第39話 話し合いは、テントの中で
「戦えない天幕の男ではないのですか?」
護衛の騎士が尋ねた。
一夜は、ゆっくりリディアを見る。
「非公式の呼び方、広まってません?」
リディアは親指を立てた。
「広めたんですね」
「事実を伝えただけだ」
「もっとほかにあったでしょう。朝を取り戻した男とか」
「自分で言うのか?」
「少しくらい見栄を張りたいと言いましたよね」
「では、訂正しよう」
リディアは騎士たちへ向き直った。
「戦えないが、朝を取り戻した天幕の男だ」
「戦えない部分、残すんですね」
「重要だからな」
年上の騎士が一夜へ右手を差し出した。
「ガレス・ヴァルド。辺境騎士団で副隊長の補佐をしている」
一夜も手を握り返す。
「泊一夜です。特異野営具管理者……でいいんですよね?」
「正式な役職ではない」
「昨日、作ったばかりですからね」
「昨日?」
もう1人の若い騎士が首を傾げる。
「私はテオです。副隊長から、あなたの話は聞いています」
「どんな話でした?」
「魔物を光る棒で引きつけた」
「はい」
「村人に鍋をたたかせた」
「はい」
「巨大な宵喰い狼の前で、両手を広げた」
「そこだけ聞くと、かなり危ない人ですね」
「違うのですか?」
一夜は答えに詰まった。
「安全地帯の中でした」
「副隊長も同じ説明をしていました」
「分かってくれてたんですね」
リディアが視線をそらす。
「事実を伝えただけだ」
「今日は、それで全部を片づけるつもりですか?」
御者を務める大柄な男性も、安全地帯へ入った。
「ボルグだ。馬車は任せてくれ」
「よろしくお願いします」
これで、アルノへ向かう一行は5人。
一夜。
リディア。
ガレス。
テオ。
御者のボルグ。
「出発前に確認する」
ガレスがテントの周囲を見回す。
「この中では、本当に言葉が通じる。だが、畳めば通じなくなるのだな?」
「はい」
「馬車の中でも?」
「テントが設営されていなければ、普通の布です」
「走りながら広げることは」
「無理です」
「荷台の上へ立てるのは?」
「4本のペグを地面へ打たないと、安全地帯になりません」
「面倒な天幕だな」
「俺もそう思います」
「設営には、どれほどかかる」
「地面が普通なら、数分です」
「襲撃された場合、その数分は我々が守る」
ガレスが当然のように言った。
一夜は少し驚く。
「信じてくれるんですか?」
「副隊長とハルト村の者が保証している」
「ガレスは、私の報告を疑っていたがな」
リディアが口を挟む。
「疑ってはいません。確認していただけです」
「天幕の中へ入るまで、魔術による精神干渉を受けている可能性を話していただろう」
「副隊長が、異邦の男へ騙されていないか確認するのは補佐の役目です」
「かなり疑ってますね」
一夜が言うと、ガレスは真面目な顔でうなずいた。
「今も、完全に信用したわけではない」
「正直ですね」
「だが、少なくとも言語支援と保護領域は本物だ」
「料理の効果もあります」
「副隊長から聞いている」
ガレスがリディアを見る。
「温かいスープを飲むと、急に無理ができるようになると」
「説明が間違っています」
一夜は即座に否定した。
「疲労を軽くするだけです。無理をするための力ではありません」
「副隊長は、飲んだ直後に戦ったそうだが」
「悪い使用例です」
「一夜」
「事実を伝えただけです」
リディアが一夜をにらむ。
ガレスは、何かを納得したようにうなずいた。
「副隊長が無理をすれば止めてくれ」
「その役目、俺なんですか?」
「我々の言葉は聞かない」
「俺の言葉も、あまり聞きませんよ」
「それでも、以前よりは休むようになった」
一夜はリディアを見る。
「そうなんですか?」
「ガレス。余計なことを言うな」
「事実です」
「今日は、事実が便利に使われすぎですね」
出発前に、一夜たちは最低限の合図を決めた。
握った拳は、止まれ。
前方を2本の指で示せば、危険。
水筒を掲げれば、休憩。
テントを指して円を描けば、設営。
リディアと一夜が使っていた合図を、ガレスたちにも共有する。
「それから、緊急時は名前を呼んでください」
一夜は説明した。
「意味が通じなくても、自分が呼ばれたことは分かります」
「イチヤ」
テオが発音する。
「合ってます」
「トマリではないのか?」
「一夜で大丈夫です」
「副隊長も、そう呼んでいますからね」
テオが笑う。
リディアの眉が動いた。
「何か問題があるのか?」
「いえ。副隊長が名前で呼ぶ相手は珍しいので」
「相棒だからだ」
リディアは迷わず答えた。
一夜の方が少し戸惑う。
「そこは即答するんですね」
「事実だからな」
テントを畳む。
最後のペグを抜いた瞬間、周囲の言葉が理解できなくなった。
テオが何かを言う。
一夜には、聞いたことのない音の連続にしか聞こえない。
「本当に、何も分からないですね」
ガレスが一夜を指し、次に馬車を指した。
「乗れ、ですね」
親指を立てる。
ガレスも同じように返した。
「この合図、騎士団にも広がりそうだな」
馬車は、ハルト村を出て南西へ進んだ。
荷台には一夜とリディア。
ガレスとテオは馬に乗り、前後を警戒している。
舗装されていない道を進むたび、車輪が大きく跳ねた。
「これは、腰に来るな……」
一夜は荷物の上へ敷いた毛布へ座り直した。
リディアが隣から顔をのぞき込む。
一夜の腰を指し、首を傾げた。
「少し痛いだけです」
言葉は通じない。
一夜は両手で小さな幅を作り、問題ないというように親指を立てた。
リディアは納得しなかった。
馬車の壁をたたき、御者へ声をかける。
速度が少し落ちた。
「そこまでしなくても」
リディアが一夜をにらむ。
次に、自分の肩を指した。
「俺が傷を確認したから、今度は自分が見るってことですか?」
リディアがうなずく。
「言葉が通じない方が、押しが強いな」
彼女は新しい水筒を取り出した。
右手だけでボタンを押し、蓋を開く。
ひと口飲む。
そして、自慢するように一夜へ見せた。
「使いこなしてますね」
リディアが親指を立てる。
「それ、本当に便利だな」
昼前。
街道脇の開けた場所で、馬車が止まった。
井戸はないが、小さな川が近くを流れている。
ガレスが周囲を確認し、地面を指した。
休憩らしい。
一夜は荷台からテントを下ろす。
テオが手伝おうとしたが、設営手順が分からず布を反対側へ引いてしまう。
「そこではなくて」
言葉は通じない。
一夜はポールを指し、布の穴へ通す動きを見せた。
テオが理解し、うなずく。
リディアは慣れた手つきで反対側のポールを支えていた。
「最初は、これが普通のテントだとも知らなかったのに」
4本のペグを打つ。
ロープを張る。
安全地帯が展開された。
半径4メートルの透明な領域。
全員が中へ入る。
「やはり、急に言葉が分かるな」
ガレスが周囲を見回す。
「戦闘中に会議が必要になったら、毎回これを張るのか?」
「そうなりますね」
「緊急性が高い時には不便だ」
「だから、合図を決めました」
「なるほど」
テオはテント本体より、懐中電灯へ興味を示していた。
「これが、群れ長の目をくらませた道具ですか?」
「はい」
「魔道具ではない?」
「電池で動きます」
「デンチ」
「この中に入っている、小さな力の入れ物です」
一夜は乾電池を見せた。
「作れますか?」
「俺には無理です」
「では、使い切ったら終わり?」
「現代へ帰れば買えます」
「便利なのか、不便なのか」
「村長と同じことを言ってますね」
一夜は昼食の準備を始めた。
パン。
ハルト村でもらった干し肉。
現代から持ってきた個包装のチーズ。
乾燥スープ。
「これは何だ?」
リディアがチーズの包装を持ち上げる。
「中に食べ物が入っています」
「どうやって開ける」
「端から引いてください」
リディアが強く引く。
包装が裂け、チーズが飛んだ。
テオが空中で受け取る。
「副隊長」
「今のは、この袋が悪い」
「普通に開けられますよ」
一夜は別の包装をゆっくり剥がして見せた。
「力を入れすぎです」
「最初に言え」
「説明する前に開けたでしょう」
テオが受け取ったチーズを見る。
「食べても?」
「どうぞ」
恐る恐る口へ入れる。
「柔らかい。塩気がある」
「パンに挟むと合います」
「保存できるのですか?」
「未開封なら、ある程度は」
「この透明な皮が腐敗を防ぐ?」
「皮ではなく、包装です」
ガレスもチーズを受け取る。
「異邦の食料は、すべて薄い袋に包まれているのか?」
「全部ではありませんけど、多いですね」
「ごみが増えるな」
「それは、こちらでも問題になっています」
「異世界にも問題はあるのですね」
「宵喰い狼はいませんけどね」
スープへ湯を注ぐ。
今回は5人分。
安全地帯の推奨人数は8人。
全員が十分に効果を受けられる。
【集団調理を確認】
【対象:長距離移動者】
【疲労回復・中】
【集中補助・弱】
【軽度の揺れ酔い緩和】
【持続時間:4時間】
「揺れ酔いにも効くみたいです」
一夜が読み上げる。
ボルグがすぐに器を受け取った。
「それは助かる。今日の道は荒れている」
「御者でも酔うんですか?」
「御者ではない。馬が疲れると、揺れが大きくなる」
「馬には効果があります?」
一夜は説明書を見る。
【調理対象外】
「俺が調理した物を食べないと駄目みたいです」
「馬へスープを飲ませるか?」
「塩分があるのでやめましょう」
リディアはスープより、一夜が用意したコーヒーを見ていた。
「濃い物を持ってきたんだろう」
「昼から飲むんですか?」
「約束だ」
「アルノへ着けなくなりますよ」
「眠らなければ着ける」
「御者ではありませんよね」
「夜の見張りができる」
「宿で寝てください」
「副隊長」
ガレスが真剣な顔で口を挟んだ。
「一夜殿の指示へ従ってください」
「なぜだ」
「休息については、彼の方が正しいと判断しました」
一夜は驚いた。
「完全に信用してないんですよね?」
「信用と評価は別だ」
「似たようなことを、マルタさんにも言われました」
「ならば、あなたの周囲には賢明な者が多い」
「休まない人も多いですけどね」
リディアがスープの器を受け取る。
「夕方に飲む」
「コーヒーですか?」
「ああ」
「1杯だけですよ」
「2杯だ」
「交渉ではありません」
食事が半分ほど進んだところで、街道の向こうから馬の足音が聞こえた。
速い。
ガレスとテオが立ち上がる。
リディアも剣へ手を伸ばした。
「座っていてください」
「何者か分からない」
「ガレスさんたちが確認します」
「副隊長は私だ」
「けが人でもあります」
リディアは立ち上がったが、安全地帯の外へは出なかった。
少しは譲るつもりらしい。
馬へ乗った騎士が、テントの前で止まった。
鎧には泥。
額には血がにじんでいる。
馬も激しく息をしていた。
騎士が何かを叫ぶ。
一夜には言葉が分からない。
ガレスの表情が変わった。
彼は騎士の腕を取り、安全地帯へ引き入れる。
「副隊長!」
境界を越えた瞬間、言葉がつながった。
「アルノからの伝令です!」
「何があった」
「昨日の明け方、城壁西側の宿場で異常が発生しました」
伝令は息を整えながら続ける。
「日の出から、およそ20分。宿場一帯だけが夜へ戻りました」
一夜の手が止まった。
「夜へ戻った?」
「一度は朝日が昇ったのです。ですが、急に空が暗くなった」
リディアの表情が険しくなる。
「黒い結晶は」
「見つかっていません」
「宵喰い狼は現れたのか?」
「魔物の襲撃はありません。ただ……」
伝令が言葉を詰まらせる。
「宿場にいた者たちが、同じ声を聞きました」
「どんな声です?」
一夜が尋ねる。
伝令は初めて一夜を見た。
異国の服装へ戸惑いながらも答える。
「亡くなった家族や、離れて暮らす者の声です」
灰緑の森で聞いた声。
ニナ。
ロイド。
会社の上司。
「外へ出ろと言われましたか?」
「なぜ、それを」
「俺たちも聞きました」
伝令の顔から血の気が引く。
「井戸へ来い。森へ来い。門の外へ来い。声の内容は人によって違ったそうです」
「行った人は?」
「7人が宿場から姿を消しました」
「捜索は?」
「騎士団が行っています。しかし、足跡は途中で消えています」
リディアが一夜を見る。
「ノクスだ」
「はい」
監視塔の装置を壊した。
だが、終わったわけではなかった。
むしろ、朝を止める方法を変えている。
「アルノまで、あとどれくらいです?」
一夜が尋ねる。
ボルグが答えた。
「通常なら夕方前だ」
「急げば?」
「馬を替えなければならない。今の馬で無理をすれば、到着前に潰れる」
リディアは伝令の馬を見る。
すでに限界に近い。
「ここで10分休む」
リディアが言った。
一夜は驚いて彼女を見る。
「今、自分から休むと言いました?」
「馬と伝令のためだ」
「それでも、休む判断です」
「急ぐために必要な休息だ」
「完璧です」
「何がだ」
「いえ。成長したなと思って」
「上から言うな」
リディアは伝令へ、自分のスープを差し出した。
「飲め。10分後に出る」
「副隊長の分は?」
「私は、もう半分飲んだ」
一夜が別の器へスープをよそう。
「リディアさんの分もあります」
「ならば、早く渡せ」
「素直だな」
「言い争う時間が惜しい」
一夜は5人分の昼食へ、伝令の分を追加した。
説明書に文字が現れる。
【新規対象を確認】
【長距離移動支援を適用します】
伝令は温かいスープを一気に飲んだ。
荒かった呼吸が、少しずつ落ち着く。
「本当に、体が軽く……」
「完全に回復したわけではありません」
一夜は先に注意する。
「10分、座っていてください」
「しかし、急いで――」
「急ぐために必要な休息です」
リディアが言った。
伝令は驚いた顔で副隊長を見る。
ガレスとテオも、同じような顔をしていた。
「何だ」
リディアが周囲をにらむ。
「いえ」
ガレスが口元を緩める。
「一夜殿を同行させて正解だったと思っただけです」
一夜は街道の先を見る。
ハルト村の次は、アルノ。
朝を奪う者は、すでに別の場所へ手を伸ばしている。
それでも、焦ってすべてを失う必要はない。
休める時に休む。
食べられる時に食べる。
互いの状態を確かめてから進む。
「10分後に出発しましょう」
一夜はスマートフォンのタイマーを設定した。
テントは、安全地帯であり。
治療所であり。
食堂であり。
そして今は、急ぎの報告を受ける会議室になっていた。




