第22話 朝が、来ない
村中から、不ぞろいな金属音が響いていた。
鍋。
農具。
鉄板。
壊れた鐘の破片。
音の大きさも、鳴らす間隔もそろっていない。
だからこそ、宵喰い狼たちは混乱していた。
群れ長が遠吠えを上げても、その声は村人たちが鳴らす音へ埋もれていく。
走り出す個体。
立ち止まる個体。
違う方向へ向かう個体。
群れとしての動きが崩れていた。
「正面、2匹です!」
一夜が安全地帯の中から指を立てる。
細い通路へ入ってきた宵喰い狼は2匹。
自警団の槍が、一斉に突き出された。
先頭の1匹が肩を傷つけられ、後ろへ下がる。
もう1匹は見えない壁へ飛びかかり、激しく弾き返された。
「今なら押し返せる!」
安全地帯の外にいる男たちへ、一夜の言葉は通じない。
それでも、村長が同じ指示を叫んでいる。
槍を持った男たちは深追いせず、宵喰い狼が通路から離れるまで前へ出た。
魔物が建物の陰へ退く。
男たちも、すぐに元の位置へ戻った。
「追わない。持ち場を離れない。いい流れです」
「あなたは、すっかり指揮官の顔になったな」
マルタが空になった器を重ねながら言った。
「指揮官はリディアさんと村長です」
「では、あなたは何だ」
「連絡係です」
「連絡係が全員へ休めと命令するのか?」
「命令じゃなくて調整です」
「同じに聞こえる」
「会社でも言われました」
一夜は大鍋の中を確認した。
スープは、もう底に近い。
具材はほとんど残っていない。
温かい汁が、数杯分あるだけだった。
「次の交代で終わりですね」
「また作るか?」
「材料はありますか?」
「食料庫には残っている」
「時間が足りません」
もう1度、野菜を切り、肉を煮込み、味を整える。
少なくとも1時間以上はかかる。
その間にも、負傷者は運ばれてくる。
安全地帯の状態も確認しなければならない。
「湯だけでも用意してください」
一夜はマルタへ頼んだ。
「温かい物を飲めれば、少しは違います」
「料理の力はつかないのか?」
「ただのお湯では、たぶん」
「何か入れればいいのだろう」
「何かって?」
マルタは袋から乾燥した葉を取り出した。
「眠気を抑える薬草だ」
「そんな便利な物があるんですか」
「苦いぞ」
「効果は?」
「飲んだ者は、しばらく眠れなくなる」
「コーヒーみたいですね」
「あなたの黒い薬か」
「薬ではありません」
「何杯も飲んでいたではないか」
「普通の飲み物です」
「眠れなくなる飲み物を普通とは言わん」
反論できない。
一夜は残っていた水と、村の井戸から運ばれた水を確認した。
「では、その薬草を薄めに煮出しましょう」
「濃い方が効く」
「全員が苦くて飲めなかったら意味がありません」
「甘い物を入れるか?」
「あります?」
「高価だが、蜂蜜が少し」
「今使いましょう」
「冬の薬にも使う」
「今夜を越えられなければ、冬の薬も使えません」
「村長と同じことを言うようになったな」
「俺が先に言いました」
マルタは鼻を鳴らし、湯の準備を始めた。
倒れた鐘楼の近くでは、リディアが自警団と合流していた。
彼女は群れ長から目を離していない。
群れ長は集会所の屋根へ立ち、村人たちが音を鳴らす様子を見回していた。
飛びかかってくることもない。
地面を掘らせることもない。
ただ観察している。
「不気味ですね」
一夜は懐中電灯を屋根へ向けた。
群れ長の右目が光を反射する。
「音を鳴らしている人を、1人ずつ狙うつもりでしょうか」
「その可能性はある」
安全地帯へ戻ってきたリディアが答えた。
「まず座ってください」
「話が先だ」
「座っても話せます」
「私は立っていた方が――」
「肩から血が出ています」
壊れた鎧の隙間から、赤い筋が流れていた。
リディアは自分の肩を見た。
「かすり傷だ」
「それも禁止です」
「いつ決まった」
「今です」
「勝手に規則を増やすな」
「守ってくれない人がいるので増えるんです」
一夜は保温シートを軽くたたいた。
「座ってください」
「群れ長を見失う」
「俺が見ています」
「あなたに任せるのは不安だ」
「失礼だな」
「戦闘については事実だ」
「群れ長が屋根から動いたら言います」
「必ずか」
「今度は約束を守ります」
リディアは疑うように一夜を見た。
それでも、ようやく腰を下ろす。
一夜は肩の傷へ新しい布を当てた。
「痛いですか?」
「少し」
「素直になりましたね」
「聞かれるたびに言い争う時間が惜しいだけだ」
「理由は何でもいいです」
血を拭い、傷を確認する。
深くはない。
しかし、同じ場所を何度も動かしているため、治りかけては開いている。
「軽傷回復が弱くなってます」
「人数を超えているからか」
「はい」
一夜は説明書を開いた。
【領域内人数:8人】
【軽傷回復効果:大幅低下】
【疲労軽減効果:大幅低下】
【保護機能:正常】
「今は、守る力にほとんど使ってるみたいです」
「十分だ」
「傷を治せなくても?」
「ここが破られない方が重要だ」
「でも、あなたは治ってください」
「順番の問題だ」
「いつも自分を最後にするんですね」
「守る者とは、そういうものだ」
「守る人がいなくなったら困ります」
一夜は傷へ布を固定した。
「だから、最後じゃなくて途中に入れてください」
「何を」
「自分を守る順番です」
リディアは何も答えなかった。
屋根の上で、群れ長がゆっくりと立ち上がる。
「動きました」
リディアはすぐに剣へ手を伸ばす。
「まだ立たなくていいです」
「何をしている」
「空を見ているだけです」
群れ長は一夜たちではなく、東の空を見つめていた。
耳を立てる。
鼻先を上げ、何かを確かめるように空気を吸い込む。
「何だ?」
リディアも東を見る。
雲。
暗い空。
星は見えない。
「朝を待ってるんじゃないですか」
「待つ理由がない。宵喰い狼は朝を嫌う」
「だから、夜明けまでに決着をつけたいとか」
「それなら、攻撃を止める理由がない」
群れ長は、焦っているようには見えなかった。
むしろ、何かを確信している。
朝など来ない。
そう知っているような立ち姿だった。
「今、何時です?」
一夜はスマートフォンを取り出した。
圏外。
それでも時計は動いている。
「午前5時49分」
「ゴゼン?」
「朝に近い時間です」
前回、この森で夜を越した時。
午前5時30分を過ぎた頃には、東の空が白み始めていた。
宵喰い狼たちは朝日を嫌い、森へ戻っていった。
今は、それより遅い。
空は暗いままだった。
「雲があるからですかね」
「違う」
リディアの声が低くなる。
「何がです?」
「夜が長すぎる」
彼女は空を見上げたまま立ち上がった。
「季節を考えても、すでに東の空が明るくなっていなければおかしい」
一夜は村の時計代わりになるものを探した。
当然、現代のような時計はない。
だが、村人たちも少しずつ空を気にし始めている。
戦っていた者。
休んでいた者。
誰もが、夜の長さへ気づき始めていた。
「まだ朝じゃないだけでは?」
一夜は口にしながら、自分でも信じていなかった。
腕時計もスマートフォンも、同じ時間を示している。
「この世界と俺の世界で、日の出の時間が違うとか」
「昨日はどうだった」
「前回は、今より早く明るくなりました」
「ならば異常だ」
リディアは屋根の群れ長を見る。
「あれは知っている」
「朝が来ないことを?」
「ああ」
群れ長は動かない。
周囲の宵喰い狼たちも、攻撃の間隔を落としていた。
無理に村へ入ろうとしない。
夜が続くなら、焦る必要がない。
人間が疲れ切るまで待てばいい。
「こちらを休ませないつもりか」
一夜は正面の防衛線を見る。
村人たちは交代している。
それでも、疲労はたまっている。
スープも残り少ない。
鐘を失い、鍋や農具をたたき続ける腕にも限界がある。
夜明けまで耐えれば勝てる。
その前提で、ここまで守ってきた。
「朝が来なかったら……」
答える者はいなかった。
午前6時12分。
空は暗かった。
午前6時31分。
変化はない。
群れ長が遠吠えを上げる。
村中で金属音が鳴る。
宵喰い狼たちの動きは乱れた。
だが、村人たちの動きも明らかに鈍くなっていた。
鍋をたたく音が弱い。
槍を構える腕が下がる。
座ったまま立ち上がれない者も増えている。
「交代してください!」
一夜は安全地帯へ入ってきた男へ声をかける。
「次の組が、もう動けない」
「では、休んでいた人を」
「全員、1度は前へ出た!」
「軽いけがの人は?」
「槍を持てる者は出している!」
男の呼吸は荒かった。
手のひらには、槍を握り続けたことで血がにじんでいる。
「少し休んでください」
「休んだら正面が足りない!」
「このまま出ても、槍を落とします」
「それでも行く!」
リディアと同じだった。
体が限界でも、役目があるから戻ろうとする。
「5分です」
「待てない!」
「では、薬草の湯を飲んでください!」
一夜は完成したばかりの飲み物を渡した。
薄い緑色。
蜂蜜の甘い香りの奥から、強い苦みが漂っている。
男はひと口飲み、顔をしかめた。
「苦い!」
「蜂蜜を入れました」
「どこが甘い!」
「俺に言われても困ります!」
男は文句を言いながらも、残りを飲んだ。
安全地帯の料理効果は発生していない。
それでも、温かさと薬草の効果で、少しは目が覚めるはずだ。
「座って3分だけ休んでください」
「5分ではなかったのか」
「短くしました」
「それなら――」
「交渉ではありません」
「あなたは騎士より厳しいな」
「騎士が休まないので学びました」
リディアが聞こえる位置で、一夜をにらんだ。
「私のせいにするな」
「かなり参考にしています」
「悪い例としてか」
「はい」
「あとで話がある」
「朝が来たら聞きます」
一夜が答える。
2人とも、そこで言葉を止めた。
朝が来たら。
当たり前に使っていた言葉だった。
今は、それが約束になるのか分からない。
説明書から、紙の擦れる音がした。
一夜はすぐにページを開いた。
「何か出ました」
「何と書かれている」
リディアとマルタがのぞき込む。
2人には白紙にしか見えない。
黒い文字が、ゆっくりと浮かび上がっていく。
【朝到達判定:保留】
「保留?」
【対象領域における夜明けの遅延を確認しました】
【原因:不明】
【宿泊者の自然な朝到達が阻害されています】
一夜は文章を読み上げた。
リディアの顔が険しくなる。
「天幕にも、原因が分からないのか」
「そうみたいです」
さらに下へ、新しい文字が現れる。
【警告】
【夜間活動性存在の能力上昇を確認】
【保護領域外での生存率が低下しています】
屋根の上で、群れ長が大きく息を吸った。
黒い体を走る紫色の光が、今まで以上に強くなる。
周囲の宵喰い狼たちにも、同じ変化が広がっていった。
傷ついていた個体が立ち上がる。
弱っていたはずの足へ力が戻る。
暗闇が続くほど、魔物は強くなる。
「まずい」
リディアが剣を握る。
群れ長が、これまでで最も大きな遠吠えを上げた。
村中で鍋や農具が鳴り始める。
しかし、今度は遠吠えを消しきれなかった。
低い声が金属音を突き抜け、周囲の宵喰い狼へ届く。
魔物たちが同時に身を沈めた。
「来ます!」
正面。
裏側。
北。
東。
村のあらゆる方向から、紫色の光が一斉に動き始めた。
朝が来ないと知った宵喰い狼たちが、最後の攻撃を始めた。




