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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第44話 夜の中でも、名前を呼ぶ

 背後で、黒い扉が閉じた。


 同時に、宿場中の鐘が鳴り始める。


 低く。


 重く。


 朝を告げる鐘ではない。


 これから夜が始まるのだと、何度も言い聞かせるような音だった。


「朝を持ち帰る者が来た」


 道に並んだ6人が、同じ笑顔で言う。


 声も。


 呼吸も。


 首を傾ける角度まで同じだった。


 ガレスが剣を構える。


「一夜殿。下がれ」


「でも、あの人たちは行方不明者です」


「分かっている。だから斬らない」


 前へ出るのではなく、一夜と6人の間へ立つ。


 騎士2人も左右へ広がった。


 リディアは最後尾から背後を確認する。


「扉が消えた」


 一夜が振り返る。


 そこにあるのは、暗い街道だけだった。


 黒い扉は見えない。


 だが、腰へ結んだ2本のロープは宙へ伸びている。


 何もない場所を通り抜け、外のテントへつながっていた。


 一夜は片方を引く。


 重い。


 それでも、確かな手応えが返ってくる。


「ロープは残っています」


 目を閉じる。


 胸の奥に、淡い方向感覚があった。


 背後。


 少し下。


 遠く。


 緑色のテントがある。


「帰還標識も有効です」


「なら、戻る道は失っていない」


 リディアが言う。


「扉は見えませんけど」


「見えないなら、見つければいい」


「簡単に言いますね」


「あなたが開けたのだろう」


「閉じたのは向こうです」


 説明書を開く。


 暗い宿場の中でも、ページの文字は読めた。


【夜門内部領域へ侵入しました】


【帰還標識:有効】


【物理的接続:2系統】


【言語認識支援:夜門側から付与されています】


「今、会話が通じているのは、夜門の力みたいです」


「敵が、わざわざ話せるようにしているのか」


 テオが尋ねる。


「話を聞かせたいんでしょう」


 道に立つ6人が、同時に1歩進んだ。


「朝を持ち帰る者」


 また6人の口から、1つの声が出る。


「あなたは、朝を望まない者へも朝を押しつけるのですか」


 一夜は答えなかった。


 6人の足元を見る。


 影がない。


 街灯のような明かりが建物の窓から漏れているのに、誰の影も地面へ落ちていなかった。


「ユアンさん。あの人たちが誰か分かりますか?」


「ああ」


 ユアンは震える声で答えた。


 6人を順番に指す。


「宿の料理人、エマ」


 白い前掛けをつけた女性。


「荷運びをしているドラン」


 太い腕を持つ男性。


「行商人の夫婦、ベルクとソフィ」


 手をつないだ男女。


「旅人のカイル」


 杖を持った老人。


「宿で働いている、リナ」


 最後は、ユアンより少し若い女性だった。


 全員が笑っている。


 だが、ユアンが名前を呼んでも反応しない。


「エマ!」


 ユアンが叫ぶ。


「俺だ! ユアンだ!」


 料理人の女性が口を開く。


「母さんが待っているよ」


 出てきたのは、老いた女性の声だった。


 ユアンの顔がこわばる。


「違う」


「ユアン。帰っておいで」


「違う!」


 ユアンは自分の腰へ結んだロープを強く握った。


「お前は母さんじゃない」


 エマの顔から笑みが消える。


 だが、次の瞬間には、また6人全員が同じ笑顔を浮かべた。


「名前など必要ありません」


「必要です」


 一夜は答えた。


「その人たちは、6人という数ではありません」


「名前は、朝のために使われる鎖です」


「どういう意味です?」


「名を呼ばれれば、役割を求められる」


 エマの口が動く。


「料理人」


 ドランが続く。


「荷運び」


 行商人の夫婦。


「夫」


「妻」


 老人。


「客」


 リナ。


「女中」


 最後に、6人が声をそろえる。


「夜には、何者にもならなくていい」


 一夜は否定できなかった。


 名前を呼ばれる。


 仕事を頼まれる。


 役割を求められる。


 期待に応えなければならない。


 疲れていた頃の一夜も、自分の名前が呼ばれるたびに体が重くなっていた。


「何者にもならなくていい時間は、必要だと思います」


 リディアが一夜を見る。


 夜の声も、少しだけ意外そうに沈黙した。


「だから、ここへ残るのです」


「でも、それを決めたのは本人ですか?」


「望んでいた」


「疲れている時に、休みたいと思うのは当然です」


 一夜は6人を見る。


「ずっと目を覚ましたくないと思うこともある」


「ならば、分かるはずです」


「分かります」


 一夜は自分の腰へ結ばれたロープへ触れる。


「だからこそ、休んだ後に戻る場所が必要なんです」


「戻れば、また役割を与えられる」


「嫌な役割なら、断ることもできます」


「誰も許さない」


「少なくとも、ここにいる人たちは話を聞きます」


 ダリウス団長は外に残っている。


 だが、ガレスたちも騎士団の人間だ。


 宿場で起きていたことを調べると約束している。


「ユアンさんは、朝へ戻って助けを求めました」


「裏切り者だ」


 6人の声が低くなる。


「違う!」


 ユアンが前へ出ようとする。


 一夜が腕をつかんだ。


「近づかないでください」


「あの6人は、俺が連れてきたんだ」


「だからこそ、今は引かれないでください」


「でも!」


「話しかけましょう」


 一夜はバックパックを下ろした。


 中から金属製の水筒を取り出す。


「何をする」


 ガレスが尋ねる。


「朝食です」


「今、食べるのか?」


「俺たちではありません」


 一夜は水筒の蓋を開けた。


 温かいスープの匂いが、暗い道へ広がる。


 涙玉。


 干し肉。


 麦。


 ハルト村で作った物に近い、柔らかなスープ。


 現実世界で材料を準備し、出発前にテントの中で調理していた。


「効果が残っていればいいんですけど」


 説明書へ文字が浮かぶ。


【携行調理品を確認】


【調理支援効果:維持】


【残存時間:2時間18分】


【疲労回復・中】


【認識安定・弱】


【感覚回復・弱】


「使えます」


「食べさせるのか?」


「まず、思い出してもらいます」


 一夜はユアンを見る。


「エマさんは、どんな料理を作っていました?」


「何でも作った。宿の朝は、エマの麦粥だった」


「味は?」


「塩が多い」


「悪口ですか?」


「本人も分かっていた」


 料理人のエマの指が、わずかに動いた。


 一夜は見逃さなかった。


「エマさん」


 名前を呼ぶ。


「ユアンさんが、あなたの麦粥は塩辛いと言っています」


「おい!」


「反応してもらうためです」


 エマの笑顔が、一瞬だけゆがんだ。


 口元が動く。


「……水を、足せばいい」


 6人の声ではない。


 かすかな女性の声だった。


「エマ!」


 ユアンが叫ぶ。


 エマの目が、ユアンへ向く。


 しかし、すぐに瞳から光が消えた。


「名前など必要ありません」


 再び、全員の声が重なる。


「今、反応しました」


 一夜はスープを小さなカップへ注ぐ。


「匂いと記憶がつながっています」


 リディアが周囲を見る。


「全員へ食べさせれば戻るのか?」


「近づいて受け取ってくれれば」


「受け取らなければ?」


「名前を呼び続けます」


 ガレスが剣を下ろさないまま尋ねる。


「攻撃してきた場合は」


「押さえてください。傷つけない範囲で」


「6人同時なら難しい」


「だから、1人ずつです」


 一夜はエマへカップを差し出した。


「エマさん。朝のスープです」


「いらない」


「味見をお願いします」


「料理人ではない」


「では、塩加減だけでも」


「役割を押しつけるな」


「頼んでいます」


 一夜は、その場から動かなかった。


「嫌なら断ってください」


 エマの眉が、わずかに寄る。


「断っていいんです」


「断る……」


「はい」


「料理を作らなくても?」


「作りたくない時は」


「客が待っている」


「待ってもらえばいいです」


「主人が怒る」


「怒られるから、ずっと夜に残るんですか?」


 エマの顔が苦しそうにゆがんだ。


「休みたい」


「休んでください」


「朝が来れば、また作らなければならない」


「明日の朝は、作らなくていいです」


「お前が決めるな」


「では、自分で決めてください」


 一夜はカップを差し出したまま続ける。


「今は飲みたいですか?」


 エマの視線が、スープへ落ちる。


 温かな湯気。


 涙玉の甘い匂い。


「……少し」


「なら、どうぞ」


 エマが1歩進んだ。


 ほかの5人は動かない。


 彼女だけが、一夜へ近づいてくる。


 ガレスが警戒する。


 一夜は左手を上げ、待つように示した。


 エマがカップへ手を伸ばす。


 指先が触れた瞬間。


 宿場の建物から、黒い腕が伸びた。


「危ない!」


 リディアが一夜を引く。


 黒い腕がカップを弾き飛ばした。


 スープが地面へ散る。


 エマの体が、背後へ引かれた。


「いや!」


 初めて、彼女自身の声が響く。


「戻りたくない!」


 エマの足元から、黒い影が噴き出した。


 影が両足へ絡みつき、道の奥へ引きずっていく。


「エマ!」


 ユアンが飛び出す。


 腰のロープが張った。


 一夜とガレスが、同時に引く。


「1人で行かないでください!」


「でも、エマが!」


「全員で引きます!」


 リディアがエマへ走った。


 右腕で彼女の手首をつかむ。


「離せ!」


 黒い影がリディアの足にも巻きつく。


「リディアさん!」


「私は大丈夫だ!」


「その言い方は禁止です!」


 一夜は予備の短いロープを取り出した。


 ガレスへ投げる。


「リディアさんへ!」


 ガレスがロープを受け取り、リディアの腰へ回す。


 テオと騎士2人が後ろから引いた。


 エマを引く夜。


 リディアを引く騎士たち。


 一夜はテントへ続く2本のロープを握る。


「エマさん!」


 引きずられる女性へ叫ぶ。


「帰る場所は、どこですか!」


「分からない!」


「夜ですか!」


「違う!」


「宿ですか!」


「戻りたくない!」


「では、ここへ!」


 一夜は自分たちを指す。


「今だけでいい! ここへ帰ると決めてください!」


 エマの指が、リディアの腕へ食い込む。


「私は……」


 黒い影が大きく膨らむ。


 建物の窓から、6人と同じ顔が無数に浮かび上がった。


「役割を捨てれば、名前も捨てなければならない」


「違います!」


 一夜は叫ぶ。


「料理を休んでも、エマさんはエマさんです!」


 女性の瞳に、光が戻る。


「私は……エマ」


 足元に絡んでいた影が、1本切れた。


「エマ・ローデン」


 さらに1本。


「今日は、料理を作らない!」


 黒い影が弾けた。


 リディアがエマを抱え、後ろへ倒れ込む。


 騎士たちがロープを引き、2人を一気に引き戻した。


「確保した!」


 ガレスが叫ぶ。


 一夜はエマのそばへ駆け寄る。


「名前は?」


 女性は荒い呼吸のまま答えた。


「エマ・ローデン」


「今、どこにいます?」


「夜の……西宿場」


「帰りたい場所は?」


 エマは一夜の腰から伸びるロープを見る。


「朝」


 説明書が光る。


【対象本人の意思を確認】


【一時帰還標識を付与します】


 エマの足元へ、淡い緑色の印が浮かんだ。


【救助対象:1人】


【残存対象:5人】


 その表示と同時に、宿場中の鐘が止まった。


 静寂。


 残りの5人が、ゆっくり首を傾ける。


「1人、奪われた」


 重なっていた声が、初めて怒りを帯びる。


 建物の壁が黒く溶け始めた。


 道が歪む。


 テントへ続く2本のロープが、別々の方向へ引かれた。


「一夜!」


 リディアが叫ぶ。


 右側のロープが、闇の中へ吸い込まれる。


 強く張り。


 音を立てて切れた。


「1本、失いました!」


 残るロープは、あと1本。


 帰還標識は、まだ消えていない。


 だが、残りの5人は一斉に背を向け、歪んだ宿場の奥へ歩き始めていた。


「待て!」


 ユアンが叫ぶ。


 最も若いリナだけが、1度振り返る。


 その口から、ユアンの母親の声が聞こえた。


「次は、誰の名前を捨てさせる?」


 5人の姿が、黒い霧の中へ消えた。


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