第13話 戦えなくても、守れる場所はある
北側の鐘が鳴り続けていた。
短く、激しく。
集会所の中で、子供が泣き出す。
「大丈夫だ!」
足を負傷した男性が、床に座ったまま声を張り上げた。
「リディア副隊長がいる! 自警団も戦っている! ここまで奴らは来ない!」
言葉の意味は、安全地帯の外にいる一夜には分からない。
それでも、男が何をしようとしているのかは伝わった。
不安に飲まれかけている村人たちを、落ち着かせようとしている。
「ちゃんと役目を見つけたんですね」
一夜は小さくつぶやいた。
外へ出て戦うだけが、村を守る方法ではない。
自分で言った言葉を、男性は守ってくれている。
「村長!」
一夜は集会所の前にいるエドガーへ手招きした。
村長が安全地帯へ入る。
「どうした!」
「けが人が出たら、ここへ運んでください」
「すでに北門で2人が負傷したと聞いている」
「それなら、急いでください」
「だが、天幕の中に入れるのは3人までではなかったのか?」
「推奨が3人です」
一夜は説明書を開いた。
【推奨宿泊人数:3人】
表記は変わっていない。
「少しくらい超えても、すぐに機能が止まるとは書いてありません」
「危険ではないのか?」
「分かりません」
「また、それか」
「試したことがないので」
「負傷者で試すのか?」
「外に置いておくよりはいいです」
一夜は集会所を指した。
「軽いけがの人は、傷を手当てした後、集会所の中へ移します。重いけがの人を優先して安全地帯に残します」
「天幕を治療所として使うのだな」
「そのつもりです」
「治療師は、すでに集会所へ来ている」
「それなら、その人にもここへ入ってもらいます」
「分かった」
村長が境界を出る。
すぐに彼の言葉は理解できなくなった。
一夜は救急セットを開き、使える物を地面へ並べていく。
包帯。
消毒液。
ガーゼ。
止血用パッド。
現代から持ち込んだ量では、村全員を治療することはできない。
村の薬草や布も使う必要がある。
「足りるわけないよな」
会社では、足りない資料があれば印刷すればいい。
必要な物があれば、注文できる。
今は、持ってきた分しかない。
次の週末まで戻ってこられたとしても、それまで村が持つ保証はなかった。
「今ある物で、やるしかない」
北側から、獣の悲鳴が響いた。
続いて、人の叫び声。
一夜の手が止まる。
戦いが始まっている。
最初に運び込まれてきたのは、腕を深く切られた若い男だった。
2人の村人に肩を借り、血を流しながら安全地帯へ入ってくる。
「座ってください!」
「腕が……動かない」
「見せてください」
上腕に、宵喰い狼の爪が通った跡がある。
傷は深い。
だが、骨までは届いていないようだった。
一夜は止血用パッドを押し当てる。
「強く押さえます。痛みますよ」
「構わない」
「痛かったら言ってください」
「戦ってきたんだ。この程度――」
「そういうのは、もう聞きました」
一夜は少し強めに言った。
「痛い時は、痛いと言ってください。治療する側が困ります」
男は戸惑いながら、一夜を見る。
「……痛い」
「はい。ありがとうございます」
「礼を言われることなのか?」
「我慢されるより助かります」
一夜が傷口を洗っていると、白髪の女性が安全地帯へ入ってきた。
背中を曲げた小柄な女性だ。
布袋と木箱を抱えている。
「あなたが治療師ですか?」
「マルタだ。傷を見せなさい」
女性は挨拶もそこそこに、若い男の腕を確認した。
「筋は切れていない。だが、縫わなければ傷が開く」
「縫うんですか?」
「当然だろう」
「麻酔は?」
「ますい?」
「痛みを感じにくくする薬です」
「眠り草の酒はある」
「それを使いましょう」
「その前に傷を洗う。あなたは何を使っている?」
「消毒液です」
「どくを消す液体か?」
「似たようなものです」
マルタは容器の匂いを確かめようとした。
「直接嗅がないでください」
「なぜだ」
「刺激が強いので」
「その液体を傷へ使っているのだろう?」
「飲む物ではありません」
「妙な薬だな」
「俺の世界では普通です」
「リディア副隊長から聞いた。別の世界から来たそうだな」
「信じるんですか?」
「この天幕を見た後で、何を疑えというのだ」
マルタは若い男の腕へ薬草を当て、手際よく治療を始めた。
一夜も指示された通り、傷を押さえる。
「あなたは治療師ではないのだな」
「簡単な応急処置しかできません」
「手つきは悪くない」
「本当ですか?」
「余計な場所へ触れない。傷を汚さない。血を見ても逃げない」
「逃げたい気持ちはあります」
「それでも残っているなら十分だ」
若い男の顔色が少しずつ戻ってきた。
安全地帯の軽傷回復も働いているのだろう。
流れていた血が止まり、荒かった呼吸が落ち着いていく。
「痛みは?」
一夜が尋ねる。
「まだある。だが、さっきよりは……」
「意識ははっきりしていますね」
「まだ戦える」
「戦いません」
「何?」
「その腕で武器を持ったら、また傷が開きます」
「村が襲われている!」
「だから、治してください」
「俺が戻らなければ、北門の人数が――」
「戻って途中で倒れたら、運ぶ人が必要になります」
一夜は男の目を見る。
「今は、治ることがあなたの役目です」
男は何かを言い返そうとした。
だが、マルタが彼の額を軽くたたく。
「この男の言う通りだ」
「マルタ婆さんまで」
「片腕で槍を振り回されても、周囲の邪魔になる」
「邪魔……」
「治ったら働け。今は寝ていろ」
マルタの方が、一夜より容赦がなかった。
「治療師って、強いですね」
「戦えない者は、言葉で言うことを聞かせるしかない」
「勉強になります」
「あなたは十分、口が達者だ」
一夜は苦笑した。
負傷者は、その後も続いた。
肩を噛まれた男。
転倒して足首を痛めた女性。
狼を追い払おうとして、槍の柄で手を切った少年。
安全地帯の中へ入れ、傷を洗い、マルタが治療する。
軽いけがの者は、痛みが落ち着いた後に集会所へ移した。
重い者を残す。
推奨人数の3人を超え、最大で5人が中へ入った時、説明書に新しい文字が現れた。
【推奨人数を超過しています】
【軽傷回復効果が低下します】
【疲労軽減効果が低下します】
「やっぱり弱くなるか」
一夜は人数を確認した。
「動ける人は、集会所へ移ってください」
「まだ痛む」
「痛みがなくなるまで待っていたら、次の人が入れません」
最初に運ばれてきた若い男へ肩を貸す。
「立てますか?」
「歩くくらいなら」
「ゆっくりでいいです」
「あなたは残らないのか?」
「俺はここにいます」
「宵喰い狼が来たらどうする」
「安全地帯があります」
「この天幕は、村の中央にある。柵を破られたら――」
「その時は、考えます」
「考えていないのか?」
「今は、けが人を治す方が先です」
若い男は一夜を見つめた。
「あなたは怖くないのか?」
「怖いですよ」
「そうは見えない」
「スープの効果かもしれません」
「料理で勇気が出るのか」
「怖さが少し軽くなるだけです」
一夜は集会所の中を見た。
家族同士で身を寄せ合う村人たち。
子供を抱く母親。
扉の近くで、外の音へ耳を澄ませる男性。
「怖くなくなったら、危険だと思います」
「何?」
「怖いから、準備するんです。怖いから、誰かと一緒にいる」
一夜は男の腕を支えた。
「怖くても動けるくらいが、ちょうどいいんじゃないですかね」
「変わったことを言う」
「よく言われます」
「誰に?」
「最近は、女騎士に」
リディアの姿は、まだ戻ってこない。
北側の戦いが続いている。
空が暗くなるにつれ、村の外から聞こえる音が増えた。
遠吠え。
柵へ何かがぶつかる音。
剣と爪がぶつかる音。
男たちの叫び声。
一夜は安全地帯の中で、けが人を待ち続けた。
自分から戦場へ行くことはできない。
ここを離れれば、運ばれてきた人を助けられない。
分かっている。
それでも、音だけを聞く時間は苦しかった。
「リディアさん、大丈夫かな」
小さくつぶやく。
マルタが薬草をすり潰しながら、一夜を見る。
「副隊長なら、簡単には倒れない」
「昨日は倒れましたよ」
「何?」
「いえ。何でもありません」
あの状態でも、リディアは戦おうとしていた。
今も傷は完全には治っていない。
また無理をしている可能性が高い。
「見に行きたいのか」
マルタが尋ねる。
「……少し」
「行って、何をする」
「それを言われると困りますね」
「剣は使えるのか?」
「使えません」
「弓は」
「触ったこともありません」
「治療道具は、ここに必要だ」
「はい」
「なら、残れ」
マルタは迷いなく言った。
「戦う者が戦い、治す者が治す。それぞれが持ち場を離れれば、村は崩れる」
「俺は治す人でもないですけど」
「この安全な場所を作った」
マルタが緑色のテントを見る。
「ここへ運べば助かると、皆が知り始めている。それだけで、外の者は戦いやすくなる」
「俺が、ここにいるだけで?」
「帰る場所のない戦いほど、恐ろしいものはない」
一夜は何も答えられなかった。
安全地帯。
温かい食事。
傷を治せる場所。
戦う力はなくても、帰ってこられる場所を作ることはできる。
「帰る場所……」
一夜自身は、帰っても誰もいない部屋で暮らしていた。
嫌いではない。
気楽ではある。
だが、帰る場所とは、ただ建物があることではないのかもしれない。
誰かが待っている。
温かい物がある。
疲れたと言ってもいい。
そういう場所を、帰る場所と呼ぶのだろう。
北側の鐘が、再び3回鳴った。
マルタの手が止まる。
「何の合図です?」
「柵が破られた」
一夜の体が強張る。
集会所の中でも、悲鳴が上がった。
「どこです?」
「北門だろう」
外から、村人が走ってくる。
「――――! ――――!」
言葉が分からない。
だが、男は北側を指し、それから集会所へ向かって腕を動かした。
「避難?」
村長が安全地帯へ駆け込んでくる。
「北門が破られた! 宵喰い狼が3匹、村の中へ入った!」
「リディアさんは?」
「1匹を追っている! 残りの2匹が、こちらへ向かっている!」
一夜は集会所を見る。
逃げ場のない村人たち。
安全地帯の半径は2メートル。
全員を守ることはできない。
「扉を閉めてください!」
「すでに戸板を打ちつけている!」
「窓も!」
「塞いでいる!」
村の道の向こうから、黒い影が現れた。
宵喰い狼。
紫色の光をまとい、こちらへ走ってくる。
1匹。
その後ろに、もう1匹。
村人たちが悲鳴を上げ、集会所へ飛び込む。
一夜は動けなかった。
安全地帯の中にいれば、自分は守られる。
だが、集会所の扉までは数メートル離れている。
宵喰い狼が扉へ向かえば、見えない壁は助けてくれない。
「一夜殿、中へ入れ!」
村長が叫ぶ。
「もう入ってます!」
「天幕の中だ!」
「集会所は守れません!」
一夜は腰の懐中電灯を引き抜いた。
マルタが一夜の腕をつかむ。
「何をするつもりだ」
「引きつけます」
「あなたは戦えないのだろう!」
「だから、安全地帯からは出ません」
宵喰い狼は、走りながら進路を変えた。
集会所ではなく、一夜へ向かってくる。
この世界の物ではない匂い。
リディアと行動していた人間。
安全地帯に残る血の匂い。
何に反応したのかは分からない。
だが、狙いは一夜だった。
「来た」
一夜は懐中電灯を構えた。
宵喰い狼が飛びかかる。
ごんっ、と激しい音が響いた。
見えない壁が大きく揺れる。
1匹目が弾かれ、地面へ転がる。
すぐに2匹目が横から襲いかかった。
牙が、一夜の顔から数十センチの場所で止まる。
透明な壁へ、紫色の唾液が飛び散った。
「怖っ……」
足が震える。
それでも、一夜は逃げなかった。
2匹の宵喰い狼は、集会所ではなく安全地帯へ集まっている。
今なら、避難している人たちは守られる。
「俺を狙ってる間は、そっちへ行かない」
説明書には、敵意を持つ存在の侵入を防ぐと書かれている。
敵意を向けられること自体は、防げない。
ならば、安全地帯の中から敵意を引き受けることはできる。
一夜は警告音のボタンを押した。
耳を突き刺す音が、村の中央へ響き渡る。
宵喰い狼たちが牙をむき、さらに激しく壁へ体当たりする。
「こっちです!」
言葉が通じるはずもない。
それでも、一夜は声を張り上げた。
「集会所じゃなく、俺を見ろ!」
透明な壁が、何度も揺れる。
壊れない保証はない。
レベル2になったとはいえ、どれほどの攻撃に耐えられるのかも分からない。
怖い。
逃げたい。
目を閉じたい。
それでも、一夜は懐中電灯の光を宵喰い狼へ向け続けた。
戦えなくても、敵を倒せなくても。
守れる場所の中にいるからこそ、できることがあった。
その時、村の道の向こうから銀色の影が走ってきた。
「一夜!」
安全地帯へ入っていない。
それでも名前だけは、はっきりと聞こえた。
「リディアさん!」
女騎士が、宵喰い狼の背後から剣を振り上げる。
2匹の注意は、完全に一夜へ向いていた。
リディアの剣が、朝を守るための戦いへ振り下ろされた




