第16話 小さな安全地帯を、門にする
白いランタンの光へ向かって、村人たちが走ってくる。
老人。
子供。
幼い子を抱えた女性。
その後ろでは、リディアが3匹の宵喰い狼を引きつけていた。
「急いでください!」
一夜の言葉は届かない。
それでも、手招きと光の意味は伝わる。
先頭の老人が、荷車と樽で狭められた道へ入った。
まっすぐ走れば、安全地帯を通って集会所の入口へたどり着ける。
村長たちが作った障害物によって、道幅は人が2人並べる程度まで狭くなっていた。
「そのまま、テントの横を通って!」
老人が安全地帯へ足を踏み入れる。
「ここへ来れば大丈夫です!」
「言葉が……分かる?」
「止まらず、集会所へ入ってください!」
老人は驚いた顔をしたが、すぐに入口へ向かった。
次の女性も安全地帯へ入る。
「子供を先に!」
「はい!」
短い間だけ、言葉がつながる。
安全地帯を抜ければ、また意思疎通はできなくなる。
それでも、危険な場所から避難所へ移る数秒間には十分だった。
「止まらないで!」
「中へ入ってください!」
「けがをしている人は右側へ!」
一夜は次々と指示を出した。
小さな安全地帯は、全員がとどまるには狭すぎる。
だが、通り抜けるだけなら何人でも使える。
人は入れる。
敵意を持つ宵喰い狼は入れない。
「避難所じゃなくて、門にすればいいんだ」
一夜はテントと集会所の位置を見る。
安全地帯の端から、集会所の入口までは1メートルほど離れていた。
その隙間を埋めるように、村人たちが戸板を立てている。
左右には荷車と樽。
正面には安全地帯。
村人は見えない壁を通り抜けられる。
宵喰い狼は、通り抜けられない。
「村長!」
エドガーが安全地帯へ入る。
「何だ!」
「この道以外を、全部塞いでください!」
「全部?」
「集会所へ入る道を、テントの横だけにします!」
村長は一夜の意図に気づき、目を見開いた。
「この結界を、門として使うのか」
「人だけが通れる門です」
「だが、宵喰い狼が障害物を壊せば」
「その間に自警団が攻撃できます」
「分かった!」
村長が外へ出て、男たちへ指示を出す。
さらに荷車が運ばれてくる。
薪の束。
空の木箱。
壊れた家具。
集会所へ続く隙間が、次々と塞がれていった。
安全地帯を通る細い道だけを残して。
「一夜殿!」
避難者の中に、足を引きずっている男がいた。
一夜は境界から手を伸ばし、腕をつかむ。
「けがをしていますね」
「狼に追われて転んだ。足が動かない」
「ここへ座ってください!」
「後ろにも人がいる」
「先に通してください。あなたは安全地帯へ残ります」
一夜は男をテントのそばへ座らせた。
推奨人数は、とっくに超えている。
だが、避難者は数秒で通り抜けていく。
安全地帯へ残るのは、動けない負傷者だけだ。
説明書を開く。
【領域内人数:7人】
【推奨人数を超過しています】
【軽傷回復効果:低下】
【保護機能:正常】
「守る力は弱くなってない」
回復効果は落ちる。
疲労軽減も弱くなる。
それでも、敵意を防ぐ保護機能は維持されている。
「これなら使える」
新たな避難者が境界へ飛び込んでくる。
少女を背負った男性だった。
「この子が、途中で動けなくなった!」
「中へ!」
少女に外傷はない。
恐怖で体が固まっているようだった。
一夜は少女をテントの入口へ座らせる。
「ここは安全です」
「お父さんは……」
「一緒にいます」
「狼は?」
「入ってこられません」
少女が透明な壁の外を見る。
宵喰い狼が、避難者の列へ向かおうとしていた。
「来る!」
「大丈夫です」
一夜が言った直後、魔物が安全地帯へ飛びかかった。
ごんっ、と激しい音が響く。
宵喰い狼の牙が、見えない壁へ阻まれた。
少女が悲鳴を上げ、一夜の腕へしがみつく。
「ほら。入れません」
声が震えた。
一夜自身も怖かった。
何度見ても、巨大な牙が目の前で止まる光景には慣れない。
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
「ここにいる間は大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
一夜は宵喰い狼から目を離さずに答えた。
「少なくとも、俺よりテントの方が信用できます」
「あなたは?」
「俺も、できるだけ頑張ります」
少女には冗談が伝わらなかったらしい。
不安そうな顔のままだった。
「そこは笑ってもらえると助かるんですけど」
リディアは、避難者の最後尾を守っていた。
宵喰い狼の1匹を斬り伏せても、森から新しい影が現れる。
夜が深くなるほど、数が増えていた。
「リディアさん!」
一夜は懐中電灯を振る。
安全地帯まで戻るよう合図する。
だが、リディアは首を横へ振った。
彼女の後ろには、まだ3人の村人が残っている。
足の遅い老人と、その体を支える男女。
宵喰い狼が左右の路地から近づいていた。
「あと3人……」
一夜は警告音を鳴らした。
鋭い音が村の中央へ響く。
右側の宵喰い狼が、一夜へ顔を向けた。
だが、左側の1匹は老人を狙い続けている。
「こっちを見ろ!」
懐中電灯の光を向ける。
距離がある。
魔物は一瞬だけ反応したものの、すぐに老人へ視線を戻した。
「届かない……」
一夜は安全地帯の外へ出そうになる足を止めた。
ここを離れてはいけない。
自分が倒れれば、安全地帯がどうなるか分からない。
避難者を導く人もいなくなる。
「でも、このままじゃ」
リディアが老人たちの前へ回り込んだ。
2匹の宵喰い狼と向かい合う。
左肩の鎧は壊れている。
脇腹の傷も開きかけていた。
「無茶するなって言ったのに」
リディアは一夜の声を理解できない。
彼女は剣を構え、右側の魔物へ踏み込んだ。
最初の一撃で前足を切る。
振り返り、左側の牙を剣の腹で受け止める。
金属音。
リディアの足が地面を滑った。
傷のためか、押し返せない。
一夜は周囲を見る。
安全地帯の中には負傷者。
マルタ。
通り抜ける避難者。
外には宵喰い狼。
「何か使える物は……」
ランタン。
警告音。
ロープ。
鍛造ペグ。
食料。
水。
戦える物などない。
だが、魔物を倒す必要はない。
リディアが戻るまでの隙を作ればいい。
一夜は安全地帯の中にある大きなスープ鍋を見た。
残ったスープは、まだ温かい。
「もったいないけど」
一夜は空になった木の器へ、スープをよそう。
宵喰い狼へ投げつけるつもりではない。
届く距離でもない。
「村長!」
エドガーが境界へ入る。
「何だ!」
「これを、自警団の人へ渡してください!」
「今、食事を?」
「リディアさんの近くで戦っている人たちへ!」
村長は一夜の意図を理解できない様子だった。
「今、食べている余裕などない!」
「飲むだけでいいです!」
「しかし――」
「疲労が軽くなります!」
一夜は器を押しつけた。
「完全には回復しません。でも、あと少し動けるようになる!」
スープには、微弱な疲労軽減と恐怖緩和の効果がある。
戦場で飲むには弱い。
それでも、何もないよりはいい。
「何人分ある」
「20人分くらいです!」
「分かった!」
村長は器を受け取り、自警団へ向かって走る。
別の村人たちも、次々とスープを運び始めた。
安全地帯を通り、集会所から外へ。
戦う者たちへ温かい食事が渡っていく。
「少しでも持ってください」
一夜は新しい器へスープをよそった。
「帰ってくるまででいいから」
最後の老人が、安全地帯へたどり着いた。
「こちらへ!」
一夜とマルタが、両側から腕をつかむ。
老人を境界の中へ引き入れる。
支えていた男女も続いた。
「全員ですか?」
「南に残っていたのは、これで全員だ!」
「集会所へ入ってください!」
避難者が戸板の隙間を通り、建物の中へ消えていく。
残っているのは、リディアだけだった。
彼女は2匹の宵喰い狼と戦い続けている。
さらに路地の奥から、3匹目が現れた。
「リディアさん!」
一夜はランタンを大きく振る。
今度こそ、彼女も一夜を見る。
避難者が全員、安全地帯を通過したことを確認した。
リディアが後退を始める。
1歩。
また1歩。
剣を振り、魔物を牽制しながらこちらへ近づいてくる。
「あと少しです!」
安全地帯まで、15メートル。
自警団の男が1人、建物の陰から飛び出した。
手には、一夜のスープが入った器を持っている。
「今ですか?」
男はリディアの近くまで走り、器を差し出した。
リディアが信じられないものを見るように男を見る。
男は一夜を指した。
次に、飲む動きをする。
「俺のせいだと伝わってますね」
リディアの視線が一夜へ向く。
安全地帯の外でも、怒っていることが分かった。
「飲んでください!」
一夜は自分で器を持ち、飲むまねをする。
リディアは周囲の魔物を警戒しながら、器を受け取った。
一気にスープを飲む。
飲み終えた器を男へ返す。
「味わってる場合じゃないですよね」
料理効果が働いたのか、リディアの動きがわずかに変わった。
下がっていた剣先が上がる。
呼吸も少し落ち着いたように見えた。
彼女は迫ってきた1匹の攻撃をかわし、足元を切り払う。
倒すことにはこだわらない。
隙を作り、安全地帯へ向かって走る。
自警団の男も続いた。
「来ます!」
一夜は境界から手を伸ばした。
男が先に飛び込む。
続いて、リディア。
2人が安全地帯へ入った瞬間、追ってきた宵喰い狼が透明な壁へ激突した。
重い音が3回、続けて響く。
見えない境界の外に、3匹の魔物が並んだ。
「全員、入りましたね」
一夜は荒い息を吐くリディアを見る。
「ああ」
「けがは?」
「増えていない」
「本当ですか?」
「確認するか?」
「します」
「少しは信用しろ」
「無理です」
「即答するな」
リディアは剣を支えに立っていた。
その顔には疲労が浮かんでいる。
だが、倒れそうだった先ほどよりは少しだけ余裕が戻っていた。
「食事を戦場へ届けるとは思わなかった」
「俺もです」
「あのスープには、まだ力が残っていたのだな」
「4時間くらいは効果があるそうです」
「それを先に言え」
「戦う前に食べてもらったでしょう」
「1杯だけだ」
「何杯飲むつもりですか」
「効果は重なるのか?」
「重なりません」
「残念だ」
「そこは戦う気満々なんですね」
リディアは安全地帯の外を見た。
宵喰い狼が道を塞いでいる。
さらにその奥にも、紫色の光が増えていた。
「避難は終わった」
「はい」
「残る自警団も、中央へ集まり始めている」
「なら、ここで守れます」
一夜はテントの周囲を見回す。
人だけが通れる門。
傷ついた者が戻る救護所。
戦う者へ食事を送り出す補給地点。
半径2メートルしかない、小さな安全地帯。
それでも、使い方次第で守れる範囲は2メートルだけではなかった。
リディアも同じことを考えたのか、緑色のテントを見る。
「この天幕は、小さいな」
「はい」
「だが、ここを中心にすれば戦える」
「戦うためだけじゃありません」
「分かっている」
リディアは一夜を見る。
「全員で、朝を迎えるためだろう」
一夜はうなずいた。
集会所の扉が閉じられる。
荷車と樽で作られた通路の向こうに、自警団が槍を構える。
さらに外側では、宵喰い狼の群れが集まり始めていた。
避難は終わった。
ここから先は、朝まで守り抜かなければならない。
ハルト村の夜は、まだ半分も過ぎていなかった。




