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饒舌・夏 饒舌シリーズep2  作者: 八束天音
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饒舌・夏 第4話

 酷い暑さだった。外は蝉の声が充満していて、さらに、うだるような日差しが窓の向こうから差し込んで来て、教室の中に白黒のコントラストを作り出していた。けれど締めきった室内は、どうやらその暑さを完全に遮断してくれているようで、さっきまでにじんでいた汗もいつの間にか引いていて、むしろ寒いくらいだった。


 新荷冬芽はその中にいて、教室を二分する白黒の日差しと影、その影の中の机に腰掛けて足をぶらぶらと揺らしながら、俺の顔を愉快そうに眺めている。顔が影の暗さで判然としないけれど、それでもその表情は分かっている。いつも通りのにやにや笑いだ。


「岩に染み入る蝉の声、とはよく言ったものだと思うが、けれどやっぱりこう大音量が耳元では、風情や風流よりもうっとうしい気分の方が勝る気がするよ。そうは思わないかい、トワ君」


 肩をすくめるようなしぐさと共に、そう言う新荷に、俺は椅子に座ったまま窓の外に目をやった。


「あー、なんだっけそれ、俳句? 俺はそういうのは全然分からんのだけどな。それでも聞いたことがある気はするよ。古池や、だっけか。聞いた時は俺でもなんとなく理解した気になっていたけど。まあ確かにこう暑くっちゃ、フゼイって気はしないな」


 新荷は「それを言うなら『静けさや』だよ、トワ君」と含み笑いと共に訂正してから、言葉をつづけた。


「過ぎた芸術は市民感覚からかい離する、と言ったところかな。あるいは、悪しを良しに変えることこそが風流なのかもしれないが、そうだとすればなおのこと、私たちの様な一般市民にはそうそう実感できない風情ってことなのかもしれないね。人間は考える葦であって、葦に悪しは変えられないと言ったところか。それにしても、冬はつとめて、とは大風呂敷もいいところだよ。実際のところ冬の早朝なんか寒すぎて起きてられるわけがない、懐炉もない時代であることを考えるとなおさらだ。清少納言はどうやらずいぶんと強情張りというか恰好つけだったんじゃないかと邪推したくなる。しかしその意地っ張りな清少納言をもってしても、夏の暑さを良しとするには至らなかったようで、夏は夕暮れ、と白旗を上げているがね。まあ、当時は暑かろうが寒かろうが十重も二十重も着物を重ね着していたわけだから、これは気候のせいというよりも風習のせいかもしれない」


 『饒舌』の名に恥じぬ、とめどない言葉の奔流。俺は呆れながらも、一応相槌を打つ。


「トエフタエ? 十二単のことか?」


 俺の言葉に、にやにやと笑いながら、軽くうなずく新荷。


「ご名答。トワ君にしては上出来じゃないか」


 にやり、と笑みをこちらに向け直し、上から目線でそう言われた。つまりは常態である。


「そう、ひな人形でおなじみのあの衣装だ。ところで平安の昔には重ね着こそ美しさであったということが十二単という衣装の存在をもって提言できるわけだけども、ひるがえって現在ならば薄着の、もっと端的に言ってしまえば体のラインの分かるような服飾がもてはやされている。これを時系列に置いたとすれば女性の服装は時代がすすむにつれてどんどん薄着になっていくという風に言ってもいいかもしれない。この先の女性の服装が危ぶまれるねぇ。――くっくっく。今どんな想像をしたのかな、トワ君? 間抜けな顔をしていたぜ」


 多分にからかいを含んだその言い方に、俺は賢明にも反応しないでおいた。俺は断じてなにも想像していない。俺の無表情に、新荷は不満げに口元を歪める。


「突っ込みなしとはつまらない男だね。トワ君、君の役割は聞き手でありそれ以上でも以下でもないというのに、その唯一の職務を放棄するとは、怠慢以外の何物でもないよ?」


一度相槌をしなかっただけでひどい言われようである。しかし、それで憮然とした顔になってしまった俺の表情を見ると、新荷は一転してにやりと満足そうに笑みを浮かべた。現金なものである。


「ま、たまには過ちもあるだろう、私は寛大にもそれを見逃してあげるよ。――話を戻すと、そもそも平安の昔の話で言えば、布が貴重なものであったから、それを多く有することがステータスであったという二次要因を付け加えるべきで、つまり一概に美的感覚のみがその重ね着を生んだのではない、と若干の訂正を加えなくてはならないんだけどね。時代によって貴重なものは変わっていく。今となっては貴重な松茸やメダカが、ほんの数十年前にはありきたりのものだったという話はあまりに有名だから、トワ君も知っているかな」


「そういや、じいちゃんが言ってたな。テレビで松茸の特集見るたびに、裏山いけばいくらでもあったもんだ、っつって。メダカもそうなんだ?」


「スズメだってそうさ。それ以外にも沢山あるんだろうが、よく出る話題ならその辺だ。身近なものほど激減という変化には気づきにくいということかもしれないし、あるいは身近な例だからこそ人口に膾炙すると言うだけの話かもしれないがね」


 そこまで言って、新荷はふと、ひょいっとばかりに机から降りた。その勢いで一瞬新荷のスカートがふわりと浮くが、当然その中が見えることは無い。見たくもない。新荷は俺のそんな失礼な思考には気づかずに、数歩を歩きながら、話を続けている。


「そのうちに、舌切雀とか、着たきりすずめとか、そういう言葉の意味も、通じなくなってくるんじゃないかと心配になってくる。どこぞの保育園じゃ、『いたいのいたいのとんでいけ』が親に理解されなくて、怪しい宗教なんじゃないかといぶかしまれたって笑えない話もあるくらいだ。人は過去ばかり見ていては未来は見えない、っていうのは漫画じゃ常套文句だけども、それにしたって限度があるんじゃないかと思えてくるね。来し方を知らずして行く末なんぞわかるもんか」


 話の途中で三つほど隣の机にたどり着いて、新荷は、ぽす、とその椅子に腰を落ち着けた。机から降りて移動して椅子に座るまで、まったく話を途切れさせることがなかったのはさすがと言えるかもしれない。特技というよりもはやこれは性質なんじゃなかろうかと俺は思っている。しゃべり続けてないと呼吸が止まってしまうとかそういう感じの。新荷は、両肘を偉そうな感じに両隣の机について、王様のような姿勢で脚を組んだ。いつも通りのにやにや笑いと相まって、なにやら幼い子供が王様ごっこでもしているような雰囲気がある。が、もちろんそう思ったことは言わないでおく。ちなみに新荷の移動の意味はよくはわからないが、どうやら日影が移動したのに合わせて移動したようだ。


「ま、私が言うのも変な話だけどね。いや、饒舌の私が言うからこそ、責任もなく放言できる私なら許されるかもしれないが。ふふ、なんにせよ私の言葉は所詮はただの雑談で、それ以上ではない。聞き手を相手に時間を潰しているだけの、ただの退屈しのぎさ」


 自虐的なそのセリフとは裏腹に、新荷のにやにや笑いは変わらない。すくなくとも、変わったようには見えない。なにしろ日陰に入っているのでその表情はある程度しか分からないのだ。とはいえ、いつものにやにや笑い以外の表情が思い浮かばないというのもその理由だったりするのだが。それはともかく、俺は思わずつっこみを入れた。


「それ、俺を巻き込んでるの前提なのかよ」


「くっくっく、いいじゃないか、青春とはそういうものだ。『無駄を積み重ねてこそ後々輝いてくるものだ』と、そう思っておいた方がお得だぜ。贅沢も教養もまたしかり。無駄と思うものを全部省いてしまったんじゃ、人生つまらないだろう。私の相手をするのも、退屈をしのぐのも、トワ君の人生に彩りを与えてやってるんだぜ。むしろ巻き込んであげたことを感謝して欲しいくらいだ」


「なんだその理論」


「巷じゃこれをジャイアン理論と言うらしいよ」


「自覚あったのかよ」


「つまりそれに巻き込まれている君はのび太君か」


「残念な主人公!」


 ボケの連打についつい、突っ込みを入れてしまった。新荷は心底愉快そうに、「くっくっく、トワ君はほんと、面白い男だ」と口の端を上げた。俺の突っ込み癖――新荷に言わせれば、『聞き手』体質――が恨めしい。ひとしきり笑った後、新荷は「さて、」と組んでいた脚を下ろして立ち上がった。


「ふふ、ついつい話し込んでしまったな。退屈しのぎの時間つぶしはそろそろこのくらいにしておこう。トワ君、君、そろそろ時間だろう。楽しい時間はいつもすぐに過ぎ去ってしまうね。まあ、また次だ。Time to say goodbyそして、see you next、ってね」


 もうそんな時間になったのか? 俺は時間を確認しようと教室を見回したが、残念ながら空き教室に時計は無い。時間がわからないとなると途端に不安になった。俺は腕時計をする習慣がない。新荷も、その細っこい手首にはなにも巻いてはいなかった。時間を見るには隣か、もっと先の教室にでも見に行くしかないようだ。となるとそのまま帰ってしまう方がいい。もともと時間の決まった邂逅ではないのだ。俺も新荷に次いで立ち上がり、片手を挙げた。


「おう、じゃあな、新荷。また」


 応えて新荷も片手を挙げて、にやにや笑う。


「ああ、またね」


 俺は新荷のにやにや笑いを後にして、教室を出た。


半分、折り返し地点です。うだるような暑い夏を想像しながら。

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