第33話 朝のあとには、帰る場所がある
朝を取り戻しても、すぐに喜べるわけではなかった。
集会所の奥には、白い布をかけられた2人が横たわっている。
その周囲に家族や友人が集まり、静かに別れを告げていた。
外では壊れた柵を直す音がする。
負傷者のうめき声。
水を運ぶ足音。
泣いている子供をあやす声。
夜が終わっても、夜の間に起きたことは残っていた。
「一夜殿」
村長のエドガーが、安全地帯へ入ってきた。
「弔いを始める」
「はい」
「あなたたちにも立ち会ってもらいたい」
一夜は少し迷い、リディアを見る。
彼女はマルタに包帯を巻き直されているところだった。
「行けるか?」
エドガーが尋ねる。
「当然だ」
「座っていてください」
「弔いだぞ」
「座って立ち会えばいいでしょう」
「皆が立っている中で、私だけ座れというのか」
「けが人なんですから」
「騎士団を代表する者でもある」
「では、座って代表してください」
「どういう状態だ」
マルタがリディアの肩を押さえた。
「立つな。傷がまた開く」
「もう閉じている」
「今、包帯を外して確かめるか?」
「……必要ない」
「素直ですね」
一夜が言うと、リディアがにらんできた。
「あなたも座れ」
「俺はけがしてません」
「額に傷がある」
「これは軽いです」
「その言い方は禁止ではなかったか?」
「自分に返ってくるとは思いませんでした」
一夜もリディアの隣へ腰を下ろした。
ハルト村の弔いは、静かなものだった。
村人たちが1人ずつ、亡くなった2人のそばへ小さな石を置いていく。
灰色。
白。
赤茶色。
森や畑で拾った、何の変哲もない石。
「この村では、亡くなった者が歩いた土地の石を贈る」
安全地帯の中で、エドガーが説明した。
「生きた場所を忘れないためだ」
「そうなんですね」
一夜は自分の足元を見る。
異世界の石を持っていない。
何か置ける物を探し、ポケットへ手を入れた。
小さな金属の部品が指へ触れる。
群れ長に引きちぎられた、リディアの鎧の留め具。
広場で拾い、捨てる場所がなくて入れたままにしていた。
「リディアさん」
「何だ」
「これ、置いてもいいですか?」
金具を見せる。
リディアはしばらく見つめた後、うなずいた。
「あの2人も、村を守るために戦った」
一夜は白い布のそばへ金具を置いた。
石ではない。
この村の習慣にも合っていないかもしれない。
それでも、昨夜の戦いを忘れないための物だった。
「守れなくて、すみません」
一夜は小さく頭を下げた。
「あなたが謝ることではない」
後ろから、女性の声が聞こえた。
亡くなった男性の家族だろう。
目を赤くしている。
「夫は北の柵を守っていた」
一夜は何も答えられなかった。
「あなたの天幕へ運ばれた時には、もう息をしていなかった」
「……はい」
「助けてもらえなかったとは思っていない」
女性は白い布へ手を置いた。
「夫が守った時間で、私と子供は集会所へ逃げられた」
声が震える。
「だから、夫も朝を守った者の中に入れてほしい」
一夜は胸の奥が締めつけられるのを感じた。
説明書に記録された数字は73。
朝へ到達した人数。
そこには、到達できなかった2人は含まれていない。
「もちろんです」
一夜は答えた。
「記録に数字が出なくても、俺は忘れません」
「ありがとう」
女性は泣きながら笑った。
一夜は説明書を開く。
数字は変わらない。
【朝到達記録:73】
それでも、その下に小さな文字が浮かんだ。
【朝到達支援者の記憶を確認しました】
【記録対象外の貢献は、失われません】
「……本当に、先に書いておいてほしいな」
「何か出たのか?」
リディアが尋ねる。
「忘れないそうです」
「誰が」
「このテントが」
一夜は説明書を閉じる。
「俺もです」
弔いが終わると、安全地帯は治療所になった。
レベル3へ上がったことで、推奨人数は8人。
軽傷回復も以前より強くなっている。
「次の8人、入ってください!」
一夜が呼ぶと、負傷者たちが境界へ入る。
足を引きずる男。
腕へ包帯を巻いた女性。
顔を引っかかれた自警団員。
「ここへ座ってください」
「傷が温かい」
「痛みは?」
「少し楽になっている」
マルタが傷を確認しながら、次々と指示を出す。
「この男は残せ。そちらの3人は止血できている。30分休ませたら交代だ」
「分かりました」
「私は?」
リディアが尋ねる。
「残るに決まっている」
「すでに十分休んだ」
「まだ朝になったばかりだ」
「森で30分眠った」
「それを十分とは言わない」
「この天幕の力もある」
「だから残れと言っている」
一夜がうなずく。
「マルタさんの言う通りです」
「あなたは治療する側ではないだろう」
「安全地帯の管理者です」
「その役職を定着させる気か」
「便利なので」
リディアは立ち上がろうとした。
一夜とマルタが、同時に肩を押さえる。
「座ってください」
「座れ」
「息が合っているな」
「光栄です」
「私は嫌だと言っただろう」
「マルタさん、それ結構傷つきますよ」
安全地帯の外では、次の負傷者たちが待っている。
一夜はスマートフォンで時間を測った。
「あと12分です」
「その小さな板は、時間も測れるのか?」
負傷した男が尋ねる。
「はい」
「光る。音も鳴る。遠くの物も映すのだろう?」
「大体、そんな感じです」
「武器にはならないのか?」
「投げれば、1回くらいは」
「投げるな」
リディアが即座に止めた。
「俺も投げませんよ」
「群れ長へ向かって、自分を投げ出した男だから信用できない」
「安全地帯の中でした」
「また始まった」
マルタがため息をついた。
「言い争えるなら、2人とも元気だ。働け」
「俺は働いてます」
「では、湯を沸かせ」
「はい」
「私は?」
「寝ろ」
「扱いが違いすぎないか?」
昼前になると、一夜は大鍋を借りた。
昨夜のスープは空になっている。
村の食料庫から持ってきてもらったのは、麦、干し肉、涙玉、卵に似た鳥の卵。
「何を作る?」
料理を担当していた女性が尋ねる。
「麦の粥にします」
「カユ?」
「柔らかく煮る料理です。傷ついた人でも食べやすいので」
麦を水で煮る。
細かく切った涙玉と干し肉を加える。
最後に溶いた卵を流し込む。
派手な料理ではない。
香辛料も少ない。
それでも、空腹だった村人たちは鍋から立つ湯気へ集まってきた。
「イチヤ!」
ニナが木の器を持っている。
「まだ熱いですよ」
「アツイ!」
「分かってるなら、少し待ってください」
「オカユ!」
「誰に聞いたんですか」
ニナは料理を手伝っていた女性を指した。
もう新しい言葉が村へ広まっているらしい。
「オカユ!」
「はい。お粥です」
一夜は器へ少しだけよそう。
息を吹きかけ、温度を確かめる。
「どうぞ」
ニナは慎重に口へ運んだ。
目を大きくする。
「スゴイ!」
「その感想、便利に使ってません?」
説明書が開く。
【集団朝食の調理を確認】
【調理支援効果:第2段階を適用】
【疲労回復・中】
【軽度の痛み緩和】
【集中補助・弱】
【持続時間:6時間】
「前より効果が上がってます」
「皆に食べさせろ」
リディアが器を差し出した。
「自分の分を先に受け取るんですか?」
「味を確かめる」
「ニナが食べましたよ」
「子供と騎士では必要な量が違う」
「普通にお腹が空いたと言ってください」
「空いた」
「素直ですね」
一夜は少し多めによそう。
リディアが口へ運ぶ。
ゆっくりと噛み、飲み込んだ。
「どうです?」
「温かい」
「味を聞いてるんですけど」
「悪くない」
「それは褒めてます?」
「かなり」
一夜も自分の分をよそった。
麦の食感。
干し肉の塩気。
涙玉の甘み。
疲れた体へ、温かさが広がっていく。
「……うまい」
「自分で言うのか」
「おいしい物は、おいしいので」
村人たちにも器が配られる。
食べた者から、表情が少しずつ和らいでいった。
壊れた村を直すための食事。
負傷者が体を戻すための食事。
亡くなった者を送り出した後、残った者が生きていくための食事。
朝のあとの時間が、ようやく動き始めていた。
夕方。
一夜はテントの前で、荷物を整理していた。
空は赤く染まっている。
夜が来る。
だが、今度の夜は止められていない。
「帰るのか」
リディアが隣へ座った。
「はい」
「今夜、眠れば?」
「俺の世界へ戻ると思います」
これまでと同じなら、異世界で眠った次の朝に現代へ帰る。
「思う?」
「説明書には、接続が維持されていると出ています」
一夜はページを見せる。
【往還先:現実世界】
【接続状態:安定】
【再接続可能】
「また来られます」
「いつだ」
「向こうでテントへ泊まれば、たぶん」
「その言葉を使うな」
「説明書が詳しくないんですよ」
リディアは夕日に照らされた村を見る。
「あなたの世界にも、仕事があるのだろう」
「あります」
「戻りたいのか?」
一夜は少し考えた。
以前なら、戻りたいとは即答できなかった。
仕事。
狭い部屋。
疲れて眠るだけの休日。
だが、今は違う。
「戻りたいです」
「そうか」
「俺の生活がありますから」
「こちらにはないのか?」
一夜はリディアを見る。
彼女は村を見たままだった。
「できました」
「何が」
「帰ってこられる場所です」
一夜は緑色のテントへ手を置く。
「向こうにも、こっちにも」
リディアが、ようやく一夜を見る。
「帰る場所が2つあるのか」
「少し変ですけどね」
「悪くない」
「はい」
しばらく、2人で夕日を見ていた。
「次に来る時は」
リディアが言う。
「何です?」
「黒い湯を持ってこい」
「コーヒーですか?」
「あれは認識を安定させる」
「普通に飲みたいと言ってください」
「飲みたい」
「今日は本当に素直ですね」
「言い争う時間が惜しい」
「では、持ってきます」
「スープもだ」
「村の料理を食べたばかりでしょう」
「比較する必要がある」
「何とですか」
「ほかの料理と」
「ただ食べたいだけですよね」
リディアは答えなかった。
一夜は笑いながら、荷物をテントの中へ運ぶ。
「では、次はもう少し材料を持ってきます」
「次があるのだな」
「あります」
「約束か?」
一夜はニナと交わした小指の約束を思い出した。
「約束です」
リディアは親指を立てる。
一夜も同じように返した。
「それ、完全に俺たちの合図になりましたね」
「ああ」
日が沈む。
村に、普通の夜が訪れた。
恐怖のない夜ではない。
失ったものが消える夜でもない。
それでも、眠れば朝が来ると信じられる夜だった。
一夜はテントの中へ入り、寝袋を広げる。
外にはリディア。
集会所には村人たち。
ニナの笑い声も聞こえていた。
「おやすみなさい」
「オヤスミ」
リディアが覚えたばかりの言葉で返す。
一夜は目を閉じた。
次に目を覚ました時、自分の世界へ帰っている。
それでも、もう不安はなかった。
帰る場所が2つになったのなら。
また来ればいいだけなのだから。




