輪が砕けた。
【救助対象:4人】
【残存対象:2人】
終わりのない街道が、白い光に包まれた。
一夜は、2枚の扉の間で帰還ロープを守っていた。
騎士と共に、夜の霧から伸びる黒い指を何度も払う。
攻撃しているわけではない。
ロープへ触れようとする指の前へ、ランタンの光を向けている。
光を受けるたび、黒い指は霧へ戻った。
『あなたは、何もしていない』
夜の声がささやく。
「ロープを守っています」
『他人を危険な場所へ送り、自分は待っている』
「任せました」
『救う役割から逃げたのですか』
「違います」
一夜はロープを強く握る。
「帰る場所を残すのが、今の俺の役目です」
『彼らが戻らなければ?』
「引きます」
『戻れないと言われたら?』
「それでも、呼びます」
『全員を救えなければ?』
一夜の手に力が入る。
「その時に考えます」
『あなたは、朝を持ち帰る者でしょう』
「それだけではありません」
『ならば、何者です』
一夜は答えようとした。
その時。
2枚の扉が、ほぼ同時に開いた。
「一夜!」
リディアがドランの腕を肩へ回し、戻ってくる。
反対側からは、ガレスたちがソフィを連れて出た。
「2人とも!」
説明書の表示が更新される。
【救助対象:4人】
【残存対象:2人】
【領域閉鎖まで:26分】
「間に合いました」
「まだ2人いる」
リディアが答える。
ソフィが、怒鳴り声の扉を見る。
「ベルク……」
「次は、あの人です」
一夜は言った。
だが、その隣。
何の音もしなかったカイルの扉が消えている。
「扉が1枚ない」
テオが周囲を見回す。
「閉じたのか?」
「違います」
一夜は説明書を確認した。
【残存対象:2人】
【記憶扉:1】
「扉は1枚。でも、残っている人は2人」
黒い霧の中から、杖の音が聞こえた。
こつ。
こつ。
誰もいなかった一夜の背後。
帰還ロープのすぐそばに、老人が立っていた。
「カイルさん……」
杖を持った旅人。
笑ってはいない。
影もある。
言葉も、自分自身の声だった。
「私には役割などない」
カイルは、一夜へ静かに告げる。
「捨てる名前も、帰りたい朝もない」
老人の杖が、帰還ロープを踏んだ。
「帰る場所を持たない者を、お前はどこへ連れ帰る?」




