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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第27話 信じる声を、1つだけ

「ここは安全です」


 一夜の姿をした何かが、境界の外で笑っていた。


「だから、外へ出てきてください」


 声も同じ。


 話し方も同じ。


 少し疲れている時の低い声まで、正確に再現されている。


「自分の声って、外から聞くとこんな感じなんですね」


「感心している場合か」


 リディアは剣を構えたまま、境界の外をにらんでいる。


 一夜には自分自身の姿が見えている。


 だが、彼女の目には違う人物が映っていた。


「まだ、ロイドという人に見えていますか?」


「ああ」


「何と言っています?」


「私の判断が遅かった、と」


 リディアの指が、剣の柄へ食い込む。


「私が休んでいたから、部隊が全滅した。今度は立ち止まるなと」


「本当に、その人が言いそうなことですか?」


「……分からない」


 外に立つ影が、血のついた手をリディアへ伸ばす。


 一夜には、自分がこちらへ手招きしているようにしか見えない。


「リディア副隊長」


 影が発した言葉は、一夜には自分の声として聞こえた。


 だが、内容だけが変わっている。


「あなたが休んだせいで、私たちは死んだ」


 リディアの呼吸が乱れた。


「聞かないでください」


「聞こえる」


「では、俺の声を聞いてください」


「あなたの声も、同じ場所から聞こえる」


「それは困りますね」


 一夜は説明書を開いた。


【外部干渉を確認】


【対象の記憶を利用した誘導現象です】


【領域内への侵入:拒否】


 その下へ、新しい文字が浮かんでいく。


【注意】


【対象が誘導現象へ応答した場合、認識への干渉が強まります】


「返事をすると、もっと影響を受けるみたいです」


「すでに会話をしている」


「俺と話してください。あれには返さない」


「声が同じだと言っただろう」


「では、確認しながら話しましょう」


 一夜は自分の胸を指した。


「俺は、泊一夜です」


「知っている」


「31歳。会社員です」


「それも聞いた」


「料理は少しできます。戦えません。体力もあまりありません」


「最後の2つは説明されなくても分かる」


「ひどいな」


 一夜は境界の外を見ないよう、リディアの正面へ座った。


「今、あなたの前にいるのは?」


「一夜だ」


「外にいるのは?」


「ロイドに見える」


「でも、本物ではありません」


「分かっている」


 リディアはそう答えた。


 だが、視線は影から離れない。


「なら、こっちを見てください」


「敵から目を離せと?」


「あれは、俺たちが見ることを狙っています」


 一夜はリディアと影の間へ入った。


「本当に襲ってくるなら、安全地帯が止めます」


「あなたの背後から何かされたら」


「その時は教えてください」


「見えなくなるだろう」


「俺が見ます」


 リディアは一夜をにらんだ。


「あなたが?」


「そんなに信用ないですか」


「戦闘についてはない」


「影を見るだけならできます」


 リディアは迷った後、剣を下ろした。


 完全には納めない。


 それでも、一夜へ顔を向ける。


「これでいいか」


「はい」


 外から、男の声が聞こえた。


「副隊長。こちらへ」


 リディアの肩が動く。


 一夜はすぐに話しかけた。


「あなたは、リディア・アルクライトです」


「急に何だ」


「25歳。ルメリア王国の辺境騎士団副隊長」


「私の紹介をする必要があるのか?」


「俺が知っている本物の情報を言っています」


「ほかには」


「真面目で、強くて、休むのが下手です」


「最後は余計だ」


「温かいスープを一気に飲みます」


「戦闘中だったからだ」


「苦い薬草湯は嫌いです」


「好きな者はいない」


「けがをすると、すぐに『この程度』と言います」


「事実だからな」


「そして、注意するとにらみます」


 リディアは一夜をにらんだ。


「今みたいに」


「わざと言っているだろう」


「少し」


 リディアの呼吸が、わずかに落ち着いた。


 外の影が何かを話し続けている。


 それでも、彼女の視線は一夜へ向いたままだった。


「あなたも言ってください」


「何を」


「俺について、本物だと知っていることです」


「面倒な男だ」


「最初がそれですか?」


「事実だ」


「ほかには?」


「危険な場所へ出ようとするくせに、出るなと言えば理屈を並べる」


「それ、リディアさんも同じでしょう」


「料理を作る」


「はい」


「見たことのない道具を大量に持っている」


「はい」


「戦えないと言いながら、魔物の前へ立つ」


「それは、できれば言わないでください」


「なぜだ」


「自分でも反省しているので」


「そして――」


 リディアは少し言葉を止めた。


「帰ってこられる場所を作る」


 一夜は答えられなかった。


 境界の外にいる偽物が、一夜の声で笑う。


「それなら、ここから出ても大丈夫です」


 一夜は影を見た。


「今の話、聞いてました?」


 影の表情は変わらない。


「安全な場所を作る人間が、安全地帯から出ろとは言わないでしょう」


 偽物の口元が、わずかにゆがんだ。


「それは俺の声です。でも、俺の言葉じゃない」


 黒い影が境界へ手を押しつける。


 透明な波紋が広がった。


 入れない。


 爪も牙も見えない。


 人間にしか見えない手。


 だが、安全地帯は敵意を拒絶している。


「一夜」


「何です?」


「湯を沸かせ」


「今ですか?」


「あなたは、温かい物を飲めば落ち着くと言っていただろう」


 一夜は少し驚いた。


「覚えてたんですね」


「何度も飲まされた」


「では、コーヒーにします」


「黒い薬か」


「飲み物です」


 一夜は小型バーナーとケトルを取り出した。


 水を入れ、火をつける。


 外には、自分の姿をした何か。


 森の奥には、朝を止めている干渉源。


 こんな状況でコーヒーを淹れることになるとは思わなかった。


「ずいぶん落ち着いているな」


「手順が決まってる作業は、落ち着くんです」


「敵が外にいても?」


「入ってこられませんから」


「先ほどまで出てこいと言われていた男の言葉とは思えない」


「あれは俺じゃありません」


 湯が沸く。


 一夜は携帯用のドリップバッグを開いた。


 香ばしい匂いが、安全地帯の中へ広がる。


 外の影が、初めて後退した。


「匂いを嫌がった?」


「分からない」


 一夜は2つの器へコーヒーを注いだ。


 片方をリディアへ差し出す。


「熱いので気をつけてください」


「スープの時も聞いた」


「今回は、本当に熱いです」


 リディアは慎重に口をつけた。


 すぐに眉を寄せる。


「苦い」


「薬草湯よりは飲みやすいでしょう」


「どちらも苦い」


「香りを楽しむんです」


「香りで腹は満たされない」


「そういう飲み物ではありません」


 一夜もひと口飲む。


 苦み。


 温かさ。


 飲み慣れた香り。


 異世界の暗い森にいるのに、ほんの少しだけ元の世界へ戻ったような感覚があった。


「……うまい」


 初めてこの森で飲んだ時と同じ言葉が出た。


 説明書のページが光る。


【飲料調製を確認】


【対象:2人】


【外部認識干渉下における休息行為を確認しました】


【一時効果を付与】


【集中補助・微弱】


【認識安定・微弱】


【持続時間:60分】


「効果が出ました」


「何の効果だ」


「集中しやすくなるのと、認識が少し安定するそうです」


「この苦さに耐えた価値はあるのだな」


「苦い方が効くわけじゃありませんよ」


 リディアは、もう1度コーヒーを飲んだ。


 外の影を見る。


 一夜には、まだ自分の姿に見える。


 だが、輪郭が少し揺れていた。


「ロイドの顔が崩れている」


「効果があるみたいですね」


「声も遠くなった」


 影はリディアへ手を伸ばす。


「副隊長。休まず進んでください」


 リディアの目が細くなる。


「違う」


 初めて、迷いのない声だった。


「何がです?」


「ロイドは、そんなことを言わない」


 影の声が止まる。


「最後に、彼は私へ休めと言った」


「……そうだったんですか」


「あの時の私は、それを聞かなかった」


 リディアは器を両手で持った。


「救援が遅れると思った。止まれば、さらに犠牲が出ると思った。だから進ませた」


「それで、彼が」


「ああ」


 外の影が、血を流した男の姿で立っている。


 それでも、リディアは目をそらさなかった。


「私が覚えているロイドは、私を責めていない」


 剣を持つ手ではなく、コーヒーの器を持つ手が震えていた。


「責めているのは、私自身だ」


 影の顔に亀裂が入った。


 一夜には、自分の顔が縦に割れていくように見える。


「気味が悪いですね」


「今、何に見えている」


「俺です」


「自分の顔が割れているのか」


「かなり見たくない光景です」


 影の体が黒い霧へ変わる。


 細い糸のように森の奥へ流れていく。


 最後まで残った口が、一夜の声でささやいた。


「帰れば、仕事が残っています」


 一夜の手が止まった。


 見覚えのある会社の机。


 未処理のメール。


 誰かが置いていった書類。


 自分がやらなければ、ほかの人が困る。


 だから休めない。


 だから帰れない。


 何度も自分へ言い聞かせていた言葉だった。


「一夜?」


 リディアの声がする。


 本物の声。


 一夜はコーヒーを飲んだ。


「残っているなら、明日やります」


 影の口がゆがむ。


「あなたがやらなければ、皆が困ります」


「それなら、仕事の分け方がおかしいです」


 一夜ははっきりと言った。


「俺1人が休んだだけで止まる仕事なら、最初から仕組みを直すべきです」


 黒い口が消える。


 森に、静けさが戻った。


「消えましたね」


「ああ」


「俺たち、同じものを見ていたのに、違う相手と戦ってたみたいです」


「記憶を使う敵か」


「剣では倒しにくそうですね」


「斬って確かめたかった」


「やめてください。外へ出るところでしたよ」


 リディアは残ったコーヒーを飲み干す。


「次に現れたら、迷わない」


「俺もです」


「本当か?」


「たぶん」


「今の話を聞いた直後に、それを言うのか」


「次は、リディアさんの声を聞きます」


「私が偽物だったらどうする」


「休めと言う方が本物です」


「見分け方が雑だな」


「今のところ、かなり正確ですよ」


     


 安全地帯を畳む前に、一夜は2人の手首へ短いロープを巻いた。


「これは何だ」


「離れないためです」


「犬の綱に見える」


「言い方を選んでください」


 長さは1メートルほど。


 歩くには少し近いが、互いの位置を確かめられる。


「幻が見えても、ロープがつながっている相手を信じます」


「あなたが引かれたら、私も引かれるぞ」


「その時は止めてください」


「最初から私に頼る前提か」


「戦闘担当なので」


 一夜はペグへ手をかける。


「テントを畳んだら、また言葉が通じなくなります」


「合図は覚えている」


「止まる時は拳。危険は剣。引っ張ったら互いを見る」


「分かっている」


「偽物が出ても追わない」


「ああ」


「俺が変な方向へ行こうとしたら」


「殴って止める」


「引っ張るだけにしてください」


「状況による」


 一夜は最後のペグを抜いた。


 安全地帯が消える。


 リディアの言葉が、再び理解できない音へ変わった。


 それでも、手首をつなぐロープの感触は残っている。


 2人は暗い森の中を進み始めた。


     


 影は何度も現れた。


 木の陰からニナが呼ぶ。


 後ろから会社の上司が声をかける。


 リディアの進行方向には、死んだ部下が立つ。


 そのたびに、どちらかがロープを引いた。


 互いの顔を見る。


 親指を立てる。


 そして、足を止めずに進んだ。


 コーヒーの効果が続いているためか、影の輪郭は以前より曖昧だった。


 声も遠い。


 触れることもない。


 反応しなければ、やがて黒い霧へ戻っていく。


 スマートフォンの地図は使えない。


 それでもコンパスは動いた。


 北東。


 説明書に示された方向。


 リディアの知る古い狩人道。


 2つを頼りに、さらに森の奥へ進む。


 やがて、木々が途切れた。


 開けた場所へ出る。


 一夜は足を止めた。


 崩れた石の監視塔が、暗闇の中に立っていた。


 壁の半分は失われている。


 屋根もない。


 それでも、高さは周囲の木々を超えていた。


「ここか……」


 塔の上には、黒い結晶のような物が突き刺さっている。


 そこから伸びた無数の黒い糸が、空へ広がっていた。


 空を覆う巨大な網。


 その向こう側に、白い光が見える。


 朝日だった。


 昇ろうとしている光が、黒い網にせき止められている。


 説明書が、バックパックの中で強く光った。


 一夜はページを開く。


【干渉源を視認しました】


【夜明け阻害装置を確認】


【朝到達判定を更新】


【阻害装置の停止が必要です】


「装置ってことは、誰かが作ったのか」


 リディアが一夜の手首を引いた。


 塔の下。


 黒い結晶を守るように、何かが立っている。


 人の形。


 全身を黒い外套で覆っている。


 顔は見えない。


 ただ、外套の隙間から紫色の光が漏れていた。


 その人物が、ゆっくりと顔を上げる。


「ようやく来たか」


 安全地帯は展開していない。


 それなのに。


 一夜には、その言葉がはっきりと理解できた。

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