第20話 群れを止めるなら、声を奪えばいい
森の奥で、無数の紫色の光が動いていた。
10匹。
20匹。
木々に隠れて正確な数は分からない。
それでも、これまで村を襲っていた群れより、はるかに多いことだけは確かだった。
「多すぎる……」
一夜は追加したペグの状態を確認しながら、暗い森を見つめた。
テントは安定している。
安全地帯も正常に動いている。
だが、見えない壁がどれほど強くても、村のすべてを包んでいるわけではない。
守れるのは半径2メートル。
集会所の入口を塞ぐ、人だけが通れる小さな門だけだった。
「一夜殿!」
村長のエドガーが安全地帯へ入ってきた。
「森から、さらに魔物が出てきている!」
「見えています」
「正面の者たちだけでは持たん!」
「北側の人たちは?」
「まだ戻っていない!」
リディアたちは、家畜小屋を襲った宵喰い狼を追っている。
あちらも群れ長が仕掛けた罠だった。
すぐに戻れない可能性もある。
「戦える人は、あと何人です?」
「負傷していない者は11人。軽傷者を含めれば17人ほどだ」
「全員を前に出すのは駄目です」
「だが、この数を相手に――」
「全員が同時に戦っても、正面の道には入れません」
一夜は荷車と樽で狭くした通路を指した。
宵喰い狼が一度に通れるのは、多くても2匹。
村人も、前へ出られるのは数人だけだ。
「前で戦う人は4人。後ろに交代要員を4人。残りは裏と負傷者の運搬へ回してください」
「今までより人数を減らすのか?」
「人数より、何時間動けるかです」
一夜は空を見上げた。
夜明けまで、まだ数時間ある。
「今ここで全員が疲れたら、朝まで持ちません」
「しかし、森から来る群れが一斉に襲えば」
「一斉には来させません」
エドガーが一夜を見る。
「何か方法があるのか?」
「群れ長の指示を邪魔します」
一夜は懐中電灯を持ち上げた。
「これまでと同じ音を使うのか?」
「電池には限りがあります」
予備は持ってきている。
それでも、数時間にわたって警告音を鳴らし続けることはできない。
「もっと大きくて、何度使ってもなくならない音が必要です」
「そのような物が、この村にあるのか?」
一夜は北と東の異変を知らせた音を思い出した。
「鐘がありますよね」
「村の警鐘か」
「あれを使います」
「だが、鐘は襲撃を知らせるためのものだ」
「今は、全員が襲撃を知っています」
一夜は暗闇の向こうにいる群れ長を見た。
群れ長は、遠吠えで宵喰い狼たちを動かしている。
攻撃。
後退。
地面を崩す。
別の群れを呼ぶ。
「遠吠えが聞こえなければ、同時には動けません」
「鐘の音で、声を消すのか」
「はい」
「誰が鳴らす」
「交代でお願いします」
鐘を鳴らす者も疲れる。
だからこそ、そこにも交代が必要だった。
「遠吠えが聞こえたら、すぐに鐘を鳴らす。鳴き声が止まったら、鐘も止める」
「分かった」
「ただし、鐘の種類を混ぜないでください」
「種類?」
「襲われた場所を知らせる鐘と、遠吠えを邪魔する鐘が同じだと混乱します」
一夜は少し考えた。
「妨害する時は、細かく連続で鳴らしてください。場所を知らせる時は、これまで通り回数を決める」
「それなら区別できる」
「安全地帯へ入る人にも伝えてください。通るたびに説明します」
エドガーは力強くうなずいた。
「すぐに人を送る」
村長が境界を出る。
一夜の言葉は通じなくなったが、今度は迷わなかった。
鐘楼を指し、男たちへ指示を飛ばす。
「俺の仕事、完全に調整役だな」
「得意なことをしているのだろう」
マルタが言った。
「異世界まで来て、同じ仕事をするとは思いませんでした」
「嫌なのか?」
一夜は少し考えた。
会社では、次々と届く依頼に追われていた。
自分の時間を奪われ、誰かの都合を別の誰かへ押しつける。
断ることもできなかった。
今は違う。
誰に何を頼むか、自分で考えている。
目的も分かっている。
全員に朝を迎えてもらう。
「今は、嫌じゃないです」
「ならば、続けろ」
「厳しいですね」
「止まれば死ぬからな」
「それは本当に厳しいな……」
森の奥から、大きな遠吠えが響いた。
群れ長の声だ。
低く、長い。
呼び寄せられた宵喰い狼たちが、次々と村の中へ入ってくる。
「鐘!」
一夜が叫ぶ。
意味は通じなくても、鐘楼を指す動きで村人が反応した。
直後。
カン、カン、カン、カン――!
短く激しい鐘の音が、ハルト村全体へ響き渡った。
遠吠えがかき消される。
進みかけていた宵喰い狼たちの動きが乱れた。
走り出す個体。
立ち止まる個体。
周囲を見回す個体。
同じ方向へ進んでいたはずの群れが、互いの進路を塞ぎ始める。
「効いてる!」
正面へ向かってきたのは、3匹だけだった。
狭い通路へ2匹が並ぼうとし、肩をぶつける。
その隙を、自警団が逃さなかった。
槍が突き出される。
先頭の1匹が後退し、後ろの個体へぶつかった。
鐘の音が止まる。
暗闇の中から、もう1度遠吠え。
「もう1度!」
再び鐘が鳴る。
宵喰い狼たちの動きが止まった。
「いけます!」
一夜は安全地帯を通った村人たちへ伝えた。
「遠吠えが聞こえたら鐘です! 鐘が鳴っている間は、群れの動きがばらばらになります!」
「分かった!」
「疲れたら必ず交代してください!」
「鐘を鳴らすだけだぞ」
「腕が動かなくなってからでは遅いです!」
「そこまで弱くは――」
「休む人は、スープを飲んでください!」
「話を聞かない男だな!」
「よく言われます!」
村人はスープの器を受け取り、鐘楼へ戻っていった。
少しずつ役割が回り始める。
鐘を鳴らす者。
槍を構える者。
休む者。
負傷者を運ぶ者。
スープを配る者。
安全地帯を通るたび、一夜が状況を伝える。
外へ出れば言葉は通じない。
それでも、村人たちは決められた役目を果たしていった。
「これなら、朝まで持つかもしれない」
一夜が希望を持ちかけた時だった。
群れ長が、集会所の屋根から姿を消した。
「どこへ行った?」
正面にはいない。
地面を崩していた場所にも。
屋根の向こう側へ降りたのだろうか。
一夜は懐中電灯で周囲を照らす。
「マルタさん、群れ長が見えません」
「逃げたのではないか」
「そんな顔じゃありませんでした」
「狼の顔が分かるようになったのか?」
「さっきマルタさんも言ってましたよね」
「私は年寄りだから分かる」
「便利ですね、年寄り」
「殴るぞ」
一夜は明かりを集会所の裏へ向けた。
紫色の光は見えない。
正面の群れは、鐘に乱されながらも攻撃を続けている。
群れ長だけが姿を消した。
「何か別のことを狙ってる」
その時、村の北側から人影が走ってきた。
リディアだった。
後ろには自警団の4人。
さらに、数頭の羊と馬が続いている。
「戻ってきた!」
一夜はランタンを振った。
リディアたちは群れの外側を回り、安全地帯へ向かって走る。
だが、その後ろには5匹の宵喰い狼が迫っていた。
「鐘を!」
警鐘が激しく鳴る。
追っていた宵喰い狼の動きが、わずかに乱れた。
リディアは振り返らず走り続ける。
安全地帯まで、あと30メートル。
20メートル。
自警団の1人が足をもつれさせた。
「危ない!」
男が転ぶ。
追ってきた宵喰い狼が、男へ飛びかかろうとする。
リディアが引き返した。
「戻らなくていいのに!」
言葉は届かない。
彼女は男と魔物の間へ入り、剣で牙を受け止める。
残りの自警団も足を止めた。
その場で戦おうとする。
「全員で止まるな!」
一夜は警告音を鳴らした。
鐘と人工音が重なり、宵喰い狼たちが顔を上げる。
リディアが一夜を見る。
一夜は転んだ男を指し、次に安全地帯を指した。
全員で戦うな。
負傷者を運べ。
身振りだけで伝える。
リディアはすぐに意図を理解した。
自警団の2人へ何かを叫び、転んだ男を担がせる。
残る1人とリディアが後ろを守りながら、こちらへ下がってくる。
「あと少しです!」
安全地帯の前にいた村人たちも槍を構える。
負傷した男が先に境界へ運び込まれた。
「足を見せてください!」
「転んだだけだ!」
「では、集会所へ!」
続いて、自警団の男たち。
最後にリディアが飛び込んでくる。
追ってきた宵喰い狼は、見えない壁へ激突した。
リディアは安全地帯へ入ると同時に、一夜を見た。
「状況は」
「群れ長が仲間を増やしました。でも、鐘で指示を邪魔しています」
「鐘を?」
「遠吠えが聞こえなければ、同時に動けません」
リディアは周囲を見る。
村人たちが交代しながら鐘を鳴らしている。
正面の防衛線も、どうにか維持されていた。
「よく考えた」
「俺じゃなく、鐘を作った人を褒めてください」
「今はあなたを褒めている」
「急に言われると困りますね」
「では取り消す」
「早いな」
リディアは剣についた血を拭った。
「群れ長はどこだ」
「見失いました」
リディアの表情が険しくなる。
「いつから」
「少し前です。集会所の屋根から消えました」
「群れを残して、姿を隠したのか」
「何か狙ってると思います」
「間違いない」
リディアは傷ついた肩へ手を当てた。
「先に、傷を見ます」
「今は群れ長が――」
「血が出てます」
「この程度なら」
「禁止です」
「まだ続いていたのか」
「一生続けます」
「重い相棒だな」
「そちらにだけは言われたくありません」
一夜は新しい布を取り出した。
リディアを座らせようとした、その時。
集会所の中から、ニナの声が聞こえた。
「イチヤ!」
一夜が振り返る。
戸板で塞いでいた窓の隙間から、ニナが外を指していた。
「どうしました?」
「ウエ!」
「上?」
ニナは何度も天井を指す。
「ウエ! オオキイ!」
一夜とリディアが、同時に集会所の屋根を見上げた。
何もいない。
「大きい何かが上にいた?」
ニナが首を横へ振る。
今度は、テントを指した。
「テント?」
「ウエ!」
一夜は緑色のテントの上を見る。
ランタン。
ロープ。
布。
異常はない。
だが、リディアは別の場所を見ていた。
「違う」
「何がです?」
「上ではない」
彼女は一夜の頭上から、さらに奥へ視線を動かす。
集会所の屋根より高い場所。
村の中央に立つ、警鐘の鐘楼。
鐘を鳴らすため、村人が2人上っている。
「まさか」
鐘楼の屋根に、黒い影が現れた。
白く濁った左目。
太い紫色の光。
群れ長だった。
遠吠えを邪魔する鐘。
群れをばらばらにしている、新たな脅威。
群れ長は、それを壊すために姿を消していた。
「鐘から離れろ!」
リディアが叫ぶ。
だが、安全地帯の外にいる村人へ、一夜の言葉は届かない。
群れ長が鐘楼の屋根を蹴った。
巨大な体が、鐘を鳴らす2人へ飛びかかる。
「リディアさん!」
「分かっている!」
女騎士が安全地帯を飛び出した。
一夜は警告音を鳴らす。
群れ長が一瞬だけ顔を向ける。
しかし、進路は変わらない。
普通の宵喰い狼とは違う。
光も音も、目的を見失わせるほどは効かなかった。
群れ長の爪が、鐘楼の柱へ振り下ろされる。
太い木材が、鈍い音を立てて裂けた。
鐘楼全体が大きく揺れる。
村人たちの悲鳴。
鐘が、不規則な音を鳴らした。
「倒れる……!」
鐘楼の上には、まだ2人いる。
群れ長は、もう1度前足を振り上げた。
鐘を失えば、群れの指示を邪魔できなくなる。
それだけではない。
鐘楼が倒れる方向には、集会所とテントがあった。




