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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第36話 戻る日は、自分で決める

 水曜日の朝。


 一夜は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。


 体を起こし、腰をひねる。


「……昨日よりは楽だな」


 足の痛みも残っている。


 額には保護テープ。


 階段を下りれば、太ももが少し張る。


 それでも、出勤できる状態には戻っていた。


 一夜は診療所でもらった紙を鞄へ入れ、会社へ向かった。


     


「泊さん、大丈夫?」


 出社して最初に声をかけてきたのは、資料を引き継いだ田中だった。


「はい。まだ少し痛みますけど」


「少し?」


「普通に歩ける程度です」


「それ、無理する人の言い方じゃない?」


 一夜は返事に詰まった。


「最近、同じことを言われました」


「病院の先生に?」


「いろいろな人にです」


「それなら聞いた方がいいよ」


 異世界の女騎士と老治療師まで含まれているとは説明できない。


 田中は一夜の額を見る。


「キャンプで何があったの?」


「足場が崩れまして」


「そんな危険な場所でキャンプしたの?」


「テントを張った場所は安全でした」


「それ以外が危険だったってこと?」


「そうなります」


「もう行かない方がいいんじゃない?」


 一夜は少し考えた。


「体調が戻ってから、また行きます」


「行くんだ」


「はい」


「好きなんだね、キャンプ」


「始めたばかりですけど」


 キャンプそのものが好きなのか。


 異世界へ行くことが目的なのか。


 自分でも、まだ区別がついていなかった。


 ただ、外で飲むコーヒーは好きだ。


 テントの中で、自分の時間を過ごすことも。


 朝を待つ人たちに会うことも。


「でも、今週は無理しないでね」


「はい」


「本当に?」


「今日は、できる範囲だけにします」


「それ、前より具体的だね」


「学びました」


 一夜は自分の机へ向かった。


 パソコンを起動する。


 休んでいた2日分のメールが並んでいる。


「多いな……」


 以前なら、古い順からすべて確認していただろう。


 自分に直接関係のないものまで読み、返信が必要か考える。


 一夜は深く息を吸った。


「まず、自分宛てだけ」


 宛先で絞り込む。


 急ぎ。


 今日中。


 今週中。


 それぞれに分ける。


 自分が対応するもの。


 確認だけで終わるもの。


 ほかの担当者へ戻すもの。


「泊君」


 課長の佐久間が近づいてきた。


「体調はどう?」


「今日から勤務できます。ただ、残業は避けたいです」


 言ってから、一夜は少し緊張した。


「うん。そのつもりで」


「それと、休んでいた間の仕事ですが」


「急ぎは田中さんたちに振り分けたよ」


「全部確認した方がいいですか?」


「引き継ぎが終わっているものは見なくていい」


「でも、内容を把握しておかないと――」


「必要になったら共有する」


 佐久間は一夜の机に置かれたメール一覧を見る。


「泊君は、終わった仕事まで確認し直すでしょう」


「気になるので」


「確認する時間で、今日の仕事が遅れる」


「……そうですね」


「任せたものは、任せておいて」


 リディアへ言った言葉が、自分へ返ってくる。


 互いにできないことを補う。


 全部を自分でやる必要はない。


「分かりました」


「素直だね」


「最近、休まない人を説得する機会があったので」


「家族?」


「相棒です」


 佐久間が少し驚いた顔をした。


「泊君、そういう相手がいたんだ」


「そういう相手?」


「いや、何でもない」


 課長は意味ありげに笑い、離れていった。


「何だったんだ?」


 田中が隣から顔を出す。


「相棒って誰?」


「キャンプで知り合った人です」


「一緒に行ったの?」


「現地で会いました」


「女性?」


「はい」


 田中の目が大きくなる。


「それ、詳しく聞いていい?」


「話すと長いです」


「名前だけ」


「リディアさんです」


「外国人?」


「かなり遠いところの人です」


「どこの国?」


 一夜はパソコンへ視線を戻した。


「説明が難しい場所です」


「怪しいな」


「俺も最初はそう思いました」


     


 定時の30分前。


 一夜は今日の仕事を確認した。


 急ぎの案件は終わっている。


 明日へ回せるものが2件。


 誰かへ確認を頼まなければ進まないものが1件。


 以前なら、相手の返事を待ちながら残っていた。


「田中さん」


「何?」


「この案件ですが、先方から返事が来たら確認をお願いできますか?」


「今日中に来たら?」


「対応できる範囲でお願いします。遅い時間なら、明日で大丈夫です」


「泊さんは?」


「定時で帰ります」


 田中が少し驚いた顔をする。


「本当に?」


「医師にも止められていますので」


「それがいいよ」


「確認箇所は、ここに書いてあります」


 一夜は共有メモを見せた。


 田中が内容を読む。


「これなら分かる」


「分からないところがあれば、明日聞いてください」


「今日は連絡しない方がいい?」


「はい」


 言えた。


 勤務時間外は対応しない。


 単純なことなのに、以前は口にできなかった。


「分かった。任せて」


「お願いします」


 自分がやるはずだった仕事を、別の人へ渡す。


 罪悪感がないわけではない。


 だが、群れ長との戦いで学んだ。


 自分では倒せない相手を、倒せる人へ渡す。


 仕事も同じだった。


 できない状態の時に抱えても、誰も助からない。


     


 金曜日の夜。


 一夜は自宅の床へキャンプ用品を並べていた。


「痛みは、ほとんどなし」


 腕を上げる。


 腰を曲げる。


 その場で軽く足踏みする。


 問題はない。


 額の傷も保護テープだけで済んでいる。


 説明書を開く。


【設営者の疲労状態:軽】


【外傷状態:回復中】


【再往還:可能】


【推奨】


【十分な水分・食料・治療用品を準備してください】


「今回は、準備してから行きますよ」


 次に必要な物を確認する。


 コーヒー。


 ドリップバッグは多め。


 村人にも飲ませられるよう、苦みの弱い物も買った。


 大人数用の乾燥スープ。


 塩。


 砂糖。


 粉末だし。


 包帯。


 消毒用品。


 使い捨て手袋。


 予備のロープ。


 乾電池。


 簡易ランタン。


 そして、小さな鏡。


「リディアさん、自分の寝癖を見てませんからね」


 持っていく理由としては弱い。


 だが、鏡は傷を確認する時にも使える。


「こっちが本当の用途です」


 誰に言い訳しているのか分からない。


 一夜は鏡を救急用品の中へ入れた。


     


 土曜日。


 一夜は、以前訪れたアウトドア用品店へ向かった。


「いらっしゃいませ」


 店員の森川さなえが、一夜へ気づく。


「あ。この前の、野生動物が入れない範囲を聞いていた方」


「覚え方が特殊ですね」


「質問が特殊だったので」


 森川は一夜の額を見る。


「けがをされたんですか?」


「キャンプ中に少し」


「少しに見えませんけど」


「最近、全員に言われます」


「テントは無事でした?」


「テントのおかげで助かりました」


「うちで買った商品ではありませんよね」


「通販です」


「そうでした」


 森川は少し残念そうな顔をした。


「今日は何をお探しですか?」


「大人数へ温かい飲み物を配れる道具と、壊れにくい器。それから、片手でも使いやすい水筒です」


「大人数は、何人くらいです?」


「8人以上です」


「グループキャンプですか?」


「近いです」


「片手で使うのは、けがをした方がいる?」


「肩を痛めています」


「でしたら、ストロー式より、ボタンで開く直飲みタイプがいいかもしれません」


 森川は商品棚から金属製のボトルを取る。


「片手で蓋を開けられます。保温もできます」


「丈夫ですか?」


「普通に使えば」


「魔物に投げても?」


 森川の動きが止まった。


「熊ですか?」


「言い間違えました」


「今、魔物って言いました?」


「疲れてるみたいです」


「今週末もキャンプへ行くんですよね?」


「はい」


「本当に大丈夫ですか?」


 一夜は商品を受け取った。


「体調は確認しました」


「危ない場所ではない?」


「テントを張る場所は安全です」


「前にも同じことを言ってませんでした?」


「言った気がします」


「泊さん」


「名前、覚えてたんですね」


「会員登録されましたから」


 森川は真剣な顔で一夜を見る。


「キャンプは逃げませんよ」


「はい」


「道具も、来週買えます」


「そうですね」


「今週行かなければならない理由があります?」


 一夜はハルト村を思い浮かべた。


 朝を取り戻した人々。


 傷ついたリディア。


 次に来ると約束した。


「待っている人はいます」


「それでも、無理して行く必要は?」


「無理はしていません」


 一夜は自分の体を確認するように腕を動かした。


「今週は、行ける状態だから行きます」


「行ける状態じゃなかったら?」


「延期します」


 森川は少しだけ表情を緩めた。


「それなら、止めません」


「ありがとうございます」


「でも、帰る日を誰かに伝えてください」


「帰る日?」


「遭難した時、誰も気づかなかったら困ります」


 一夜は管理棟からの着信を思い出した。


 現代側では、予定日を過ぎても連絡せず、テントへ閉じこもっていたことになっている。


「そうですね」


「家族でも友人でもいいです。キャンプ場の人にも、延長する時は連絡してください」


「分かりました」


「本当に?」


「今回は守ります」


「前回は?」


「守れませんでした」


「正直ですね」


 一夜は大人数用のケトルと、割れにくいカップを選んだ。


 最後に、片手で開けられる水筒を2本購入する。


「2本ですか?」


「1本は自分用です」


「自分の分も考えられていて、安心しました」


 一夜は少し笑った。


「最近、説明書にも同じことを言われました」


「何の説明書です?」


「テントです」


「そんなことまで書いてあるんですか」


「後から増えます」


「怖いテントですね」


「俺もそう思います」


     


 土曜日の夕方。


 一夜はキャンプ場へ戻った。


 今回は管理棟へ、月曜日の朝に撤収する予定だと伝えた。


 連絡が取れなければ、テントの外から声をかけてもらう。


 延長が必要なら、必ず電話する。


 家族にも、キャンプ場の名前と予定を送った。


「これでいい」


 テントを設営する。


 4本のペグ。


 張られたロープ。


 最後の結び目。


 現実世界では、安全地帯は展開されない。


 ただのテント。


 それでも、今の一夜にとっては十分に帰る場所だった。


 荷物を中へ運ぶ。


 夕食を取る。


 コーヒーを飲む。


 そして、寝袋へ入る。


「向こうでは、5日くらい経ってるのか」


 同じ速さで時間が流れている。


 ハルト村では、復旧が進んでいるはずだ。


 リディアが村に残っている保証はない。


 辺境騎士団へ報告へ戻っている可能性もある。


「会えなかったら、水筒は置いていくか」


 一夜は目を閉じた。


「おやすみなさい」


 返事はない。


 車の音。


 遠くの話し声。


 現代のキャンプ場の夜。


 やがて、意識が沈んでいった。


     


「遅い」


 聞き覚えのある声で、一夜は目を覚ました。


 目を開ける。


 緑色のテント。


 差し込む朝日。


 入口の前に、銀髪の女騎士が座っている。


 肩にはまだ包帯が巻かれていた。


 だが、顔色はよくなっている。


「おはようございます」


「5日だ」


「こちらでも、5日です」


「約束した」


「次に来るとは言いましたけど、日付までは決めてません」


「コーヒーを持ってくるとも言った」


「持ってきました」


 リディアの視線が、一夜のバックパックへ向く。


「すぐ淹れろ」


「再会して最初の言葉がそれですか?」


「最初は『遅い』だ」


「訂正しなくていいです」


 一夜は寝袋から起き上がった。


 リディアが、その動きをじっと見ている。


「何です?」


「傷は」


「ほとんど治りました」


「額を見せろ」


「先にコーヒーでは?」


「傷が先だ」


 一夜は少し驚いた。


 以前なら、自分の傷より役目を優先していた人が。


 今は、一夜の状態を確かめようとしている。


「分かりました」


 一夜は額を見せる。


 リディアが顔を近づけた。


「痛みは?」


「もうありません」


「本当か?」


「本当です」


「ならばいい」


 リディアは少し離れる。


「次は、私の傷を見る気だろう」


「もちろんです」


「その前にコーヒーだ」


「どっちなんですか」


「飲みながら見せる」


「合理的ですね」


 一夜は新しいケトルを取り出した。


 朝日の差すハルト村で、湯を沸かす。


 帰る場所が2つになった男の、新しい1週間が始まった。

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