第40話 城壁の中でも、まずテントを張る
スマートフォンのアラームが鳴った。
「10分です」
一夜が告げると、伝令の騎士はすぐに立ち上がろうとした。
「まだ座っていてください」
「しかし、もう10分だろう」
「立てるか確認してからです」
「立てる」
「ゆっくりお願いします」
伝令は不満そうにしながらも、地面へ手をついて立ち上がった。
先ほどまで震えていた足へ、力が戻っている。
「めまいは?」
「ない」
「息苦しさは?」
「ない」
「馬へ乗れそうですか?」
「問題ない」
「その言い方は禁止です」
リディアが横から口を挟む。
「それは私だけではなかったのか」
「体調を確認する時は、全員です」
「面倒な規則だな」
「副隊長が守らないので、範囲が広がりました」
「私のせいにするな」
伝令が2人を交互に見る。
「副隊長が、止められている……」
「珍しいですか?」
一夜が尋ねる。
「初めて見ました」
「余計なことを言うな」
ガレスが短く笑った。
「騎士団へ戻れば、もっと広まるでしょう」
「何がだ」
「副隊長を休ませられる男がいると」
「戦えない天幕の男の次は、それですか」
一夜はため息をついた。
「できれば、本名で覚えてほしいんですけど」
テントを畳むと、言葉は再び通じなくなった。
伝令の馬は休ませる必要があるため、近くの中継所へ預けることになった。
代わりに馬車の後ろへ伝令を乗せ、ボルグが馬を急がせる。
食事の効果が働いている間は、揺れによる気分の悪さも少なかった。
それでも、道はハルト村周辺より荒れている。
馬車が大きな石を越えるたび、一夜の体が荷台から浮いた。
「これ、シートベルトが必要だな」
リディアが首を傾げる。
一夜は自分の腰を指し、荷台へ固定する動きを見せた。
彼女は少し考え、荷物を結んでいた太い革紐を外す。
「いや、本当に縛る気ですか?」
言葉は通じない。
リディアは一夜の腰へ革紐を回そうとする。
一夜は慌てて両腕で交差を作った。
「そこまでしなくて大丈夫です!」
リディアは不満そうに眉を寄せる。
次に、一夜の腰を指した。
「痛めたばかりだから心配してるんですか」
一夜は座っている毛布を折り、厚みを増やした。
その上へ座り直し、親指を立てる。
リディアはようやく納得し、自分も親指を返した。
「便利だけど、細かい話には向かないな」
午後。
街道の先に、大きな石壁が見えた。
「アルノ……」
ハルト村とは、規模がまるで違う。
高い城壁が左右へ伸び、その向こうには赤い屋根の建物が並んでいる。
石造りの塔。
大きな門。
荷馬車や旅人の列。
遠くには、教会らしき尖塔も見えた。
「本当に、異世界の街だな」
今まで一夜が見たのは、森と小さな村だけだった。
大勢の人間が暮らす街を目にして、改めて別の世界へ来たのだと実感する。
馬車が門へ近づく。
入口には武装した兵士が6人。
荷物や身分証を確認し、通行人を順番に中へ入れていた。
一夜は防水ケースへ入れた滞在証明書を取り出す。
「これで通れるはずなんだけど」
リディアが一夜の持つ紙を確認し、うなずいた。
馬車が門の前で止まる。
リディアが兵士へ何かを説明する。
彼女は辺境騎士団の副隊長だ。
すぐに通れると思っていた。
だが、兵士たちの視線が一夜へ集まる。
「やっぱり怪しまれてます?」
兵士の1人が証明書を受け取る。
紙。
一夜の顔。
背負っている大きなバックパック。
荷台に積まれた緑色のテント。
何度も見比べている。
兵士が一夜へ質問した。
当然、意味は分からない。
「すみません。分かりません」
日本語で答えると、兵士たちが警戒するように武器へ手を置いた。
リディアが間へ入る。
何かを強く説明する。
ガレスも証明書を指し、兵士へ話しかけた。
それでも、すぐには通してもらえない。
「会話できない相手を街へ入れるのは、怖いよな」
兵士が門の横を指す。
小さな検査用の広場。
荷物を調べるための場所らしい。
馬車が、そちらへ移動した。
地面の一部は石畳だが、壁際には土が残っている。
リディアが一夜へテントを指し、円を描く。
「ここで張れ、ですね」
一夜はバックパックを下ろした。
「門の前でキャンプするとは思わなかったな」
一夜は緑色の布を広げた。
兵士たちが距離を取り、何をするのか見守っている。
テオとガレスがポールを支える。
リディアは使い慣れた様子でロープを伸ばした。
「完全に設営助手になってますね」
言葉は通じない。
それでも、リディアは自分の担当する位置へ先に移動している。
4本のペグ。
最後の1本を打ち込む。
ロープを張る。
半径4メートルの安全地帯が展開された。
透明な波紋が広がる。
兵士たちは反射的に後退した。
リディアが手招きする。
門を守っていた兵士のうち、責任者らしき男性が慎重に境界へ入った。
「聞こえますか?」
一夜が尋ねる。
兵士の目が大きくなる。
「……言葉が分かる」
「この中だけです」
「これは魔術か?」
「俺にも分かりません」
「使用者なのだろう?」
「通販で買ったテントです」
「ツウハンとは何だ」
「そこから説明すると長くなります」
兵士は一夜を警戒したまま、リディアを見る。
「副隊長。本当に、この男を街へ入れるのですか」
「ああ」
「出身地が『極遠方』としか書かれていません」
「正確に書けば、異世界になる」
「異世界?」
兵士の手が、再び剣へ近づいた。
「そこは強調しなくてもよかったのでは?」
一夜が言うと、リディアは平然と答える。
「嘘をつく必要はない」
「正直すぎるんですよ」
「危険な人物ではないのですか」
兵士が尋ねる。
ガレスが答えた。
「戦闘能力はない」
「そこから説明するの、騎士団の決まりですか?」
「ただし、この保護領域と補給能力は本物だ」
「村を襲った宵喰い狼の群れを退け、朝を止めていた異常を解決した」
リディアも続ける。
兵士が一夜を見る目が変わった。
「この男が?」
「主に私は戦った」
「そこは分けるんですね」
「事実だからな」
「一夜は、戦える者が戦える状況を作った」
ガレスの言葉に、一夜は少し驚いた。
「評価してくれてたんですか」
「能力と信用は別だと言った」
「まだ完全には信用されてないんですね」
「街で問題を起こさなければ、評価を更新する」
「仕事みたいだな」
兵士が一夜の荷物を確認する。
懐中電灯。
ランタン。
乾電池。
金属製のケトル。
個包装の食料。
消毒用品。
どれを見ても、表情が険しくなった。
「この筒は武器か?」
「明かりです」
一夜は懐中電灯を点灯した。
兵士が顔をそらす。
「人へ向けるな!」
「すみません」
「これは?」
「乾電池です」
「爆発するのか?」
「普通に使えばしません」
「普通ではない使い方なら?」
「火へ入れたり、壊したりすると危険です」
「危険物ではないか」
「火へ入れなければ大丈夫です」
兵士は納得していない顔だった。
次に、小さな鏡を取り出す。
自分の顔が映り、わずかに驚いた。
「銀板より鮮明だ」
「けがの確認に使います」
リディアが鏡を受け取った。
「これを持ってきたのか」
「はい」
「私の寝癖を見るためではないだろうな」
「傷を確認するためです」
「今、間があった」
「気のせいです」
リディアは鏡へ自分の顔を映す。
髪を確認。
傷を確認。
もう1度、髪を見る。
「寝癖、気にしてたんですね」
「確認しただけだ」
「事実を伝えただけです」
荷物の確認が終わり、街へ入る許可が出た。
ただし、テントについては騎士団の管理下で扱う。
無断で街中へ設営しない。
特に、主要な通りや市場では禁止。
「普通のテントでも、道の真ん中には張りませんよ」
「あなたは村の中央へ張った」
「必要だったので」
「城門でも張った」
「求められたので」
兵士は一夜へ木製の小さな札を渡した。
「一時通行証だ。街にいる間は所持しろ」
「文字が読めません」
「見せれば兵士が分かる」
「なくしたら?」
「拘束する」
「言い方が怖いな」
一夜は通行証も防水ケースへ入れた。
兵士がテントを指す。
「もう畳んでいい」
「分かりました」
「待て」
門の方から、新しい声がした。
鎧を着た男性が、安全地帯へ入ってくる。
50歳ほど。
短く刈った灰色の髪。
右頬に古い傷がある。
周囲の兵士たちが姿勢を正した。
「騎士団長」
リディアも立ち上がる。
「ダリウス団長」
男性はリディアの肩を見た。
「報告より元気そうだな」
「任務に支障はありません」
「左腕を固定されていたと聞いたが」
「すでに外しています」
一夜はリディアを見る。
「外したんですか?」
「今朝だ」
「マルタさんの許可は?」
「今朝、村を出た」
「聞いてることが違います」
ダリウス団長の視線が、一夜へ移る。
「君が泊一夜か」
「はい」
「報告書より、普通の男に見える」
「何と書いてあったんです?」
「異界から現れ、見えない城壁を作り、未知の食事で兵を動かし、朝を奪う装置を破壊した」
一夜はリディアを見る。
「かなり英雄らしく書いてるじゃないですか」
「正確に書いた」
「戦えない部分は?」
「最初に書いた」
「やっぱりですか」
ダリウスは口元だけで笑った。
「話は本部で聞く。だが、その前に頼みたいことがある」
「西側の宿場ですか?」
「ああ」
団長の表情から笑みが消える。
「姿を消した7人のうち、1人が戻った」
「無事なんですか?」
「外傷はない」
「では――」
「自分の名前も、家族の顔も覚えている」
ダリウスは城門の内側へ目を向けた。
「だが、朝だけを覚えていない」
「朝を?」
「日が昇ることは知っている。明るくなることも理解している」
「何を忘れたんです?」
「朝が来てほしいという感覚だ」
一夜は言葉を失った。
「その男は、今も同じことを繰り返している」
ダリウスが告げる。
「夜へ戻りたい。夜の中に、残りの6人が待っていると」
説明書から、紙の擦れる音がした。
【周辺に認識干渉を受けた対象を確認】
【保護領域内への誘導を推奨します】
一夜は文字を読み上げる。
「その人を、ここへ連れてきてください」
「何ができる」
「分かりません」
「分からない?」
「でも、この中なら外からの認識干渉を弱められます」
一夜は安全地帯の中心を指した。
「話を聞くなら、まずここです」
ダリウスは一夜を見つめた。
完全に信じている顔ではない。
それでも、すぐに兵士へ命じる。
「連れてこい」
アルノへ入る前に、一夜のテントは再び会議室になった。
今度の相手は、夜の中から戻ってきた男だった。




