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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第30話 俺の朝まで、渡すつもりはない

 階段から、黒い影が次々と上ってくる。


 人の形。


 獣の形。


 途中で輪郭が崩れ、別の姿へ変わるものもいる。


「一夜、結晶へ!」


 リディアが剣を抜いた。


 一夜には、彼女の言葉が理解できていた。


 黒い結晶の周囲だけ、言葉への干渉が残っているらしい。


「でも、あの数は!」


「私が止める!」


「その傷で?」


「今は聞くな!」


「聞きますよ!」


「ならば、倒れた後に聞け!」


「倒れる前に答えてください!」


 リディアは振り返らなかった。


 階段を上りきった最初の影へ剣を振る。


 刃が黒い腕を切り裂いた。


 影は霧へ崩れる。


 だが、その後ろから2体が現れた。


「数が多い!」


「知っている!」


「1人で全部は無理です!」


「全部を倒す必要はない!」


 リディアは階段の出口へ立った。


 崩れた壁と石柱の間。


 人が1人通れる程度の狭い場所。


「ここを通さなければいい!」


 狭い通路なら、一度に来られる数は限られる。


 ハルト村で使った方法と同じだった。


「……学びましたね」


「あなたからな!」


 影の爪がリディアへ伸びる。


 彼女は半歩だけ下がり、剣で払った。


 もう1体が足元から這い出す。


 蹴りで階段へ落とす。


「早く行け!」


 一夜は黒い結晶を見る。


 高さは一夜の胸ほど。


 表面には、紫色の光が血管のように走っている。


 空へ伸びる黒い糸。


 その向こうには、届かない朝日。


「触るだけで、本当に止まるのか」


 説明書へ視線を落とす。


【停止操作には、設営者本人による直接接触が必要です】


【注意】


【接触後、設営者の認識領域へ干渉が発生します】


「注意書きは、先に全部出してくださいよ」


「何と書いてある!」


「触ったら、また変なものを見せられるみたいです!」


「耐えられるか!」


「たぶん!」


「その言葉を使うな!」


「では、耐えます!」


 一夜は右手を伸ばした。


 指先が黒い結晶へ触れる。


 冷たい。


 そう感じた直後。


 世界から音が消えた。


     


 一夜は、自分の部屋に立っていた。


 見慣れた1K。


 閉じたカーテン。


 床へ置かれた仕事用の鞄。


 テーブルの上には、通販で届いたままの段ボール箱がある。


「戻った?」


 窓の外は暗い。


 スマートフォンを見る。


 金曜日の午後11時48分。


 初めてキャンプへ行く前の夜だった。


 テーブルの上には、畳まれたままのテントが置かれている。


「まだ、行ってない」


 ハルト村。


 リディア。


 ニナ。


 すべてが夢だったのか。


 スマートフォンが振動する。


 会社からの連絡だった。


『月曜朝までに、資料の修正をお願いします』


 続けて、別の通知。


『急ぎで確認してください』


『泊さんなら分かると思うので』


 画面へ、次々とメッセージが表示されていく。


「またか」


 一夜はスマートフォンを伏せた。


 ベッドへ腰を下ろす。


 体が重い。


「キャンプ、行かなくてもいいか」


 予約を取り消す。


 テントも返品する。


 月曜までに仕事を終わらせる。


 そうすれば、誰にも迷惑をかけない。


 異世界へ行くこともない。


 狼に追われることも。


 誰かが傷つくのを見ることもない。


「それでいい」


 部屋の奥から、一夜の声がした。


 カーテンの前に、もう1人の一夜が立っている。


「夜のままなら、明日は来ない」


「また俺ですか」


「お前が最も信じる声だからだ」


「自分の声、そこまで信じてませんよ」


「ならば、なぜ何度も従った」


 仕事を断るな。


 自分がやった方が早い。


 誰かに頼むくらいなら、自分で抱えろ。


 休むのは、すべて終わってから。


 一夜が自分自身へ言い続けてきた言葉。


「朝が来なければ、仕事へ行かなくていい」


 偽物が笑う。


「誰かを助ける必要もない」


「ハルト村の人たちはどうなるんです?」


「お前が行かなければ、知らずに済んだ」


「知らなければ、関係ない?」


「ああ」


「随分と楽ですね」


「楽になりたかったのだろう」


 一夜は答えなかった。


 楽になりたかった。


 何も考えず、誰にも呼ばれず、眠り続けたかった。


 テントを買ったのも、最初は自分のためだ。


「ここに残れ」


 偽物が手を差し出す。


「お前の夜は、誰にも奪われない」


 一夜は暗い窓を見る。


 朝の気配はない。


 時間も進んでいない。


 午後11時48分。


 秒だけが動き、また同じ時刻へ戻る。


「確かに、仕事へ行かなくて済みますね」


「そうだ」


「疲れなくてもいい」


「ああ」


「でも、キャンプにも行けない」


 偽物の笑みが止まる。


「コーヒーも飲めない」


「ここでも飲める」


「外で飲むのとは違います」


 一夜はテーブルの上のテントへ触れた。


「リディアさんとも会えない」


「会えば、またお前の時間を奪われる」


「それは違います」


「何が違う」


「俺は、自分で使うと決めました」


 一夜は偽物を見る。


「会社では、断れずに時間を渡していました」


「今も同じだ」


「同じじゃありません」


 ハルト村へ行くこと。


 ニナを助けること。


 リディアと森へ入ること。


 誰かに命令されたわけではない。


「俺が、自分の時間をどう使うか決めたんです」


「他人のために使えば、失うことに変わりはない」


「失ってません」


 一夜は首を横へ振った。


「使ったんです」


 誰かに奪われる時間と。


 自分で選んで渡す時間。


 同じ1時間でも、意味は違う。


「それに」


 一夜はスマートフォンを手に取った。


 会社からのメッセージを開く。


『月曜朝までに、資料の修正をお願いします』


 返信欄へ文字を入力する。


『本日は対応できません。月曜の勤務時間内に確認します』


 送信。


「俺は、元の世界にも帰ります」


「また疲れるぞ」


「疲れたら休みます」


「仕事は残る」


「誰かに相談します」


「断れば嫌われる」


「全員に好かれる必要はありません」


 偽物の顔が、一夜のものではなくなっていく。


 黒い霧。


 紫色の目。


 監視塔にいた影の姿へ戻る。


「お前は変わらない」


「少しは変わりましたよ」


 一夜は畳まれたテントを持ち上げる。


「少なくとも、休日に仕事をしないくらいには」


「朝が来れば、また失う」


「朝が来なければ、何も始まりません」


 ニナが母親と笑う朝。


 村人たちが傷ついた仲間を確かめる朝。


 リディアがようやく剣を置いて眠れる朝。


 そして、一夜が自分の部屋へ帰る朝。


「みんなの朝を返してください」


「代わりに、お前の朝を置いていけ」


 影が告げる。


「お前が朝へ戻る道を閉じれば、ほかの者へ光を返す」


 一夜は息を止めた。


 自分がこの世界へ残る。


 現代へ帰れなくなる。


 それでハルト村に朝が戻る。


「それが停止条件ですか」


「選べ」


 誰かを救うために、自分の時間をすべて差し出す。


 以前の一夜なら、迷ったかもしれない。


 自分さえ我慢すれば、周りが助かる。


 何度も、そう考えてきた。


「嫌です」


 影が揺れる。


「何?」


「俺の朝まで渡すつもりはありません」


「ならば、村は夜の中で死ぬ」


「それも嫌です」


「どちらかを選べ」


「その選び方がおかしいんです」


 一夜は影へ近づいた。


「俺か、みんなか。どちらかしか助からないようにしているのは、あなたたちでしょう」


「犠牲なく朝は戻らない」


「勝手に決めないでください」


 一夜は影の胸へ手を伸ばす。


 触れた場所に、黒い結晶の感触があった。


「俺も帰る」


 指へ力を込める。


「リディアさんも帰る」


 黒い表面へ、細い亀裂が入る。


「村の人たちも朝を迎える」


「不可能だ」


「それを可能にするために、ここまで来ました」


「お前には力がない」


「はい」


 一夜は認めた。


「だから、力がある人と一緒に来たんです」


     


 音が戻った。


「一夜!」


 リディアの声。


 黒い影の爪が、一夜の背中へ迫っている。


 リディアが間へ入り、剣で受け止めた。


 金属音。


 彼女の足が石床を滑る。


「戻ったか!」


「はい!」


「いつまで触っている!」


「まだ終わってません!」


 一夜の右手は、黒い結晶へ張りついたままだった。


 指を離そうとしても動かない。


 紫色の線が腕へ伸び、皮膚の下へ入り込もうとしている。


「何をされた!」


「俺の朝を置いていけと言われました!」


「置いていくな!」


「言われなくても!」


 リディアが影を押し返す。


 階段から、さらに黒い影が上ってくる。


「あとどれくらいだ!」


「分かりません!」


「説明書は!」


 一夜は左手で説明書を開いた。


【停止条件が提示されました】


【設営者の帰還経路を対価として要求されています】


【承認しますか?】


 下に、2つの選択肢が浮かんでいる。


【承認】


【拒否】


「拒否です!」


 一夜は左手で【拒否】の文字へ触れた。


【対価を拒否しました】


【代替停止条件を検索します】


「最初から、それを検索してください!」


 黒い影がリディアの足元から伸びる。


 彼女は剣を振るい、まとめて切り払った。


 だが、腕の動きが明らかに遅い。


「リディアさん、戻ってください!」


「どこへ!」


「安全地帯へ!」


「あなたを置いていけるか!」


「俺の手が離れません!」


「ならば、離れるまで守る!」


 影の爪がリディアの脇腹をかすめる。


 包帯に赤い血が広がった。


「また傷が!」


「今は見るな!」


「見えますよ!」


「ならば早く終わらせろ!」


 説明書へ、新しい文字が浮かぶ。


【代替停止条件を確認】


【夜明けを必要とする複数の意思を接続してください】


「複数の意思?」


 安全地帯へ続くロープ。


 腰に結んだまま、塔の下へ伸びている。


 その先には、緑色のテント。


 さらにその先には、朝を待つハルト村。


「つながってる」


 一夜は左手でロープをつかんだ。


 強く引く。


 塔の下。


 安全地帯のペグへ結ばれたロープが張る。


 説明書が光った。


【保護領域との接続を確認】


【領域内宿泊記録を参照します】


【朝到達記録:1】


 リディアの記録。


 最初に一夜が朝へ渡した人。


「1人だけでは足りませんか」


【不足】


「では、村の人たちは?」


【朝到達判定:保留中】


「まだ記録になってない」


 ハルト村の人々は、安全地帯を通った。


 スープを飲んだ。


 そこで休んだ。


 だが、朝へ到達していないため記録は完成していない。


「それでも、待ってる人はいます!」


 一夜はロープを強く握った。


「ニナ!」


 声を上げる。


「エドガーさん!」


 塔の下へ届くはずはない。


 村までは4キロ以上ある。


 それでも、一夜は呼び続けた。


「マルタさん!」


 説明書の文字が揺れる。


【保護領域に残された休息記録を検出】


【集団調理対象者の記録を検出】


【朝到達を希望する意思を確認中】


 スープを飲んだ人。


 安全地帯で傷を休めた人。


 テントの光へ向かって走った人。


 一夜が直接知らない者もいる。


 それでも、全員が朝を待っている。


「俺だけの朝じゃありません」


 一夜は結晶へ押しつけた右手へ力を込める。


「でも、俺の朝でもあります」


 リディアが影を切り払いながら叫ぶ。


「私もいる!」


 説明書が強く光った。


【朝到達を希望する意思:2】


「少ない!」


 一夜が言うと、リディアが振り返る。


「何がだ!」


「今、俺たち2人しか数えられてません!」


「ならば、下の天幕まで戻れ!」


「手が離れません!」


「面倒な装置だな!」


「本当にそう思います!」


 その時。


 腰のロープが、向こう側から引かれた。


 1回。


 少し間を置いて、もう1回。


 一夜が引いているのではない。


 誰かが、安全地帯側から引いている。


「誰か、いる?」


 塔の外へ残したテント。


 敵意がある存在は入れない。


 助けを求める者なら入れる。


 誰かが、あの場所へたどり着いた。


 ロープが、もう1度引かれる。


 今度は強く。


 説明書に文字が現れた。


【保護領域への新規入域を確認】


【宿泊者候補:1】


【朝到達を希望する意思を検出】


 誰なのかは分からない。


 村から来た人か。


 森にいた誰かか。


 それでも、その者も朝を求めている。


【朝到達を希望する意思:3】


 黒い結晶へ、新しい亀裂が入った。


 影が大きく揺れる。


「やめろ!」


 初めて、焦りの声が響いた。


「夜を失えば、また苦しみが始まる!」


「朝が来ても、休んでいいんです!」


 一夜は叫んだ。


「昼でも、夜でも、自分で休む時間を作ればいい!」


「誰も許さない!」


「許してもらうんじゃありません!」


 会社で断れなかった。


 自分の時間を後回しにした。


 だが、もう知っている。


「自分で決めるんです!」


 ロープが何度も引かれる。


 安全地帯の外。


 さらに遠く。


 ハルト村の方向から、かすかに金属音が聞こえた。


 鍋。


 農具。


 壊れた鐘。


 村人たちが鳴らしている。


 遠吠えを邪魔するためではない。


 一夜たちへ、自分たちがまだ待っていると伝えるための音。


【集団調理対象者との接続を確認】


【休息支援対象者との接続を確認】


【朝到達を希望する意思:37】


 結晶全体へ亀裂が走る。


「そんなにいたのか」


「まだ増えている!」


 リディアが影を切り払う。


【朝到達を希望する意思:52】


【朝到達を希望する意思:71】


 ハルト村の全員が、朝を待っている。


 目を覚ましている者。


 傷ついて横たわっている者。


 子供。


 老人。


 戦えない者。


 誰も、自分の朝を誰かへ差し出せとは言っていない。


 ただ、一緒に朝を迎えたいと願っている。


【代替停止条件を達成しました】


【夜明け阻害装置を停止します】


「リディアさん!」


 一夜は叫んだ。


「何だ!」


「壊れます!」


「先に言え!」


 黒い結晶が、内側から白く光った。


 紫色の線が消える。


 空へ伸びていた黒い糸が、次々と切れていく。


 影たちが悲鳴を上げた。


 人の声。


 獣の声。


 一夜自身の声。


 すべてが重なり、黒い霧へ崩れる。


「伏せろ!」


 リディアが一夜へ飛びついた。


 2人が石床へ倒れる。


 直後。


 黒い結晶が砕けた。


 白い光が、監視塔の最上部から空へ突き抜ける。


 黒い網が焼き切れる。


 その向こう側に閉じ込められていた朝日が、森へ降り注いだ。


 暗闇しかなかった空が、青く染まっていく。


 鳥の声。


 風に揺れる木々。


 夜の中で止まっていた音が、一斉に戻ってきた。


「朝だ……」


 一夜はリディアの下から空を見上げた。


「重いです」


「今、それを言うのか」


「鎧が」


「本人も少しはある、と言うつもりか」


「覚えてたんですね」


 リディアはゆっくりと体を起こした。


 顔にも肩にも血がついている。


 それでも、朝日の中で笑っていた。


「取り戻したな」


「はい」


 一夜も笑った。


「全員分です」


 説明書のページが光る。


【夜明け阻害を解除しました】


【朝到達判定を再開します】


【ハルト村周辺への朝日到達を確認】


 その下へ、次々と数字が増えていく。


【朝到達記録:2】


【朝到達記録:8】


【朝到達記録:24】


【朝到達記録:71】


 一夜は目を見開いた。


「一気に増えてます」


「村の者たちか」


「たぶん」


「その言葉を使うな」


「村の人たちです」


 最後の数字が止まる。


【朝到達記録:73】


【条件達成】


【レベルが3へ上昇しました】


「レベル3……」


 新しい機能を確認しようとした時。


 塔全体が大きく揺れた。


 足元の石へ亀裂が走る。


「今度は何ですか!」


「装置が塔を支えていたのだろう!」


「そういう重要なことを先に!」


「私に言うな!」


 崩れた石壁が外側へ落ちる。


 階段も一部が崩れ、黒い穴が開いた。


 安全地帯は23メートル下。


 帰るためのロープは残っている。


 だが、塔そのものが崩れ始めていた。


 リディアが一夜の腕をつかむ。


「走れるか!」


「たぶん!」


「使うなと言った!」


「走ります!」


 2人は朝日の中で、崩れ始めた階段へ飛び込んだ。

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