↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/68

第35話 休んでも、世界は止まらなかった

 一夜が次に目を覚ました時、テントの中は明るくなっていた。


「……何時だ」


 寝袋の横へ置いたスマートフォンを手に取る。


 午後1時18分。


「6時間以上、寝てたのか」


 途中で目を覚ました記憶はない。


 会社からの通知も切ったまま。


 誰かに呼ばれることもなく、ただ眠っていた。


 一夜はゆっくり上半身を起こす。


 体はまだ重い。


 だが、朝よりは明らかに楽になっていた。


 説明書を開く。


【現実世界側での休息を確認しました】


【設営者の疲労状態:中】


【外傷状態:軽度】


【追加の休息を推奨します】


「まだ休めと言うのか」


 さらに下へ文字が浮かぶ。


【設営者本人も、保護対象に含まれます】


「同じことを2回書かなくても分かってますよ」


 ページは何も答えない。


「……分かってなかったから、書かれたのか」


 一夜は寝袋から出た。


 立ち上がると、足と腰に痛みが走る。


「痛っ」


 監視塔の階段。


 崩れた床。


 何度も転んだ森の道。


 安全地帯の中では気にならなかった痛みが、現実世界へ戻ったことで一気に表へ出たようだった。


「これは、病院へ行った方がいいな」


 自分で判断できた。


 以前なら、出勤してから悪化すれば考えようと思っていただろう。


 今日は違う。


 会社は休んだ。


 時間はある。


「まず、何か食べるか」


 一夜は携帯食の袋を開いた。


 異世界へ持っていくつもりで買った栄養バー。


 水。


 残っていたインスタントスープ。


「村であれだけ料理したのに、自分の昼はこれか」


 小型バーナーで湯を沸かす。


 カップへスープを入れる。


 特別な効果は表示されない。


 それでも、温かい食事を口へ入れると、体が少しずつ動き始めた。


「自分に作っても、料理ではあるよな」


 説明書を見る。


 変化はない。


「現実では、普通に食べろということですか」


     


 キャンプ場を出た一夜は、近くの診療所へ向かった。


 車を運転する前に管理棟の休憩室でもう1時間休み、スタッフへ状態を確認してもらっている。


 診察室で額の傷や腕の擦り傷を見せると、医師は眼鏡の奥から一夜を見た。


「キャンプ中に転んだんですよね?」


「はい」


「何回くらい?」


「正確には覚えていません」


「山から落ちた?」


「落ちかけました」


「落ちかけた?」


「ロープで引き上げてもらいました」


 嘘は言っていない。


 ただし、引き上げた相手が異世界の女騎士だとは話していない。


「頭を強く打った記憶は?」


「石の床へ額をぶつけました」


「意識を失った?」


「それはないです」


「吐き気は?」


「ありません」


 医師は傷を洗い、額へ新しい保護テープを貼った。


 腕や足も確認する。


「大きな骨折はなさそうですね。ただ、全身打撲に近い状態です」


「やっぱり休んだ方がいいですか」


「今日は当然です。明日も痛みが強ければ、仕事を休んでください」


「明日も?」


「無理に出勤する理由があります?」


 一夜は言葉を止めた。


「仕事が残っているので」


「休んでも、仕事は残ります」


「そうですね」


「無理して悪化させても、仕事は残ります」


「……そうですね」


「なら、治してから行った方がいいでしょう」


 正論だった。


 異世界でも現実でも、同じことを言われている気がする。


「周りから、休めと言われ続けているんですよ」


「それなら、聞いた方がいいですね」


「はい」


「返事だけは素直ですね」


「よく言われます」


     


 自宅へ戻ったのは、夕方だった。


 一夜は荷物を玄関へ下ろし、最初にシャワーを浴びた。


 泥と汗を洗い流す。


 排水口へ流れていく水が、何度も茶色く濁った。


「本当に、どこでキャンプしてきたんだって感じだな」


 鏡を見る。


 額には保護テープ。


 肩や脇腹には青いあざ。


 腕には細かな擦り傷。


 群れ長と直接戦ったわけでもないのに、この状態だ。


「リディアさんは、もっとひどかったよな」


 今頃、マルタに治療されているだろうか。


 それとも、もう立ち上がって村の修復を手伝っているのか。


「たぶん、後者だな」


 次に会った時は、最初に傷を確認しよう。


 一夜はそう考え、すぐに首を振った。


「俺も同じことをされるか」


 着替えを済ませ、リビングへ戻る。


 仕事用の鞄が、部屋の隅へ置かれている。


 スマートフォンの通知は切ったままだった。


 画面を開けば、会社の状況を確認できる。


 田中が資料を確認できたか。


 先方へ提出できたか。


 何か問題が起きていないか。


 一夜はスマートフォンへ手を伸ばした。


 指が画面へ触れる直前で止まる。


『返信不要です。休んでください』


 課長からの言葉を思い出した。


「見たら、何か返したくなる」


 問題が起きていれば、自分が対応しなければと思う。


 問題が起きていなくても、安心したと連絡したくなる。


「今日は休みだ」


 一夜はスマートフォンを裏返した。


 代わりに、ノートを取り出す。


 次に異世界へ持っていく物。


 コーヒー。


 長期保存できる食料。


 包帯。


 消毒用品。


 予備電池。


 大人数へ配れる器。


「いや」


 一夜はペンを止めた。


「今日は、これもやめよう」


 異世界の準備も、急ぎではない。


 ハルト村には朝が戻った。


 宵喰い狼も、群れ長を失っている。


 今夜すぐに戻らなければならない理由はない。


 自分で休むと決めたのに、別の仕事を始めてしまえば同じだった。


 一夜はノートを閉じた。


「何もしないって、結構難しいな」


     


 夕食は、近所で買った弁当にした。


 料理をする体力は残っていない。


 電子レンジで温め、テーブルへ置く。


 テレビをつける。


 内容はほとんど頭へ入らなかった。


 それでも、仕事の画面でも、異世界の戦場でもない映像が流れているだけで落ち着いた。


 食事を終え、薬を飲む。


 午後8時を過ぎた頃、一夜はベッドへ入った。


「今日は、ずっと寝てるな」


 だが、眠気はまだある。


 体が休息を求めている。


 目を閉じる前に、説明書だけを枕元へ置いた。


「今日は、向こうへ行きませんよ」


 テントは畳んだまま玄関にある。


 設営しなければ往還は起きない。


 説明書から紙の擦れる音がした。


「聞こえてるんですか?」


 ページを開く。


【異世界側接続地点:ハルト村中央広場】


【接続状態:安定】


【異世界側経過時間:現実世界と同速】


【再接続可能】


「分かってます」


 さらに、新しい項目が現れた。


【帰還標識登録地点】


【ハルト村中央広場】


【接続地点周辺状況:安定】


 一夜は少し安心した。


 村の安全を完全に確認できるわけではない。


 それでも、少なくとも接続地点の周囲に大きな異常は起きていないらしい。


【推奨】


【設営者の疲労状態が改善するまで、再往還を延期してください】


「テントにまで止められた」


 一夜は説明書を閉じた。


「分かりました。今週末まで行きません」


 口にしてから、少し考える。


「いや、土曜日の体調を見て決めます」


 行く日を先に決めて、無理に体を合わせるのではない。


 体調を確認してから行く。


「これでいいですよね」


 説明書は何も答えない。


「急に黙るなよ」


 一夜は小さく笑い、目を閉じた。


     


 翌朝。


 目覚ましが鳴る前に、一夜は目を覚ました。


 火曜日。


 体を起こす。


 昨日よりは楽だった。


 だが、階段を下りる動きを想像すると、腰に鈍い痛みがある。


 一夜は会社へ行く準備を始めかけた。


 クローゼットを開く。


 シャツを取る。


 そこで、医師の言葉を思い出す。


『明日も痛みが強ければ、仕事を休んでください』


「強い、の基準はどれくらいだ」


 自分なら行ける。


 座って仕事をするだけなら問題ない。


 そう考えた瞬間、リディアの顔が浮かんだ。


『剣は振れる』


「似てるな……」


 一夜はシャツを戻した。


 課長へ連絡する。


『打撲の痛みが残っているため、本日も休ませてください。昨日、診療所を受診しています』


 送信する前に、指が止まる。


 申し訳ありません。


 急ぎの連絡があれば対応します。


 そんな文章を追加したくなる。


 一夜は何も加えず、そのまま送った。


 数分後。


『了解しました。今日も休んでください。資料提出は完了しています』


「終わってる」


 自分がいなくても、提出できた。


 田中や課長が対応したのだろう。


 一夜は安心すると同時に、少しだけ寂しいような感覚を覚えた。


「何でだよ」


 頼られることが苦しかった。


 それでも、自分が必要とされている感覚へ、どこかで安心していたのかもしれない。


 スマートフォンへ新しいメッセージが届く。


 田中からだった。


『泊さんのメモ、すごく分かりやすかったです。無事終わりました。お大事に』


 一夜は文章を見つめた。


 自分がすべてやらなくてもいい。


 必要な情報を残せば、ほかの人が引き継げる。


 ハルト村でやったことと同じだった。


 戦う人。


 休む人。


 伝える人。


 誰か1人が全部を抱えなくても、役割をつなげば進められる。


 一夜は短く返信した。


『ありがとうございます。助かりました』


 それだけ。


 仕事を引き取るとも。


 後から確認するとも書かなかった。


「これくらいでいいんだな」


 スマートフォンを置く。


 窓のカーテンを開ける。


 朝日が部屋へ入ってきた。


 会社へ行かなくても、朝は来る。


 休んでいても、仕事は進む。


 自分が止まっても、世界までは止まらない。


「それなら、今日はちゃんと休める」


 一夜はコーヒーを淹れるため、台所へ向かった。


 自分の朝を、自分のために使う。


 それは誰かを見捨てることではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。