第五章 塔の上で
期限の前日。
放課後、霧島玲からメッセージが届いた。
「今夜、旧館の屋上に来て。先生だけで。
プリンスを、教えてあげる」
俺は警戒しながらも、約束の時間に旧館へ向かった。
非常階段を登り、重い扉を押し開ける。
夜風が頬を刺す。
月明かりの下、給水塔のふもとに、霧島が一人立っていた。
「来てくれて、ありがと。
先生って、やっぱりちょっとお人好し」
彼女は笑った。
ただ、その足元には、封筒が三つ置かれている。
「何だ、それは」
「遺書、みたいなもの。
私たち三人分の『告白』。
先生が一番疑っている人の封筒を開ければ、真相に辿り着ける」
霧島は、給水塔に背を預けて空を見上げた。
「でも、どれを選んでも、誰かは傷つく。誰かは、ここから落ちることになる。
だから、それを決めるのは、外から来た先生じゃなきゃいけない」
選択権を押し付けられたような感覚に、吐き気がした。
「ふざけるな。そんなゲームに、付き合えるか」
「じゃあ、先生は何をしに来たの?
私たちを救いに?それとも、三年前のプリンスの代わりをしに?」
彼女の言葉に、三年前の担任教諭の姿が重なった。
理想を信じて、生徒を救おうとして、結局何も救えなかった大人の姿が。
俺は、封筒に手を伸ばさなかった。
代わりに、携帯を取り出して霧島に見せる。
「俺はもう、このゲームには乗らない。さっき、教務主任と警備にも連絡した。ここに来る途中でな」
霧島の表情が、一瞬だけ凍る。
「……やっぱり、先生はプリンスにはなれないんだ」
その言葉には、失望と、安心が入り混じっていた。
「プリンスってさ、誰かの罪を一人で引き受けて、
自分だけ悪者になって終わる役なんだよ」
霧島は、給水塔から一歩だけ離れて、柵に近づいた。
「三年前の担任の先生は、それをやろうとした。
でも途中で折れて、私たちを守る方を選んだ。
だから、一人だけ、本当に取り残された子がいる」
階段の下から、足音が聞こえてくる。
ユリアと九条院、そして教務主任の声。
「玲!」
「霧島さん、そこから離れなさい!」
霧島は、柵の外に身を傾けるふりをして、くるりとこちらを振り返った。
「先生。
私ね、本当は、ただ謝りたかっただけなの」
その目には、涙はなかった。
ただ、長い間自分を責め続けてきた人間の、乾いた諦めだけ。
「でも、もう一人じゃ、謝りに行けない。
プリンセス三人で行ったら、それはまた『見せ物』になる。
だから、外から来た先生が必要だった。
ただ、そのきっかけが欲しくて。
ごめんね。巻き込んで」
そのとき、屋上の扉が勢いよく開く音がした。
吹き込む風が、三つの封筒を宙に舞い上げる。
白い紙が、月明かりの下で散っていく。
霧島は、その光景を見つめながら、小さく笑った。
「もう、いいや。
これで、私たちはプリンセスをやめられるかもしれない」
俺は彼女の腕をつかんだ。
ただ、それは転落を止めるためではなく、ここに引き留めるための行為だった。
「霧島。プリンスは、誰でもない。
そもそも、そんな役は、最初から要らなかったんだよ」
言葉に確信はなかった。
けれど、これ以上誰か一人に罪を背負わせる物語を、俺はもう読みたくなかった。
階段から駆け上がってきたユリアと九条院が、霧島に駆け寄る。
「玲。あなた一人で、全部かぶるつもりだったの?」
「それなら、私たちも同罪です。
三年前、何もできなかったのは、三人とも同じ」
霧島は、二人を見て、肩の力を抜いた。
「……ねえ先生。
プリンスは、三人だったってことに、してくれる?」
「いいや」
俺は首を振った。
「プリンスなんて、いなかった。
三年前からずっと、この学校には」
三人は、驚いたように俺を見た。
「誰か一人を英雄か悪役にしようとする限り、同じことが繰り返される。
だから、この『物語』から降りることから始めよう。
プリンセスでも、プリンスでもない、ただの高校生として」
しばらく沈黙が続いたあと、霧島がようやく小さく笑った。
「それ、たぶん、いちばんシリアスで、いちばんつまらないエンディングだよ」
「そうかもしれない」
「……でも、嫌いじゃない」
そう言って、彼女は柵からそっと離れた。




