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饒舌・夏 饒舌シリーズep2  作者: 八束天音
3/8

饒舌・夏 第3話

 本格的な夏だった。窓の外は強い日差しで見るからに暑そうだし、換気のためだかで窓を開けてしまっている廊下も同じ気温だ。俺はそんな暑さを避けるために校内をうろついて、結局いつもの通り、新荷冬芽に出会っていた。  

 いつも通りの空き教室で、新荷は窓枠に座るというなんとも不安定な姿勢で、しかしいつも通りのにやにや笑いを浮かべたまま、いつも通りにつらつらと饒舌に無駄話をしている。俺はやっぱりいつも通りに、それをただ聞いていた。コイツの話はいつだって適当で脱線しまくって、遠回りして、いやそもそも本筋なんかない。今回もやっぱりそんな感じで、ただ話をするためだけに話をしているという体だ。新荷はにやにやと、言葉を紡ぐ。


「物忘れというけどね、脳の機能として一度記憶したものは脳内から消えてなくなるというわけではないらしい。忘れたと思っていてもそれはただ思い出さないだけで、脳の中の引き出しにしまわれている。だからふとした拍子にその引き出しが開いて思い出し、驚いたりするわけさ。よく催眠術なんかで忘れていたはずの記憶がよみがえったりするのがその証左だ。だとすると人が今まで読んだ本は全て脳の中にあるということになる。その本が脳内のどこの棚にあるのかわからなくてそこまでたどり着けないだけで、その本自体は脳内図書に必ずあるというわけだ。まるでどこかのラノベの少女のようにね。さしずめ頭の中こそがその人にとって最大の図書館といったところかね。そう表現するとなんだかワクワクする気がしないかい?」


 にやにや笑いを浮かべたままそう言う新荷に、俺は一瞬考え、


「読み終わって捨てた本も頭ん中に残るっていうのなら、まあ助かるかな」


「ふむん。本を捨てるなんてとんでもない、と考えてしまうのが読書人の性だということかな。その発想はなかったな。とはいえ、実際のところ捨てないでいるなら私の家はとっくに床が抜けていただろうね。そうならなかったのは、いつでも借りられる図書館の本を、疑似的に所有している気分になっていたからだと言えるかもしれないかな」


 新荷は言いながら、頬に指を当て、わずかに首をかしげた。この仕草は、普通なら可愛らしいと称されるものなのだろうが、いかんせん、コイツの場合はその表情ですべて台無しだ。そんな俺の失礼な思考もお構いなしに、新荷は言葉を続ける。


「図書館といえば、私の夢は図書館に住むことだけれど、その実、その夢想する私こそが図書館だったということになるからね。図書館なんか住んで何になるかって? やれやれわかってないなあトワ君は。そもそも、私のような読書人は皆、常々思うことなんだがね。もしも一生どこかに閉じ込められて過ごせというのであれば、図書館か、本屋がいい。虫のごとく本をむさぼり、マニアのように蒐集する我々のような人種にとっては、本に囲まれている状況それ自体がすでに至福なのだ。所蔵のための家が一軒欲しい、という願望はギャグのように語られるが、実際の所本気も本気なのさ。そのためだけの部屋を作り、そのためだけの家を保有することが、つまりは図書館を所有し、本屋に住まいたいという願いの、一歩目だと言っていい。世に名高いアレキサンドリア大図書館しかり、バベルの大図書館しかり、あるいはいろいろな意味で有名なセラエノ図書館しかり。大量の本という知識を、活字をひたすらにため込んだ空間というものは、なにより想像力を刺激する。日本にだって国会図書館というものがあって、国立国会図書館法という法律によって『国内すべての出版物は国立国会図書館に納められなければならない』とされている。実にラノベ好みの設定だと思わないかい。愉快にして壮大なこの法律は、案外知られていないがゆえに、ネタだと思っている人も多いようだが事実だ。だからもしも君がいかがわしい本でも読みたくなって、でもレジに持っていくのは恥ずかしいというのであれば、国会図書館に行くといい。どんな本でもそろっているから、とうぜん君が読みたい本だって所蔵されているし、閲覧も可能だ。しかもおまけに無料ときている。日本国民として胸を張って利用するがいいよ。まあ、レジに持って行ってお金を支払う代わりに、カウンターに行って本の名前を言って閲覧請求をする必要はあるがね。くっくっく。まあなんにせよ、だ。いかがわしかろうと、高尚だろうと、本は本として尊重するのが礼儀というものだ。本は何より重いものだからね。ふっふっふ、これは精神的な意味だけではない。紙という媒体は、軽いものだと思うかもしれないが、それは大きな間違いだ。一つ二つではかさばらないし重さもほとんど感じないから多くの人が勘違いをしているようだが、かさばらないということはつまり、大量に運べるし、持てるということだ。いくら一枚が軽かろうと、何百枚と重ねればそれなりの重量をもってくる。嘘だと思うならコピー用紙を300枚くらい持つといい。思ったよりも重量はあると気が付くだろう。さらに、両手で抱えようと思ったら、3000枚くらい重ねても、抱えるという姿勢には邪魔にならない。しかし手軽に運べる重さではなくなるだろうね。つまりそうやって紙を重ねて束ねたものが本という形態だということを考えれば、『本は重い』という言葉の意味も分かってくるというものだろう。これで想像がつかないというなら、辞書でも頭に浮かべるといい。国語辞典なんかは2000ページくらいあって純粋枚数でおよそ1000枚の紙を束ねた形だけど、それなりに重量を感じるだろう。10冊も抱えようとしたらそれ相応の気合いを必要とする。つまり、『本は重い』のさ」


 いつもながらの饒舌だった。よくもまあ、こうポンポンと言葉が出てくるもんだ。


「俺はそんなに読まないから分からないけどな」


「人生の9割を損しているぜ、とだけ言わせてもらうとしよう」


 やれやれ、とばかりに肩をすくめて、新荷は偉そうに言う。


「9割は言い過ぎだろう」


「何を言っているのかなトワ君は。いいかい? 本は糧で、友で、師で、指針だ。そのすべてを持たない人生は、はたして10%も価値があるといえるのかね?」


「じゃあ文字を知らない文化はどうするんだよ」


「そりゃもちろん、生身の人間がその代わりを務めるのさ。だけど、そんな文化ではない現代社会においてすべてを取り揃えるのは、意外に骨が折れるぜ。値する人物となるとなおさらだ。実際のところ、人格者だと誰もが口を揃えて太鼓判を押せるような人物なんて、めったとお目にかかったことはない。この学校の人数を持ってしても、かなりの難題と言えるだろうね。この私でさえ、トワ君に対して全てを満たすことはできないだろう。せいぜいもって、一つか二つだね」


「『さえ』って……けっこうな自信だな」


「自信は過剰で『さえ』なければ人をより良い場所へ導くものになるんだよ。つまり自信を持つことはそれだけ高い目標を持っていることと言える。しかしトワ君は見たところ、高い目標を持っているようには見えないねえ」


「それでどうして悪口じゃないと思っているのか常々不思議でならん」


「悪口だなんてとんでもない、むしろ私は君を高く評価しているとさえ思えるよ。ここしばらくの生徒の中で最高の人物だ。少なくとも私にとってのトワ君はその賞賛に値するよ? だからむしろ喜んでくれてもいい」


「わざとらしいその表情さえなければ喜びもするがな……」


 おもわず唸るような言い方になってしまう。こいつはいつも表情が読み取りにくいくせにこういう時だけは役者みたいに変幻自在ときているから始末に悪い。


「ひねくれているねぇ、トワ君は。くっくっく」


 俺の反応のどこが気に入ったのか、新荷の方は愉快そうに肩を揺らしている。やれやれ。


「とはいえ、楽しい時間もそろそろ終わりだ。トワ君、君、そろそろ帰る時間じゃないのかな」


「ん? もうそんな時間か」


 窓から外を見るが、夕方の色合いは見えてこない。とはいえ、新荷は時間には妙に正確だから、新荷が時間というのならそうなんだろう。


「おやおや、私と別れるのが名残惜しいのかね」


 立ち上がるのをためらう俺に、新荷が含み笑いでツッコミを入れた。


「大体毎日会っているのにか。暑い廊下に出るのが嫌なだけだよ」


「うふふ、素直じゃないこと」


 にやにや笑いで俺を覗き込み、からかう新荷。俺はそれを手を振って振り払うついでに立ち上がる。


「じゃあ、まあ、帰るわ。またな、新荷」


「くっくっく、また明日ね、トワ君」


 立ち上がった勢いが消えないうちに、俺は夏の熱気に満ちた廊下へ向かって足を踏み出した。

第3話です。残りは5話。最終話までお付き合いいただけると嬉しいです。

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