第93話「境界の残骸」
黒い霧が、地下遺跡を覆っていた。
視界がほとんどない。
「レオ!」
カイの声が聞こえる。
「こっちだ!」
「ミナ!」
「ここにいる!」
互いの声を頼りに、五人が集まる。
守護者だけが、霧の向こうを睨み続けていた。
「……あいつは?」
レオが尋ねる。
ガイアが答えた。
『いる』
「どこだ?」
『すぐ後ろだ』
レオが振り返る。
そこに――
黒い霧をまとった人影が立っていた。
三百年間、石柱に封じられていた存在。
その姿は人間に近い。
だが、身体の輪郭がところどころ黒い霧へ変わっている。
「……境界の残骸」
レオが呟く。
「それが、お前の名前なのか?」
「名前ではない」
低い声が返ってくる。
「私が何であるかを示す言葉だ」
カイが剣を向けた。
「じゃあ、お前は何なんだ?」
「生者ではない」
一歩。
「死者でもない」
さらに一歩。
「かつて境界に触れ、その一部となった存在だ」
ミナが息を呑む。
「境界の……一部?」
男はレオを見る。
「そして、お前もまた境界に触れている」
レオは警戒を解かない。
「俺はお前とは違う」
「……そうだな」
男が微笑む。
「お前はまだ、人間だ」
その瞬間。
黒い霧が一気に膨れ上がった。
「!」
守護者が前に出る。
白い光が広がり、黒い霧を押し返した。
「守護者!」
二つの力がぶつかる。
バチィッ!
地下空間に衝撃が走った。
男が初めて表情を変える。
「……白き守護者」
守護者は無言のまま立っている。
「三百年経っても、まだ使命を続けているのか」
レオが目を細めた。
「お前は、守護者を知っているのか?」
「知っている」
「いつ?」
「三百年前だ」
レオの胸に嫌な予感が走る。
「ヴァルドやアシュレイとも会っていたのか?」
男の目が細くなる。
「……ヴァルド」
その名に反応した。
「そして、アシュレイ」
「やっぱり知ってるんだな」
「彼らは境界を閉じようとした」
男は周囲を見渡す。
「だが、すべてを理解していたわけではない」
ガイアが口を挟む。
『何を知ってる?』
男はガイアを見る。
「契約された魂か」
『俺を知ってるのか?』
「似た存在を見たことがある」
ガイアが黙る。
レオは尋ねた。
「三百年前、この遺跡で何があった?」
男は答える。
「実験だ」
「実験?」
「死者と生者を繋ぎ、境界を観測する実験」
レオの表情が険しくなる。
「……教会の研究か?」
「当時はまだ、今の聖王教会ほど大きな組織ではなかった」
「じゃあ、黒き境界派は?」
男はしばらく黙った。
「彼らもここへ来た」
「何をした?」
「境界を越えようとした」
男の声が低くなる。
「そして、失敗した」
その瞬間。
床から黒い光が噴き出した。
「!」
レオたちが飛び退く。
黒い光は人影へ吸い込まれていく。
男の身体が大きく揺れた。
「……っ」
カイが剣を構える。
「やっぱり敵か!」
「待って!」
レオが止める。
男は苦しそうに胸を押さえていた。
「この遺跡に残された力が……まだ私を縛っている」
レオが気づく。
「お前自身が黒い力を操ってるんじゃない」
「……」
「ここに残っている黒い力に、逆に利用されているんだ」
男はレオを見る。
「よく気づいたな」
ミナが杖を握る。
「じゃあ、あの森の魔物たちも……」
レオが続ける。
「黒い力に操られていた」
男が頷く。
「その通りだ」
「誰がやってる?」
男の表情が変わる。
「それは――」
その瞬間。
地下遺跡のさらに奥から、声が響いた。
『……鍵……』
全員が振り返る。
『……鍵を……』
レオの身体が強く反応した。
「この声……」
聞き覚えがある。
死界の門の向こう側。
森の黒い核。
あの時と同じ声。
『……こちらへ来い』
レオの手に黒い紋章が浮かび上がる。
「……また、お前か」
ガイアが叫ぶ。
『レオ! その力を抑えろ!』
レオは歯を食いしばった。
「分かってる!」
黒い光が腕を這う。
守護者がレオの前に立ち、白い光を放つ。
黒い光が少しずつ消えていく。
男はその光景を見つめていた。
「……やはり」
レオが顔を上げる。
「何がだ?」
「お前は、あの存在に目をつけられている」
「どういう意味だ?」
男は答える。
「お前の力は、私を目覚めさせるためだけのものではない」
「……」
「境界そのものを開く可能性を持っている」
カイが険しい顔をする。
「それって、レオが門を開けるってことか?」
「違う」
男が否定する。
「レオ自身が望んで開くとは限らない」
ミナが尋ねる。
「じゃあ……誰かに利用される?」
「その可能性はある」
レオは拳を握った。
「……させない」
男がレオを見る。
「そう言えるうちはいい」
「何?」
「いつか、お前は選ばされる」
男の身体が再び黒い霧に包まれる。
「死者を救うか」
「生者を救うか」
レオの目が鋭くなる。
「俺は――」
男が消え始める。
「その答えを、まだ急ぐ必要はない」
「待て!」
レオが手を伸ばす。
だが、黒い霧は消えた。
残されたのは――
床に落ちた小さな黒い欠片だけだった。
カイが拾おうとする。
しかし、守護者が手を上げて止める。
「触るな?」
守護者が頷く。
レオは欠片を見つめる。
「この欠片……さっきのものとは違う」
ミナが覗き込む。
「黒い紋章がない」
ガイアが低く言った。
『なら、別の意味を持っているのかもしれない』
レオは欠片を見つめ続けた。
その時。
地下遺跡の壁に、一つの文字が浮かび上がった。
『第零封印』
レオが目を見開く。
「……第零封印?」
カイが周囲を見渡す。
「まだ封印があるってことか?」
レオは頷いた。
「たぶん」
そして――
遺跡のさらに奥から、重い扉が開く音が響いた。
ゴゴゴゴ……。
ガイアが呟く。
『どうやら、まだ終わりじゃないな』
レオは鎖を展開した。
「行こう」
五人は、暗闇の奥へ進んでいった。
――第93話・完――




