第32話 朝と一緒に帰ってきた
「起きろ」
一夜の肩が揺らされた。
「……あと5分」
「30分たった」
「本当に?」
「私は時間を守る」
一夜は目を開けた。
最初に見えたのは、朝日に照らされた緑色のテント。
次に、すぐ近くでこちらを見下ろしているリディア。
「起きてたんですか」
「ああ」
「いつから?」
「今だ」
「今、起きた顔ですよね」
「気のせいだ」
リディアの髪には寝癖がついていた。
壁へ寄りかかった姿勢のまま眠っていたため、右側だけが少し跳ねている。
「髪、すごいことになってますよ」
「戦闘に支障はない」
「そういう問題ではなくて」
「あなたも頬に跡がついている」
一夜は自分の頬へ触れた。
保温シートの折り目が、そのまま顔へ移っているらしい。
「お互い様ですね」
「私は違う」
「寝癖があります」
「これは風だ」
「テントの中ですよ」
「入口が開いている」
「便利ですね、その理屈」
テントの奥では、セスが口元を押さえて笑っていた。
「仲がいいんだな」
「そう見えます?」
「村へ戻ったら、ニナに教える」
「何をですか」
「2人で朝寝していたこと」
「言い方を選んでください」
「事実だろ?」
「疲労回復のための休息です」
「同じではないか」
「違います」
リディアが立ち上がる。
「私も、そう説明する」
「副隊長まで乗らないでください」
「事実だからな」
一夜は、もう反論するのを諦めた。
安全地帯の外には、セスと一緒に来た猟師が2人待っていた。
2人とも森の周囲を調べていたらしい。
テントへ近づき、境界へ入った瞬間、言葉がつながる。
「本当に話せるようになるのか」
「この中だけです」
「前より広くなっていないか?」
一夜も安全地帯の端を見る。
設営地点を中心に、半径4メートル。
以前の2倍。
面積で考えれば、さらに大きく広がっている。
猟師2人が入っても、窮屈さはなかった。
「レベルが上がったので」
「天幕にレベルがあるのか?」
「俺にも、まだよく分かってません」
「あなたの物だろう」
「通販で買った時には、書いてなかったんです」
「ツウハン?」
「説明が長くなるので、村へ戻ってからにしましょう」
猟師たちは顔を見合わせた。
「変わった男だと聞いていたが」
「誰からです?」
「セスとニナだ」
「その2人の情報だけで判断しないでください」
「光る棒で狼を呼び、鍋をたたいて群れを乱したのだろう?」
「間違ってはいませんけど」
「十分変わっている」
否定できなかった。
一夜は説明書を確認する。
【領域内人数:5人】
【推奨人数以内です】
【軽傷回復効果:正常】
【中等度外傷の悪化抑制:正常】
リディアの傷も、朝の休息前より落ち着いていた。
包帯に新しい血はにじんでいない。
「肩はどうです?」
「先ほどより動く」
「剣を振って確認しないでくださいよ」
「まだ何もしていない」
「考えていたでしょう」
「なぜ分かる」
「顔に書いてあります」
「顔で判断するな」
「前に同じことを言われました」
リディアは左腕をゆっくり上げた。
今度は肩の高さまで動く。
「これなら問題ない」
「痛みは?」
「少しある」
「素直になりましたね」
「言い争う時間が惜しい」
「理由は何でもいいです」
一夜はテントの撤収を始めた。
帰還標識の効果があるためか、猟師たちは森の中でも迷わずこの場所へ来られたらしい。
だが、テントを畳めば効果が残るか分からない。
「来た道を覚えていますか?」
「朝なら問題ない」
猟師の1人が答えた。
「狩人道にも目印をつけてきた」
「助かります」
「塔が崩れた音は、村まで聞こえたぞ」
「かなり派手に崩れましたからね」
「中にいたのか?」
「いました」
「よく生きて戻ったな」
一夜は、地面へ伸びた長いロープを見る。
途中で切れかけ、石に擦れて表面が傷んでいる。
「帰り道を残しておいたので」
「それだけか?」
「それと、リディアさんに何度か引っ張ってもらいました」
「何度かではない」
「かなり?」
「ほとんどだ」
「そこまでではありません」
「穴から引き上げた」
「俺もロープを引きました」
「最後は私が走りながら引いた」
「足がはまっただけです」
「それを助けられたと言う」
「分かりました。助かりました」
一夜はリディアへ頭を下げる。
「ありがとうございます」
リディアは少し戸惑った後、目をそらした。
「私も助けられた」
「では、お互い様ですね」
「ああ」
猟師の2人が、何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「何です?」
「いや」
「仲がいいと思っただけだ」
「セスと同じことを言わないでください」
朝の灰緑の森は、夜とはまったく違って見えた。
黒く重なっていた木々の間へ、柔らかな光が差し込んでいる。
湿った葉。
苔のついた石。
小さな花。
鳥の鳴き声。
昨日まで命を狙う暗闇にしか見えなかった場所に、色が戻っていた。
「普通の森だったんですね」
「普通ではない」
リディアが即座に否定する。
「魔物が多い。迷えば数日出られない。毒草もある」
「雰囲気の話です」
「油断するな」
「はい」
一夜は猟師たちの後ろを歩く。
リディアは一夜のすぐ隣。
会話は通じない。
テントを畳んだことで、翻訳機能も止まっている。
それでも、互いの動きは以前より分かるようになっていた。
足元に大きな根があれば、リディアが指す。
一夜が遅れれば、少し速度を落とす。
立ち止まりたい時は拳を上げる。
問題なければ親指。
「もう、言葉がなくても結構伝わりますね」
当然、返事は理解できない。
リディアは一夜を見て、親指を立てた。
「今のは合ってる気がします」
森を抜けたところで、ハルト村が見えた。
壊れた柵。
崩れた家畜小屋。
倒れた鐘楼。
あちこちに、昨夜の戦いの跡が残っている。
それでも、空は明るかった。
村人たちが壊れた家の前へ集まり、傷の確認や片づけを始めている。
誰かが、一夜たちに気づいた。
声が上がる。
次々と人が振り返った。
「戻ってきたぞ!」
言葉は分からない。
だが、意味は分かった。
村人たちがこちらへ走ってくる。
その先頭に、小さな少女がいた。
「イチヤ!」
ニナが両腕を広げて走ってくる。
一夜も足を止めた。
「ただいま」
ニナが勢いのまま、一夜の腹へ飛びつく。
「うっ」
「アサ!」
「はい」
ニナは空を指す。
「アサ!」
「朝です」
「イチヤ、アサ!」
一夜は少女の頭へ手を置いた。
「持ってきたというより、みんなで取り戻したんですよ」
言葉は通じない。
それでも、ニナは何度もうなずいた。
次にリディアへ抱きつく。
リディアは傷ついた肩をかばいながら、右腕だけでニナを受け止めた。
「リディア! ネル!」
ニナが目を閉じ、両手を頬へ当てる。
眠る仕草。
リディアの顔が引きつった。
一夜は笑いをこらえられなかった。
「村へ戻って最初に注意されましたね」
リディアには意味が分からない。
だが、笑われたことは分かったらしい。
一夜をにらむ。
ニナもその顔をまねして、一夜をにらんだ。
「何で俺まで?」
村の中央へ戻り、一夜は再びテントを設営した。
4本のペグを打つ。
ロープを張る。
最後の結び目を締める。
安全地帯が展開された。
以前より広い透明な波紋が、集会所の入口と広場の一部を包む。
近くにいた村人たちが驚いた。
「広がったぞ!」
「声も分かる!」
「この場所まで入っている!」
次々と境界の中へ人が入ってくる。
推奨人数は8人。
全員が残れば、すぐに超えてしまう。
「通り抜けるだけの人は、集会所側へ進んでください!」
「一夜殿!」
エドガーが近づいてくる。
疲れ切った顔。
それでも、昨夜より表情は明るかった。
「本当に、朝を連れて戻ったのだな」
「俺たちだけではありません」
「説明を聞かせてくれ」
「その前に、リディアさんをマルタさんへ渡してもいいですか?」
「一夜」
リディアが低い声を出す。
「傷の確認です」
「先ほど見ただろう」
「森を4キロ歩きました」
「問題ない」
「禁止です」
エドガーが笑った。
「副隊長。先に治療を受けてくれ」
「村長まで」
「皆、あなたが戻ったことを喜んでいる。もう戦う必要はない」
リディアは周囲を見た。
自警団。
負傷者。
ニナ。
村の人々。
朝日の中で、自分たちを見ている。
「……分かった」
「今日は素直ですね」
「あとで話がある」
「何度目ですか、それ」
マルタが集会所から出てくる。
「帰ってきたか」
「はい」
「副隊長を座らせろ」
「ちょうどお願いしようと」
「自分で歩ける」
「では、歩いて座ってください」
リディアは一夜とマルタを交互に見た。
「似てきたな」
「誰と誰がです?」
「あなたとマルタだ」
「光栄です」
「私は嫌だ」
マルタが即答した。
治療が始まった後、一夜は村長へ監視塔で起きたことを話した。
朝を止めていた黒い結晶。
ノクスという名前。
記憶を使って人を誘う影。
結晶を壊すため、村人たちの朝を望む意思が必要だったこと。
「私たちの願いが、届いたのか」
「はい」
一夜は村に残っている鍋や農具を見る。
「音も聞こえました」
「あれは、ニナが言い始めたのだ」
「ニナが?」
「朝が戻った後も、あなたたちが帰ってこなかった。だから、まだ待っていると伝えるのだと」
ニナが胸を張っている。
「アサ!」
「本当に助かりました」
一夜が頭を下げると、ニナも同じように頭を下げた。
何の意味かは分かっていないらしい。
「一夜殿」
エドガーの声が静かになる。
「亡くなった2人を、これから弔う」
「はい」
「朝を取り戻したことを喜べない者もいる」
「当然です」
全員を救えなかった。
どれだけ多くの人が助かっても、その2人の代わりにはならない。
「それでも、あなたたちが戻ったことは伝えたい」
エドガーは一夜へ頭を下げた。
「この村へ朝を返してくれて、ありがとう」
一夜はすぐに答えられなかった。
村人たちも、一夜とリディアへ頭を下げている。
「俺だけでは、何もできませんでした」
「知っている」
エドガーが顔を上げる。
「だから、皆へ役目を渡したのだろう」
一夜は昨夜の広場を思い出した。
槍を持つ者。
鍋をたたく者。
傷を治す者。
状況を伝える者。
荷車を支える者。
「この村の者は、守られていただけではない」
エドガーが続ける。
「皆で朝を取り戻した。それを教えてくれたのは、あなたたちだ」
一夜は隣を見る。
治療を受けているリディアも、こちらを見ていた。
「それなら」
一夜は村人たちへ向き直った。
「ありがとうは、俺からも言わせてください」
安全地帯の中にいる者にしか、言葉は届かない。
それでも、その言葉を聞いた者が外へ伝えていく。
「俺たちを朝までつないでくれて、ありがとうございました」
説明書が、静かに開いた。
【ハルト村・朝到達判定完了】
【朝到達記録:73】
【集団朝到達を達成しました】
【称号を獲得しました】
【朝を持ち帰る者】
一夜は最後の文字を見つめた。
「持ち帰った、か」
朝を渡しただけではない。
自分も朝へ帰ってきた。
ニナが一夜の袖を引く。
「イチヤ」
「何です?」
ニナは、一夜とリディアの手をそれぞれつかんだ。
2人の手を近づける。
そのまま空を指した。
「アサ、イッショ!」
一夜はリディアを見る。
「朝と一緒に帰ってきた、と言ってるんでしょうか」
「おそらくな」
「今回は、たぶんって言わないんですね」
「ニナの言葉だからだ」
リディアが朝日に目を細める。
「私たちは、朝と一緒に帰ってきた」
一夜も明るくなった村を見た。
「はい」
壊れたものは残っている。
失った人も戻らない。
これから直さなければならないことも多い。
それでも。
今日を始めるための朝は、確かにここにあった。




