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都会に疲れて通販テントで寝たら、異世界最強の安全地帯でした 〜もう一泊で帰れるけど、今日も誰かに眠れる夜を渡しています〜  作者: TimeBender


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第26話 安全地帯を畳む時

 スマートフォンのアラームが鳴った。


 静かな音だった。


 村中へ響く警鐘でも、宵喰い狼をひるませる警告音でもない。


 一夜だけが聞き慣れている、朝の音。


「……朝じゃないのに、目覚ましだけ鳴るのか」


 保温シートの上で、リディアが目を開けた。


「1時間30分です」


「正確だな」


「時間を決めたのは俺ですから」


「以前は、決めた時間を守らなかった」


「あれは必要な睡眠だったので」


「今回は違うのか?」


 一夜は暗い空を見上げた。


 休んでいる間にも、東の空はまったく明るくならなかった。


「今回は、起きないと朝を迎えに行けません」


 リディアはゆっくり上半身を起こす。


 肩へ巻かれた布を確認し、腕を回そうとした。


「動かさないでください」


「状態を確かめている」


「痛いでしょう」


「少しな」


「なら、動かさない」


「剣を振れるか確認しなければならない」


「振れなかったら?」


「振れるようにする」


「そういう答えが来ると思いました」


 一夜はため息をつき、用意していた器を差し出した。


 中には、薬草を薄く煮出した湯が入っている。


 蜂蜜も少し加えた。


「飲んでください」


「苦い物か」


「マルタさんに頼んで、かなり薄くしました」


「効果も薄いのではないか?」


「眠気を飛ばしすぎる必要はありません」


 リディアは器へ口をつけた。


 すぐに顔をしかめる。


「苦い」


「蜂蜜、入ってますよ」


「入っていて、これなのか」


「元が相当苦いんでしょうね」


「あなたも飲め」


「もう飲みました」


「同じ顔をしたか?」


「もっとひどい顔だったと思います」


 リディアは少しだけ笑い、残りを飲み干した。


 その様子を見ていたマルタが、安全地帯へ入ってくる。


「傷を見せろ」


「先ほど見ただろう」


「眠っている間に悪化していないか確認する」


「寝て悪化する傷があるのか?」


「あなたなら寝ながら戦いかねん」


「さすがにしない」


「信用がないんですね」


 一夜が言うと、リディアがにらんできた。


「誰のせいだ」


「本人のせいです」


「即答するな」


 マルタが包帯を外す。


 出血は止まっている。


 安全地帯の回復効果は、人数超過によってほとんど働いていない。


 それでも、休息と治療のおかげで顔色は少し戻っていた。


「森へ入れるか?」


 リディアが尋ねる。


「私が止めれば、行かないのか?」


「行く」


「ならば聞くな」


「確認は必要だ」


「走り続けなければ問題ない。だが、傷が開けばすぐ戻れ」


「森の中で、どこへ戻る」


 マルタは緑色のテントを指した。


「そこだ」


 一夜もテントを見る。


 今は、村の中央を守る安全地帯。


 これを森へ持っていく。


 そのためには、畳まなければならない。


「一夜殿」


 村長のエドガーが、安全地帯へ入ってきた。


「出発の準備は整った」


「村の方は?」


「正面と裏に見張りを置いた。負傷していない者は3組に分けたままだ」


「音を出す道具も、近くへ置いてください」


「ああ。宵喰い狼の遠吠えが聞こえれば、すぐ鳴らす」


「追いかけないでください」


「分かっている」


 エドガーは答えたものの、表情は固い。


 一夜は村長が見ているものに気づいた。


 テントだ。


「これを持っていけば、安全地帯は消えます」


「……そうだな」


「今から畳みます」


 安全地帯の中には、負傷者が3人残っている。


 全員、歩ける状態にはなっていた。


「集会所へ移ってください」


 一夜は1人ずつ声をかける。


「安全地帯が消えた後は、外へ出ないように」


「あなたたちは、これを持って森へ行くのか?」


「はい」


「村は、また狼に襲われるかもしれない」


「その前に戻ります」


「朝と一緒に?」


 負傷した男の言葉に、一夜はうなずいた。


「そのつもりです」


 最後の負傷者が安全地帯を出る。


 残ったのは、一夜とリディアだけだった。


 説明書を開く。


【設営解除により、保護領域を終了します】


【保護対象者が領域外へ移動したことを確認してください】


「確認しました」


 文字の下に、新しい注意書きが浮かぶ。


【設営解除後、周辺の安全は保証されません】


「最後まで不安になる書き方だな」


「間違ってはいない」


 リディアは剣を腰へ戻した。


「始めてくれ」


 一夜はロープを緩める。


 追加したペグを1本ずつ抜いていく。


 地面へ深く打ち込んだため、簡単には抜けない。


「手伝う」


「傷が開きます」


「片手なら使える」


「では、抜いたペグをまとめてください」


「子供でもできる役目だな」


「役目を選んでいる場合じゃないと、誰かが言ってました」


「覚えていたのか」


「都合のいい言葉は覚えています」


 最後に、最初から使っていた4本のペグへ手をかける。


 1本目。


 安全地帯に変化はない。


 2本目。


 説明書の文字が薄く光る。


 3本目。


 見えない壁に細かな波紋が広がった。


「最後です」


 一夜は4本目を抜いた。


 空気が軽く揺れる。


 それまで確かに存在していた境界が、音もなく消えた。


 テントの布が、ただの布へ戻る。


 村人たちの話し声が、意味の分からない言葉へ変わった。


「……聞こえない」


 一夜が言う。


 リディアも口を開いたが、返ってきたのは理解できない異世界の言葉だった。


 翻訳支援も止まった。


 安全地帯が消えた証拠だ。


 周囲の村人たちが、不安そうに一夜たちを見ている。


 集会所の入口には、ニナが立っていた。


「イチヤ!」


 名前だけは分かる。


 ニナが胸の前で両手を組み、太陽が昇るように腕を持ち上げた。


「朝を、お願いしますってことかな」


 一夜も同じように、両手を下から上へ動かした。


 次に、親指を立てる。


 ニナが笑った。


「ダイジョウブ!」


「その言葉、便利ですね」


 通じているか分からないまま、一夜は答えた。


「大丈夫にしてきます」


     


 テントを畳み終えると、一夜はバックパックへ固定した。


 水と食料。


 救急用品。


 ランタン。


 予備の電池。


 ペグとロープ。


 荷物は来た時より重い。


 リディアが片手を差し出した。


「何です?」


 言葉は通じない。


 彼女は一夜のバックパックを指し、自分の背中を指す。


「持つって言ってます?」


 リディアがうなずいた。


「駄目です」


 一夜は傷ついた肩を指した。


 両腕で大きく交差を作る。


「これは、俺の役目です」


 自分を指す。


 次に、テントを指す。


 リディアは不満そうだったが、諦めた。


 代わりに一夜へ向けて、手のひらを下げる動きをする。


「ゆっくり行け?」


 リディアが親指を立てた。


「それは賛成です」


 言葉が通じないまま、2人は村の北東へ向かって歩き始めた。


 村人たちが見送っている。


 歓声はない。


 朝が来ていないからだ。


 一夜は振り返らなかった。


 振り返れば、安全地帯を置いていく怖さに足が止まりそうだった。


     


 古い狩人道は、かろうじて道だと分かる程度だった。


 木の根。


 湿った土。


 人の腰ほどまで伸びた草。


 リディアが先を歩き、剣で枝を払いながら進む。


 一夜はその数歩後ろをついていく。


 会話はできない。


 出発前に決めた合図だけが頼りだった。


 握った拳は、停止。


 指を左右へ向ければ、進行方向。


 手のひらを下へ向ければ、姿勢を低くする。


 剣へ手を置けば、危険。


 リディアが拳を上げた。


 一夜はすぐに足を止める。


 彼女は地面へしゃがみ、土へ触れた。


 獣の足跡がある。


 宵喰い狼のものだろう。


 だが、足跡は村へ向かっていない。


 北東へ続いている。


「逃げた狼たちも、同じ場所へ向かってる?」


 リディアには通じない。


 それでも、一夜が足跡を指して北東を示すと、彼女はうなずいた。


 群れ長を失った宵喰い狼たちは、森の奥へ戻ったのではない。


 朝を止めている何かの元へ集まっている。


「ますます行きたくなくなってきたな」


 一夜は小さくつぶやいた。


 リディアが振り返る。


 意味は分からなくても、不満そうな声は伝わったらしい。


 一夜は親指を立てた。


「大丈夫です」


 リディアは少し考え、同じように親指を立てた。


 正しい使い方ではない気がした。


     


 1時間ほど進んだところで、森の様子が変わった。


 風がない。


 木の葉が、まったく揺れていない。


 虫の声も聞こえない。


 村から離れるほど暗くなっている。


 一夜はスマートフォンを確認した。


「午前8時17分」


 普通なら、とっくに朝だ。


 だが、画面の明かりがなければ足元も見えないほど暗い。


 リディアが再び拳を上げた。


 一夜は止まる。


 彼女は剣へ手をかけ、周囲を見回している。


「何かいます?」


 返事は理解できない。


 リディアが耳へ手を当てた。


 何かを聞けという意味らしい。


 一夜も息を止めた。


 静かな森。


 遠くで、枝が折れる音。


 その後。


「イチヤ」


 幼い声が聞こえた。


 一夜の背中が冷たくなる。


 ニナの声だった。


「イチヤ、カエル?」


 村へ残してきたはずのニナ。


 それも、別れ際に交わした言葉。


 一夜は声のした方向へ顔を向けた。


 木々の間に、誰かが立っている。


 小さな影。


 髪を2つに結んでいるように見えた。


「ニナ?」


 足を踏み出しかける。


 リディアが一夜の胸へ腕を伸ばし、強く止めた。


 彼女は首を横へ振っている。


「でも、あれは」


 リディアには通じない。


 彼女も木々の間を見ていた。


 だが、その表情はニナを見ているものではなかった。


 驚き。


 恐怖。


 そして、強い後悔。


 暗闇の奥から、今度は男の声が聞こえた。


 一夜には意味の分からない言葉。


 それでも、リディアには理解できている。


 彼女の顔から血の気が引いた。


「知っている人ですか?」


 リディアが、かすかに口を動かす。


 言葉は分からない。


 だが、名前らしき音だけが聞き取れた。


「……ロイド」


 木々の間に、鎧を着た男の姿が浮かぶ。


 胸から血を流している。


 リディアへ手を伸ばしていた。


 一夜にはニナ。


 リディアには、過去に失った誰か。


 同じ場所に、違う人間が見えている。


「見る人に合わせてるのか」


 一夜は後退した。


 小さな影が笑う。


「イチヤ」


 声はニナのまま。


「コッチ、ダイジョウブ」


 今度は、一夜が教えた言葉だった。


 リディアが剣を抜く。


 男の影も、ゆっくり近づいてくる。


 一夜はバックパックへ手を伸ばした。


「テントを張ります」


 言葉は通じなくても、リディアには意図が伝わった。


 彼女が一夜の前へ立つ。


 影を警戒する間に、一夜は地面へ荷物を下ろした。


 テントを広げる。


 ポールを通す。


 手が震え、布がうまく立ち上がらない。


「急げ……!」


 ニナの姿をした影が、木々の間から出てくる。


 笑顔のまま。


「イチヤ、アサ」


 あと2本。


 ペグを打つ。


 ロープを張る。


 最後の1本へ、ハンマーを振り下ろした。


 安全地帯が展開される。


 透明な波紋が周囲へ広がった。


 影の足が、境界の直前で止まる。


 一夜とリディアが、同時に安全地帯へ入った。


「今のは何ですか!」


 言葉がつながる。


 リディアは荒い息を吐きながら、剣を構え続けていた。


「私には、死んだ部下が見えた」


「俺にはニナが見えました」


「ニナは村にいる」


「分かってます」


 一夜は説明書を開く。


 白紙だった場所へ、黒い文字が浮かんでいた。


【外部干渉を確認】


【対象の記憶を利用した誘導現象です】


【領域内への侵入:拒否】


「安全地帯には入れません」


「ならば、あれは敵意を持っている」


「俺たちを森の奥へ誘い込むつもりだったんでしょうか」


 リディアが影を見る。


 彼女には、まだ死んだ部下の姿が見えているらしい。


「ロイドは、私の判断で死んだ」


 一夜は何も言えなかった。


「救援を待たずに進ませた。休ませるべきだった者を、戦わせた」


「だから、あなたは休まないんですか」


 リディアは答えなかった。


 影が境界の外へ手をつく。


 一夜には、ニナの小さな手に見える。


「イチヤ」


 笑顔が消える。


「カエッテキテ」


 一夜は拳を握った。


「それは、ニナの言葉じゃない」


 影の顔がゆがむ。


 幼い声が低く崩れていく。


 最後に、聞き慣れた声へ変わった。


 一夜自身の声だった。


「ここは安全です」


 暗闇の中で、一夜の姿をした何かが笑った。


「だから、外へ出てきてください」

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